幕間:束の間の安息
(ラウンド3の激論の熱気が冷めやらぬまま、あすかに促され、ヘンリー8世、マリー・アントワネット、オスカー・ワイルド、ラスプーチンの4人は、やや疲れた表情ながらもスタジオのセット裏手にある休憩室へと向かう。重厚な木の扉には、洒落た筆記体で『SalondesÉtoilesPerdues(失われた星々のサロン)』と記されている。
扉を開けると、そこは不思議な調和と不調和が混在する空間だった。部屋の一角は、まるでイングランドの古城の一室のように、重厚なオーク材のテーブルと椅子が置かれ、壁には勇壮な狩りのタペストリーが掛けられている。
別のコーナーは、ヴェルサイユ宮殿のプチ・トリアノンを彷彿とさせる、金彩とパステルカラーで彩られたロココ調のソファセットがあり、銀のトレイには色とりどりのマカロンやプチフールが並んでいる。
また別の壁際には、ベルベット張りの気怠げな長椅子とアールヌーボー様式のランプが置かれ、書物や芸術品がさりげなく飾られている。
そして部屋の最も奥まった薄暗い一角には、毛皮の敷物の上に質素だが存在感のある木のテーブルと丸椅子が置かれ、壁には意味ありげな模様が描かれた布がかかっていた。
部屋の中央には大きなテーブルがあり、そこには各自の好みを反映したと思われる飲み物が用意されていた。琥珀色のエールが注がれた銀のゴブレット、繊細な磁器のカップに入った湯気の立つホットチョコレート、カットグラスに注がれた緑がかったアブサン、そして素朴な陶器の器に入ったクワス。)
ヘンリー8世:(自分のものと確信したようにエールのゴブレットを掴み、一気に呷る)「ぷはーっ!……ふぅ。あの道化者のワイルドめ、言いおって…!余に向かって罪人呼ばわりとは!」(まだ少し怒りが収まらない様子で、タペストリーの前の重厚な椅子にどっかりと腰を下ろす)
マリー・アントワネット:(自分のホットチョコレートを見つけ、そっとカップを手に取る。ヘンリー8世の様子を見て、ためらいがちに近づき)「…陛下、お疲れ様でございます。先ほどの議論は…大変、激しいものでしたわね。」(優しい声で労う)
ヘンリー8世:(マリーを一瞥し、少しだけ表情を和らげる)「うむ。王妃も、なかなか骨のあることを申したな。王族というのも、楽な身分ではないであろう。特に、異国から嫁いでくるとなれば…宮廷の女狐どもに、さぞ意地悪もされたであろう?」
マリー・アントワネット:(驚いたように目を少し見開き、そして寂しげに微笑む)「…ええ。味方の少ない宮廷での暮らしは、時に心細いものでした。些細な作法や言葉遣いの違いを、針小棒大に言い立てられたり…陛下には、お分かりになりますまいと思っておりました。」
ヘンリー8世:「ふん、余とて人の子よ。それに、我が娘エリザベスも、女王として多くの困難に立ち向かった。女が国を背負うことの重圧、男どもからの嫉妬や侮り…その苦労は、想像に難くない。」(エールをもう一口飲み、遠い目をする)「…まあ、余の時代は、女は黙って従うのが美徳であったがな。」
マリー・アントワネット:(その言葉に少し複雑な表情を見せるが、それでもヘンリー8世の意外な理解に、少し心が軽くなったように見える)「ありがとうございます、陛下。」
(一方、部屋の反対側では、オスカー・ワイルドがアブサンのグラスを片手に、ベルベットの長椅子に深く身を沈めていた。)
オスカー・ワイルド:「(ふぅ、と息をつき)やれやれ、陛下は相変わらず血の気が多い。あの調子では、血管が切れてしまうのではないかな?まあ、それも歴史通りか。」(独り言のように呟く)
ラスプーチン:(いつの間にか薄暗いコーナーから現れ、ワイルドの近くの椅子に音もなく座る。クワスの入った器をゆっくりと傾けながら)「フフ…力を持つ者は、常に苛立っておるものだ。自分の意のままにならぬことがあると、我慢ができぬのよ。だが、その苛立ちこそが、更なる力を求める原動力にもなる。」
オスカー・ワイルド:(ラスプーチンに気づき、少し驚いた表情を見せるが、すぐにいつもの皮肉な笑みに戻る)「おや、怪僧殿。あなたも、随分と社会から爪弾きにされたようだね。宮廷からも、貴族からも、そして最後には命まで狙われた…だが、あなたはそれを逆手に取り、自らの伝説を作り上げた。私のように、破滅するのではなく…実に興味深い対比だ。」
ラスプーチン:「ワシはワシのやり方で生きるだけよ。神が与えたもうた道をな。お主も、お主の『美学』とやらを貫いたのだろう?形は違えど、我らは似た者同士かもしれぬな…社会という檻に収まりきらぬ、厄介者、という意味では。」(ニヤリと笑う。その目はワイルドの魂の奥底を見透かそうとしているかのようだ)
オスカー・ワイルド:「(ラスプーチンの視線を受け止め、面白そうに)厄介者、か。悪くない響きだ。だが、あなたのその『神の道』というのは、少々演出過剰にも見えるがね。その神秘的な雰囲気、計算された沈黙、核心を逸らす語り口…あなたは、自分がどう見られるかを、熟知しているようだ。」
