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第三章 約束

第三章 約束



ある日、静かな住宅街の大きな公園の池の中から水死体が発見された。死体は、近くの製薬会社の管理職に就く従業員であり、誰に恨まれてもおかしくないくらいに、良識が欠落していたという。というのも、部下の業績を自分のものにすり替えたり、真面目に仕事をする従業員の揚げ足を取ったりしていており、社内で悪評高く、セクハラでも騒がれていたそうだ。しかし、それなりの地位にありついており、なぜか重役に買われていたため、誰も被害者の悪行を咎めることができなかった。死体の首にはロープの跡があり、どこかで絞殺されて1、2時間後、公園の池に捨てられたということが、死体解剖の結果明らかとなった。



 緒方未央は、研修という名のもとに、府川署から都内の船橋署を訪れていた。未央は、同年代の秋山志穂刑事との周辺の事情聴取を担当していた。秋山は未央より3つ年上であり、少し未央よりも背が高く体つきのしっかりとした女性で、柔道の腕には相当自信があるようであった。彼女は、都内の柔道の個人大会で優勝する経験があるほどだった。2人は車で署に向かっていた。


「誰に恨まれてもおかしくないけど、自分の仕事を犠牲にするほどなんだから、何か深い訳があって殺したんじゃないかしらね。」


秋山はコンビニで買ったおにぎりをほおばりながら未央に言った。2人は現場に車で向かっており、未央が運転を担当していた。


「目撃情報によると、犯人は黒ずくめの男だそうじゃないですか。仕事では、文句言いたくても黙って我慢してるもんですよ。じゃなきゃ一つも利益にならない。だから私もそう思いますね。・・・秋山さんは朝食いつも家で食べないんですか?」


「ううん、家で食べてるんだけど、今日はなんだかお腹が空いちゃって。空腹じゃ捜査にならないでしょ?まぁまだ男かは定かではないね。女だって私みたいなのもいるわけだし。」


「そうですね。捜査を続けているうちに分かってくることでしょう。・・・私ご飯がのど元通らなくなるような事件に出くわしたこともありますけどね。」


未央は苦笑いを秋山に向けた。


「あ、もしかして、ウイルス事件のこと?」

「よく御存じで。」

「あれは有名だよ。まだ見習いのうちにおぞましいものを見せられたね。」

「犯人には気をつけなくてはならないと思いました。手下に命取られかけましたから・・・。」

「何事も勉強勉強。」

秋山はいつも朗らかで気負いすることない気丈な女性であった。



午後は、2人は当事件の関係者が集う会議に参加することになっていた。


被害者の勤めていた製薬会社での事情聴取を担当していた刑事は、まだまだこれから本格的な捜査を進めることになっている。会議室の前方に座っている年輩の刑事が、会議を取り仕切っていた。


「では、相模くんと三島くんから。」


2人の刑事が席から立ち上がり、三島という男が、手帳を見ながら報告を始めた。


「はい。当製薬会社におけるリストラは大変頻繁であり、リストラされた従業員の逆恨みによる殺害という可能性がありますが、まだはっきりとした手がかりはつかめていません。これから、既にリストアップしたリストラされた、あるいはされそうな人間に関する情報を整理整頓し、彼らから事情聴取を行います。また、いくつか不倫騒動の経歴があるので、その辺りも洗いざらいにする予定です。殺された森野は、[ちょっと人と会う用がある]ということで具体的な用件については全く触れずに殺害された当日の17時に家を出ていたことが、奥さんの証言で分かりました。その20分前に公衆電話から電話がかかってきていました。従業員の証言によると、このところ、森野は社内での業績が伸び悩んでいることにイライラを隠しきれず、従業員にあたることが多々あったということでした。」


「周辺の情報は?」


「目撃情報がありました。黒ずくめでマスクとサングラスをした中肉中背の人間が、自転車で公園から出ていくところを目撃されています。男の可能性が大きいと思われます。周辺近くの住宅から自転車が1台盗まれていました。盗まれた自転車はまだ見つかっていません。他に目撃情報はなく、犯人は車で公園の前まで死体を運んだものと思われます。自転車も車に乗せて、どこか遠い所で処分したのかもしれません。また、池の近くから焼けただれたロープが発見されました。」

未央と秋山は席から立ち上がり、秋山がはきはきと報告をした。



「ふむ。では、緒方くんと秋山くんも製薬会社での捜査にあたってくれ。緒方くんと秋山くんは、特にリストラの線の捜査に集中してくれ。この製薬会社は社員が1000人を超えている大手だから、上手く手分けして捜査にあたるように。他にも数名の捜査員を動員する。科学捜査の結果は?」


