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炉話

星の戯れ

作者: 碧天なつめ
掲載日:2026/05/20

 〜終わりの始まり〜


 小雪がパラパラと降り続いている中、あいりは成人式の式典に出席するため、晴れ着に大きなチェック柄のストールを羽織り、慣れない雪道をゆっくりと雪下駄で歩いていた。

 誰よ! 大して雪が積もっていないからって言ったのわ! はぁ……。お兄ちゃんの言葉なんて、信じるんじゃなかった……。

 あいりは駅までの雪道をゆっくりと歩きながら、車を出すのを嫌がられた兄を憎らしそうに、心の中で呟いていたちょうどその時、一台の車がすごい音を立てて歩道との境の垣根をなぎ倒し、歩道に乗り上げてきた。そして車は歩行者を跳ね上げた後、建物に激しく衝突して止まった。


「おい! 誰か救急車を! 早く!」


 現場は騒然となり、怒声と悲鳴が入り混じっていた。


「しっかりして! すぐに救急車が来るから!」


 なに……が……おこ……たの……? わ……たし……どし……ちゃ……た……の……?

 あいりは薄れゆく意識の中で、誰かわからない声が遠くから聴こえてきたような感じがした。


「……イリ……。お願い……生きて……」

「どうですか? 先生、妹は助かりますか?」

「峠は越えたのでもう大丈夫でしょう。後はアイリス様の意識が戻るのを待つだけです」


 ……アイリスって、誰のこと? わたしの名前はあいりだよ?


「アイリス様の意識が戻りましたら、いつでもお呼びください。それでは私はこれで失礼いたします」


 初老の医師はそう言うと、カバンを持って部屋を出ていった。そして部屋に残った三人は、頭に白い包帯を巻かれたアイリスと呼ばれた娘の傍についていた。


「グロリア様。後はボク達に任せて、屋敷にお戻りになって良い報せをお待ちください」


 グロリアは、名残りを惜しむように握っていたアイリスの手をゆっくりと離した。


「さぁ。母上も部屋を出ましょう」

「……そうね、ユリウス。この子がいつ目を覚ましてもいいように、好物の野苺ジャムとお菓子をたくさん作らなきゃ」

「おば様、ワタクシにもお手伝いさせてください」

「ありがとう。お願いしますね、グロリア」


 母親は嬉しそうにそう言うと、グロリアと共に部屋を出た。そしてユリウスも部屋を出ると、部屋の外で待機していた護衛騎士に声をかけた。


「ギルバート、事故の詳細はわかったか?」

「はい。アイリス様が乗っていた馬には異常はありませんでした。ただ、何者かが故意に手綱が切れるように細工した形跡がありました」

「その何者かは、わかっているのか?」

「はい。すでに捕えて牢の中にいます」

「そうか、ありがとう。そいつの尋問はボクが行おう。ギルバートはアイリスが目を覚ますまで、傍にいてやってくれ」

「かしこまりました」


 ユリウスはギルバートにそう言って、護衛騎士の詰所へと向かった。そしてギルバートは、部屋のドアに背中を向けて立っていた。

 一体どこの誰がアイリス様に危害を加えようとしたのか知らないが……誰であろうと、オレが決して許さない! それと同時に、アイリス様を守れなかったオレ自身が一番許せない!

 ギルバートは拳を握りしめ、自分の中にフツフツと湧いてくる怒りを必死で抑えていた。



 〜もう一度〜


 ここは……どこなんだろう……。ここにいた人達は、わたしのことをアイリスと呼んでいたよね?

 未だに状況がのみ込めないあいりは、まずはゆっくりと上半身だけを起こし、広い部屋の中を見渡した。

 あ。あの窓の近くに、全身を映す鏡が置いてあるじゃないの。

 あいりはベッドからそぉーと抜け出し、窓の近くに置いてある鏡の前まで歩いた。そして夕陽に照らし出されて映っていた自分の姿に、あいりは驚いていた。

 えっ……? これがわたし、なの……?

