第二章 全ての始まり (4)
「何でお前が……?」
朋美と待ち合わせた喫茶店で疾風は驚いていた。
部屋でゆっくり話そうと言う申し出を朋美は断わり、どうしても外で会いたいと言ったので来てみれば、そこには司の姿もあったからだ。
「疾風、ごめん。私……司と付き合う事にした」
朋美はいきなり切り出した。
「何を言ってるんだ? 朋美……」
「そういう事なんだよ。疾風」
「司……」
妙な雰囲気で二人は自分を見つめている。
疾風はそれっきりしばらく言葉が出なかった。
「私、本気だから」
「朋美、何でなんだ? 何で……こんなの悪い冗談だろ? そうとしか思えない。なあ司、お前はそんな事するようなヤツじゃないだろ? ほんと悪い冗談だ。こんな事……あり得ない!!」
「冗談なんかじゃねえよ、疾風。俺は朋美を愛してる。多分、お前より」
司のこの一言に、疾風はキレた。
「なんだって? 俺より朋美を愛してるだって? お前にそんな事を言われる筋合いはない!! お前に何が解るんだ!! よくもそんな事をぬけぬけと……ふざけるな!!」
疾風は思わず声を荒げた。
居合わせた他の客が驚いたようにこっちを見たがそんな事はどうでもよかった。
結婚しようと思っていた。プロポーズの準備は出来ていた。
確かにここのところは忙しくてろくに相手もしてやれなかったが、疾風は疾風なりにきちんと朋美を愛していた。誰よりも深く、愛していた。
その愛が司に劣るとは思わない。
「司を責めないで。悪いのは、私なんだから」
朋美が言った。
「責めるなって……」
こう言われてしまうと、これ以上の事は何もいえない気がした。
「いつからだよ」
軽いため息をつき、疾風は聞いた。
「誕生日の夜から」
あの日……疾風が朋美にプロポーズしようと思っていた日だ。
「何でだよ……なんで……どうしても俺は納得できない」
疾風は頭を抱えた。
「傍にいてくれたのよ。私が寂しい時、誰かに傍にいて欲しいと思ったとき、いつも傍にいてくれたのは司だった」
「じゃあ俺がいつもいつもほったらかしにしといたとでも言うのかよ!」
「そうじゃないけど……あなたはいつも仕事が最優先で……」
「それだって早く一人前になってお前と一緒になりたいと思ったからだろ? それを……。俺は俺なりに、頑張ってきた。お前を幸せにしようと、努力してきた!!」
「でも私は寂しかったのよ。傍にいて欲しかったの。そんな私の気持ちに気がついて、いつも傍にいてくれたのは司よ」
「疾風、俺はお前と朋美が付き合いだしたとき、相手がお前ならいいと思っていた。お前のよさは、俺が一番解っているからな。だけど、最近のお前ときたら……確かに男としてそう言う気持ちが解らない訳じゃないが、朋美はいつも寂しそうにしてた。
諦めようと思ってたけどそんな朋美を見ていたら俺はほっとけなくなった」
「随分と言いたい放題だな。人の女に横からちょっかい出すような事しておいて!! ビックリだよ。まさかお前に朋美を奪われるなんてな。どういう気持ちだった? 友達ヅラしながら俺たちを見ていて。どんな気持ちだった? 朋美を俺から奪うと決めた時! お前は……」
「疾風!! 司を責めないでよ!! あなたに司を責める資格はないわ!! あなたにデートをキャンセルされたり、あなたにほっとかれた時に一緒にいてくれたのは司よ! いつだって、傍にいてくれたんだから!!」
「疾風、俺は本気なんだ。お前が朋美と付き合うずっと前から、俺は朋美を愛していた」
「そして私も、本当に傍にいて欲しい人が誰だか解ったの。いえ、変わったのよ。これがどんなにひどい裏切りか解ってるわ。でも、これ以上あなたを待っているだけの日々はもう嫌なの。ごめんなさい。こんな事になってしまって」
「疾風、本当にすまない」
そう言う2人の目があまりにも真剣だったので、疾風はこれ以上何も言えなかった。
いや、あまりの事態に何も言う気が起こらなかった。
* * *
部屋に戻った疾風は腹わたが煮えくり返るのをひしひしと感じていた。
朋美の相手は司だった。
起こった出来事があまりにも突然で衝撃的で、これは夢なんじゃないかと信じられない気さえする。
夢であって欲しい……いくらそう思っても、朋美の言った一言が頭の中にこびりついて、これは紛れもない現実なんだと疾風を打ちのめしていた。
「傍にいてくれたのは司……」
その一言にどうしようもないこの現状のすべてが詰まっている気がした。
確かに朋美はどんな自分でも受け入れてくれると高をくくり、甘えていたところはあった。すまないと思いつつも朋美の物分りのよさに甘えてきた。
自分の落ち度が全くないという訳ではない。
だからって2人の裏切りを、許せるだろうか?
「あんま邪険にしてると他の男に持ってかれちまうぞ」
この前会ったときに司がいっていた言葉。
友達ヅラして忠告していたあれは、自分だったではないか。
ずっとずっと親友だった司。
ずっとずっと愛し合ってきた朋美。
いつも一緒だった3人……。
疾風は今、恋人と親友という、最も大切なモノの両方をいっぺんに失うという
予想だにしなかった事態に、どうしようもなく打ちのめされ、またどうしようもない位怒りに満ちた気持ちで一杯になっていた。
朋美の心が離れていくなんて信じられない……。
でも、司が自分を裏切るなんてもっと信じられない。
信じられないという気持ちの度合いが、怒りと憎しみの深さにそのまま比例しているように思えた。
司……俺はお前を絶対に許さない!!
