三度も彼は裏切った。だから二度と戻れないところへ彼を追いやった。今度こそ、前を向いて生きるわ。
「愛しているよ。リリア。愛しくてたまらない」
「嬉しいですわ。ユリウス様っ」
マルデルク公爵家の庭の隅で、二人の男女が抱き合っている。
ハルディーナの婚約者、ユリウス・ペレス伯爵令息と、ハルディーナの義妹のリリアだ。
栗色の髪の地味な自分と違って、派手な金の髪で可愛らしい顔立ちのとても美人なリリア。
父が再婚した、平民アマリアの娘、リリア。一つ年下の16歳の彼女は父が浮気をし、愛人としてこっそり囲っていたアマリアとの間に出来た娘との事。
義母のアマリアは、ハルディーナに対して、遠慮する部分はあったけれども、リリアは横暴にふるまった。
「お義姉様の物は私の物。私はお義姉様と違って苦労してきたのですから、私はこれから贅沢をする権利があるはずよ。同じお父様の娘なのにお義姉様は恵まれて育ってズルい」
義母のアマリアはそんなリリアに対して怒って。
「日陰の身であった私達がこうしてお屋敷に来たことさえ、よく思われていないのに、なんて言う事を言うの。リリアっ、申し訳ないです。本当に」
ハルディーナは慌てて、アマリアに、
「いえ、母が亡くなってもう7年経ちます。父とお付き合いして長かった貴方とその娘であるリリアを引き取るのに、わたくしは反対しませんでしたわ。だから、そんなに謝らなくてもよいのですわ」
アマリアは首を振り、
「いえいえ、とんでもないっ。奥様が生きていた時から、私は愛人として裏切っていたのです。ですから、こうして貴族でもないのにっ。リリアっ。いい加減にしなさいっ」
「お母様は甘いのよ。私だってお父様の娘なんだから、お義姉様よりずうううっと私の方が美人なんだから、幸せになる権利があるはずだわ」
そう言って、新しいドレスを父におねだりしたり、高いアクセサリーを買ってもらったり、贅沢三昧のリリア。
もともと入り婿として、ハルディーナの婚約者に決まっていたユリウス・ベレス伯爵令息。
彼は黒髪で青い瞳のとても美しい18歳の男性だ。
週に一度、ユリウスはマルデルク公爵家を訪ねてくる。
リリアはハルディーナに会いに来るユリウスを真っ先に出迎えて、さっさとその腕を取り、庭へと連れ出してしまって。
ユリウスは美人のリリアにべたべたされるのが嫌でないようで。
ニコニコしてリリアと楽しそうに話をしている。
ハルディーナとはそんなに仲が悪くはなかった婚約者ユリウス。
婚約者として、それなりの会話をし、未来の夢を語ったりして仲を深めてきた。そう思っていたのに。
彼は、婚約者の自分よりリリアとの付き合いが嬉しそうで。
そして、最近ではリリアとイチャイチャした後、ハルディーナに挨拶もせず、帰って行くようになった。
今日も今日とて、庭で抱き合って互いに愛を囁き合う、二人を見ながら、ハルディーナは、
婚約を解消してもよろしいのに。わたくしの婿は何もユリウス様でなくても……
馬鹿な人。
このマルデルク公爵家をリリアが継げると思っているのかしら。
ユリウス様はあくまでも婿。
幼い頃からこのマルデルク公爵家の領地を見て、経営を学んで来たわたくしこそ、このマルデルク公爵家を継ぐことが決まっているのに。継ぐと言っても、マルデルク公爵位は男でないと継げないので、婿であるユリウス様がマルデルク公爵を名乗る事になるけれども、あくまでも、わたくしの婿である事が必要なのよ。
どちらでも同じだと、リリアと結婚しても、この公爵家に婿として入れると、思っているのなら、愚かだわ。
でも……リリアと知り合う前の、ユリウス様はとても誠実な方だった。
