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明るい、森の中。
「……こっちだ」
森林の香りを受けながら獣道を進んでいく月夜の後を追いながら、森を行く和服姿の男もなかなか絵になるなと夕香は思った。
「寄宿寮脇の森だ。ほら、あれが寄宿寮だ」
木々の間から見える白い建物を指して見せた月夜は深くため息をついて、重たそうな足を引きずって歩き始めた。
「まだ、つらい?」
「…………ああ。二、三日寝ればどうにかなる程度だが」
肩をすくめながら声音にはそんな調子を微塵も出さない月夜に、夕香はそっとこぶしを握った。
と、夕香の視界がかげって、ぽんと、頭に何か温かいものが置かれた。月夜を見上げると、月夜はどこか深い眼をしてかすかに笑っていた。
「そんな顔をするな。お前のせいじゃない」
「でも」
「いいだろ、別にもう」
するすると滑っていく手の感触に目を細めてうつむくと仕上げといわんばかりに肩を叩かれて、そのまま手を引かれた。
「え?」
何も言わずに月夜が進んでいく。そのまま手が引かれるまましばらく歩くとようやく森を出て寄宿舎の前に着いた。
「教官に報告だ」
手を離されてそのまま教官などの執務棟に向かって歩く月夜の後を追いながら夕香は握られていた手にこぶしを作った。
「……お、狐とワンコ」
ひょっこりと顔を出したのは綺麗な茶髪をワックスで重力に逆らわせている青年だった。
「なんのようだよ、狼」
「そんな言いかたはねえだろ。都軌也」
にやりと笑う青年、月夜の幼馴染である嵐は自分より頭一つ分低い月夜の頭を撫で回した。
「狐連れてデートでもしてきたのか? え?」
親戚の色恋をわざわざ聞いてくるうるさい叔父さんのようだ。
そう思って口を開こうとした夕香だったが、月夜は頭の手を思い切り振り払って正拳を繰り出した。
「うるせーよ、何で狐なんかつれて歩かなきゃならねえんだよ。どけ、教官とこにいく」
「にしては、ずいぶんと狐臭いが?」
「こいつの瘴気吸わされて天狐の里で世話になっていた。その帰りだ」
「ほー、二人でいちゃいちゃしに行っていたのか」
「勝手に言ってろ」
隙だらけの股間に一発入れた月夜は夕香をつれて、もだえる嵐をおいて廊下を進んでいく。
「あんな奴だけどよろしくな」
「え?」
嵐が股間を押さえる手はそのまま姿勢を正して肩をすくめた。深いところまでは入ってなかったらしい。
ひとつウィンクを残して嵐は瞬き一つの間で本当の姿である狼に戻って入り口へ走っていった。
「夕香」
振り返って月夜が呼ぶ。ずいぶんと遠くに行ってしまった。足を止めていたらしい夕香も腕の届く範囲にいる月夜の後ろに小走りに寄った。
静かに二人で歩く。どこか、心地よい沈黙。存在しているということだけ確かめられる沈黙。
そんな時間も終わりを告げる。教官の執務室の前に着いたのだ。立ち止まってため息をついてから、月夜はゆっくりとノックをしてから入った。
「失礼します、藺藤ですが」
「はいって少し待っていてくれ」
そういった教官と中の光景に閉口して目を伏せた。
「いえ、外で待っています」
「そうか」
一歩入ってまた出た月夜の背中を首をかしげて夕香は見つめて月夜の顔を見て大体のことを理解した。
「しばかれてたの?」
「ああ」
引きつった顔を元に戻しながら月夜が静かにうなずく。扉の横の壁に背中を預けて月夜は目を閉じた。
「大丈夫?」
「ああ。すこしめまいがしてるだけだ。……まだ、体力が戻ってない。それだけだよ」
切れ長の瞳でちらりと夕香に視線を送って肩をすくめた。
「……、終わったようだな」
「え?」
「入れ」
「はい」
月夜がすこしよろめきながら教官の部屋に入る。夕香もその後に続く。
「さっきはすまなかったな」
「いえ。先触れもなく帰ってきた俺たちが悪いんです」
「顔色は優れなさそうだが、毒はあらかた抜けたようだな」
「おかげさまで」
会釈を返す月夜に夕香は目を伏せてうつむいた。
「日向もご苦労だった。薬を分けてくれた長老によろしくいっておいてくれ」
「はい」
うつむいたままうなずくと、夕香は目を閉じた。
「……日向?」
しずかな疑問系の低い声が遠のく。そのまま、崩れるようにして倒れた夕香を月夜が、肩を抱くようにして支えた。
「おい」
「……過労だな。休めばよくなる」
「……」
ぐったりと伸びている夕香に月夜は目を細めてそっと唇をかみ締めた。
「俺には関係ない、と言わないんだな」
教官がいすに座って机に頬杖をつきながら言った。その言葉に月夜が顔を上げて教官を見る。珍しくそれは少年のようなまっすぐな顔。
「思ってもなかったらしいな。夕香の部屋はわかるか?」
どこかつき物が落ちたような月夜の顔に教官がうっすら笑う。戸惑いながら月夜はうなずいた。
「わかります。……」
思わず視線を落として夕香を覗き込む月夜に教官は、たまに見せる特上の笑みを浮かべた。
「早く行ってやんな。少なくても、日向は、お前を拒絶しない。むしろ、そんな子をお前は拒絶していた」
夕香をしっかりと横抱きにする月夜に教官が続ける。
「でも、治っただろ?」
その言葉に一瞬だけ月夜の動作が止まった。その体は震えても、冷や汗もかいていない。
「なんで、だったんですか?」
抱き上げながらそっと夕香を抱きしめて月夜がまっすぐと教官をみる。
まっすぐな視線に教官は頬杖をついたまま月夜を見上げる。