第七章 そうして俺が…… (4)
「おい、これからどうするつもりだよ?」
出かけようとしたオヤジを捕まえて俺は言った。
こいつの顔を見るたびに、あの時の母さんの痛ましい姿が浮かんでくる。
この男が憎いと言う思いがふつふつと湧きあがる。
殴り殺してやりたいくらいに。
それをしないのは母さんがそれを望んでないから。
それだけ。
そして俺はこいつを目の前にするとある意味すごく興奮する。
だって、念願だったことをなしえる事が出来るんだから。
こうして、言いたいことを全部言って。
「なんだ急に……」
少し動揺したようにヤツは言った。
「なんだじゃねえよ。小百合さんとおなかの子供の事、どうするんだって聞いてんだよ!」
俺はこれ以上出来ないってくらいに眉間にしわを寄せてヤツを睨んだ。
逃がさねえ。
今日こそ絶対にこいつの本音を聞き出してやる。
このヒトデナシなオヤジの考えている事を、洗いざらい白状させてやる。
あんな事をしたコイツの子供でも産みたいと言っている母さんを捨てて逃げようとしているこのくそったれの腐った本性を全部暴いてやる。
「どうするも何も……俺は小百合に全てをゆだねるつもりだ。小百合のしたいように、させてやる」
前までの傲慢で鼻につく印象は無く、ただ静かにオヤジは言う。
「なにが小百合のしたいようにさせてやるだよ! そんなこと言いながら自分のしたことの罪の重さに耐えかねて、無責任に逃げようとしてるんだろーが!!」
でもそんなことはお構いなしに思いっきり感情的に怒鳴り散らす。
コイツに遠慮とか配慮とか、そんなもんなんか必要ねえ。
「逃げる気など無い」
「ウソ言うんじゃねーよ! あんたは……」
「ウソじゃない」
俺の言葉をさえぎってオヤジは言った。
俺はオヤジの目を見た。その目は真剣なように思う。
でも、騙されない。コイツは俺と母さんを捨てて逃げるんだ。
「へえ、ウソじゃねーんだ? だったら絶対に逃げんなよ。自分の言った事に責任取れよ?」
「とるさ。絶対に逃げたりはしない」
「なるほど。で、じゃああんたはこれからどうしようと思ってんだよ?」
「それは……俺はとにかく小百合のしたいように……」
その事になるととたんに歯切れが悪くなるオヤジ。
ムカムカする。
こんなヤツムカムカする。
「そうやって自分に都合のいいように言って逃げるんだろうが!! そうだろ? 小百合さんがあーなっちまったのは全部あんたの身勝手な思い込みのせいなんだぜ? わかってんのか? 逃げるなんてゆるさねーからな!! 何がなんでも絶対に責任とれよな! 自分のやった事によ!」
「責任はとるさ。取りたいと思ってる。しかし……」
俺の怒鳴り声に少しも動じる様子も無く、オヤジは言う。
「あんだよ?」
「俺からどうこうと言える立場じゃない」
オヤジの表情が変わった。何かをかみしめるように、こらえるように静かに言う。
それは……そうだ。
コイツが母さんに言えるわけがない。言っていいわけがない。
いや、もともと言う権利すらコイツなんかにはない。
ならば俺は……どうしたいんだ?
コイツにどうして欲しいんだ?
責任を取れと言って……逃げるなと言って……一緒に暮らして欲しいのか?
母さんを捨てるなと思いながら……だったらコイツがいる生活を想像できるか?
俺は望んでいるか?
何が母さんにとって幸せなのか……解らなくなる。
こんな奴にいつまでも関わって欲しくない気もする。
でも、どう考えたって母さんを捨てて逃げる事なんて、許せない。
俺はコイツに母さんを捨てて欲しくない。そう思っている。
だけどそれイコールコイツと一緒に生活したい訳じゃない。
母さんの傍にいさせたいわけじゃない。
どうする事が一番いいんだろう……
どうする事が……
「あんたの正直な気持ちは? 小百合さん云々じゃなくてあんたはどうしたいんだよ?」
「俺は……解らない」
「何でワカンネーんだよ!! 自分の気持ちを聞いてんだぜ?」
歯切れの悪いこいつの態度にイライラする。
だけど俺はなんて言って欲しいんだ?
どういう答えを望んでいる?
……。
なんとなく答えが出そうでヤダ。
こんな奴大嫌いなのに……
「俺は小百合と子供と生きたい」
そう言って欲しいと思っている、自分がいる……。
母さんや俺を否定するような言葉は聞きたく無いと思っている自分がいる。
俺はコイツに母さんを捨てないで欲しいと思っている。
そんな惨めな思いをさせないで欲しいと思っている。
でもそれは、母さんが望んでいる幸せとは限らない。
「俺は小百合が一番幸せと思える方法で……小百合が幸せになってくれればそれでいい。俺は小百合が幸せにになる事を望んでいる。幸せになれるように、俺の出来ることは全てしたい」
「そんなんじゃ答えになってねーんだよ!」
「答えなど……解らないんだよ。俺には」
オヤジが空しく笑った。
もうそこには傲慢さもとげとげしさもない。
ただ己の罪を思い知り、思案に暮れ、苦しみの色が浮かんでいるだけだ。
コイツは本当に……どうしていいかわかんねーんだ。
悔いているんだ。自分が犯した過ちを。
でも、だからってこいつの罪は消えねえし、絶対に許されることじゃない。
そうなんだ。そうなんだけど……
「俺だってワカンネーけどよ……」
俺はうつむいた。
俺達はもしかしたら同じ迷宮で迷い苦しんでいるのかもしれない。
『母さんの幸せ』という……
だって、俺だって母さんが幸せになるにはどうすればいいのかなんて、わからない。
どうなる事が母さんの幸せなのかなんて、わかんねーよ……。
* * *
俺が病室のドアをノックして入っていくと、母さんは一瞬期待したような顔をして、そして諦めたように微笑んだ。
「魁くん……いらっしゃい」
誰が来るのを期待してたんだ?母さんは。
もしかして、アイツが来るのを待っていたんだろうか……。
そんなはずねえか。自分を騙して利用して、挙句にあんな事をした男を、待つわけがない。
なら司さんか?
俺は思い切って聞いてみた。
「誰かをまってたの?」
「え?ううん。そうじゃないけど……」
「ねえ小百合さん、小百合さんはさあ、これからどうするつもりなの?」
「え?」
表情を曇らせる母さん。
「どうしたいって、思ってるの?」
「あたし一人で決めれる事じゃないから……」
「小百合さんが決めていいんだよ? 小百合さんが決めていいんだ。……小百合さんはどうしたいの?」
「……」
俺の問いかけに、母さんは黙ったまま何も言わなかった。
厳しい表情をして一点を見つめている。
母さんの胸のうちはどうなんだろう?
何を思っているんだろう。
なんとしても知りたい。
でも……母さんは絶対に口を開かない。
なぜだ?
もしかしたら母さんも解らないのかもしれない。どうすればいいのか。
どうしたいのか。
司さんと一緒になりたいけど遠慮してるんだろうか。
おなかに俺がいるから。アイツの子供である俺がいるから。
堕ろすなんてことは良心が許さない。でも自分を犯したような男と一緒になんていたくはない。
そんなはざ間で揺れてるんだろうか……。
もう、本当に無理な気がする。
結局俺なんかじゃ、何も出来ないんだ。
母さんの気持ち一つ聞き出せやしないじゃないか。
無理なんだ。
俺がこの世界に来たところで、何も変わりはしないんだ。