真実を伝えたら、わたくしと元の通り、良好な関係になるかしら。
愛などあったとは思えないけれども、それでもユリウス様からもらえる花束は嬉しかったし、誕生日プレゼントのアクセサリーはわたくしの宝物。
ユリウス様と話し合ってみましょう。
リリアに見送られて、帰ろうとしたユリウスに声をかける、ハルディーナ。
「ユリウス様。お話したい事があります」
「ハルディーナ。すまないが、私は君に用はない」
「婚約者はわたくしです。お忘れになったのですか?」
「どちらでもよいのではないのか?私の心はリリアにある。私はリリアと結婚したいのだ。だから、父上に頼むつもりだ。君と婚約解消してリリアと婚約したいとね」
リリアがユリウスの腕にしがみついて、
「嬉しいっ。私と婚約してくれるのねーー」
「そうだ。君と一緒にマルデルク公爵家を盛り立てていこう」
ハルディーナは扇を手にして、口元に当て、
「わたくしがマルデルク公爵家を継ぐことになっておりますのよ。その事に関して父は変えるつもりはないと言っております」
「へ???」
リリアが喚く。
「私だってマルデルク公爵であるお父様の娘よっ。継ぐ権利はあるわ。お義姉様は出て行って欲しいの。私がユリウス様と結婚してこの家を継ぐわ」
「貴方。今まで市井にいたのよね。勉強なんてちっともしてこなかったって、お義母様が言っていたわ。ユリウス様とてこのマルデルク公爵家の領地の事は知らないでしょう。わたくしは幼い頃からこのマルデルク公爵家を継ぐものとして、教育を受けて参りました。ですから、わたくしの婿が次期マルデルク公爵になるの。だから、リリアと結婚するなら、リリアは平民ですから、どうするのかしら?」
ユリウスは真っ青な顔をして、いきなり土下座してきた。
「悪かった。ハルディーナ。私は悪い夢を見ていたようだ。これからは君を大事にするし、君だけを見つめていくから、どうかこのまま婚約を継続してくれ」
リリアがユリウスに掴みかかって、
「どうしてよっ。お義姉様と婚約解消するんじゃなかったの?私を愛しているって」
ユリウスはリリアを引き離して、
「私は平民になんてなりたくない。マルデルク公爵になる男だ。ハルディーナに悪く思われるだろう?だから離れてくれっ」
リリアは泣きながら、走り去ってしまった。
ハルディーナはユリウスの手を取って、彼を立たせて。
「目が覚めたのなら、許して差し上げますわ。わたくしをこれからは大事にしなさい」
「勿論。そうさせて貰うよ。愛している。ハルディーナ」
抱き締められて、口づけされた。
ずっと欲しかった彼からの口づけ。リリアと口づけをしているのを見て、うらやましかった。
ユリウスはとても美しくて、顔立ちが好みだったのに。
だから、抱き締められてとても、ハルディーナは幸せだった。
それから一年後に、ユリウスとハルディーナは結婚し、ユリウスは婿としてマルデルク公爵家に入った。
リリアは婚約者すらおらず、市井で育ってきて、マナーも何も酷いリリアは、いい家柄の貴族達は相手にせず、夜会に出かけてもダンス一つ踊れないリリアは馬鹿にされていて。
だから、マルデルク公爵家にずっと居座って出て行かなかった。
ハルディーナは結婚した当初は幸せだった。
ユリウスに愛されて、ハルディーナは毎日毎日、バラ色だった。
「ハルディーナ、君の為に薔薇の花を買ってきたんだ。今日は赤の薔薇の花が沢山、売られていたから、買い占めてきた」
「わたくしの為に、嬉しいですわ」
「当然だろう?愛する妻の為だ」
沢山の赤の薔薇の花束を貰って、
「とても綺麗だわ」