「死体に、犯人のものと思われる指紋はいっさい見当たりません。恐らく計画的犯行と思われます。死亡推定時刻は20日日曜の18時30分。死体の変容を見たところ、池に投棄されたのはおそらく同日19時40~50分。」


「18時から20時の間に不審な行動を取っている、もしくは誰かと密通していた人物を、社員の中から見つけ出すことに特に気を配るように。以上で報告会を終わる。捜査を続けてくれ。」


こうして会議は終わった。



未央と秋山はデスクで、リストラにあったあるいは候補にあげられている製薬会社の従業員に関する資料データを一つ一つ隅から隅まで眺めていた。


「まるで検品作業ね。」

秋山があくびをしながらデスクの上の紙を眉間にしわをよせて眺めている未央に言った。


「刑事って地味な仕事と危険な仕事の両極端に分かれていることが分かってきましたよ。」

未央はデスクから顔をあげて秋山の方を見た。まだまだ見なければならない資料が秋山のデスクの左のところに置かれている。それは未央も同じだった。不思議な連帯感が生まれた。


「しゃべらない。大事なことを見落とされちゃ困るんだよ。」


三島が横やりを2人にいれてきた。


「は~い・・・。」


2人はお互いに渋い顔を見合ってから黙って仕事を続けた。


しばらくして、未央は気になることを発見した。


「ねぇ、見て。」

「うん?」


未央は後ろのデスクの前で自分に背を向けている秋山の背中をつつき、秋山は作業を中断して振り向いた。


「この、真山 久の家族構成のことなんだけど、この人の娘・・・。」

「養子?」

「みたいね。」

真山 久は年齢39歳の製薬会社の社員であり、奥さんと一人娘がいたが、その一人娘は真山の実の娘ではなく、養子であった。真山は優秀な社員であり、社内で表彰されたことが幾たびもあるほどであったが、ここのところ業績が低迷し、リストラ候補に陥るほどとなってしまったのであった。


「養子がいるからって、この人が犯人だっていうことはないでしょ?奥さんが不妊症だったというわけじゃない?」

「一会社のサラリーマンが人の子供を自分の子供にするなんてちょっと珍しいと思って。それに、急に業績が伸び悩んでいるのも変だと思わない?」

「まぁ、確かに、養子に後を継いでもらいたいと考えているわけでもないし、能力のある人間が急にリストラ候補になるほど実績を得られないのも変ね。」


秋山は未央が手にしている用紙を取り上げ、まじまじと見つめた。そして、その紙にピンを止めて自分のデスクに右側に置いた。


「なんでも気になることは徹底的に調べ上げることが、真実にたどり着くための道よ。この人の家族には何かあるかもしれないわね。」


秋山はそう言って自分の仕事を再開した。未央も大人しく仕事を再開した。




翌日、秋山と未央は、リストアップされた製薬会社の従業員の事情聴取にあたった。製薬会社の社員は当然ではあるが、みな暗い顔をしており、高度な技術でもって有名な会社において自己実現を果たしている人間の顔とは到底思えない有様だった。被害者である森野を恨んでいる人間はたくさんおり、特にその部下に関しては殺意を抱いた人間は数多くいたが、有力な情報を得ることはなかなかできなかった。

「あの製薬会社、何かあるわね。従業員みな口止めされているから、何も手がかりがつかめそうにないわ。」

秋山は車の中で溜息をつきながら未央につぶやいた。

「できれば首を切られたくないのが普通だし、この就職の困難な時代に再就職なんて厳しいから。昇進も危うくなる。なにしろあんな男が上に立っていられる会社ですよ。首を切られた方もこれ。」

未央は左手の人差し指と親指で輪っかを作った。

秋山はこくりとうなずいた。


2人は、数々の家を訪問し、やがて真山の2階建ての一軒家を訪れることとなった。


秋山がインターンホンを押すと、真山の奥さんが玄関の扉を開けた。小柄で控えめな60歳くらいの女性であった。

「真山さんのお宅ですね?警察署の者です。ちょっと話を伺いたのですがよろしいでしょうか?」


未央が警察手帳を見せながらそう言うと、奥さんは小さくうなずき、ドアを大きく開き2人を引き入れた。中は広々としており、天井は高く、質素で落ち着きのある家であった。2人は奥さんと一緒にリビングにあるソファーに座り、話を聞くこととなった。


