灯火の胡蝶
夏のホラー2025、参加作品です。
年若い男女が賑やかに談笑していた。
成人しているかしていないかの境目くらいの者から、社会人数年目といった独り立ちしているであろう年齢の者まで、九人。 男が四人、女が五人だ。
彼等は川の側、そのせせらぎも、水が岩に当たる波音も聞こえる事のない河原で、昔ながらのドラム缶で作られた焼き台を囲い、バーベキューを楽しんでいる。
賑やか、と言えば聞こえは良いが、そこそこの音量で音楽を流し、その音に負けない様に声を張るのだから、それは周囲から見れば騒音以外の何者でもないだろう。 お陰で周囲の自然音は侵入する余地がない。 甲高いアカゲラ、クマゲラの声さえ掻き消される、騒音で出来た結界である。
そんなここは有名バーベキュー場やキャンプ場……どころか、ゴミ問題で閉鎖された施設のずっと上流にあり、人が殆ど来ない場所だ。 そのせいで等間隔で設置されていたはずの「バーベキュー禁止」の立て看板すら外され、疾うの昔に薪にされてしまった「使ってはいけない穴場」なのだ。
彼等がここでバーベキューを楽しむ理由は多々在れど、その殆どは利己的なものだった。
人目を気にしたくない。
騒ぎたい、大声を出しても文句を言われたくない。
後片付けは面倒くさい、したくない。
どうせ安物、拾い物。 いらない物は捨てていきたい。
等々だ。
それ以外にも煙や臭いが酷ければ通報されかねないし、場所によっては駐車料金も発生する。
飛び火の問題もあり、住宅地近くで火事の原因になどなったら、請求額がいくらになるかなど考えたくもない。
そんな問題を解決するのが、田舎町から更に二時間以上進む、真面に舗装すらされていない道路をひた進んだこの場所である。 ここまで来てしまえば防犯カメラの数も少ない為、もし火事になったとしても、逃げてしまえば判らない。
勿論そういう考えではない人間もいる。 声の大きい数人に流されてしまった人間、と言うのが正しいか。
付き合いで仕方なく付いてきた ――車を出したのは彼だが―― 拓朗もそうだ。 それとそんな彼を心配して付いてきた幼なじみのエリカ、殆ど拉致されたと言っても過言ではない、ほぼ通りすがりの地味系女子大生アゲハも。
拓朗はこの悪友達と付き合いながらも、後で引き返して後片付けくらいはするつもりでいるし、エリカもそれに付き合う気でいた。
ほぼ初対面で今もおろおろしているアゲハに対してそれを強要する気はないが。
BBQを済ませてから数時間。 ――済ませたのは拓朗とエリカ、アゲハの三人である。
辺りの騒々しさは益々ヒートアップしていた。
夏の暑さも川から漂う涼しい風も、彼等を止める事は出来はしない。
アルコールの入ったコノミはミニスカートで、下着が見えるのもお構いなしに歌って踊る。 マイクを決して離さない。
そんなコノミの横に参戦してきたのは留学生のラニだ。 赤毛の髪を靡かせて若干音程のは外れた歌声を響かせる。
彼女はタイトスカートだが、動き回るせいか段々と持ち上がっていくのが解った。
それを察した愼司は普段硬派な不良を演じているくせに、囃し立て、鼻の下を伸ばしながら徐々に徐々に近寄っている。 すっかり助平親父の様相だ。
その頭にあるのは極太フランスパンの如きリーゼント。 周囲の雰囲気と今の彼の様相の中で、硬派な印象のそれは酷く浮いて見えた。
何のかんのと付き合いのいい拓朗はその騒音の中で手拍子を打ち、エリカはその近くで顔を顰めている。
アゲハは所在なさげで、それでも真面な雰囲気を持つ幼なじみ同士の側を行ったり来たりしていた。
そんな光景を微笑みつつも何処か冷めた視線で見るのは、皆をまとめてここまで誘ってきた泰明。
隣りには彼と付き合っているというリョウコが寄り添っている。 少し化粧の濃い、二十歳前後の少女だ。 年齢的には女性と言うのが正しいのだろうが、彼女は何処か「少女」っぽい。
だがその笑みはあどけなく見える様で、何か黒いモノが見え隠れする。
「お前は、歌ってこないのか?」
「今さらでしょ? やっすーが聴きたいって言ってくれたら、歌うけど~?」
言われた泰明は「ただの枕だ」と話の種ですらないのだと答え、抱き寄せる。
「あん、何? どうしたの?
