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蕾のまま、春

作者: 雨咲 しゆみ
掲載日:2026/04/25

 春が来る、と誰かが言った。

 けれど、窓の外にはまだ雪が残っていた。


「もうすぐ桜、咲くね」

 そう言ったのは、隣の席。

 別に仲良くもない。ガリ勉の田中。

 私は片耳のイヤホンを外す。


 残る片耳で流れているのはお決まりの卒業ソング。

 もう何年もこの曲は定番になってる。


「……ええ。そうね」


 少し考えた後、私は至極淡々と応じた。


 いつかは咲く。

 事実、それはただの事実だ。


「ああ」


 田中は秀才で、いつも一人でいた。

 人伝に聞くに、どうやら医者を目指しているらしい。


「伊勢さんは、どこに進学するんだっけ?」


 田中が尋ねる。


「ああ、近くの高校。友達はみんなそこにいくからね」


 田中は机の端に視線を落とした。


 彼は有名な進学校にいくらしい。

 その中でも特進コースを受験したって聞いた。

 あの学校からは、毎年何人も東大合格者が出ている。


「お医者さん。目指してるんだって?」


 自然に、そんな問いが口から(こぼ)れる。


「あ……。ああ」


 田中が答える。


「すごいなあ。誰かを救うって」


 素直にそう思った。


 私は、違う。

 誰かの命を背負って生きるなんて。

 そんな重たい覚悟が要る人生なんて、まっぴらごめん。

 私には荷が重い。


 だから、彼がそんな道に憧れると聞いてひどく尊敬する。


「そ……そうなのかな?」


「何言ってんの? そうに決まってる」


「……うん」


「あの高校に、行くんでしょ? おめでとう」


「あ……」


「いいよ、みんなが噂してる。知ってるもん」


「そうか……。みんな知ってるんだ……」


 田中は寂しそうに答える。

 彼ほどの秀才でも、地元の学校に進めないことが寂しいのかもしれない。


「うん。応援してる」


 私はそっと田中に答えた。


「伊勢さんはさ……」


「うん」


「伊勢さんは、何になりたい?」


「……え?」


「伊勢さんには……何か、夢はあるの?」


「あ……」


 私の夢。

 夢か……。


「ううん。まだ決まってない」


「そうなのか……」


 寂しそうに、田中が肩を落とす。


「でもね……」


 不思議と、口が開いていた。


「今はまだいいの」


「え……?」


「“蕾”だから」


 私はそう言って、外したイヤホンの片耳を差し出す。

 田中はそれを受け取って耳に寄せた。


 一つのコードで音楽を分け合う。

 聞こえてくる歌詞には、やっぱり何度聞いても共感はできない。


 だって、“私に見えてる景色”と違いすぎる。


「いいんだ。まだほら、咲くのはずっと後なんだから」


 私が指さしたのは、校庭の桜。


「うちの校庭の桜は、本州よりも遅いんだよ」


 私は言う。

 北海道の桜は、GWの頃に咲く。

 卒業式には間に合わない。


「だから、まだいいの」


 まだ雪の残る三月の校庭。


 同じ日を迎えたって咲かない花はある。

 私はそれを知っている。


「散ったんじゃない。まだ咲いてないだけ」


 田中がイヤホンを落とした。

 重さでコードが引っ張られて、私は隣に視線を向ける。


 飛び込んでくる田中の横顔。

 彼は泣いていた。


「どうして泣いてるの?」


 私が尋ねる。


「い……いや、別に……」


 田中はごしごし頬を袖で拭って、恥ずかしそうに顔を背けた。

 男の子って、卒業なんかで普通に泣くんだな。

 共感できない歌詞を耳に、私はそんなことを思う。


「ありがとう」


 田中がそう言った。

 寒さに擦れた頬が少し赤い。

 まるで、桜のような桃色。

 どこか吹っ切れたような瞳は澄んでいた。


 初めて、田中のそんな顔を見た気がした。

 その瞬間、何かが私の胸の奥で“蕾”になった。


「なんで感謝されたかはわからないけれど、どういたしまして」


 そう言って勉強道具を鞄にしまう。


 言葉と一緒に吐き出した息が白い。


 私はもう帰ることにした。

 ただなんとなく、少し居心地が悪かったから。


 もう会えなくなる人に、いまさらこんな感情を抱くのは嫌だった。

 鞄を肩に、私は席を立つ。


「あの……伊勢さん」


 田中の声が、背中から私を呼び止める。

 その声を、私は聞こえないふりをした。


 イヤホンをまた両耳に戻す。

 薄っぺらな歌詞でもいい、この耳に蓋ができるなら。


「じゃあね、田中くん」


 振り返らずに歩き始めた。

 なぜだろう。少し視界が歪んでいる。


 私って、卒業なんかで普通に泣くんだな。

 共感できない歌詞を耳に、私はそんなことを思う。


「またいつか」


 口からこぼれた言葉は、いったい誰に何を言いたかったんだろう。

 蕾のまま春を通り過ぎようとする桜が、まるで私みたいだった。

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― 新着の感想 ―
田中くんは、告白しようとしたんじゃ? 聞いてあげないなんて、かわいそう。
たかはしです。夢を探してる段階だから蕾。良い例えですね。卒業を迎える時の主人公の淡々としてるけど、人間らしさが有って、切なくて感動しました。これからも応援してます。
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