第七章 そうして俺が…… (2)
母さんの気持ちをどうする事も出来ないまま、時間だけが過ぎる。
俺はどうしようもない気持ちで、日々を送っていた。
無力だ。
俺はあまりにも無力だ。
母さんが不幸になると解っているのに、どうする事も出来ない。
いっそのこと素性を明かして全てを話そうか。
これから母さんに、どんな事が待ち受けているのかを。
母さんはこの後俺を妊娠し、そして俺を産んで、あいつに捨てられる。
女手一つで俺を育てていく事になる。
だけどそんな事をしたって信じてもらえるはずがない。
俺は未来から来たあなたの息子です。なんて言って、信じろというほうが無理だ。
結局何も出来ないんだろうか。
だったら俺は、何しにこの世界へ来たというんだろう。
俺がこの時代に来た事の意味は?
俺は……どうすれば母さんを救ってあげられるんだろう。
俺は……
俺に、何ができるというんだろう……。
* * *
オフィスで電話を受けた疾風はそれが病院からだったので驚いていた。
小百合が、出かけ先で倒れたという知らせだった。
疾風は急いで病院へ向かった。
やりかけの仕事があったが強引に出てきた。
病院へ付くと、とりあえずこちらへと診察室に連れてこられた。
「ああいう状態の患者さんに無理をさせてはダメでしょう」
白衣を着た医者の第一声だった。
「ああいう状態って……小百合はどこが悪いんですか?」
「患者さんの母子手帳の緊急連絡先の欄にあなたの名前が書いてありますけど、苗字が違うようだ。失礼ですが、あなたは倉本さんの……」
「婚約者です。それより、母子手帳って……」
「倉本さん、妊娠してますよ。もうすぐ3ヶ月だ」
「なんだって!!」
「知らなかったんですか? しかも彼女は今、切迫流産です。解りますか? 赤ちゃんが流れかけていて非常に危険な状態だ。しかも出血が多い上に貧血もひどい。このままでは酸素が足りなくて赤ちゃんにも影響が……脳に障害が起きるかもしれません。この状態だと今回はあきらめた方がいいんじゃないかと……。彼女もまだ若いですし」
意識は一気に遠いところへ飛んでいるのに、冷静な医者の言葉は一文字一句逃す事無く耳に入ってくる。
なんて事だ……。
別れを決意したとたん、小百合を自由にしてやろうとした矢先に、小百合は自分の子を妊娠してしまった。
しかも子供は障害が出るかもしれない。いや、今にも危うい状態にあるのだ。
自分はまた小百合を傷付けるのかと思うと疾風はたまらない気持ちになった。
小百合に子供を堕ろさせるという、心にも体にも残る大きな傷を負わせるのだ。
疾風は病室へ行き、眠っている小百合の手を握り、顔色の悪い横顔を見つめていた。
小百合のお腹の中に、自分の子供がいる。
小百合を無理やりに奪った、自分の子供が。
なぜ黙っていたんだ……。
具合が悪いと寝込んでたのは、妊娠のせいだったんだ。
赤ちゃんを諦めろといったら、小百合は何と言うのだろう?
いや、この方がいいのかもしれない。
小百合は自由になれる。
でも、子供を堕ろすという事が、小百合にどんなに深い傷を与える事になるのかと考えるとどうにも出来なくなる。
俺は……なんて最低なんだ。
こういう事態が起こりえる事だって予想できたのに……
「ん……」
小百合が目を覚ました。
「小百合……」
「あたし……赤ちゃんは? あたしの赤ちゃんは?」
小百合は血相を変えてお腹を押さえてそう叫んだ。
「落ち着いてくれ。まだお腹にいるよ。かろうじて……だけど……」
「そう。良かった……」
小百合は弱々しい笑みを浮かべた。
「小百合……なぜ、黙っていた?」
「ごめんなさい……」
「お腹の子供は……とても……危険な状態らしい。脳に障害が……残る可能性が……だから今回はあきらめた方が……」
「嫌よ」
小百合はきっぱりとした口調で言った。
「小百合……。こう言っちゃなんだが、俺の子供なんだぞ?」
「そうよ。でも絶対にイヤ! 赤ちゃん、産む。せっかく宿った命だもん……」
小百合はポロポロと泣き出した。
「でも、障害のある子になっちまうかもしれないんだぞ?」
「それでもいい!! あたし、産みたい」