寂しくなっちゃった? 今からする?」
お誘いだと思ったのか、満更でもないようにリョウコは頬を紅くする。
「やらない。 んなことしてたら愼司に覗かれるだけだ」
言いながら顔を寄せる。
「宏志はどこに行った?」
ここにいない者の所在を確認する。
一見物静かな青年に見えるひとりが、いない。
「多分、釣りじゃない? 竿とバケツ持って歩いてったよ?」
彼に合わせて、周囲の喧噪に紛れる音量で返す。 漫画のような縦ロール状の金の髪がボヨンと揺れた。
その答えに彼は内心舌打ちする。
何も知らない彼女に当たるほど狭量ではないが。
「晩のおかずが……増えると思うか?」
仕方なく、何とか滲んだ警戒の色を消し、日常会話へ戻す。 誰に聞かれても問題のないように。
「……増えても増えなくてもいいんだけどぉ、カレーと合うの?」
予定では夕飯はカレー。
十人近いキャンプ飯なら定番メニューと言えよう。 安くて簡単で早くて旨いのだ。
何故か作るのは拓朗とエリカだけだったが。
だが、そんな日常的な会話とは裏腹に、夕食時を過ぎても宏志は戻って来なかった。
◇ ◇ ◇
宏志の探索、もしくは捜索願いには難色を示した人間の方が多かった。
中でも愼司とコノミ、ラニは盛大に酔っ払っているせいか、楽天的だ。
「すぐに戻ってくる」「いい大人なんだから心配するだけ無駄」「ひとりでノンビリしてるだけ」「迷う様な場所じゃない」等々。
といってもそう的外れな意見でもない。
宏志はこう言った集まりには付き合うものの、ひとりで行動している事が多いのだ。 流石にこの様な時間帯まで姿を見せない事はなかったが、そういう事も有り得るくらいには思われている。
泰明とリョウコは慎重派だ。
「こんな事で警察に迷惑は掛けられない」「これからの捜索では二重遭難の可能性もある」「そもそも捜索願を出したところで、この時間帯なら明朝からになるだろう」等だ。
長いものに巻かれるタイプの拓朗は「う~ん、まあ、そうかも……」と消極的ながら泰明に賛同を示し、アゲハは強く主張せず、ひとり真面目なエリカは渋々皆と意見を合わせたのだ。
◇ ◇ ◇
夕食を終え、何だかんだと言っても心配なのか、皆は騒ぐ事を止め、早々にテントに潜り込んだ。
宏志がいなくなった為、拓朗と愼司はそれぞれ中型テントにひとりずつ、女性陣四人は安全の為、大型テントでひとまとめ、泰明とリョウコは中型テントで一緒であった。
一基だけ離れた場所に設置されたテントの中に泰明とリョウコのふたりがいる。
川沿いで涼しい風が吹く場所であっても、夏は夏。 まだ籠もる熱を嫌ってか、ふたりは下着姿だ。 携帯用ファンの立てる音が耳障りに響く。
「今さら、迷ってない?」
正面から恋人に抱きつきつつ、女が言う。 昼間の「少女」の雰囲気は何処かへ行ってしまったのか、そこにいるのはひとりの「女」。
「何を迷うって言うんだ?」
「巻き込む事、というか犠牲にする事? タクちゃんとかコノミとか、付き合い長いんでしょ?」
「はん。 今さらだ」
そう、今さらだ。
ボスの言葉には逆らえない。
お目付役の宏志が姿を消した理由は解らないが、今奴がいないからと逆らえる話でもない。
女が欲しいと言われたのなら女を、内臓が欲しいと言われたのなら健康な内臓を「調達」するだけが自分の仕事だ。
それで何時か自身が破滅するとしても。
「そうね、今さらかもね。
さんざんお爺ちゃんお婆ちゃんを騙して、大金をせしめておいて、今さら良心の呵責もないわよね?」
自嘲するかに言うリョウコ。
珍しいその様子に彼も戸惑ってしまう。
「お前こそ、迷ってるのか?」
そんな事を言い出した彼女へ、訝しむ言葉。
ボスに宛がわれた女。 多少の情はあっても、お互いに本心などさらけ出しはしないが。
だからこそコイツは宏志をただの友達だと認識している。
「あたしは別に…………」
不意にリョウコが言葉を止める。
言いたい言葉が見つからないのか、そう思った泰明の腕を振り解くように彼女は立ち上がり、テントの入り口を開ける。
「お……おい、そんな格好で――」
そのまま下着、素足で出て行くリョウコを追い、泰明も急ぎ外へ出ようとするが、この辺りの石はそれなりに角のあるものが多い。 手早く靴を引っ掛け、外へ。
「……あ……?」
目の前に見えるのは無数の光。
夜の暗さを切り裂ける程の強い光では決してないが。
無数の灯火が、周囲を埋め尽くすように小さな光を放っていた。
(……蛍?)
