第六章 どうしたら…… (1)
「何でかばった?」
あの後すぐに気を失ったように眠ってしまい、明け方近くになって目を覚ました小百合に疾風は言った。
この女の行動が解らない。
何故あんな事を言ったのか、自分をかばったのか全く理解できない。
あの、魁という少年があのタイミングで、まるで起こっている事を知っているかのように部屋に入ってきたのもかなり驚いたが、この小百合がとった行動にもさらに驚いていた。
自分にはあの時点で警察に突き出されても釈明の余地など全く無かっただろう。
そうなって当然な状況だった。
しかし小百合は自分をかばった。
婚約してるし何の問題もないと言い張った――
殴られた傷なんて痛みはしなかった。
ただ、小百合の不可解な行動の意味を疾風はずっと考えていた。
当然、解るはずもなかったが。
いや、今となっては自分がとった行動の意味すら解らないのかもしれない。
ただ嫌な感じだけが心の中に広がっていた。
良かったはずだ。
司の逆上したあの顔を見れただけで、復讐の意味はなされた。
なのに……、何の感情も湧いてこない。
それどころかこの女の痛々しい姿を見ていると逃れようのない罪悪感にさいなまれる。
「何とか言え」
気を抜けばたちまち後悔の波に飲み込まれてしまいそうで、そんな自分を認めたくなくて、その思考を脳の片隅に追いやりながら投げやりに言葉を投げる。
「ごめんなさい。勝手に……あんな事……」
女の言葉に、態度に腹がたつ。
自分を犯した人間を、なぜかばえると言うのだ?
しかもこのしおらしくも落ち着いた態度は何だ?
半狂乱になって責めるなり、憎しみの言葉をぶつけるなりするのが普通だろう。そっちの方がよっぽど正常な反応といえる。
しかし女は責めるでもなく取り乱す訳でもなく、笑顔すら浮かべる。
解らない。
女の考えている事がさっぱり解らない。
イライラする。
こんな女、イライラする。
「何を言っている? 答えになってないだろ! 俺は、なぜ俺をかばったのかと聞いている!」
「あのままじゃ、あなたが……」
「俺が殺されるとでも? はっ。お前はバカか? 俺はあんな事をしたんだぞ? その俺が、どうなろうと知ったことじゃないだろ! ああ、あれか? 俺に死なれちゃ親父さんの工場がつぶれちまうって? そう思ったか?」
消化できない自分の感情を思うがまま小百合ぶつける。
俺は後悔なんてしていない。
これでよかったんだ。
このためだけに、司に復讐するためだけに俺は……
「そんなんじゃ……」
「じゃあなんだ! 何であんな事……そうか。大事な司が人殺しになっちゃ困るか。人殺しになられるくらいなら自分を犠牲にしてもああ言った方がよかったか? 身をていしてアイツを正気に戻したってか? なんともいじらしい話だな!」
疾風はさげすんだ目で小百合を見た。
「そうじゃない。そんなんじゃ……疾風さんは誤解してる。あたしは司さんの事をそんな風には思ってない」
「お前がそう言うならそれでいいだろう。どっちにしたってお前の気持ちなんて俺には関係ない」
そう、この女の気持ちなんて、自分には関係ない。
司に復讐するためだけの、道具に過ぎなかった。
心など、痛むものか。
「え?」
「お前の事などなんとも思っちゃいない。しかし傑作だったよなあ。司のあの顔。……俺は同じ事をしてやっただけだ。アイツに。ふっ、ザマあみあがれ!!」
そうだ。あんなやつ、復讐されて当然だ。
俺の舐めた屈辱を、俺が味わった惨めな思いをイヤという程味わえばいいんだ!
