第四章 それぞれの思い (5)
偶然見かけてしまった光景を目にして、俺は唖然としていた。
母さんと司おじさんがキスを……。
そういう関係だったのか?
そうなんだとしたら……アイツは母さんと司おじさんを引き裂いたんだ。
そんな事までしていたのか……。
俺は、司おじさんに初めて自分の出生の秘密を明かされたときの事を思い出していた。
「本気なのかい?」
俺が投げかけた質問に対する、司おじさんの第一声だった。
久しぶりに訪ねてきてくれた司おじさんと、俺は公園のベンチに腰掛けていた。
部活帰りに道端で司おじさんと会い、どれ位上達したか見てやるよと言った司おじさんと公園でバスケをして、一息ついたところだった。
スポーツドリンクを飲みながら並んでベンチに座る。
「しかし君はどんどん疾風に似てくるなあ。俺に負けまいと真剣な顔をしてる辺りはほんとにそっくりで、アイツと見間違えるようだよ」
「そうですかねえ……」
「ああ。とは言っても、母さんのいいところも十分引き継いでいるけどね。
優しい性格なんかは、まさに母さんそのものだし」
「教えてくれませんか? オヤジの事」
「……本気なのかい?」
司おじさんは一瞬の間をおいてそう言った。
「はい。母さんはあまり話したがらないし……だからなんとなく聞けなくて」
でも、俺知りたいんです。オヤジが……・どんな人間だったのか」
「君は、それを知ってどうするつもりだい?」
「どうするっていうか……。やっぱり、知りたいんです。オヤジの事」
「……君には全てを受け止める強さがあるかい?」
「大丈夫です」
「うん……。なら話そう。君はもう事実を受け止めるには十分成長している。
でもその前に約束してくれ。例えどんな話を聞いても、絶対に取り乱したりしないと」
宙を見つめながら言う司おじさんの言葉に、俺はなんとなく不安になった。
だからって、今を逃せば二度と聞けないような気もしていた。
俺は、覚悟を決めた。
「はい。約束します。例えどんな話を聞いても、きちんとそれを受け止めます」
司叔父さんは真剣な眼差しで俺をじっと見ると、やがて決意したように話し出した。
「君の父親、重森疾風は俺の親友だったんだ……。いや、親友と俺は思っていたって言った方が正しいのかな」
司おじさんはフッと笑った。俺は黙って聞いていた。
「俺は奴をいいヤツだと思ってたし、純粋に友達だと思ってた。でも、奴は違ったんだ。なんとなくだけど、奴は俺と競り合おうとしてたし、何でも俺の上を行きたがった。俺たちにはもう一人朋美って女の幼なじみがいて、学生時代はほとんど3人でつるんで過ごしたよ。男2人に女一人、今思うといかにももめそうなパターンだよな。……朋美は、大学に入って疾風と付き合いだした。初めはうまく行ってたんだが社会人になって忙しくなって……疾風は朋美にあまりかまってやらなくなった。いつも寂しそうな目をしていたよ。デートの約束をしてもすぐにすっぽかして……そんな朋美をいつも俺は慰めていた。
そうしてるうち、朋美は……俺に心変わりをしたんだ。そして俺もそれに応えた。疾風は怒ってね。当然と言っちゃ当然だが。でも解るだろ?いつも放っておかれる奴より傍にいてくれる人間に心が動くのは人間として当然の感情だ」
司おじさんは俺に同意を求めた。俺は、コクリと頷いた。
「そうして疾風はオヤジさんの仕事でアメリカに渡った。俺達の前から姿を消したかったんだろうな。アイツなりにすごく傷付いたんだろう。俺たちは結局はアイツを裏切ってしまった訳だし。その事に言い訳するつもりもないしね。
そしてそれから3年後、奴は戻ってきた。
俺は詫びたよ、再びね。奴も、もう済んだ事だって言ってた。また昔のように楽しくやろうってあいつは言った。俺はその言葉を素直に信じた。
今でも後悔しているよ。俺がその言葉を信じてなけりゃ……その言葉の裏にある、奴の本当の目的を見抜くことが出来ていたら……」