まるで夜空がそのまま鏡写しになったかのような小さな数え切れないほどの灯りに一瞬、そう思う。
だが川を、岸を埋め尽くすほどの光が蛍である筈がないと直ぐに考え直した。 時期としてはおかしくないが、いくら虫とは言え、その数は異常に過ぎる。
背筋に走る怖気を虚勢で追いやり、歩を進めると見えるのは小さな小舟だ。 木や竹や藁、紙で作られた無数の小舟に火の灯された蝋燭が立てられている。
「……精霊流し?」
故人の霊を弔い、あの世へ送り出す為の伝統行事。 珍しいと言えば珍しいがこんな田舎町ならやっていてもおかしくはないだろう。
肩のちからが抜ける。
ゆっくり息をつく。
気が抜けたと、そう思った次の瞬間、彼は気づいた。
そのまま寝てしまえば、時は過ぎ朝を迎えたかも知れないのに、彼は気づいてしまった。
ここは上流部だ。
川幅は狭く、流れは強く、その勢いは石を、時間を掛け岩をも転がす程度はあり、小さな手作りの小舟など、あっという間に波間へと消える。 そんな場所だ。
精霊流しをするならもっとずっと下流で行うだろう。
――そもそもその明かりは何処で光っているのだ?
灯火の見える範囲と川幅がまるで合っていない。
5mやそこいらしかなかった川幅である。 両方の岸にまで増水していれば話は別だが、それならやはり小舟は波間に消えるし、そもそも足下には石だらけの河原が広がっている。
明かりは見える。
淡く儚げな明かりが見える。
広い、広大な範囲を埋め尽くす。
――自分は一体、何処にいるのだろうか?
ぴちゃん
足下に水音。
周囲には精霊流しの舟、舟、舟……。
ぴちゃん
歩を進める。
水の中、川の中。
頼りない強さの灯火が揺れる。
ふらふらゆらゆら
今にも消えてしまいそうに、
泰明の歩みに応じるように揺れる揺れる揺れる。
彼は少し離れた場所に見える人影に、近づこうと歩を進めた。
「――リョウコ!」
見えてきたのは全裸の彼女を抱きしめる宏志の姿。 年上のくせに高校生程度にしか見えない外見で、人を騙しやり込める、ボスが寄こしたお目付役。
その眼鏡の奥に、異質な剣呑とした輝きが見えた。 無機的で、無感情で、自分と同じ生物とは思えない異彩。
「テメエ! 何してやがる!!」
それでも泰明は激情に駆られ前進する。
魂を運ぶ小舟を蹴飛ばし、走る拳が、ニヤニヤと下卑た笑みを浮かべる宏志の顔を打ち抜かんと振り上げられた。 そのままの駆ける勢いと共に炸裂する。
ぱぁん
そんな音を立てて水風船のように弾けた宏志の顔。
それは、無数の揚羽蝶に姿を変え泰明を取り巻く。
「なあっ!?」
そんな悲鳴は掻き消される。 それほどの密度で数え切れない程の揚羽蝶は彼を取り巻いた。
その様相はまるで蚊柱だが、蚊柱とは違い彼から周囲は、周囲から彼の姿は確認する事が出来ない。
「――……! ……!!」
声は聞こえない。
声は届かない。
その蝶で出来た巨木は脈動を繰り返す。 広めて狭めて広げて縮めてを繰り返す。 まるで彼を啄む様に。 まるで彼を蝕む様に。
やがて、蝶達が何処かへ去ってしまった時、その場には何の痕跡も残ってはいなかった。
彼も、彼女も、そこに居たという痕跡はまるで残されていなかった。
◇ ◇ ◇