疾風はそうやって司への憎悪をたぎらす事で、今にも心をのまれそうになるもう後悔と空虚の感情をぬぐい去り、自分の心を奮い立たせた。
しかし残るはこの女。
結果的にはオーライだが、事が大きくなってしまった。
この女が素直に自分を受け入れたらあんな事にはならなかったのに。
涼しい顔で司に言えたのだ。「彼女は俺の恋人だ」と。
しかし小百合は自分を受け入れず、事を急いだ自分がやった事のおかげで騒ぎが大きくなってしまった。あそこで冷静さを欠いた自分の行動を疾風は少し悔いた。
あんな事をしなくても、金で恩を売り、その事を条件に易々とこの女を手に入れられたではないか。
やっちまったもんはしょうがねえ。
しかも、この女は理由はどうであれ、自分をかばった。
そうだ。この女の気持ちなんか今更どうでもいい。
ただアイツを苦しめる事が出来ればそれでいい。
「婚約してると言ったな、あんた。どうするつもりだ? これから」
「…………」
小百合は何も答え無い。
「まあいい。言っちまった手前あんたがそうしたいと言うなら俺はそれで構わない。そうやって生きようじゃないか」
それならそれで良いさ。
司に見せ付けてやれる。
この女は実家を建て直したい……お互いメリットがある。
それぞれの要求が見事に一致する。
「アンタんとこのオヤジさんの事業は成功を約束しよう。そいで、不自然にならない様こっちに越してくればいい。早速シンディーさんトコに2人で行って部屋は引き払うと言おう。文句は無いな? あんたは自分でそう言ったんだ。あそこで俺を警察に突き出すという選択肢もあったのに、それをしなかったのはあんただ。あんたは自分でこうなる事を選んだんだからな」
こうなったんだ。どこまでも突っ走るさ。行くとこまで行ってやる!!
疾風は何も言わずにそこにいる小百合を、冷たい眼差しで見つめた。
* * *
「今何て言ったんだ!!」
俺は母さんとコイツの言葉に耳を疑った。
次の日の朝、シンディーさんの所に2人そろってやって来た母さんとコイツは、「2人で住むことにしたから母さんの部屋を引き払いたい」と言い出した。
と同時に、昨日は変に騒がせてしまって申し訳なかった。とも言った。
さすがの事にシンディーさんたちも戸惑いを見せたが、母さんが
「ほんとにすいませんでした。お恥ずかしい限りです。でもどうか誤解なさらないでください」
と笑顔で言うから、それ以上は何も言えないでいた。
「小百合さん何言ってんだよ、ほんとにそれでいいのかよ!! 脅されてるなら脅されるって言って……」
「魁くん、ほんとに、そう言うんじゃないから」
母さんがしっかりと俺の目を見据えて言った。
「これ以上言わないでくれ」その目はそう言っていた。
「何とかならないんですか? シンディーさんだって、昨日のあれを見たら絶対違うって思うでしょ!!」
母さん達が居なくなった後、俺は当たり所の無い思いをシンディーさんにぶつけた。
「私もね、昨日はほんとにビックリしたわ。どう見たってあれは普通じゃないし、腑に落ちない事もいっぱいあった。だからね、私、彼女のご両親のところへ電話をしたの。娘さんと重森さんはそういう関係ですか? ってね」
「そしたら?」
「そしたら小百合さんのお父さま、そうですって。娘と重森さんは確かにお付き合いをしてるって」
「そんな……そんなのウソだ……。そうだ! 金だよ! ジーちゃんは……」
「魁くん、私も全てが釈然とした訳ではないけれど、本人達がああ言って、ご両親もそう言っている以上私たちには何も出来ないわ。どんな事情があるかは解らないけど、それはそれぞれのおうちの事情だし……」
「でも!」
「それにね、魁くん。正義感に燃えるのも良いけど、逆にそれが小百合さんを苦しめる事にもなるんじゃないかしら? あんなところ、女性なら絶対に誰にも見られたくなかったはずよ。ましてやいつまでもなんだかんだと言われたくは無いところだわ」
「そりゃそーだろうけど……」
「彼女が大切なのね?」
シンディーさんが優しい眼差しで俺に言った。
「ええ。とても大切な人ですよ」
素直な気持ちで俺はそう言った。
「ほんとはお身内の方か何かなの?」
「え?」
「あなたと小百合さん、同じ苗字だし……なんとなく似てるから」
「……そうです。でも誰にも言わないでください。彼女すら、その事は知らないんですから」
「解ったわ。これであなたがここに来た理由がわかったわ。彼女を見守りたいのね」
「ええ」
「あなたはいい子だし、怪しんでた訳じゃないんだけど……あなたの素性がなんとなく解ってこれで私たちも安心だわ」
シンディーさんの言葉に、俺は安心しつつも、同時にゾッともしていた。
母さんと俺が似てるなら……あの男と俺だって似てるって事じゃないか。
だってむしろ、俺はあの男に似ているらしいから。
苗字が同じだからそう思ったんだろうか?
苗字が違うから、気付かれないんだろうか?
どっちにしたって、こんな状況、いいわけねえ。
例えそれが母さんを傷付けることになっても、俺は正義を通したい。
全てが今更になっちまったけど……、母さん、俺はあなたの為に何をしてやれるんだろう。