「小百合……。解っているのか? 確かに傷は残るかもしれない。でも、今決断すれば、君の人生はもう一度やり直せる。本来行くべきだったところへ戻れるんだぞ? 俺は、君を自由にしてあげたいと思う。俺は、自分の勝手な思い込みで君を巻き込んでしまった。申し訳ないと思っている。家の事なら心配要らない。ひどい事をしてしまった君へのお詫びだ。だから君は、人生を取り戻せるんだぞ?」
「疾風さん……。あたし……赤ちゃん産む……。一人でも……産む。例えどんな子供でも……」
「小百合……」
「疾風さん、お願い。あたしから赤ちゃんを取らないで。赤ちゃん、産ませて……。あなたに迷惑かけないから。お願い……」
「小百合……。解った。お腹の子供の事も、俺との事も、小百合のしたいようにすればいい」
「ありがとう。ごめんなさいね……」
「謝るのは俺のほうだ。俺は君を……どれだけ傷付けているんだろう」
君の真意など解らないけど……もし君が、俺が傍にいる事を許し、それを望んでいるならば、俺はいくらだって傍にいよう。
例えどんな理由でも、俺を必要としてくれるなら……。
傍にいる事を、許してくれるなら。
* * *
俺は思いがけず舞い込んできた知らせに動揺を隠し切れなかった。
母さんが入院した。しかも流産しかかって。
やっぱりこうなってしまった。
俺は、食い止めることが出来なかった。
俺が、宿っちまった。
運命なんて変えられなかった。
運命なんて変わらないんだ。
病室のドアを開けると、母さんが弱々しい微笑で俺を迎えてくれた。
「魁くん来てくれたの? ありがとう……」
「小百合さん……」
「魁くん?」
俺は泣き出してしまった。
母さん……ゴメンよ……俺が……
「小百合さん、その子産むの? あんな奴の子供、産むの?」
「魁くん……。どうしてそんな言い方……」
「アイツ詫びたって。司さんに……全ては勘違いだったって……。逆恨みして小百合さんを利用したって……そんな男の子供を、産むっていうの?」
「そう……。そう言ったの、あの人……」
「小百合さん、考え直したら……」
「産むの。それでも……産みたいの」
「小百合さん……。何でだよ……」
俺は母さんの手を握り締め、泣いた。
母さん。何でだよ……何で……。
母さん、俺はあなたの為に、何をしてやれるだろう……。
「心臓がね、ぴくぴくって、動いてたの」
母さんはお腹をさすりながらそう言った。
「超音波でね、見えたのよ。それ見たらあたしのお腹の中に、新しい命が宿ってるんだって……一生懸命生きてるって……嬉しかったの。まま、ここにいるよ~って、言ってるみたいで」
母さんのその言葉に、俺はくずれおちて泣いた。
「魁くん?」
「ゴメン。俺が泣くなんて、おかしいよね」
「魁くん、あたしね、嬉しかったのよ。この子が出来てるって解って」
「なんでだよ? あんな事……あんな奴の子供なのに……」
「それでもね、嬉しかった。お腹に宿った命を、愛おしいと思えるわ」
母さんが、とても穏やかな顔でそう言った。
母さん、ありがとう。
俺は嬉しいんだ。
母さんを助けたかったくせに、いや、助けれなかったけど……。
母さんがこれから辛い思いをするって解ってるのに……俺は嬉しいんだ。
母さんが俺を……愛しいと思ってくれていると解って。
すごくホッとしてるんだ……。
「ありがとう」
「え? 何で魁くんがお礼を言うの?」
「ほんと、なんでだろう?」
「ふふ」
「へへ」
俺たちは微笑みあった。
母さんは俺を産みたいと言ってくれた。
だったら……いいんだよね? 俺が、生まれても。
「どっちかな?」
「え?」
「お腹の子」
俺は答えを知っていたけど、あえてそう言った。
「どっちでもいいなあ。生まれてきてさえくれれば。例え障害があったとしても……」
「それは大丈夫だよ」
「え?」
「絶対大丈夫。自信を持って言えるね」
だって、俺は五体満足で何の問題もなく、生まれてきた。
「そう? 魁くんにそう言ってもらえるとなんだか安心だな」
「頭が良くて健やかで性格のいい子が生まれるよ」
「だといいわね」
「絶対そうだって。小百合さんに似てさ」
「そうかな?」
母さんの笑顔をみながら俺は決意を固めていた。
俺がこれからしなければならない事。
それは……アイツと話す事。
これからどうするのか……アイツがなぜ、母さんと俺を捨てたのか。
捨てようとしてるのか、あいつの真意を確かめなければならない。