寝付かれなかった愼司は外へ出ると、ふと大テントの方へ視線を向けた。
明るいコノミも、ノリのいいラニも、大人しいアゲハも大変好ましい。 口うるさいエリカと付き合う気にはなれないが、外見だけならアイドル並みである。 もっとも、頭に「ジュニア」とつきそうな童顔ではあるが。
一歩二歩とそちらへ足を進める。
――どうせ頂くならアゲハがいいな。
あのおどおどした様子なら、無理矢理押し倒したところで勝手に泣き寝入りしてくれるだろう。
だが、こんな時間に何と言って誘い出すか……。
自分勝手な思考を巡らせる愼司の前で、テントの入り口が開かれた。
すっと立ち上がるのはたった今夢想したばかりの少女アゲハ。
「よ、よぉ。 こんな時間にどうした? ぁ~、眠れないのか?」
どもりながらも彼女を誘い出す言葉を捻り出そうとする。
対するアゲハは、何処か扇情的な微笑みを浮かべるだけで何も語らない。
昼間は編まれていた髪は解かれ、波打つように。 眼鏡は付けておらず、大きな瞳が彼を見つめていた。
寝間着なのだろうか。 ネグリジェのような薄衣に、肢体が写る。 下着を着けていない胸も、透けるように見える下穿きも。
月のない夜に、星だけの空でそこまで見える筈もないのに、愼司は何の疑問も持てずただ彼女に目を奪われる。
素足のまま、飛ぶ様にアゲハは川岸へ歩む。 追ってこいと言わんばかりの視線に、愼司は付いていくしかない。 魅入られた様に、蜜に惹かれる虫の様に。
愼司が追う。
アゲハは逃げる。
愼司が走る。
アゲハは離れる。
まるで追いかけっこをする恋人たちの様に、薄明かりの中で影絵が舞う。 だがその内情はそんな微笑ましいものとは掛け離れたものだ。
愼司は酷く興奮し、半ば錯乱しているかの様だ。
荒い息。
赤い顔。
焦点のずれた目。
正に興奮冷めやらぬ様子の彼は、漸くアゲハに追い付くと、彼女を抱き寄せその唇を貪った。 そこに先程まで策を巡らそうとしていた彼の姿はない。 ただ発情しただけの獣がいた。
頬に触れるのは髪の毛か、それは何処かくすぐったい。
抱きしめた体躯は想像以上に華奢で今にも折れてしまいそう。
細い手足が自分を抱きしめ返している。
己の舌に絡まる細い舌は……細い? 細い?
抱きしめ合う感触も、触れている場所も、違和感。
その違和感に一瞬熱を忘れた愼司はそっと目を開けた。
一瞬、何が見えたのか解らなかった。
それは顔の半分ほどの大きさをした複眼と触角。
「――うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!??」
そこにいたのは巨大な揚羽蝶。
それは愼司の身体を六本の脚で掴み、今まで彼の舌と絡み合っていた口吻を顔へと向けている。
じゅぶ
叫び続ける愼司の口内に、アゲハの吹き戻しのような口吻が突き刺さった。
◇ ◇ ◇
リョウコは下着姿のまま無数の精霊流しで埋もれる川を見つめていた。
感慨もなく感情もなくただ見つめていた。
どう見ても大河に等しい水面の上に浮かぶ、数え切れないくらいの精霊流し。
この小舟が、その灯火が故人の魂を運ぶというなら、ここにいるのは一体どれ程の魂なのだろう。
百か二百か。
それとも千だろうか? 万だろうか?
