第四章 それぞれの思い (1)
俺は結局母さんの住むマンションから離れる事が出来なくて、
マンションのエントランスで眠りこけていた。
オートロックとかじゃないのが救いだった。
「あなた、こんなトコでどうしたの?」
誰かが話し掛ける声で俺は目覚めた。
その人は、優しそうな外国人の老女だった。
やけに流暢な日本語を話す外国人の老女に驚きながらも、すいません。と言って立ち上がろうとした。でも、なぜか体が思うように動かない。
節々が痛くて、異常に重い。
「大丈夫? あら大変! すごい熱じゃない!!」
熱……そういやからだが異常に熱くて、そして異常に寒い。
あんなに冷え込んだ夜に、こんなトコで一晩を明かしちまったから見事に風邪を引いたらしい。
「こっちにいらっしゃい。休んでいくといいわ」
老女は俺に言った。こんな見ず知らずの俺を、エントランスで寝ているような怪しい俺を家に上げるなんて、何て無防備な人なんだろう……。そう思いながらも俺は言われるままに彼女の手を借りて付いていった。
彼女が住む部屋はとても暖かかった。そして、俺は意識を失った。
「ん……」
「あなた、気が付いたみたいよ」
声がして、俺が目を開けると、親切な老女が俺を覗き込んでいた。
「良かったな。これで一安心だ」
彼女のダンナらしいもう一人の外国人の老人も、俺をじっと見ている。
「すいません……。俺……」
「あなた丸2日も眠ったままだったのよ。ずっと高熱が続いて……まだ熱は下がってないみたいだけど、とりあえず気が付いてよかったわ」
老女はとても優しそうに笑った。
「そうですか……。見ず知らずの俺にこんなに良くして頂いてありがとうございました」
俺は布団から起き上がろうとした。まだ体がだるかった。
「ご家族が心配してらっしゃるだろうから連絡した方がいいんじゃないかしら?」
老女の言葉に俺は絶句した。俺がここで連絡を取れる相手なんて誰も居ない。母さんはもちろんの事、ジーちゃんだってばーちゃんだって俺の事なんて知るはずも無い。俺は、ここには存在する筈の無い人間なんだから。
「いえ……大丈夫です。迷惑かけてすいませんでした。色々お世話になりました」
俺はとにかくここを出て行こうとした。これ以上迷惑をかけるわけには行かない。
「あ、待って。お腹すいてるんじゃない?温かいスープがあるんだけど、良かったらいかが?」
老女は察したように俺にそう言った。
そう言えばすごくお腹がすいて……
グ~~~。
俺の腹からすごい音がした。
「今すぐ持ってくるわね」
ニッコリと笑って老女は部屋を後にした。
「魁君、熱いからゆっくり食べてね」
老女がスープとパンを俺の前に差し出してそう言った。
何で俺の名前を?
一瞬そう思ったが、俺はなぜ彼女が俺の名前を知っているのかすぐに理解した。
「ごめんなさいね。あなたが眠っている間に、おうちの方へ連絡した方がいいんじゃないかと思って荷物を見させて貰ったわ」
そういう事だ。
「いえ、いいんです。身元がわからない俺を家に置いていたんですから、当然です」
俺は言った。老女は俺に食事を取るように身振りで促がした。
「連絡が……取れないみたいなんだけど……」
老女がやんわりと言った。
ここには、いやこの時代には、俺の家の電話番号は存在して無いらしい。
俺はうつむいた。
彼女が俺の生徒手帳を見たとすると、かなり不信に思っているはずだ。
だって、俺の手帳の年号は……18年も後の物なんだから。
どう説明すればいいだろう……。いや、何も語らずにお礼だけしてさっさとここをたちさろう。ツッコまれたところで説明のしようがない。
「色々とお世話になりました。御礼らしいことは何も出来ないんですけど、何かさせてください」
俺はくらくらする頭を押さえながら立ち上がり言った。いつまで居られるかわからないこの時代で俺は食ってかなくちゃいけない。だから、金は一銭たりとも無駄には出来ない。それに、世話になったからって金で返すのも失礼な気がする。
「まだ起き上がるのは無理でしょ? あなたさえ良ければ……遠慮しないでここに居てちょうだい」
老女は気さくに笑った。何を言ってんだ? この人は。
でも待てよ。ここに少しでも長く居られれば、それだけ母さんの行動も把握しやすいんじゃないか?