「喜んでくれて嬉しいよ」
とてもとても嬉しかった……幸せだったのに……
三月経った頃に、妊娠が解って、あまりにも嬉しくて、ユリウスに報告しようと、彼は庭を散歩しているはずだから。
そうしたら、庭の隅の方から声がして。
昔、ユリウスがリリアを抱き締めて愛を囁いていたあの場所で。
服を乱したユリウスがリリアと芝生の上で、淫らな事をしていたのだ。
ハルディーナは思わず叫んだ。
「ユリウス様っ。どういう事?何故、リリアとっ?」
ユリウスは乱れた服を直しながら、
「だって、リリアは身体が最高なんだから、君と違って……胸も大きいし」
リリアも乱れたドレスを着直しながら、
「お義姉様より、やはり私がいいんですって。ねぇ、私、ユリウス様の愛人になりたいの。いいでしょう?私はユリウス様に愛される役目。お義姉様は領地の為に働く役目。とても素敵じゃない」
怒りで頭が真っ白になる。
何故?わたくしはユリウスを許してしまったのだろう。
何故?わたくしはお父様に頼んで、リリアを追い出さなかったのだろう。
リリアを追い出せなかったのは、お義母様に頼まれたからだ。
自分の婚約者を盗った義妹なのに。
二人して自分を裏切った。
もう許しはしない。
父であるマルデルク公爵に訴えて、ユリウス有責で離縁した。
マルデルク公爵は怒って、
「可愛いハルディーナを馬鹿にする婿なんていらん。リリアもリリアだ。我が娘だからこそ、前回の事は許したのに。行き場がないと可哀そうだからと。アマリア。リリアは追い出す。良いな」
アマリアは泣きながら、
「我が娘が不始末を。申し訳ございませんっ。リリア。出て行きなさい」
リリアは真っ青な顔をして、
「出て行ったって、私、生きていけないわ」
「教会にでも身を寄せれば、食べ物位くれるわ」
アマリアはそう言って、リリアを追い出した。そして、ハルディーナに謝罪をしてくれた。
「何度もリリアがご迷惑をかけてしまってっ。お許しをっ」
アマリアは悪い人ではないので、ハルディーナは、
「お義母様は一生懸命、リリアを教育しようと、悪い事は悪いと、常日頃から頑張って教育しておりましたわ。わたくしにもよくしてくれて。お義母様はわたくしにとっても大事なお義母様。許すもなにも……」
ユリウスは離縁されて、屋敷をたたき出された。
屋敷の外で、喚き散らして、
「そもそも、お前が悪いのだろうっ?愛するリリアと引き裂いたお前がっ、私はマルデルク公爵になるにふさわしい男だっ。門を開けろっ」
頭がおかしいと思った。
何が愛するリリアだ。
自分の婚約者だったのに、不貞をして、許して差し上げたのに、また不貞。
どれだけわたくしを馬鹿にしているのかしら。
お腹にいる子を優しく撫でる。
あの屑男の子、でも、子に罪はない。
ハルディーナはこのお腹の子を、マルデルク公爵家の立派な跡継ぎとして育てる。
そう心に誓ったのであった。
それからも、毎日のように、ユリウスはマルデルク公爵家の門の前で喚き散らす。
時にはネコナデ声で、
「許してくれっ。魔が差したんだ。愛しているのはハルディーナだけだ。子が出来たって聞いた。子には父親が必要だろう?だから、中に入れておくれ。離縁だなんて、酷い。どうか、復縁してやり直そう」
心底、気持ち悪い。そう思った。
何故?自分はあの男に執着したのだろう。
何故?結婚なんてしないで婚約破棄をしなかったのだろう?
自分は馬鹿だ。本当に馬鹿だ。
ハルディーナは喚き散らすユリウスの姿を、ユリウスから見えない庭から、眺めていて、ため息をついた。
そもそも、ユリウスは生活はどうしているのだろう?