 そう。鏡に映っていたのは、栗色の短い髪で瞳の色はアイスグレーの、目鼻立ちが整った顔立ちの娘が鏡に映っていたから……。


「あなた……アイリス、なの?」


 あいりは囁くような声で、鏡に映っている女性に話しかけた。そのあいりの声に応えるように、女性の声が鏡の方から聞こえてきた。


『そうよ。あなたは、ワタシなの』「えっ……? どうゆう、こと?」

『お願い。ワタシに代わって、あの人を……』

「あの人って……誰?」


 あいりが鏡に映っているアイリスに問いかけた時、部屋のドアをノックする音が聞こえた。


「アイリス様。部屋に誰かいるのですか?」

「えっ?」


 あ、そうか。わたしはアイリスとして、この世界で生きていかなきゃ。でも一体、どうしたらいいの?


「アイリス様、失礼します」


 そう言って部屋に入ったギルバートは、アイリスの他には誰もいないことに気づいた。そして、鏡の前で立ち尽くしているアイリスに近づいて声をかけた。


「アイリス様。もう起き上がっても、大丈夫なのですか?」

「あの……ワタシは大丈夫です。それと、ごめんなさい。あなたは、誰ですか?」

「えっ? 誰って……」


 ギルバートはアイリスの言葉に戸惑いを隠せなかったが、表面上は冷静になって自分の名前を告げた。


「私はギルバートと申します。アイリス様の護衛騎士として、お傍に仕えております」

「そうなんですね……」


 護衛騎士なら、何か知っているかな? 鏡の中の本当のアイリスが言っていたあの人が誰なのかを。


「それでは私はこのまま失礼して、ユリウス様に報告して参ります」


 ギルバートはそう言って、アイリスの部屋を出た。その後、足早にユリウスのもとへ急いだ。そしてふとギルバートは足を止め、うなだれるように立ち尽くしていた。

 一体、アイリス様に何が起こったんだ? オレの名前や顔さえも憶えていないなんて……。まるで別人のようだ。

 呆然と立ち尽くしているギルバートに、この屋敷の執事が心配そうに声をかけてきた。


「どうしましたか? ギルバート。お嬢様の傍についていなくても大丈夫ですか?」

「えっ? ああ、ルークス。ちょうどいい所に来てくれました」

「何かご用命でもありますか?」

「今しがた、アイリス様の意識が戻られました。至急、医師を呼んでください。それとユリウス様達にも、ご報告をお願いします。自分はアイリス様の傍についています」

「かしこまりました」


 ルークスはそう応えると、すぐにギルバートの傍から離れた。そしてギルバートもまた、アイリスの部屋へと戻って行った。


 さて、どうしたものか……。牢の中の罪人が、よもや最近入ったばかりの護衛騎士だったとは……。

 ユリウスは自分の執務室で、ひとり考え込んでいた。護衛騎士の人選はすべて、メルヴィル男爵に任せていたからだった。

 メルヴィル家とは家族ぐるみのつき合いで信頼もあったが、今回の事故を事故として処理するワケにもいかない。それとも、もしくは事故そのものなかったことにするか?

