第二章 全ての始まり (3)
2人はホテルへと入った。
「いいのか? ほんとに」
司は言った。
朋美を愛している。誰よりも深く真剣に。だからこそ、朋美が寂しさを忘れたいだけの道具になるのは絶対に嫌だ。それに、朋美が落ち込んでる時に付け込む様なまねもしたくはない。
でも、ずっとずっと彼女を欲してきた。
狂おしいほどに、切なくて胸が張り裂けそうなほど欲してきた。
だけど疾風と付き合ってる以上は朋美をこの腕に抱く事などないと思っていた。
こんな日が訪れるなんてありえないと思っていた。
そんな風になれたらと、強く望んではいたけれど。
「いいの……」
「お前、自棄を起こしてるならやめろよ。後悔されるの、嫌だからな」
司は微笑んだ。
「そんなんじゃないよ、そんなんじゃ……解っちゃっただけ。本当に居心地がいいのは、どこかって事が」
もう司を躊躇させるものは、何もなかった。
* * *
「ありがとうございました。今後ともよろしくお願いします」
疾風は深々と頭を下げ、先方の人間を見送った。
「ふう、何とかなったな」
先輩の大西が一気にため息を吐いた。
「ほんと、良かったですね」
疾風は言った。
「ああ、俺のミスでお前にも迷惑かけたな。一杯おごるよ」
大西は笑った。
「いえ、あの……すいません。俺、用事あるんで帰ります」
「そうか。解った。もしかしてデートだったのか?」
「ええ、まあ……」
「そりゃ悪い事したな。彼女にも誤っといてくれ」
「解りました。じゃ、失礼します」
疾風は駅までの道のりを早足で歩きながら携帯を取り出し、朋美に電話した。
今日、あいつの誕生日なんだよな……。
時間は午後10時半。
ちょっと遅くなってしまったけど逢いたい。そして……
「もしもし?」
沈んだような朋美の声。
「朋美、今日はほんとにゴメンな。お前誕生日だったのに……。今やっと終わったんだ。今どこに居るんだ? これから逢えないか?」
「……」
「朋美? 怒ってる……んだよな。ゴメン。俺、どうしてもお前に渡したいものがあるから、頼むから機嫌直して会ってくれよ。な? 朋美」
疾風はなだめるように言った。
携帯を持っていないほうの右手は、ポケットの中の指輪の入った包みを握り締めている。いつもないがしろにして可哀相な思いをさせてきた朋美への、疾風に出来る精一杯がそこには詰まっていた。
今すぐには無理だろうけど、とりあえず、婚約だけでもして欲しい……。
疾風は今日、プロポーズするつもりでいた。
彼女は自分にとってかけがえのない人。でも口ではなかなか甘い事を言えない疾風だから、きちんとした形にして朋美にその気持ちを伝えたかった。
だから今日急に仕事が入って一番がっかりしたのは疾風だった。
色んなセリフを頭の中で考えていたのに。これを渡すなら朋美の誕生日しかないと前々から思っていたのに。
何とか機嫌を直して欲しい。
がっかりさせてはしまったが、この指輪を見たら、きっとあの綺麗な顔をほころばせて喜んでくれるに違いない……。
「朋美、頼む」
「もう遅いよ、疾風……」
朋美は小さく言った。
「こんな時間からじゃ悪いって解ってるけど……」
「違うの! 違う……そうじゃない。疾風、ごめん。私もう疾風とは一緒にはいられない」
「何言ってんだよ朋美。今日の事ならちゃんと謝るから……」
「疾風、私もう疲れたよ……。あなたを好きでいる事。それに……疾風より大切だって思える人、出来ちゃったから……」
「なんだよそれ!! 何言ってんだよ!」
疾風は動揺した。朋美が別れを口にするなんて、想像した事すらない。
「とにかく今日は会えない。今度きちんと話すから、時間取れたら連絡ちょうだい」
そう言って朋美は電話を切ってしまった。
なんだよ、一体どーいう事なんだ?
疾風はその場にボー然と立ち尽くしていた。
あまりに突然の事で実感がわいてこない。
リアルに感じられない。
でも、自分よりも大切だと思える人が出来たと朋美はいった。
確かに彼女はそう……。冗談を言ってる感じじゃなかった。
あんな態度の彼女は初めてだ。だから彼女は本気だ。
誰だ? 一体誰なんだ?
でも、ほんとにそんな相手がいるのだろうか?
ただ単に、自分と別れたいだけの口実なのかもしれない。
でも、それならそれでそこまで朋美を追い込んでいたことに気が付かなかった自分はかなり傲慢だったということになる。
疾風はいても立ってもいられなくなり、携帯のリダイヤルを押した。
しかし、朋美は電源を切っているらしく、繋がらない。
家に居るんだろうか……疾風は朋美に実家へと電話してみた。
「もしもし稲垣でございます」
朋美の母親の早苗が出た。
「もしもし、疾風です。こんな時間にすいません。朋美、いますか?」
「朋美なら帰ってないけど……疾風君一緒じゃないの?」
早苗の言葉に疾風は困った。
「いえ、戻ってないならいいんです。それじゃ」
疾風は電話を切った。
どこに居るんだ……適当な場所に思いを馳せてみる。
確かにないがしろにしてしまってはいたが、それにしたって他の男がいるようなそぶりは全然なかった。
この間司と飲んだ夜だって、別に普通だった。
司……まさか司か?そんなはずないな……でも、本当にそんな相手がいるとしたら一体何処の誰だって言うんだ?
考えれば考えるほど訳が解らなくなり、疾風はなすすべなく、ただポケットの中の包みを握り締めていた。
* * *
「本当によかったのか? これで」
司はとなりに横たわる朋美にそっと言った。
朋美はじっと空を見つめている。
「司こそ、いいの? 友情、完全に壊れちゃうよ……」
呟くように言う朋美の横顔はなんともいえぬ表情を浮かべている。
後悔してるんだろうか……司は少し不安になった。
自分はもう何があってもこの想いを貫くと決めた。
例えそれがどんなに手ひどく疾風を裏切る事になろうとも。
「俺はいいよ。疾風を裏切る形になってもお前と一緒にいたい。ずっと想ってきたんだから。お前が一番大事なんだ。俺にとって」
「司……」
朋美はうつむいた。司のこの言葉を、嬉しく思う。そして、その気持ちに応えたいと思った。本当に自分に必要なのは司だと思った。決して自棄を起こした訳ではない。
だけど……。
実際こうなってみると、気持ちは複雑だ。
自分のせいで2人の、いや3人の友情が壊れてしまう。そして何より、疾風を傷つけてしまう。
これ以上ないと言う、裏切り方で。
「朋美、ちゃんと疾風と話できるか?それとももう少し、時間をかけて考えてみるか?」
朋美の態度を見ていたら司はそんな風に言ってしまった。
「いいよ。もう決めたんだもん。私は司といる。司がいいって、思ったんだから」
朋美は少し笑った。