ゆらゆらと揺れる、ふわふわと浮かぶその数は徐々に増えていくようにすら見える。
光が河を埋め尽くす。
小舟の運ぶ小さな炎が足の踏み場もないほどに周囲を埋め尽くす。
その光景はまるで灯火で出来た花畑だった。
視界の端から端まで何処までも広がる、小さく暖かな灯りで満たされた花の楽園。
それは幼い頃に駆け回った草原のような、温もりと懐かしさすら感じる小さく広い世界だ。
「……あっ」
声が漏れる。
そんな世界で見えたのは、見覚えのあるシルエット。 全体的に丸みを帯び、腰の曲がったありきたりな影。
目を見開く。
瞳が潤み、あっという間に涙が溢れた。
「ああ…………」
ずっとずっと昔。
追いかけ、抱きつき、泣いて叫んで、色々と困らせていた事もある唯一の理解者。
懐かしさと愛おしさに、声が震える。
足が動いた。 前へ、前へ。 光を照り返す雫を零しながら。
「――おばあちゃんっ!!」
和やかに微笑む祖母に駆け寄り抱きつく。
感極まりしゃくり上げて、ただただ祖母を呼ぶ。
「おばあちゃん、おばあちゃん! ごめんなさい! ごめんなさい!
あたし悪い子になっちゃった! 悪い子になっちゃったよぉ!」
折り合いの悪い両親や、金で自分を買った上司なんて比べものにならない。 形だけの恋人よりも、ただ駄弁るだけの友人よりも、ずっとずっとずっとずっと愛しい存在。
だから懺悔する。
親の期待なんていらなかった。 教師の信頼なんて重いだけだった。 名ばかりの友人の希望も、顔も見た事のない周囲の熱望も。
みんなみんな彼女にのし掛かった。
祖母の存在が、張り詰めた糸を解してくれる唯一だった。
「ごめんなさい、おばあちゃん! 悪い子になっちゃってごめんなさい!」
祖母が倒れ、そんな唯一はいなくなってしまった。
リョウコという弓に張った糸など、至極あっさりと切れてしまった。
それでも誰も彼もがその弓を引き絞り、残ったのは残骸にも等しい、何処にでもいる悪女。 大好きだった、愛おしかった「おばあちゃん」たちを騙し、金品を巻き上げる犯罪者。
だから彼女は懺悔する。
いい子になれず、悪い子になってしまった自身を悔いる。
祖母は何も語らず、ただ涙する彼女の頭を撫でた。
そっと優しく、泣く事しか出来ない小さな子どもをあやす様に、ゆっくりと愛おしむように撫でた。
――小舟がそっと流れる。
川の流れに逆らうように。
――リョウコが「おばあちゃん」と呼ぶ白骨が、そっと彼女を撫で続ける。
「おばあちゃん」に覆い被さるように抱きついていた彼女の体躯が小さく、小さくなっていく。
――灯火が、上流へ上流へ登ってく。
そちらこそが海であるかの様に、上流へ流れていく。 ゆっくりと、ゆったりと。
――リョウコはすっかり小さく幼くなった体躯で祖母にしがみついている。
幼い頃にそうしていた様に。
どこにも行かないでと、全身で叫ぶ様は幼子のそのものだ。
――灯火はその姿を変える。
ゆっくりと、ゆったりと、姿を変えながら河を昇る。
灯火だった光は、上流へ登りながら、空へと昇りながら何時の間にか揚羽蝶へと姿を変えていた。
淡い光をその羽根に纏い、舞っていく。 飛んでいく。
――リョウコと白骨の側に、もう灯火を乗せた舟はいない。 ただ数羽の蝶が彼女らの周りを回る。 ゆらゆらと、ひらひらと。
――数え切れないほどの揚羽蝶が、空を舞う。 空へと舞う。
旅立つ様に。
家路に就く様に。
あるべき場所へ戻る様に。
――ふたりを淡い光が包み込む。
光の中、その輪郭は徐々に徐々に見えなくなり、やがて残ったのは二羽の揚羽蝶。
蝶は舞う。
先へ飛ぶ仲間を追う様に。
小舟はもう何処にも見えない。
小さな灯火はもう何処にも見当たらない。
蝶の姿ももう見えなくなった。
ゆっくりと射す朝陽の中で、あったはずの大河も姿を消し、その夜の痕跡は何処にもなくなったのだ。
◇ ◇ ◇
拓朗は目を覚ますと、テントの中で身体を伸ばした。
こんな場所でもゆっくり眠れてしまう程度に身体は疲れていたらしい。
寝ぼけ眼のまま、テントの外へ這いずり出る。
「おはよ、タク」
キャンピングカーの方からエリカが声を掛けてくる。 随分前から起きていたのか、朝の支度は済んでいる様だ。 軽くメイクもしている様に見える。
「おはよう。 コノミとラニはまだ?」
「あれだけしこたま飲んだのよ? 起きてくる訳ないじゃない」
そりゃそうだ、と納得しつつ、拓朗は頭を傾げた。
それは違和感、だろうか?