「はあ……」
「それにしてもなぜあんなところで寝ていたの? うちの住人の誰かに会いに来たの?」
ごもっともな質問だ。それはそうだ。
俺は……母さんに会いに来た。って言うか見張りに来た。
あのヤローを見つけるために。でも……。
「通りかかったらあんまり綺麗な庭だったんで……見とれてるうちに眠りこけてしまいました。こんな綺麗なところに住めたら素晴らしいなって思いながら」
とっさに、でも次々と浮かぶ出まかせを俺は言った。
こんなに良くしてくれた人にウソをつくのは忍びないが、事実を言った所で信じてもらえるはずがない。
「ありがとう、自慢の庭なのよ」
「そうですね。体が治ったら、庭の掃除でもさせてください。労働でしか返せないんで」
「そうね。この寒さは老体にはひびくから。お願いしようかしら」
「ぜひ。それと、この辺で安く借りられるアパート知りませんか?」
俺はカマをかけた。
「あらなんで? あなた、家出でもしてきたの?」
「いえ。俺、この間両親が交通事故で死んじゃって。そしたら両親すごい借金があったみたいで保険金下りてきたのも全部取られちゃってその上家まで担保に入ってて差し押さえられちゃって。うちは親戚も誰も居ないから、俺一人になっちゃって。住むトコもないし……」
「まあそうなの……。可哀相に」
老女は胸に手をあてて同情の意を表した。
「なら、うちに空いてる部屋があるからそこに住みなさいな」
「でも、このマンション高そうだし……。ここの家賃を払える金なんて、持ってません」
「いいのよ。そんなのは気にしないで。お金なんて要らないわ。これも何かの縁だし。そんなあなたをほっとくなんてできないわ」
老女は言った。でも、本当は俺のウソに気が付いているのかもしれない。
「いいんですか?」
「ええ。私達ももう歳で、ここを手入れするのが大変だと思っていたの。誰かそういう事をやってくれる人をさがそうと思っていたのよ」
「あの……図々しいお願いだとは解っているんですけど……。無償でいいんで俺を雇ってもらえませんか? どんな雑用だろうがなんだろうが何でもやりますから」
「でも……あなた学校は?」
俺が制服を着ていたのを見てるから老女はそう言ったんだろう。
「そんな状況ですから、学校はもう辞めました」
俺は言った。
「そう。もったいなかったわね。でも……仕方ない事ね。解ったわ。あなたのいいようにしてちょうだい。食事の心配は要らないわ」
「ありがとうございます。俺、頑張ります。それにしても、このスープ、すごく上手いっす」
「ありがとう。腕にはちょっと自信があるの。それと、私はシンディーよ」
「わしはアレンだ」
いつの間にかそこに居たもう一人の老人が言った。
「あなた、いいですね?」
「ああ。いいとも」
「ありがとうございます! 俺、ほんとに頑張ります!!」
いい感じに展開してきた事に、心優しい老夫婦との出会いに、俺は感謝した。
* * *
アレンさん夫妻が俺に用意してくれた部屋は1DKのとても綺麗な部屋だった。
なんかの雑誌で読んだけど、外国の人はその部屋に合ったインテリアで暮らすから家具のたぐいは引っ越す時は持っていかないって書いてあった。その通りに、その部屋には一通りの家具が置いてあり、生活するのに困る事は無さそうだった。
コンコン。
ドアをノックする音がして、俺が出るとシンディーさんが紙袋を抱えて立っていた。
「これ、良かったら着てちょうだい」
紙袋の中身は洋服だった。
「息子が着ていたものなんだけど……」
彼女は言った。
考えてみりゃああ言ったのに、どう見たって朝学校に行くそのまんまの格好で出てきたみたいな俺を、不審に思うはずだ。
家を追われたのに持っているのはカバンだけ。
でも彼女は何も問い詰めないでそれを俺に差し出した。
「いいんですか?」
「ええ。あなたにはちょっと地味かもしれないけど」
「ありがとうございます」
「それと、あしたうちでパーティーをやるから、是非出てちょうだいね。みんなにあなたを紹介するわ。うちでは、住人の人たちと、よくミニパーティーをするの」
「ハイわかりました」