そう言って司おじさんは、再び遠い目をした。
「おじさん?」
「……小百合さんを守ってやる事が出来たんだ。君のお母さんを守ってやれなかったことが、今でも本当に心残りだ。あの男は俺に復習したいが為だけに、君のお母さんの人生を滅茶苦茶にしたんだ。何の関係もない君の母さんを……利用し、巻き込んだんだ。ただ俺に復習したいがためにね……」
そういう司おじさんの瞳には、ゾッとするほど冷たい光が宿っていた。
「その当時、小百合さんと俺は、お互いをなんとなく意識するような関係だったんだ。小百合さんは見たとおり綺麗だし……彼女を見て、アイツは邪な気持ちを抱いたんだ。俺が以前に恋人を奪ったから……その仕返しをしてやろうと思ったんだろうな。アイツはほんとに友好的だったから、そんな邪悪な事を考えていたなんて俺は疑いもしなかった。全て俺へのあてつけだったんだ。俺を傷付けたいが為に……奴は小百合さんに近づき……彼女を脅して、力ずくで無理やり奪ったんだ。誰が見たってそうだったさ。あの時の彼女は……。
警察に突き出してやると俺は言った。でも小百合さんはそうじゃないと言い張った。俺はなんであんな奴をかばうのか解らなかった。だけど、どうやら君のお爺さんの経営する会社がその当時大変だったらしくてね。
彼女は実家を助けてやると、それを条件に自分の思うとおりになれと脅されていたらしい。俺に仕返しをするために結婚までしようとしていた。
君の母さんは巻き添えを食って利用されたんだ。
弱いトコを突かれて……俺は俺が助けてやるから離れたほうがいいって言った。でも他にも何かあったのか、さゆりさんは頑なにそれを拒んだ。俺に申し訳ないと思ったのかもしれない。とにかく……そうして君が出来た」
俺は事の真相を聞いて放心していた。
なんだよ……なんなんだよ……俺って……
母さん……母さん……
「ところが小百合さんは妊娠初期の段階で流産しかかってね。とても危険な状態だったんだ。君も脳に何らかの障害が出ると言われていたし。そんなんだから君にはすまないが周りは諦めろって言った。でも君の母さんは絶対に産むって言って聞かなかった。そうして君が生まれた。どんな事情であれお腹に宿した命を愛おしいって思ったんだろうな。君の母さんは、そういう人だ」
「それで? なんでオヤジは母さんと一緒にいないんですか? なぜ、俺たちの前から姿を消したんですか?」
「疾風は、小百合さんが入院中は一緒にいたけれど君が生まれてすぐ、姿を消した。言っちゃあなんだが、逃げたんだろうな」
母さん……母さん……
なんて事だよ……
俺は、犯された末に出来た子供なのか……。
そんな邪心からできた子供なのかよ……。
母さん……なんでだよ……なんでだよ……。
「でも母さんが君を愛してるのは間違いないよ。血を分けた自分の子供だからね」
司おじさんがまだ何か言ってたけど、それから先の事は俺の耳になんか入らなかった。
母さん……俺が憎くないのか?
親父に似てくる俺をみて、母さんは何を思ってるんだ?
母さんの心の奥底に……どんな気持ちがあるのさ。
母さん……
母さん……
俺は、なんて汚れた存在なんだ……。
そんな男の血が、俺の中に流れているんだ……。
言い知れぬ大きな大きな影が、絶望感となって俺を飲み込んでいた。
あの日から、オヤジに対する憎悪だけが俺の心の中で増幅していった。
だからあの日階段から落ち、こんな夢を見ているのかも知れない。
せめて夢の中だけでも、母さんを救ってやりたい。
いや、今の俺には確実に手ごたえのある現実だ。
現実の過去の世界に俺が来ているんだろう。
だって、全てがリアルすぎる。
だから俺は絶対母さんを守る。
俺が存在しなくなったとしても、それでもいい。
とにかくあの男の邪悪な手から、母さんを守ってやる。
母さんと司おじさんの恋だって、俺が成就させてやる!!