2人はメモとペンを取り出し、まず秋山が奥さんに質問を投げかけた。


「20日の金曜日、18時~20時の間、真山久さんは何をされていましたか?」


「18時頃には夕飯を食べていました。私も一緒に。19時すぎてからはソファーに座って新聞を読んでいました。」

「その間外出は一切されていないのですか?」

「はい。」

「娘さんは?」

「14時頃に美術館へ行くと言って外に出かけていきました。帰ってきたのは19時くらいです。」


「旦那さんがお勤めになっている会社のリストラ対象の候補にあげられていたのはご存じですか?」

今度は未央が奥さんに質問を投げかけた。

「ええ・・・。お酒に酔っている時だけ、そのことについて話を聞いていました。うちの人が逆恨みで森野課長を殺したんじゃないかと疑っているのですか?」


「森野課長は社内で大変問題を起こしていると有名な社員でして、特にリストラにあった人あるいはあいそうな人すべての方のお宅に対して重点的に事情聴取を行っています。何もしていなければ、自然に疑いは晴れますので、ご安心ください。」


奥さんは下を向いてうなずいた。

「急に業績不振に陥ったのは、私も被害者のせいだと思っています。うちの人のアイデアを根こそぎ盗んで、あたかも自分が見つけ出したかのように商品開発に利用するんです。私の主人はつくづく運の悪い人だと思います。」


「それはいつから?」

「もう18年ほど前からそれが始まったようです。最初のうちは気が付かなかったのですが、だんだん口数が少なくなってきて顔色が悪くなってきたこともありまして、飲酒の頻度が増してきたんです。うちの人がお酒で口数が増える人だったおかげで、それが分かりました。」


未央は一つ一つをメモに取った。そしてその手を止めて奥さんに

「娘さんは今いらっしゃいますか?」

と尋ねた。

「美佳ですか?」

「はい、真山美佳さんです。」


秋山はふと未央の方を見やった。


「2階で本を読んでいます。」


「失礼ですが、美佳さんにお話しを伺ってもよろしいでしょうか?」


「えぇ・・・、構いませんが・・・。」

「ちょっと2階にあがらせてもらいますね。」


未央はそう告げて秋山を1階に留まらせて階段を上った。リビングから階段を上りきると短い廊下があり、廊下の左側の壁に扉があった。未央はそのドアをノックし、


「刑事の緒方という者です。ちょっとお話しを聞かせてもらえないでしょうか?」

と尋ねた。


すると木琴のような高い声が小さく返事をした。

「どうぞ。」


未央が扉を開けると、こじんまりとし、綺麗に整った書き物机とベッドがある部屋で、机の横の椅子にちょこんとこしかけた少し小柄でほっそりとした、目の大きなショートヘアーの女の子が座っていた。年齢は19歳である。


「真山美佳さんですね?」


未央は美佳のそばに行き、床に正座した。美佳はこっくりとうなずき、その様子を大きな目でじっと見つめていた。未央が部屋の中を見渡すと、一つ花びらがピンク色のマーガレットの油絵が壁に飾ってあった。


「へ~、この絵は美佳さんが?」


美佳は、今度は照れ笑いを浮かべながらうなずいた。

「上手~。私絵は滅法苦手で、上手な絵を見ると感心する。」

「私絵が好きで、高校生の時、美術部で夢中になって絵を書いていたんです。高校出ても描き続けたくて、こういうのを描いては飾っています。」

「大学に進学しようとは思わなかったの?」

「私、絵は好きだけど、絵を勉強するのは嫌だったんです。高校の時は先生に習うことも多かったけど、今度は自分のオリジナリティを追求したかったんです。なんていうか、こういうのって人の言うことばかりに従っていたり、人の真似ばかりしていたら、だめなんです。」

美佳は真剣に話をしていた。


「独自に自分の腕を磨いているというわけね。」


美佳は再びうなずいた。



「それで、刑事さん、話ってなんですか?」


「お父さんのお勤めになっている会社の従業員の一人が殺害されたのは知ってる?」

「うん、いろんな人に恨まれていた人でしょ?」

「そう。美佳ちゃんは20日の日曜日、どこで何をしていたの?」

「私は、海南江町の美術館に行っていました。これがチケットです。だいたい17時頃までそこにいて、1時間かけて電車を使ってここに帰ってきました。これがチケットの半券。」