そう言いながらドキッとした。
きっと母さんも来るだろう。若き日の母さんに、俺は対面する事になる。
* * *
シンディーさんの部屋へ行くと、すでに何人か人が集まっていた。
母さんを探す……と、アレンさんが俺に手招きをした。
「皆さん、新しい仲間を紹介します。倉本 魁君です。彼はこのマンションのメンテナンスの仕事をしてもらうため、私たちが雇いました。よろしくお願いします」
「どうも、倉本 魁です。ヨロシク」
俺が言うと、みんな一斉に俺に集まってきた。
口々に自己紹介を始める。
何人かが終わって、母さんがやってきた。俺はちょっと緊張した。
「どうも。倉本 小百合です。あなたとは同じ苗字ね。よろしく」
母さんはニッコリと微笑んだ。よく見知った笑顔。ヤングバージョン。
その笑顔を見たとたん、俺の緊張は一気にほぐれた。
若き日の母さんは、まじかで見るとさらに綺麗だった。
キラキラと輝くように美しい瞳、弾けるような笑顔。
希望に満ちた表情……。
俺はなんともいえない気持ちになっていた。
母さんはこの後起こる悲惨な出来事を知る由もない。
「よろしくお願いします」
あなたは絶対に俺が守ってやる……。
「おいおい、小百合さんがあんまり美人なんで、見とれてるだろ?」
そう言って声を掛けてきたのは司おじさんだった。
「いっいえ……」
「俺は藤堂司。よろしく。そういや何日か前に会ったな」
「そっそうですね。よろしく」
みんなが次々と話し掛けてきて、俺はその対応をしながら時折母さんを盗み見た。
もっと話がしたい。
早く親しくなりたい……。
俺がそんな風に思っていると、ドアが開いて一人の男が入ってきた。
俺は、その男を見て絶句した。
アイツだ。あのヤローだ。
写真でしか見たことのない男。
母さんを無理やり手に入れた……。
悪魔のような……俺の、オヤジ。
「オウ! 疾風! 遅かったじゃないか」
司おじさんが気軽に声を掛ける。
「何だよ、たった20分の遅刻だろ?」
軽く笑みを浮かべながらヤツはゆっくりとこっちに近づいてきた。
初めて会う、俺のオヤジ。
たまらなく会いたかった……憎んでも憎みきれない俺のオヤジ。
俺はヤツをしっかりと見据え、微動だにしなかった。
「疾風さん、新しい住人の倉本魁君だって」
母さんがニッコリ微笑み、気軽に話し掛ける。
やめろ……この男に、そんな無防備な笑顔を見せちゃ駄目だ……。
「俺は重森疾風。よろしくな」
ヤツはそう言って握手を求めて右手を差し出した。
「魁くん、どうしたの?」
反応しない俺を見て母さんが言った。
「え? ああ、よろしく」
俺はムスッとしたままやつと握手を交わした。その握り締めた手には思いっきり力を込めて。
それにしてもコイツまで母さんと同じマンションだったなんて。
いや、母さんとコイツは、そういうつながりだったんだ。
ならば余計にラッキーじゃないか。
母さんの後を仕事場まで付けて行かなくたって、ここで待ってりゃ母さんとコイツとのやり取りを見ることが出来るし、邪魔してやることも出来る。
「あらあら大きなあくびをして。疾風さん寝不足なのね」
あくびをしたヤツに母さんが言った。
「さては女か?」
司おじさんが言う。
「だったらいいけどな。朝方5時まで仕事してた」
「そんなんじゃ無理してパーティーに来なくても良かったのに。体壊しちゃいますよ」
母さん、こいつにそんな事言わなくていいんだ。母さんが微笑めば微笑むほどコイツは……邪な事を考える。
「とも思ったんだけどね。シンディーさんの料理、食べ損ねるのは損な気がしてね」
「それはそうかも」
何を言ってやがる。目的は、別のトコにあるんだろ?
母さんに会いたかっただけだ。そうだろ?
不純な動機で邪な心で来たんだろーが!!
「小百合さん、シンディーさんのお勧め料理ってなんですか?」
俺は母さんをヤツから故意にひき離した。
これ以上は1分1秒たりとも、母さんをこの男と一緒に居させたくなかった。
母さんは絶対に俺が守ってやる……。
微笑みながら俺に料理を取り分けてくれる母さんの横顔を見ながら、俺は心に誓った。