何か頭の中に靄が掛かっている様な気がするのだ。
「……どうかしたの?」
「いや、ここに来たのって……四人だけ、だよな?」
違和感。
そう違和感だ。
何も解らないのに、何かが違って思える。 釈然としない、何か。
「何言ってんの? わたしたち以外誰がいるってのよ」
エリカはそう答えるが、そう……だったろうか?
男ひとりと女が三人でキャンプ?
誰が主催者だったか、何が切っ掛けだったか、それすらも解らない。 覚えていない。
「……悪い。 まだ寝惚けてるみたいだ、ちょっと顔洗ってくるわ」
そうだ、寝惚けているだけだろう。
冷たい水で顔を洗えばスッキリするはずだ。
「はい、タオル」
手渡されるタオル。 アメリカで購入したという有名球団のロゴの入ったタオル。
これは誰から貰ったものだったろう?
ラニか? 何か、違う気がする。
「サンキュ」
違和感が薄くなる。
風に吹かれて飛んでいく。
「今日も、暑くなりそうだな」
そう呟く拓朗の側を一羽の揚羽蝶が飛んでいった。
罪深い人間は島流し
あの世という監獄へ島流し
後悔したってもう手遅れ
ほら、アゲハがキミを見つけたよ
拓朗・・・このメンバーの中では比較的常識人枠だが、流され体質で良識すら周囲に流されてしまうタイプ。 いい人に囲まれていればいい人でいられるが、悪い人に囲まれるとちょい悪くらいにはなる。 スポーツ刈りした社会人。
愼司・・・一昔前の不良がそのまま大人になった様な、リーゼントをこよなく愛する青年。 腕っ節はあるが、頭は弱い。 女の子目当てで参戦したプータロー。 その硬質なリーゼントは簡単には崩れない。
宏志・・・穏やかな青年を演じる悪人。 立場は黒幕。 現在は勤労青年っぽく参加しているが……。 大学生。 眼鏡くん。 超脇役となってしまった。
泰明・・・裏で反社的活動をする小金持ち。 所謂指示役。 その為命令するのには慣れているが、そのせいで宏志とぶつかる時も。 金髪ピアス。
アゲハ・・・このメンバーでは初参加となる新大学生の少女。 コノミに引っ張られての参加でおろおろしてる。 三つ編み眼鏡。 何者かは作者も決めていない。
コノミ・・・酸いも甘いも、な感じで渡り歩く若干考え無し。 アゲハは偶々会った彼女に引っ張られて参加させられた。 酒好き。 一応大学生。 肩の辺りで切りそろえたおかっぱ。
リョウコ・・・ギャル。 二十歳を過ぎてるけどギャル。 友釣りを狙って参加させられた、泰明の彼女役。 イケイケの金髪ドリルだが眉毛は黒い。
エリカ・・・拓朗が心配でついてきたお節介さん。 拓朗から見ると年下の幼なじみ。 現在は家業の喫茶店で働いている。 茶髪ポニテ。
ラニ・・・明るい留学生。 優秀、なはずだがあまり物事を深く考えていない様な節がある。 リョウコに釣られてやってきた。 赤毛ロング。