親友だと思っていたのに……俺を裏切り朋美を奪うなんて!
疾風は司の裏切りの行為自体に激しく怒りを感じていた。
でも、司への憎悪は溢れても、朋美への感情は悲しみという形でしか沸いてこない。
裏切られたと言うよりは自分から去っていってしまったという感のほうが強い。
見切りをつけられたという事実が疾風を打ちのめす。
愛を失った事に立ち直れそうもないほど傷付いた疾風は、司への激しい憎悪を燃やすしかなかった。
俺はお前を絶対に許さない……。
それから2週間ほどたったある夜、疾風が部屋に戻るとドアの前で司が待っていた。
見たくもない顔だ。
疾風は心の中でそう毒づいた。
「疾風……」
司は申し訳無さそうな顔で言った。
その表情は自分を哀れんでいるようで、いかにも罪の意識を感じていますといったその顔は、逆を返せば勝った者のおごりではないかと余計に疾風の憎悪を煽った。
「ほう、司じゃないか。一体どの面下げて俺の前に現れたんだ?」
疾風は憎々しさを全面に出してそう言った。
「すまない……。お前にはほんとに悪い事したと思ってる。許されないのも解ってる。俺のしたことはサイテーだ……」
「でもおかげで幸せにやってますってか? お前の顔なんか見たくもねーんだよ! ほんと、すっかり騙されたよな。いかにも友達ヅラして、朋美目当てにズ~っと張り付いてた訳だ。大したたまだよ! お前は!」
「なんて言われてもしょうがない。それだけの事を俺はしたからな」
「じゃあなんだ? 俺の罵声でも浴びに来たのか? わざわざご苦労なこった」
「そうだな。それで気が済むなら……」
「ふっ、バカにしやがって! お前はイライラすんだよ!! 昔からそうだ!
あくまでも自分はいい人間ですってか? 責める言葉も受け止めますってか?
自分の良心を満たすために謝っておきますってか? そーいうとこ、ほんと腹が立つ。
腹ん中真っ黒のくせにいい人ヅラすんじゃねーよ!! どういう神経してたらあーいう事が出来るんだ? そうだ、お前は前にも宮坂の欲しがってた革ジャン、あいつが一生懸命バイトして金貯めてるの解ってて知らん振りしてアッサリ買っちまうようなヤツだったもんな!「お前欲しがってたっけ?」って白々しく笑ってよ! いつもそうだ!
ニコニコ笑いながら卑怯なヤツだったよな! お前って人間は!!」
友情に厚い疾風は心底司を憎いと思った。
いや、信じていたし、友達として好きだったからこそ尚更、裏切られた傷が大きいのだ。疾風が司に抱く憎しみの大きさは、裏を返せばそれだけ司を信じ、大事に思っていたという事なのだ。
「そうかもしれない。でも、朋美への想いだけは何があっても変わらない。朋美は絶対に幸せにするから。お前を裏切ったこと、ほんとにすまなかった。それだけ言いたかった」
「言いたい事がすんだなら、さっさと帰れよ!!」
疾風はそれだけ言うと、自分の部屋に入っていった。
ほんと胸くそワリーぜ!!
疾風はそんな苛立ちを持て余し、そこにあったかさ立てを思いっきり蹴り上げた。
傘立ては激しい衝撃で、がちゃんと言う音と共に傘を振りまきながら倒れた。
朋美がわすれていった傘が転がった。
朋美……忘れられない。
今更ながら、こんなにも朋美を愛していた事に気付く。
朋美……逢って今すぐ抱きしめたい。
今までは当たり前にしてきた事を今は司がやっているのかと思うと、疾風は激しい嫉妬で腹わたが縫えくりかえるのを感じた。
もう朋美を抱く腕は自分ではない……。
たまらない気持ちになる。
日曜の午後、疾風はあてどもないまま街へ繰り出した。
家に居ても気が滅入るだけだった。
近頃では仕事にも身が入らなくなった。朋美を失った今、何のために頑張ればいいか解らなかった。
フラフラと歩いていると、朋美を見つけた。
家が近いのだから、会って当然だ。
懐かしいその姿。
当たり前に傍にいた存在が、今はこんなにも遠い。
それでも疾風は声を掛けようと歩み寄ったその時、司が現れた。
笑顔で手を振る朋美……
腕を組み、なにやら楽しそうにはしゃいでいる。
これが現実だ。
疾風はそう思った。
朋美の笑顔……
もう自分では長い事あんな笑顔をさせてやって居ないと改めて気がついた。
あの笑顔に、全てが現れていた。
あんな笑顔は俺には向けてくれなかった。いや、させてあげる事が出来なかった……
疾風は完全に司に敗北したと思った。
幸せなんだな、朋美……。
疾風はこの街を出ようと決めた。
ここに居ては、こうしてみたくもない2人を、事あるごとに見つけてしまう。
それは、疾風にとってはあまりにも残酷な事だった。
それから1ヵ月後。疾風は空港に居た。
携帯を握り締め、司に電話した。
「もしもし?」
なんで? というような困惑した声が聞こえてきた。
「俺だ。司、朋美を幸せにしてやってくれ。いや、。必ず幸せにすると約束してくれ」
「ああ、約束するよ」
「それだけ言いたかった。じゃあな!」
「待てよ! お前今何処にいんだよ?」
「空港だ。オヤジの仕事でアメリカに行く。司、お別れだ。朋美にヨロシクな」
そう言って疾風は電話を切った。
そしてそれをゴミ箱へ捨てた。
何もいらない。
ここで、すがり付いてたものなんか。
1から始めるさ……。
飛行機の窓から時折見える街並みを見下ろしながら、疾風は静かにそう思っていた。