美佳は机の上の小さな収納箱から美術館のチケットの半券を取り出し、それを未央に見せた。


「ありがとう。」


美佳は半券を収納箱にしまって未央の方に向き直った。


「絵はコンクールとかにエントリーさせたりしているの?」

「いいえ。」

「なぜ?」

「もうちょっと腕を磨いてからがいいと思って・・・。」


未央は怪訝そうな顔をして美佳を見つめた。そして


「つかぬ事お聞きするけど、美佳ちゃんは真山久さんの本当のお子さんではありませんね?」

と質問を変えた。


「・・・はい、私はここに引き取られました。それがなにか?」


「捜査には一見関係のなさそうなことでも一つ一つ明らかにして全体像を掴んでいくことが、真実をつきとめるためにとても大切なんです。これは犯人のためでもあります。なので、正直に質問に答えてもらっていいですね?」

「私がどうしてここに養子としてここに引き取られたのかということですね?」


未央はうなずいて美佳の瞳をまじまじと見つめた。美佳は溜息をつき、

「私がここに引き取られたのは、お義母さんが不妊症だからです。」

と未央と目を合わさないようにして答えた。美佳の瞳はどこか寂しげであった。

「本当のお母さんとお父さんに会いたい?」


「そうは思いません。私を捨てた人たちに会いたいだなんて微塵も思いません。当たり前じゃないですか。」




「ここも外れかぁ??」


今度は秋山が運転を担当していた。ハンドルを動かしながら秋山は溜息をつきながら大きな声でそう言った。

「真山家の3人にはアリバイがあるわね。ただ・・・。」


「ただ?」


赤信号の前で車にブレーキをかけ、秋山は未央の方を見やった。


「なんだかあの家の美佳ちゃん、どことなく寂しげだったのよね。」


「養子の娘のことね。本当のお母さんとお父さんに会いたいんじゃない?」

「それはないわね。微塵も会いたくないって言っていた。なにか隠しているかもしれないわ。それに・・・。」


「それに?」

「美佳ちゃんの絵は、本当に完成度が高いの。それなのに、コンクールなどで人に自分の絵を見せたりしていない。絵って人に見せるものでしょ?おかしいと思わない?」

「そうね・・・。絵が好きなんだろうけど、描き上げたらそれを人に見せたいと思うのが自然の感情のように思う・・・。」

秋山は再び車を走らせた。



「ちょっと、秋山さん、来てもらっていい?」

「え?」

「一緒に真山のお宅にきてほしいの。私今研修中で、一人で事情聴取させてもらえないのよ。」

「あらあら新米さんは足かせつきね。」


秋山は身仕度を整えようと自分の席から立ち上がった。すると、そこに相模がやってきた。

「おい、重複した事情聴取なら一人でやれ。まだまだ調べなきゃならない人間はたくさんいるんだ。」

「相模さん、私一人で外回ってきてもいいでしょうか?」

「分かった、俺から言っとく。その代わり、有益な情報手に入れてこいよ。」

「はい、じゃあ秋山さん、そっちのことよろしく頼んだ。」


未央は駆け足で表へと飛び出していった。そして車にエンジンをかけ、真山家へと向かっていった。


突如真山家を訪れた未央であったが、真山家の奥さんは専業主婦であり、未央は再度真山家に上がり込み、事情聴取を行った。

未央は沸かしてもらったお茶を飲んで一呼吸置いてから話を始めた。


「すいません、何度も。」

「いいえ、今度はお一人なんですね。」

「えぇ、片方は署内で仕事しています。なにせ怪しい人間がごろっごろいるもんですから。

・・・ところで、昨日、美佳ちゃんの母校を訪ねました。そこで、美佳ちゃんが高校3年生の時の担任の先生からいろいろと話を伺ってきたんです。」

「美佳が疑われているんですか?」

「いいえ、美佳ちゃんが何か隠し事をしているかもしれないと思ったので。ほら、美佳ちゃん、才能あるのに、発揮するのを惜しんでいるように私は思いましてね。」

「あら・・・、美佳に才能があると思うんですか?」

「えぇ、美佳ちゃんの部屋に飾ってある絵、本当にお上手でびっくりしました。」


未央はにっこりほほ笑んだ。

「それで、当時の美佳ちゃんの進路について、先生に尋ねたんです。」


すると、奥さんの表情が急に頑なになった。

「そしたら、美佳ちゃん、本当は進学する予定だったそうですね。美術の大学に。」

「うちにお金がなくなってしまったもので。」

「どうして美佳ちゃんはそのことをわざわざ隠したんでしょう?なにか隠さなければいけないことが他にあったんじゃないですか?美佳ちゃんが進学できなかった理由が。」

「お金がなかったんです。知っているでしょう?うちの主人がとんでもない上司にいじめられていたということを。」

「美佳ちゃんが高校生だった時の美術の先生に伺いましたら、彼女は奨学金を大学からもらってでも大学に進学するつもりだったそうです。両親も反対していない、自分は将来コツコツお金を貯めて、できればコンクールなどで賞をもらってお金を自分の力で返済するとまで言っていたそうです。彼女なら、仮に大学への進学をあきらめたとしても、専門学校にでも行ったはずです。」


