第六章 どうしたら…… (5)
「小百合さん、お待たせ!」
「魁くんったら、何時に来るって言ったっけ?まだ掃除終わってないんだけど?」
玄関で母さんが言う。俺はこうしてちょくちょく母さんのトコに来るようにしていた。
少しでも傍に居たかった。
一刻も早くこの状況を何とかしなければいけないと思っていた。
「まあ細かい事はいいじゃない、気にしなくても。掃除なら俺手伝うし」
「じゃ、遠慮なく。働いてもらおうかな。今日はサッシも拭こうと思っていたのよね~」
「そうなの? じゃ、俺やるよ」
「あのねえ……。冗談よ。何で嬉しそうに言うのよ! いい若者が、掃除させられて喜んでちゃダメよ。まったく……」
「小百合さんとだったら何やっても楽しいから」
「バカね、まったく。そんな事言ったって、何にも出ないわよ」
「え~。こんだけ言ってんだから、せめてお昼位ご馳走して欲しいな~!」
「……はあ。その笑顔には弱いのよね~。ほんと、おねーさんキラーなんだから。その笑顔で言われたら、何でも言う事聞いちゃうじゃない」
母さんが見覚えがあるような笑顔で目を細める。俺がおねだりすると、良くこんな顔してた。
「じゃさ、お願いついでにもう一つ」
「何よ? 怖いわねえ」
「やめちゃいなよ。あんなヤツ」
「魁くん……」
「小百合さん、今ならまだ間に合うから!! ね? 金の事ならなんとかなるよ。司さんだって力になるって言ってくれてるんだろ? 俺だって力になるし……みすみす不幸になる事ないって!」
「どうしてあたしが不幸になるの?」
「何言ってんだよ!! それを言うならどうして幸せになれるって言うんだよ! あいつはあんなヤツなんだぜ? 小百合さん、ちょっと考えりゃ解る事だろ?」
「これは私の問題よ。その話ならこれ以上したくない。それでも話すって言うなら、帰ってもらっちゃうけど? OK?」
母さんはいつもこうだ。
肝心な事は何も話してくれない。
「わっわかったよ……。もう言わない。でも、一つだけ聞かせてよ」
「なに?」
「かあ……小百合さん、ほんとにこれでいいの?」
「ええ」
「例えばこれからもっとつらい事があるとしても?」
「ええ」
「幸せには、なれないとしても?」
「ええ……」
最後の質問に、母さんは悲しい笑顔を浮かべた。何を考えているんだろう。なぜ俺にはほんとの気持ちを話してくれないんだろう。
俺は脱力感でいっぱいだった。
だったら俺には何が出来るんだ?
結局、指をくわえて見ているしかないのか?
俺がガキだから?
俺がガキだから、母さんは言えないんだろうか?
俺が言うほど、頑なになってしまうんだろうか。
未来なんて、変えられないんだろうか?
未来なんて、俺一人の力じゃ変わらないんだろうか?
母さん、俺はどうする事も出来ないよ。こんなに助けたいと思ってるのに。
* * *
疾風は宝石店に入り、ショーケース越しに指輪を見つめていた。
一目で気に入った派手すぎない上品な形の指輪を買った。
自分のこの気持ちを、きちんとした形にして贈りたかった。
小百合はこれを受け取ってくれるだろうか?
これを渡したら、笑顔を見せてくれるだろうか。
自分のした事を後悔しているだけに、余計に不安が募った。
でも小百合は何もない自分でも、いいと言ってくれた。
その言葉を、信じたい。
なんとしても、手に入れたい。
成り行きでああなったとはいえ、自分でも驚くほど小百合に惹かれている。
あの笑顔のある生活が、とても心地いいものだと感じている。
俺は小百合にひどい事をした。
もしも小百合がそれでもいいと言ってくれるなら、俺は一生をかけて償おうと思う。
もう、復讐など関係ない。
思いがけず手に入れたこの生活を、どんな事をしても守ろうと思う。
失いたくないと……。
ポケットに指輪の入った箱をしのばせて疾風は微笑んでいた。
小百合に詫びて全てを打明けよう。
この胸のうちを。
そう思っていた。
小百合なら、きっと解ってくれる。
俺を、受け入れてくれる。
そう、小百合なら……。
疾風が階段を上がっていくと、なにやら話し声が聞こえた。
疾風はとっさに身を隠した。
司だ。
司が小百合と話している。
小百合は……泣いている。
激しく、泣いている。
ああ、そうか。
アイツらは……そうだった。
俺は……
俺の入る隙間なんて、無いんじゃないか。
いつも渡せないんだ。
俺は。
指輪。
あの時もそうだった。
朋美の時も。
結局はみんな、司がいいんだ。
俺は勝てないんだ。
俺は……
小百合が俺を愛しているはずなど無いのだ。最初から。
あの笑顔は、全て偽りなんだ。
あの笑顔の裏で、司を愛していたんだ。
俺といるのは金のため。
それだけ。
もしかしたら、小百合と司は俺の知らないところで逢っているのかも知れない。
俺を嘲り笑っているのかもしれない。
ならば。
ならば俺は……どうすればいい?
俺はどうすれば。
司がいなくなったのを確認し、しばらくたってから何食わぬ顔で疾風は玄関を空けた。
「ただいま」
「おかえりなさい」
小百合が笑顔で出迎える。
「何かあったのか? 目が赤いぞ」
「いいえ。何でもないの。ちょっとテレビをみて泣いていただけ」
「そうか」
「ええ」
その夜、乱暴に小百合を奪った。
「疾風さん、何かあったの? どうしてこんな……」
小百合の言葉など聞こえないふりをする。
どんなにあがいたって、小百合は俺の手中なんだぞ。司。
どんなにあがいたって、無駄なんだ。
どんなにあがいたって、小百合の心など……俺の手には入らないんだ。