 ユリウスがそんな葛藤をしていると、執務室のドアをノックする音が聞こえた。その後、執務室に入って来たのは執事のルークスだった。


「ユリウス様。アイリス様の意識が戻られました」

「そうかっ! 医師は呼んだか?」

「はい。旦那様と奥様にも報告済みです」

「わかった。それとメルヴィル男爵に至急伝令を。護衛騎士の人選について、尋ねたいことがある」


 その頃アイリスの部屋で、子爵である父親と母親、そしてグロリアがベットの傍で悲しそうに俯いていた。


「アイリス様はかろうじてご自分の名前を憶えていますが、それ以外のことは……」

「憶えていない、と言うことか?」

「はい……」


 初老の医師は、声のトーンを落としながらそう応えた。そして皆に向けていた視線を、今度はベットにいるアイリスに向けた。


「アイリス様。今後の生活に不安があると思いますが、失くした記憶が何かのきっかけで思い出すこともあります。どうか気を落とさないように」

「はい。ありがとうございます」


 アイリスは優しい声で医師に応えた。

 うん、そうだよ。記憶喪失ってことにしておけば、誰にも怪しまれずにすむはず。ただ、いくつかの難問があるけど……。


「あの、わたしから皆様にお願いがあります」

「何かしら?」


 母親は気丈に振る舞おうと微笑みかけながら、アイリスの手を優しく握った。


「えっと……その前に。皆様のことを憶えていなくて、ごめんなさい」

「あ、謝らなくてもいいのよ。あなたが生きているだけで十分ですよ。それで、私達にお願いってどんなことかしら?」

「はい。それはワタシのことをいろいろと教えてください」


 アイリスの言葉に一瞬部屋の中は静まり返ったけど、その静寂を破ったのはグロリアだった。


「教えるのは、簡単なようで難しいですわ。それに記憶を失くしてしまったのなら、また最初からやり直してみてもいいと思いますよ?」



  〜招かざる者達〜


 また最初から……か。彼女のあの言葉がなかったら、わたしは孤独を感じながら、この知らない世界で生きる路を探っていたと思う。

 あれから一ヶ月。あいりはアイリスとして生きていく決心がついた頃、シュタルク伯爵の長女グロリアからお茶会の招待状が届いていた。

 貴族のお茶会って、どんな感じなんだろう? ドラマやアニメであるような感じかな? 今までこんな経験をしたことがないから、すごく緊張しちゃう。


「お嬢様、今日のお茶会に行くドレスがご用意できました」

「ありがとう」


 アイリスは執事からドレスを受け取ると、鏡の前に立ってドレスをあててみた。

 うーん。淡いピンク色でフリル袖のドレスかぁ。何だかわたしのイメージに合わないなぁ。


「ルークス。他の服はないのかしら? 普段から着慣れている服装では、いけないのかしら?」


 申し訳なさそうにアイリスが言うと、執事はクスッと笑った。


「そう言われると思いました。招待状には、普段着でも構わないとありましたので、他のをご用意いたします」


 執事はそう言うと、アイリスの部屋を出た。そして入れ替わるように、アイリスの兄ユリウスが部屋に入って来た。


「どうしたの? そんな深刻そうな顔をして」

「ああ。実はアイリスに、頼みがあってね」

「頼みって?」


 ユリウスは深呼吸をして、アイリスの目をまっすぐ見た。


「詳しくは言えないが、今日のお茶会にはルークスではなく、ギルバートを同伴させる」

「それ、頼みじゃなくて命令よね?」

「まぁ、そうとも言うかな。それから、何があってもギルバートの傍から離れるな」


 そう言い終わると、ユリウスはアイリスの部屋を出た。

 一体なんなの? まぁ、いいかってワケにはいかないけど、今日は大人しくしていた方が良さそう。


 揺れる馬車の中、アイリスとギルバートは向い合わせで座っていた。アイリスは白い長袖のブラウスにこげ茶色のベストとキュロットスカートの服装で、ギルバートはなぜか貴族服を着ていた。


「ギルバート。兄上から何か言われていない?」

「いつも通りにアイリス様の護衛以外、特別なことは何も言われていません」


 そうなのかな? なぁーにか、隠しているような気がするのよね。普段なら、軽装で腰ベルトに剣を差した格好をしている人が、身なりのいい貴族服を着ているんだもの。


「護衛するにしても、今日は剣を持っていないのね」

「はい。剣は持たずに来ましたが、格闘術も習得しているので、ご安心ください」


 格闘術か……。実はわたし、こう見えて格闘術は得意分野なのよね。でも今日は、グロリアのお茶会だから大人しくしていなきゃ。


「ところでアイリス様。お茶会はその格好で大丈夫ですが、今夜は舞踏会もありますよ?」

「知っているわ。その舞踏会、絶対参加しないとダメなのかしら?」

「ダメと言うことはないでしょうが、グロリア様の招待ですので……」

「そうよね……。グロリアとは、女学院で一緒に過ごしていたんだったわね」


 アイリスは呟くようにそう言うと、馬車の中から外を眺めた。そしてしばらくすると、従者がシュタルク伯爵の領地に入ったと、馬車の中にいる二人に声をかけた。


「……そろそろか……」

「何がそろそろなの?」

「いえ、独り言です」


 独り言のようには聞こえなかったけど、やっぱり何か隠しているような。


「すまないが、ここで馬車を止めてくれ」


 急にギルバートは従者にそう言うと、従者は馬車を止めて驚いた声でギルバートに訊いた。


「え? ここ、ですか?」


 何を言うのかと思えば、町の出入り口で馬車を止めるなんて! お城までは、だいぶ距離がありそうだよ?


「さあ、アイリス様。馬車を降りて、城まで歩いて行きましょう」


 馬車を先に降りたギルバートは、中にいるアイリスに手を差し伸べた。アイリスはその手を取ると、ゆっくりと馬車を降りた。そして馬車から降りた瞬間、アイリスは鋭い視線を感じて、辺りをキョロキョロと見渡した。

 何? 今のは。何だか敵意に満ちたような鋭い視線を感じたけど……。でも、以前も似たようなことがあったような……。どこだったかな?


