第4話 初めての魔法
ひんやりとした命の水が、乾ききった喉を潤していく。
体の隅々まで、清らかなエネルギーが満ちていくような感覚。
おいしい……。
今まで飲んだどんな水よりも、ずっとずっと、おいしい。
「はぁ……生き返る……」
これで、飲み水の心配はなくなった。
大きな問題を一つ、クリアできたんだ。
ほっと胸を撫で下ろした、その時だった。
背後から、さっきまでのそよ風とは明らかに違う、何かが草をかき分ける音が聞こえた。
……何の音?
心臓が、嫌な音を立てる。
さっきまでの安堵感は一瞬で吹き飛び、冷たい汗が背中を伝った。
おそるおそる背後を振り返る。
ガサガサッ!
目の前の草むらが、激しく揺れた。
そして、その暗闇の隙間から、赤く光る二つの目が飛び出してきた。
その目は、まっすぐに、私を捉えている。
「うわっ!?」
獲物を見つけた捕食者の目。
その目に射抜かれて、体が金縛りにあったように動かなくなった。
薄暗い月の光によって、その何かの姿が、徐々に明らかになっていく。
全身の毛を逆立て、獰猛な牙を剥き出しにした、まるで狼のような獣。
でも、普通の狼じゃない。
体格は一回りも二回りも大きい。
ただ、純粋な殺意と飢えだけが、ぎらぎらと燃えている。
これが、きっと、この森に棲む「魔物」なんだろう。
逃げなきゃ……!
頭ではわかっているのに、足がすくんで動かない。
恐怖で、呼吸の仕方さえ忘れてしまいそうだった。
「いたっ……!」
とっさに逃げようと体をひねった瞬間、足首に焼けるような鋭い痛みが走った。
魔物の、ナイフのように鋭い爪が、私のふくらはぎを深く、深く抉ったのだ。
激痛で体勢を崩し、私は硬い土の上に倒れ込む。
「やめてっ!!」
痛みと恐怖に任せて、手にした木の棒をめちゃくちゃに振り回す。
でも、そんな抵抗は無意味だった。
「こっち来ないで!」
悲痛な叫びも、もちろん魔物に届くはずがない。
よだれをだらだらと垂らした狼の魔物は、私という獲物を前にして、ゆっくりと距離を詰めてくる。
もう、ダメだ。
食べられる。
死の恐怖が、すぐそこまで迫っていた。
助けて……!
最後の力を振り絞って、手の中の木の棒に、ただ「助けて」と強く、強く願いを込める。
そして、迫り来る魔物に向かって、がむしゃらに振り下ろした。
その、瞬間だった。
私の手の中で、木の棒の先端についていた葉っぱが、ぽうっと淡い光を放った。
棒の周囲に、小さな赤い光の粒が、いくつも、いくつも生まれる。
それはまるで、夏の夜のホタルのように瞬き、やがて一点に収束すると、小さな、しかし灼熱の火の玉となって飛んでいった。
それは、私の意思とは関係なく、まっすぐに狼の魔物へと向かう。
ジュッ、という音と共に、火の玉は狼の毛に燃え移った。
「ギャアアアアア!!」
今まで聞いたこともないような、甲高い悲鳴。
驚いた狼は、体に燃え移った火を消そうと地面を転げ回り、やがてパニックになったように森の奥へと走り去っていった。
「はぁ……はぁ……」
地面に転がったまま、私はただ呆然と、魔物が消えていった暗闇を見つめていた。
体の震えが、止まらない。
「助かった……」
かろうじて、声が出た。
でも、まだ心臓はバクバクと音を立てている。
≪魔法習得度:『火魔法』レベル1を習得≫
≪魔法:火魔法を使用しました。MPを消費します≫
「今のが……魔法……?」
あの木の棒は、ただの棒じゃなかったんだ。
私の願いに応えて、魔法を放ってくれたんだ。
少しだけ冷静さを取り戻して、自分の体のことを思い出した。
「そういえば、足の怪我は……」
恐る恐る、さっき爪で抉られたふくらはぎに触れてみる。
ジーンズの生地は、確かに裂けてボロボロになっていた。
でも。
「……あれ?痛くない……傷も、なくなってる?」
確かに、さっきは立っていられないほどの激痛が走ったはずなのに。
血だって流れていたはずなのに。
なのに今は、まるで何もなかったかのように、戻っている。
≪加護:生命の息吹を発動しました≫
そういうことか。
癒しの力には自動治癒効果もあったってこと……。
よかったーー。
本当に、もし体の変化だけだったら死んでたかも。
今は、一刻も早く、あの木の上の家に戻ろう。
あそこが、今の私にとって唯一の安全な場所なんだから。
ふらつく足でなんとか立ち上がり、私は自分のねぐらに向かって、必死に歩き出した。
木の上のマイホームに帰り着き、落ち葉を敷き詰めた簡素なベッドに倒れ込むように横になると、一日の疲れが一気にどっと押し寄せてきた。
お腹も、まだ満たせていない。
明日は、ちゃんとした食料を探さなくちゃ。
じゃないと、本当に飢え死にしちゃうかもしれない。
そんなことを考えながら、私は眠りに落ちていった。