「・・・・・。」

「私には理由が一つしか考えられません。女は人生の岐路に一度だけ立たされることがあります。美佳ちゃんには誰か婚約者がいたんじゃないですか?それも、自分の意志で決めたのではない・・・。」


奥さんは深いため息をついてから、

「そうです、美佳には婚約者がいました。」

と小さな声で言った。


「いました?」

「今はもう婚約破棄になっています。お見合いをさせて、経済苦から逃れようとしたんです。主人はどうしても2人を結婚させようとしましたし、借金取りが家にやってきて、主人がおかしくなりかけたのを見たのをきっかけに美佳も仕方なく応じていました。」

「じゃあどうして今美佳ちゃんは自分の才能を本当の意味で発揮しようとしないのですか?」

「私には分かりません・・・。」


未央はしばらく考え込んで

「何か深い訳がありそうですね・・・。」

とつぶやいた。奥さんはそれから、全く未央と目を合わせようとしなかった。

「婚約者の名前を教えていただいてもいいですか?」

「はい。」

奥さんはリビングにある本棚の奥から、資料を取り出し、未央に手渡した。

「ありがとうございます。しばらく署で預からせてもらいます。ところで、あなたの旦那さんが社内で嫌がらせを受け始めたのは18年前。美佳ちゃんがこの家に引き取られた年と一致しています。彼女は、最初から、お金のために結婚させられる宿命を背負っていたのではないですか?」


「単なる偶然です。」


「もしそうなら、美佳ちゃんはこの上なく孤独な方です。私はこれで失礼します。」




捜査が進んでいくうちに、犯人が乗っていた自転車が、死体が発見された公園から6キロほど離れているところにある山の密林の土の中から発見された。しかし、犯人のものと考えられる指紋は見当たらなかった。犯行に使われたロープの素材は明らかとなったが、どこで購入したものなのか、全く分からないほどに焼け爛れていたようであった。


未央は自分の仕事をひと段落終えた秋山と一緒に、署内の取調室にて真山美佳の元婚約者の事情聴取を行った。名前は原田直人。某会社の社長の息子であり、真山家の奥さんの家系はとんでもない大富豪で、その家系に生まれた女性はお見合いで結婚することが多かったようであり、美佳もそれに倣うことになったというわけであった。美佳の母親は三女であり、恋愛結婚であった。原田は、顔つきは整っていて誠実そうではあったが、どうも自分の主張を持たない人間のように思えて、未央はあまり好きになれなかった。


「原田さん、あなたは真山美佳さんの元婚約者で間違いないですね?」


未央がそう尋ねると、原田は真顔で

「はい、そうです。」

と答えた。


「あなたは今、美佳さんのことをどう思っていますか?」

「妻に迎え入れるのに、全く気兼ねはありませんでしたが、飽くまでもお見合い結婚をするということだったので、突然取り消しになったところで、それをやめさせようとか、そういうことは考えませんでした。」

「美佳さんとは恋仲ではなかったということですね?」

「まぁ、そういうことでしょう。」


「20日の18時から20時あたりには何をしていましたか?」

腕組みをして聞いていた秋山が話に割って入ってきた。


「私は、婚約を取り消されたことに対して何も恨みはありませんよ。」

「アリバイを確認したいので、お答え願います。」

「取引先の社員と打ち合わせの処理をしていました。なんなら、うちの会社の社員に聞いてみてください。」

「分かりました。原田さんは、急に婚約破棄された原因をご存じですか?」

「知りませんね。真山さんは私と美佳さんの結婚を大変喜ばれていたので、急に破棄されるなんて思いもよりませんでした。金銭に関することを伺ったところ、もう大丈夫だとかおっしゃってましたね。何が大丈夫なのかさっぱり分からなかったのですが・・・。」

