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短編小説どもの眠り場

水まんじゅうと妹

作者: 那須茄子

「ねぇ、お兄ちゃん。水まんじゅうって、どこで売ってるの?」


 それは事前に予想していた通りの問いかけだった。

 妹の目的地は水まんじゅうが売っている店。

 

 市民なら絶対に分かるようなことだが、何分妹は世間知らずのお嬢様を極めているからしかたない。


 箱入り娘ならぬ引きこもり。全くと言っていいほど、土地勘も市民感覚も持ち合わせていない。そんな訳で、多少土地勘も市民意識もある俺が、こうして妹に付き添って兄妹水入らずの外出を楽しんでいる。

 もっとも、楽しんでいるのは俺だけかもしれないが。



「疲れた。お兄ちゃん、おんぶ」


 あとちょっとの道のりというのに、我が妹は音を上げた。

 わざと聞こえていない風を装って前を歩いてみても、妹はドシッと地べたに腰を下ろしている。見るからに重そうな腰。

 そもそも運動不足の妹がここまで歩いてきただけでも十分頑張った方だといえるのではないか。


「分かったよ。背中に乗れ」


 屈んで、妹を背負う体勢をとる。つくづく俺も兄馬鹿である。妹の甘えには、逆らえない。元より逆らう気もない。


「ありがと」


 そう言って妹が背中に乗ってきたものの、軽すぎてびっくりする。


「痩せすぎじゃないか。もっと食べろ」

「大丈夫。これからいっぱい水まんじゅう食べて太るから」

「いや、そういう問題じゃない」

 

 妹よ。それはボケのつもりで言っているのか。それとも本気か。


「レッツゴー」


 妹という操縦者を乗せ、お兄ちゃんロボットになった俺は、妹の分まで足を動かす。

 ガッチャン、ガッチャンと。


「ていうか、そんなに食べたいんだな」

「うん」


 即答。

 確かに地下水で作られた水まんじゅうは、言うに及ばず絶品ものだ。

 気持ちは僕とて、多いに分かる。けれど、これほど妹がハマるとは思わなかった。


 どうやら、昨日初めて食べた水まんじゅうがあまりにも美味しかったらしい。


 ここで生まれ育ったにも関わらず、食べたのは昨日が初めて。ちなみに、その初めての一口を食べた感想は「めちゃくちゃ美味しい!」。

 何を食べても食後の感想はいつだって「うん」で済ます妹からすると、それはまさに驚くべきことだった。

 

 水まんじゅうは完全に、口の肥えたおこちゃまを虜にさせた。

 これは歴史的偉業に値すると思う。




「さてさて、お嬢様。到着だよ」


 何はともあれ、無事駅前に辿り着いた。

 

 結果的に、妹を背負って歩いた方が早かった。思ったより、妹の運動不足は深刻だということが分かる。

 これからは水まんじゅうを理由にして、外に連れ出す機会を増やそう。


「あれ水まんじゅうだよ!」


 それまで大人しくしていた妹が、いきなり背中から身を乗り出すものだから、身体が前のめりになる。危うく頭から地面にぶつかるところだった。

 一方妹はというと、そんなことはお構いなし。完全に意識が別の何かに向いている。


 妹の目線の先を辿ると――なるほど。確かに、水まんじゅうがある。

 見たところ、店頭販売の水まんじゅうだろう。お猪口に入った水まんじゅうが水に漬けて冷やされている。


「あれはテイクアウト用の水まんじゅうだな」

「ん? その言い方だと、お店の中でも食べれるってこと?」

「あぁ、そうだよ。イートイン席があるからな」

「つまり」


 妹は一段と目を輝かせて、サムズアップを決める。かと思うと、いきなり強い力で、俺の手を引く。

 一体妹はどうしたいのだろう?


「お兄ちゃんが全部買ってくれるんだね! 太っ腹」


 無理だ!

 そうツッコもうとしたのも束の間。

 妹は店の中に入って行く。 

 

 まずい。あれもこれも買われては困るから、先に手を打っておかないといけない。

 そう思うと妙に、身体が速く動いた。


 妹が店員へ駆け寄る前に、間に入って注文を済ます。 

 二人合わせて「緑茶付き水まんじゅう二個入り」。こし餡に、抹茶餡。


 空いている席に座り、しばらく待っていると、恨めしそうに妹が来た。何か言いたげな表情をしている。


「えぇ、私三個入りがよかった」

「わがまま言うな」

「一個ぐらいケチらなくてもいいじゃん。ぶぅー」


 なんだそういうことかと、呆れる。そりゃ俺にだって、悲しき財布事情があるのだ。勘弁して欲しい。


「でも、水まんじゅうが食べれるんならいいっか」


……じゃあ、さっきまでの突っかかりは何だよ。 

 妹が天邪鬼なのか気分屋なのか、割と真剣に考えていたその時。   


「お待たせしました」という店員の声がした。


 柔らかな笑みを浮かべながら、ガラス製の皿とコップをテーブルに置く。

 当然中身は、氷水で冷やされた水まんじゅうと緑茶。それらがテーブルの上に並べられると、一気に涼が感じられる。


「ふふふ」


 見ると、妹は笑みをこぼして口をぱくぱくさせている。いつの間に妹は金魚になってしまったのか。あ、いや気の所為か。 


「それじゃ、いただきます」


 そっとスプーンで水まんじゅうを掬い、口に運ぶ。妹も同じように、水まんじゅうを慎重な手つきで掬う。

 ほとんど同時に、二人の水まんじゅうが口の中に入る。つるりとした舌触りの後、程よい甘さの餡が口いっぱいに広がる。気付くと、水まんじゅうは口の中で溶け、喉を滑らかに通り抜けていった。


「美味しいね、お兄ちゃん」


 妹が満足そうに微笑む。俺も頷きながら、もう一口水まんじゅうを口に運ぶ。冷たくて甘いその味わいが、夏の暑さを忘れさせてくれる。


「これなら毎日でも食べたいな」

「毎日は無理だろうけど、また来ような」

「約束だよ」


 妹の笑顔を見ていると、少しだけ大人びた表情が垣間見える。引きこもりだった妹が、こうして外に出て楽しんでいる姿を見ると、俺も嬉しくなる。


「さて、そろそろ帰ろうか」

「うん。でも、もう少しだけここにいたいな」

「いいよ。ゆっくりしていこう」


 二人で静かに緑茶を飲みながら、店内の涼しさと水まんじゅうの余韻を楽しむ。妹が少しずつ外の世界に興味を持ち始めたことが、何よりも嬉しい。


「お兄ちゃん、ありがとう。今日は楽しかった」

「俺も楽しかったよ」

「えへへ」


 妹の笑顔を見ながら、俺は心の中で次の計画を立てる。もっといろんな場所に連れて行って、妹の世界を広げてあげたい。

そんな思いを胸に、俺たちは店を後にした。



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