1-7
爺が出て行ってしばらくした頃、戸口から二匹の子狐がぴょこんと顔を出して夕香たちをうかがった。
「蒼華お姉さま」
子狐はてててと走りながら夕香の膝の上に飛び込む。夕香もそれを受け止めてその頭を撫でて笑った。
「久しぶりね。大きくなったね。雅喜、弓喜」
のどを鳴らさんばかりにじゃれ付く子狐二人を相手しながら、夕香は月夜の首筋をそっと手ぬぐいでぬぐってやっていた。
「お姉さま、誰?」
「人間?」
「うん、そうだよ」
そういう夕香の声はとても優しい。二匹の子狐は月夜をきょとんと夕香の膝の上から見て首をかしげた。
「何で、眠っているの?」
「あたしの瘴気を吸わせちゃったからだよ」
「お姉さまいけないんだー」
「んだー」
そう繰り返す狐の小さな攻撃に夕香は苦笑をして月夜の顔色を見て目を伏せた。
「お姉さま、この人、お姉さまのふぃあんせ?」
その言葉に夕香の動きがぴたりと止まった。
「どこでそんな言葉を覚えたの?」
幾分引きつった顔でいう夕香に、子狐たちは無邪気に夕香を見上げる。
「せなジイいってたー」
「いってたー」
おそらく子狐たちが来る前に、出て行った爺と会ったのだろう。
「あの爺、なにいってるんだよ……」
「お姉さま、オネエさまになったー」
「なったー」
けらけらと笑う子狐たちに夕香はそっとため息をついて軽くその頭を叩いた。
「ほら、お母さん探してるよ」
「蒼華姫、あ、まったく、あんたたちは~」
「母上来たー」
「来たー」
てててと走って母親である狐に飛び込んだ子狐は母親の尾の一振りで打ち返された。
放物線を描いて飛ばされる小さな狐を見ながら、夕香はふっと笑った。
「相変わらずやんちゃ盛りね」
「もっと酷くなって大変なんですよ。ほら、いくよ」
「はーい。弓喜、いくよ」
「うん。じゃーね、お姉さま!」
パタパタと手の代わりに尻尾を振る子狐に夕香は手を振り返して、見送った。
「……藺藤」
眉を寄せて速い呼吸を繰り返す月夜に手を伸ばして、頬に触れた。
にきびの痕すらない綺麗な肌。白い肌に指先を走らせながら夕香はその頬を包み込んで首をかしげた。
「藺藤?」
ふっと月夜がまぶたを開いたのだ。
ぼんやりと天井を見上げる月夜の焦点はない。見る間もなく眦に雫をためた月夜はただ、天井を見上げたままでいる。
「藺藤?」
もう一度呼ぶと、焦点の合わない瞳をさまよわせて月夜はぼんやりと夕香を、見つめた。
「わかる?」
その言葉には反応しないで、ただ、見つめてふっと眉間に寄っていたしわを解いて目を閉じた。速かった呼吸も幾分落ち着いてきている。
「……」
頬を包む手に摺り寄せるように顔を向けたような月夜に、夕香は何もいえずに安らいだ表情で眠る月夜を見ていた。
「…………」
そっとあいた片手で月夜の手をとると、冷たく湿っていた。その指先を握り締めて夕香は唇をかみ締めてうつむいた。
「なんで……」
ポツリ呟く夕香の手を月夜が痛いほどの力で握り返してくる。
離してほしくないかのように。ここにいてほしいというように。
夕香は男の力に眉を寄せながらも、同じぐらいの力で握り締めて頬に添えた手でその髪を梳いた。
「ここにいるのに」
そんな静かな夕香の声を聞いているものは、一人としていなかった。