ラスプーチン:「フフフ…人は見た目や雰囲気で多くを判断するものよ。真実など、飾り立てねば誰も見向きもせぬこともある。お主のその洒落た身なりや、機知に富んだ言葉も、ある種の『演出』ではあるまいか?」
オスカー・ワイルド:「(グラスを掲げ)これは失敬。確かに、人生は舞台であり、我々は皆、役者なのかもしれない。だが、私は真実の感情を、美しい言葉で飾りたいだけだ。あなたは…真実そのものを煙に巻いているように見える。」
ラスプーチン:「真実など、どこにある?お主が見る真実と、ワシが見る真実は違う。それでよいのだ。」(こともなげに言う)
(少し離れていたヘンリー8世とマリーも、ワイルドとラスプーチンの会話に気づき、自然と視線が集まる。)
マリー・アントワネット:(立ち上がり、少し心配そうに)「皆様、先ほどは…わたくし、感情的になりすぎて、少し言い過ぎてしまったかもしれませんわ。特に陛下とワイルド様には…。」(申し訳なさそうに頭を下げる)
オスカー・ワイルド:「いやいや、王妃様。何を仰るのです。むしろ、あなたの魂からの叫びを聞くことができて、私は感動しましたよ。誤解され、傷つけられた者の痛みは、私にもよく分かりますから。」(優しい声で言う)
ヘンリー8世:(少しバツが悪そうに、視線を逸らしながら)「ふん…まあ、議論とはそういうものだ。多少、言葉が過ぎることもある。」
ラスプーチン:(静かに頷いている)
オスカー・ワイルド:「こうして話していると、不思議なものだね。我々は生きた時代も、立場も、信じるものも全く違う。それなのに…いや、だからこそか。どこか通じ合うものがあるような気がする。」
オスカー・ワイルド:「陛下は王として、王妃様は王妃として、私は芸術家として、そして…(ラスプーチンを見て)あなたは…まあ、あなたとして。皆、それぞれの立場で、時代の大きな波に翻弄されながら、自分の信じるもののために戦ってきた…のかもしれないな。」
ヘンリー8世:(少し考え込むように顎に手をやり)「ふん、まあ…信念なくして生きる意味はないからな。たとえそれが、他人には理解されぬものであったとしても。」(ワイルドの言葉に、少しだけ同意するように頷く)
マリー・アントワネット:「ええ…信じるものがなければ、あの苦しい日々を乗り越えることはできませんでしたわ。」
ラスプーチン:「信念か…ワシにとっては、ただ生きること、それ自体が戦いだったがな。」(遠い目をして呟く)
(ふと、ラスプーチンが懐からごそごそと何かを取り出す。それは、少し硬くなった黒パンだった。)
ラスプーチン:「食うか?シベリアの味だ。見かけは悪いが、力が出るぞ。」(黒パンをちぎり、無造作にテーブルに置く)
オスカー・ワイルド:「(眉をひそめるが、少し興味を示し)ほう、これはまた…素朴な味わいだね。」(小さなかけらを口にする)
マリー・アントワネット:「(ためらいながらも、小さなかけらを手に取り)…いただきますわ。」
ヘンリー8世:「(最初は拒否しようとするが、他の二人が口にしたのを見て、仕方なさそうに)む…まあ、一口だけだぞ。」
(しばし、黒パンをかじる音だけが響く。意外にも、それは彼らの心を少しだけ和ませたようだった。)
ヘンリー8世:(機嫌が少し直ったのか)「そういえば、余は若い頃、狩りが得意でな!一日で鹿を十頭仕留めたこともあるのだぞ!」(少し自慢げに話し始める)
マリー・アントワネット:(微笑んで)「まあ、それはお見事ですわ。わたくしは…子供たちと庭で遊ぶのが、何よりの楽しみでした。」(優しい表情になる)
オスカー・ワイルド:「私はもっぱら、サロンで美しい言葉遊びに興じるのが好きだったがね。まあ、時には劇場で大向こうを唸らせるのも悪くなかった。」(楽しそうに語る)
ラスプーチン:(皆の話を黙って聞いているが、その口元には微かな笑みが浮かんでいるように見える)
(張り詰めていた空気が嘘のように、束の間、和やかな時間が流れる。それぞれの人生の断片が語られ、笑い声さえ聞こえる。収録中の激しい対立とは違う、人間らしい表情がそこにはあった。)
あすか:「はーい、皆さん、素敵なティータイムは過ごせましたかー?そろそろスタジオに戻ってくださーい!」
オスカー・ワイルド:「おや、もう終わりか。残念だね、もう少し陛下の中世ジョークを聞きたかったのだが。」(立ち上がりながら、ヘンリー8世を見て言う)
ヘンリー8世:「なっ、ジョークではないわ!実話だ!」(むっとする)
マリー・アントワネット:「ふふ…名残惜しいですけれど、参りましょうか。」(優雅に立ち上がる)
ラスプーチン:(すっくと立ち上がり、再び謎めいた雰囲気を纏う)「さて、次の『お戯れ』は何かな?」
(一同は、少しだけ和らいだ表情ながらも、再び「対談者」としての顔つきに戻り、休憩室を後にする。扉が閉まる直前、ワイルドが振り返り、誰もいない空間に向かって呟いた。)
オスカー・ワイルド:「…まったく、奇妙な茶会だったな。」
(休憩時間の終わり。静かになった休憩室には、飲みかけのカップと、黒パンのかけらだけが残されていた。)