第6話:遠ざかる光
気がつけば、もう四月。
高校一年生としての一年が終わり、もうすぐ二年生の新学期。
冬の駅伝で初めて「走る彼」を知り、地方紙の記事で彼の名前を知ってから――もう、あっという間に数ヶ月経った。
一之石孝和。
それが、あの川沿いですれ違うだけだった人の名前だ。
最近は会うことがなくなってしまった。
たまに会えるかも知れないと思って川辺りのコースをジョギングするのだが、そこに彼の姿はない。
……もう一度会って、出来れば少しでも話をしてみたいのに。
その日の夕方、リビングのテレビをつけた瞬間、息が止まった。
『――数学オリンピック日本代表メンバーとして正式に選出された一之石孝和さんが本日東京から地元に凱旋されました。夕刻から県庁にて知事との共同記者会見が行われました――』
画面の中にいたのは、紺のブレザーに身を包み、柔らかい笑顔でマイクの前に立つ彼。
地方紙の写真とは比べ物にならない。
全国ネットのニュース番組。
堂々と「日本代表」として紹介されている。
記者からの質問に、落ち着いた声で答えていた。
「紙と鉛筆があればどこにいても取り組める、数学はそういう学問だと思います」
「自分をここまで支えてくれた全ての人たちに感謝しています」
その言葉ひとつひとつが、彼の本心なのか、用意されたものなのか、わたしには分からない。
でも、画面越しに映る姿は――遠かった。
(……もう、完全に違う世界の人になっちゃったんだ)
胸の奥に、冷たい水を流し込まれたみたいだった。
あの日、川沿いで会釈を返してくれた無表情な彼は、もういない。
目の前にいるのは、県知事の隣でカメラに囲まれている「特別な人」。
わたしなんかが、名前を知ってしまっただけで喜んでいた相手。
その人が、今や“数学オリンピックの日本代表”。
目を逸らそうとしたのに、結局、最後まで見てしまった。
彼の声も、仕草も、すべてを。
ニュースが終わった後、テレビの黒い画面に、自分の顔が映っていた。
悔しそうに唇を噛んでいる顔。
自分でも気づかないうちに――目が潤んでいた。
(……どうして、こんなに気になるんだろう)
手の届かない遠さを痛感したはずなのに。
わたしの胸の奥で、小さな灯りみたいなものが、まだ消えずに揺れていた。




