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 さて、この子をどうやって追い出そうか。

 申し訳なさ程度に文庫本が数冊入っている正方形の本棚と、布団くらいしか置かれていない、四畳半の質素な寝室で、僕は面倒臭いけど保身の為、思考を巡らせる。

 何か妙案はないだろうか。この子を追い出す時に、叫ばれたり、僕の姿を人に見られたりしたら、僕は警察に捕まってしまう……。

 性欲が冷めてしまえば、僕にとって少女は天敵のようなもの。敷布団の上で仰向けのまま、いつまでも目を閉じることのない少女から、1mほど離れて、壁に寄りかかりながら、僕は彼女の若くて綺麗な肌を見つめる。

 捕まりたくない訳ではないが、警察に捕まったら、当分は自殺することができなくなってしまう。それは困る。何としても避けなければ。目的を達成させる為にも、早急に少女を追い出す必要がある。しかし、力ずくで追い出すのは利口ではない。僕が捕まらない為には、この子に自主的に部屋から出て行ってもらうしかないか……。

 どのくらいそうして考えていたのだろう。いつの間にか起き上がっていた人形みたいな少女は、唐突に僕の顔を見て、口を開いた。

「あなたも、私と同じ目をしている」

 相変わらず無表情な少女の声は、優しく、澄んでいて、やけに音量は小さかったが、はっきりと聞き取ることができた。

 何も言わずに部屋に連れ込んだものの、この子は怯えてないようだ。

 僕は少女の落ち着いた振る舞いを目視し、安堵して、彼女に言葉を返す。

「そう。それで、悪いんだけど、部屋から出て行ってくれないかな」

 回りくどい表現は好きではないので、率直に本心を述べると、少女はきょとんとして首を傾げた。

「え?何で?」

「君がいると迷惑なんだ」

「でも、私をこの部屋に連れ込んだのはあなたでしょ?」

 それを言われたら何も言葉を返せない。

 少女の鋭い指摘に気圧され、僕は黙って彼女から目を逸らす。

「図星だね。それで、あなた、名前は?」

「皐月……」

 無視しようかとも思ったが、答えないと少女の機嫌を損ねると思ったので、素直に名前を口にした。

「サツキ?女の子みたいな名前だね」

 僕が本名を教えると、少女は『ふふふ』と声に出して笑った。

「よく言われる」

「ふふ。だろうね」

 今更自分の名前を笑われて、恥ずかしいと思うことはない。とっくにそんな時期は通り過ぎた。それでも僕は、少女に名前を笑われて―少しではあるが―不快な気持になった。

「それで、サツキはどうして私をここに連れ込んだの?」

「おいおい。呼び捨てはないだろ」

 反論できなかったのでなめられているのだろうか。僕は少女に呼び捨てにされ、むっとして、彼女が着ている学生服を指差す。

「君はまだ高校生だろ?」

「え?私二十歳だけど……。って、そういえば今日、高校の制服着てたんだっけ」

 制服姿の女は、虚ろな双眸のままぴくりとし、一瞬体だけで驚きを表現し、一人で納得して頭を垂れる。

「二十歳って、僕と同い歳じゃないか。そんな歳なのに、どうしてゴミ捨て場の横で、段ボール箱の中に入ってたんだ?」

 僕が少女……というか、制服姿の女をまじまじと見つめると、彼女は敷布団の上で伸ばしていた両足を抱きかかえ、空ろな双眸を足元へ向けた。

「どうしてって……。あそこに座っていれば、誰かが私を連れさってくれるんじゃないかと思ったからに、決まってるでしょ」

 そんなこともわからないの、という聞こえない筈の女の声を、僕は彼女の態度から感じ取った。

 何なんだこの子は。僕自身も、死を求めてばかりいるのだから、世界中の人と比べたら、変人の部類に入れられるのだろうが、この子は僕以上に変わっている。見知らぬ男に家に連れ込まれたというのに、この落ち着きぶり。しかも、連れさられることを期待して、ゴミ捨て場の横に座っていたなんて、どうかしてる。この子は監禁されることでしか快楽を得られない希少な変態なのだろうか。

 とにかく、彼女の言葉が真にしろ嘘にしろ、とんでもなく面倒な人間を家に連れ込んでしまったことだけは確かだ。やれやれ。馬鹿なことをしたよ。

 小学生の頃、学校で飼っていた兎が、近所の男に惨殺された時も、何とも思わなかった僕だけど、現在の状況には辟易して、ついつい苦笑いを浮かべてしまった。すると、なぜか女も顔に笑みを浮かべた。が、あちらは僕と違い、楽しそうだ。

「こいつ、変な嗜好の持ち主だなって思ったでしょ」

「実際変じゃないか」

「サツキに言われたくないよ。今日一日だけで、何回私の前を通った?いい歳して、一日中散歩するのが趣味なの?」

「別に君の前を通った訳じゃない」

「屁理屈はどうでもいいからさ、質問に答えてよ」

「質問ってどっちの質問?二つ訊ねてきたけど」

「両方」

「一つ目、僕は君の前を通った回数なんて覚えてない。二つ目、僕の趣味は散歩じゃない」

「へぇ、違うの。じゃあ、サツキの趣味って何?」

「死ぬこと」

 嘘を吐こうかどうか迷ったが、女を騙したところで、僕が死ねるようになる訳ではない。無駄に頭を働かせても意味がないので、僕は偽りなく正直に答えた。

「死ぬことか。つまり、自殺願望がある訳ね……」

 女は頻りに頷く。

「なるほど……」

「さ、質問にも答えたんだから、もう良いだろ。帰ってくれよ」

「まだ質問は終わってない」

「次は何?」

「どうして私を部屋に連れ込んだの?」

「君を犯そうと思ったから」

 女の問に即答すると、彼女はつと顔を上げ、僕に虚ろな双眸を向けてきた。が、彼女の態度からは僕に対する怯えや軽蔑が宿っているようには見えない。

 ほんの数分前に、見知らぬ男に犯されそうになっていたことを知ったのなら、もっと驚いてもいいと思うのだが……。

 僕は女が何を考えているのかわからなくなった。

「ふぅん。そっか。まぁ、そうだよね。男の子だもんね」

「なぁ、君はいったい何がしたいんだ?」

「え?何がしたいっていうのは、どういう意味?」

「何で僕の部屋から出て行ってくれないんだよ」

「さぁ、期待しているからじゃないかな、サツキに」

「期待って……」

 何を期待しているんだよと、僕が言おうとしたのだが、機械のように無表情な女に、僕の言葉は遮られた。

「ねぇ、サツキもこっちに来なよ」

「何で?」

「いいから来なよ」

 女はおいでおいでと手招きをする。

 そうやって傍に誘き寄せて、体を触ったとか言って僕に冤罪を着せる気だな。そうはいくか。

 人知れず、女の企みを推察していると、彼女が『来ないと叫ぶ』と脅してきたので、仕方なく僕は敷布団の上に座る彼女の横に、近すぎず遠すぎず、微妙な距離をとって、腰を下ろした。

「そういえば、まだ名乗ってなかったね。私の名前は美砂。美しい砂と書いて美砂。堅苦しいのは嫌だから、呼び捨てにしてね」

 女改め美砂は、それから頼んでもいない自己紹介を始め、しばらく僕は彼女の身の上話に付き合わされた。

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