第八章 とどかぬ想い (3)
俺が母さんの病院へ行くと、ロビーで司さんとかち合った。
「司さん!」
俺が声を掛けると、司さんはちょっと虚ろな感じでこっちを見た。
「やあ、魁くんか。そうだ。ちょっと話でもしないか?」
司おじさんにそう言われ、俺は後を追った。
司おじさんは、缶コーヒーを2本買うと比較的人気のない屋上へ向かった。
ここから母さんの部屋が見えることは内緒にしておこう。
そう思いながら母さんの部屋をそっと見ると、母さんは泣いていた。
どうしたんだ?
何があったんだ?
おれはすぐに母さんのところへ行きたかった。
でも、
「魁くん、君は小百合さんをどう想っているんだ?」
という司おじさんの言葉によって俺はこの場に縛り付けられた。
「え? どうって?」
「あしげくここへ来てるんだろう? 君は……彼女に惚れてるのか?」
まあ、俺の態度を見たらそう思ったって不思議はないだろう。
「そんなんじゃないっすよ。小百合さんは俺の大事だった人に似てるんです。だから、なんとなく。それより何かあったんですか? 小百合さんと」
泣いている母さんと、会ったときにちょっと様子がおかしかった司おじさんの事が気になって俺はそう言った。
「いや、何かあったっていうか……彼女は何でああ頑ななんだろう? 俺は、いいって言ってるのに」
「いいって?」
「俺たちのことだよ。俺はお腹の子供の父親になるって言ってるのに、彼女は俺に遠慮して絶対に首を縦に振らない。一体どうしたらいいんだ……」
司おじさんは頭を抱えた。
俺たちのこと。
やはり、母さんは司おじさんの事が好きなんだろうか?
そうなりたいと思ってるんだろうか?
だから、籍を入れないんだろうか……。
「あの……変な事聞きますけど司さんと小百合さんって、そのう、どの程度の関係というか……」
「俺たちは惹かれあっていたさ。間違いなくね。アイツがあんな事さえしなければ、俺たちは必ず結ばれていた」
「そうなんすか」
そうなのか?そうなのか……
「彼女はまじめな人だから、あんな事になって俺に引け目を感じてるんだ。自分は汚れたってね。そしてそんな奴の子供まで出来てしまって……だから本当は俺のことに来たいのに、出来ないんだ」
「そうなんすか」
「魁くん、君からも言ってくれないか? 彼女に、遠慮しないで俺のトコへ行けって。疾風は彼女の事なんて愛しちゃいない。アイツだって罪悪感で一緒にいるだけさ。だから……」
「それはちょっと」
俺はムカついてそう言った。
人の力を借りて好きな人をどうにかしようなんて考えもどうかと思うしそれに、アイツは、少なくとも俺が見る限りじゃ母さんに惚れてるように見える。
何より俺がさも余計なモノみたいな言い草が、なんとも気に入らない。
でも、母さんのほんとの気持ちがこの人にあるなら、それはそれでそうなればいいと思う。
とすると俺のオヤジはこの人……ちょっと複雑だけど、でもだから母さんは俺にもほんとの気持ちを言えないんだろうか?
自分は汚れていると思っているから、ほんとに好きな人のことへいけない。
それはやっぱりこの人の事が好きだから?
俺は、どうしたらいいんだろう。
何をしたらいいんだろう。
やっぱり母さんの本心を聞き出すしかない。
それしか道は開けない。
「俺、小百合さんとこに行って来ますね。せっかく来たから。コーヒーご馳走さん。」
もう時間がない。
俺はあと3日で生まれてしまう。
今日こそ、なんとしても母さんの気持ちを聞こう。
どんな結果になっても、絶対に聞こう。
* * *
疾風、俺は絶対に小百合さんをお前になんかやらない。
司は一人屋上に残り、どこを見るともなく憎しみに煮えたぎらせた拳だけを強く握った。
お前は俺が朋美を奪ったといった。でも最初に朋美を俺から奪ったのはお前だ。俺がどんな気持ちでお前らを見ていたか。何年も思い続けた朋美とお前が付き合うと聞いたとき、どんなにショックだったか。そして俺は何年も惨めな思いに耐え忍んだ。お前ならと自分を納得させた。なのにお前は朋美を不幸にした。
そしてそんな朋美に手を差し伸べた俺を憎んだ。裏切り者とののしった。
ヘドが出る。自分だけが苦しんだと思いあがって。
そしてお前はまた俺から大切なものを奪った。
しかも、あんなに残酷な形で。
俺はお前を許さない。いくら悔いたって、いくら詫びたって、絶対に許さない。俺に復讐なんてお門違いだ。復讐したいのは俺のほうだ。
だから絶対にお前と小百合さんを引き裂いてやる。
お前はマジで惚れてんだろ?
そんなこと、見ていれば解る。
だから俺は、絶対にお前を排除する。彼女の前から。
そうすれば俺と彼女は幸せになれるんだ。
お前さえいなきゃ……彼女は俺のモノになる。俺のところに来る。
子供だって面倒見てやる。
薄汚いお前の血が通った子供を俺が育ててやる。
そしてぶっ壊してやる。
大きくなったお前の子供に言ってやる。お前は犯された末に出来ちまった子供だって。お前の中にはその薄汚い親父の血が流れてるんだって。
子供が大事なんだろ?
お前の大事なものを俺がこの手で壊してやる。
そして小百合さんを、俺だけのものにする。
彼女は俺と結ばれる運命なんだ。
お前がいるから、彼女は俺のところに来れないんだ。
お前さえいなくなれば、全てがうまく行く。
自業自得だ。
お前は自分の犯した罪に苦しみもがきながら生きていけばいい。
お似合いだ。そんな惨めな生き方が根性の腐ったお前にはお似合いだ。
小百合さんができないのだから、俺が代わりにお前を地獄に突き落としてやる。最高の苦しみを与えてやる。
ざまあみろ!
いつも人のものばかり奪うから、本当に欲しいものが見つかった時、それが手に入らないんだ。
お前は俺から奪ってばかり来たんだ。今度は失いながら生きていけ。
これ以上お前を彼女の傍になんかいさせてやらない。
お前を排除するためなら、俺は手段を選ばない。
呪うなら自分を呪え。
あまりに愚かで浅はかな、自分を呪え。
そして彼女は俺の隣で微笑みながら生きるんだ。
俺と一緒に、生きるんだ。
彼女は俺と……生きるんだ。
司はそのままどこを見据えるともなく微笑んだ。
その瞳は、怪しくも虚ろな光を宿していた。