第2話:トレイル大会にて
その日は、山あいで開かれるトレイルランのローカル大会。
父に勧められた事もあって、わたしはあまり気が進まないまま参加していた。
本格的な大会に参加するなら、それなりの装備をしている必要があるが、今回は距離もそれほど長くない。晴天で風もほとんどないから、軽装で充分そう。
スタート地点に並んで、すぐに気づいた。
前方に、見慣れた背中。
川沿いで何度もすれ違った、あの人――無駄のない走りをする、「土曜日のクールなあの人」がいた。
号砲が鳴り、ランナーたちが山道へと駆けだす。
わたしは自分のペースを守りながら必死に登っていたが、急な坂道で足をひねってしまった。
「っ……!」
膝の横に鋭い痛みが走る。思わず座り込んでしまう。
次々と人が追い抜いていく。大丈夫?と声をかけてくれる人もいたけれど、止まってはくれない。
どうしよう、と涙がにじんだその時――
影が、立ち止まった。
「……捻った?」
顔を上げると、あの人がいた。
冷静な声で、短く問いかけてくる。
「う、うん……」
彼は無駄な言葉を挟まず、腰のポーチからテーピングを取り出した。
驚くほど手際よく足首を固定してくれる。動きは迷いなく、慣れているようだった。
「……これで走れるはず」
そう言って手を離すと、彼は立ち上がった。
「あ、あの……ありがとう。…わたし、アミーナって言うの」
勇気を出して名乗ってみた。
彼は一瞬だけこちらを見て、うん、と小さく頷いただけ。
名前を返すこともなく、再び山道を走り去っていった。
ゴールしたとき、彼はすでに待っていた。
けれど声をかけるでもなく、ほんのわずかに会釈をして――それだけ。
胸の奥に、妙な熱が残った。
(……やっぱり、クールだ)
名前も知らない。
でも、たった数分のやり取りで、彼の存在はわたしの中でぐっと大きくなっていた。