「どうされましたか?」


 ギルバートは心配そうに、アイリスに声をかけた。


「あ、なんでもないわ。お茶会に急いで行きましょ!」


 そうだ! これはアイリスの記憶だ! 中身はあいりだけど、たぶんその相手をアイリスなら知っているはず。


「ねぇ。馬車の中でずっと気になっていたのだけど、ギルバートも貴族なの?」


 アイリスはふと立ち止まると、ギルバートの方を振り返った。


「はい、そうです。オレはメルヴィル男爵の次男で、長年エーベル子爵とはつき合いがあります」

「そうなのね。その男爵の次男が、なぜ護衛騎士をしているの?」

「それは……。いや、そんなことよりも先程から強い視線を感じませんか?」

「やっぱりあなたも、気がついていたのね」


 ギルバートは黙って頷くと、おもむろにアイリスの腕を掴んで走り出した。そしてその後ろから、数人の足音が聞こえてきた。

 もしかして狙われているのは、ワタシなの? だとしたら、逃げるのは性に合わない。

 アイリスは急に立ち止まって、ギルバートの手を振り解いた。そして足音の方を振り返った。


「アイリス様! 一体何を?」

「逃げるのは性に合いません。なので、闘うことにしました。格闘術を習得しているのは、ギルバートだけじゃないから」


 程なくして二人を追っていた足音が近づき、二人を取り囲んだ。その後、追手達は一斉に襲いかかった。


「一体何事だ!」


 騒ぎを聞きつけた衛兵達が来た時は、追手達がなぎ倒された後だった。


「いきなりこの人達が襲って来て、気がついたら倒れていました」


 まるで無傷な二人を見ながら、衛兵達は倒れている者達を縄で縛り上げた。


「本当のところは、どうなんだ?」

「えーっとですね」


 アイリスはとぼけたような口調で次を言おうとしたら、ギルバートが一歩前に進み出た。


「こちらはエーベル子爵のご息女アイリス様で、私はその護衛騎士ギルバートと申します」

「その方達が、こちらにどのようなご用件で?」


 ギルバートは服の内ポケットから、グロリアからの招待状を一人の衛兵に見せた。その招待状には、シュタルク伯爵家の紋章が入った封蝋ふうろう印が押されていた。


「私達は、グロリア様からお茶会と舞踏会に招かれました」

「そうでしたか。では、お城までご案内します」

「いえ、それには及びません。それより後は、お任せします」

「はい、お任せください」


 そう言って衛兵達に後のことを任せて、二人は城の方へと向かった。その途中でアイリスは歩く速度を落とし、真剣な声でギルバートに訊き始めた。


「ギルバート。一体何が起こっているのか、説明してもらえるかしら?」

「そうですね。もう話をしても大丈夫でしょう」

「その話、ゆっくり歩きながら聞くわ」


 アイリスは歩調を緩めると、その歩調に合わせるようにギルバートもゆっくり歩き始めた。


「全ての発端は、オレ自身にあります」


 その言葉にアイリスは驚きを隠せずにいたけど、声には出さなかった。そしてギルバートは、更に淡々と話を始めた。


「ちょうど四年前、町のゴロつきに絡まれている少女達を助けたことがありました」

「それで?」

「まだ護衛騎士になったばかりのオレは、何とかゴロつきから少女達を引き離しました」

「うん」

「そこまでは良かったんです。その後が……」


 なぜかギルバートは恐怖で顔を引きつらせ、その場にしゃがみ込んでしまった。突然のことにも関わらず、アイリスはしゃがみ込んだギルバートの肩を優しく抱きしめた。その時、アイリスの中でいつか聞いた声が聞こえてきた。


『ギルバートをよろしく頼みます』


 あの人って、ギルバートのことだったんだね。大丈夫だよ。まだ全部はわからないけど、わたしはギルバートを信じる。そして、どんなことがあっても守り抜くからね。


「さあ、もう行きましょ。ワタシからはもう、いろいろと詮索しないわ」

「アイリス様」


 二人はゆっくり立ち上がると、また城の方へと歩き始めた。それはまるで、新しい一歩を踏み出すかのように。

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