「原田さんにはその原因が全く思い当たらないというわけですね。」

「はい、全く分かりません。経済苦から逃れられれば婚約破棄されるくらいなら結婚なんてしないほうがいいですよね。」

原田は2人に気の抜けた笑顔を見せた。未央は首をかしげながらメモを取っていた。


お昼休み、未央は秋山を近くのうどん屋に入ってうどんを食べながら話をした。

未央はうどんを口に運ぶ手を止めて

「原田直人と真山美佳の婚約が破棄された後、すぐに被害者が殺害されている。つまり、この事件の犯人は真山美佳の婚約を止めたかった人物なのかもしれないわね。」

と夢中でうどんをすする秋山に話しかけた。


「今日会議があるから、真山美佳の周辺の人物についての調査に人を集いましょう。」


少し気を休めた未央は、ふと何かを思い出したように

「なんか懐かし~。」

と言った。

「え?」

「私、初めて刑事の仕事をすることになった初日、上司にうどん奢ってもらってさ。」

「へ~、独身?」

「ううん、既婚。」

「なんだ、残念。」

「そんなことはない。愛妻家で参っちゃうのよね。」

「へ~、かわいい上司だね。」

「・・・・。」



真山美佳の周辺を、人をたくさん集って調査した結果、真山美佳は高校一年生の時に一度不登校になったことがあったことが分かった。美佳の同級生の中の一人の証言であった。美佳の通っていた高校は、そのことを隠ぺいしていたのだった。その原因を未央が美佳の母親に追及したところ、その原因は高校でのいじめであった。


 未央は真山の奥さんから聞き、美佳のもとにやってきた。美佳は川辺の堤防で絵を書いていた。夕暮れ時であった。

「あら、刑事さん。何か御用でしょうか?」

「えぇ、今大丈夫?」

「はい。」

「絵を描きながらでもいいから。」

未央は美佳の隣りに座った。

「あなたが高校一年生だった時の話を聞かせてくれない?」

美佳の手の動きが止まった。

「今、美佳ちゃんの周辺の人物について調査しているの。じきに誰かが浮かび上がってくると思うんだけど・・・。」


美佳は絵を描くのをやめ、手にしていた筆を横に置いていたパレットの上に置いた。

「あなたは、本当のいじめの対象ではなかった。」

「いいえ、いじめられていたのは私です。」

「嘘は言わないでって言ったでしょ?あなたがかばった人のためにも、本当のことを言って。彼はあなたが絵を描くことを、あなたが幸せになることを心から祈っている。」

「もう、分かったんですか?」

「あなたは、この事件の犯人をいじめからかばっていますね。だから、今度はあなたがいじめの対象になった。あなたが彼をかばったのは、彼が幼馴染で家族のように大切だった存在だから。そうでしょう?その犯人はあなたの将来のために、あなたの家族からあなたを守るために、殺人を犯した・・・。あなたの父親と母親は、あなたの婚約を破棄することと引き換えに、その男に殺人を犯させた。」

美佳の大きな瞳がうるみ始めた。美佳は未央にそれを見られないようにうつむいた。


「あなたが高校一年生だった時の同級生、中山篤の所有している車から、犯行に使われた自転車のかけらが発見されたの・・・。公衆電話から電話して森野を呼び出したのは、真山 久。真山 久の証言から明らかになった殺害現場から、中山篤の頭髪や衣類の毛が発見されたわ。」


美佳はぼろぼろと涙を流した。


「彼は同級生にいじめられただけじゃないの。彼も、父親に精神的なダメージを負わされていて、私が必要だったの。だから・・・。」


未央は美佳に寄り添い、震える美佳の肩を抱いた。


「人は、何があっても人を殺してはいけないの。」


「私たちね、小さいころに約束したの。絶対に裏切らない、何かあったら互いに必ず助け合うんだって。」

「彼は約束を守ってくれたというわけね。」

美佳は涙を流しながらこっくりうなずいた。


「彼が出処したら、必ずあなたが一番最初に彼を迎えてあげて。」


夕日の光がきらきらと川の流れの上で輝いていた。



研修を終え、未央は、秋山を始め、船橋署の人間にお礼を告げ、府川署に戻ってきた。


「研修お疲れ様。どうだった?」


「真面目な上役たちと仕事ができて大変勉強になりました。」

「事件を解決に導いたんだって?」

「犯人が私の捜査上に浮かび上がることになるなんてこっちが驚きですよ・・・。」

未央は山川と話すのは久しぶりであった。


「あれ?僕は?」

「山川さんは発展途上ですか?」

「さぁ・・・。」


山川さんは一生変わらないだろうなぁと思いながら、


未央は自分のデスクのパソコンのスイッチを入れた。




-END-


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