ハルディーナが父であるマルデルク公爵に聞いてみれば、
「ユリウスに甘い母親が養っているのだろう。あれは邪魔だな。いい加減、ペレス伯爵家に苦情を入れるか」
その頃、ハルディーナのお腹は大きくなってきていた。
義母のアマリアが、
「本当に今は大事な時期なのに、ハルディーナの心を乱すだなんて。どうにかならないかしら」
今日も門の前で喚き散らすユリウス。
ユリウスの事を気持ち悪い。何で結婚したのだろうと思ったけれども、
お腹が大きくなるにつれて、迷いが出てくる。
お腹の子に父親がいなくて本当にいいの?
この子はユリウス様の子。
生まれたら両親揃って、祝福してあげたい。
ある日、ふらふらと門の前に行ってしまうハルディーナ。
「ユリウス様。見て?もうすぐで産まれるの。貴方とわたくしの子よ」
「ああ、私の子っ……どうか許してくれ。心を入れ替える。今度こそ、だから、二人でその子を育てていこう」
今度こそ、ユリウスを信じてみよう。
ハルディーナはそう思ってユリウスを屋敷に入れてしまった。
離縁したユリウスと再び結婚をして、父であるマルデルク公爵は公爵位を下りて、ユリウスはマルデルク公爵になった。
それからのユリウスは真面目に仕事をこなし、子供の誕生を心待ちにしているようで。
「男の子でも女の子でも、楽しみだな。愛しい君との子だ」
「ええ、とても楽しみですわ」
とても平和で、愛に溢れた日々。
子が産まれるのが待ち遠しくて。
でも……でも……
揺れる心。時折、思い出すように過去の傷が噴き出すの。
あの庭の隅を見る度に、
二人で口づけしていた。
二人で、いちゃいちゃと淫らな事をしていた。
二人で二人で二人で。
愛しい子には父親が必要。
そうよ。愛しい子にはユリウス様とわたくしが必要なのよ。
でもでもでもでもでもでもでもでもっ……
わたくしの心の傷をこのままにしておけない。だからわたくしは……
可愛い女の子が産まれた。
ユリウスに似て、目がぱっちりしていて、将来とても美しくなるであろう赤子。
ユリウスはその小さな赤子を恐々と抱っこして。
「なんて可愛いのだろう。有難う。ハルディーナ。こんな可愛い娘を産んでくれて」
「貴方が喜んでくれて嬉しいわ。それでね。わたくし、やはり考え直したの。貴方有責で、離縁します。このまま、心の傷を抱えてわたくし生きていけませんわ」
「何故だ?私は心を入れ替えた。この子には両親揃って愛情を与えて育てていったほうがいい。そうだろう?」
「ええ、両親揃って愛情を与えたいわ。でも、でも、でも、貴方はわたくしを二度にわたって裏切った。だからわたくしは、その傷を抱えて娘を育てていけない。心の傷が噴き出すの。苦しい。辛いっ。許せないっ……貴方を何で許したのかしら。何で再びわたくしは貴方と結婚したの?貴方はあの庭の隅で、リリアと抱き合っていた。リリアとキスをしていた。リリアとリリアとリリアと淫らな事をしていたっ。だから、ね。わたくし、リリアを公爵夫人らしく始末しましたのよ」
「何だって?リリアは教会にいるっ。先週会った時は元気だったぞ」
「貴方、やはり、リリアと切れていなかったのね。どこまでわたくしを馬鹿にするの?いい加減にしてほしいわ。娘にそんな酷い父親なんていらない。わたくし手紙を書いたの。心から信頼できるところに」
バンっと扉が開いて、ムキムキの男が三人部屋に入って来た。
ユリウスは赤子を抱き締めて、後ずさりをする。
「なんだ?お前達は。私はマルデルク公爵だぞ。近づくな。近づいたらこの娘をっ」
ムキムキの騎士の一人が、
「顔は美しいが心が腐っているな」
そう言って、思いっきりユリウスの腹を蹴り上げた。
ふっとんだ赤子をもう一人の騎士が受け止める。
「お嬢ちゃんに何かあったら大変だからな」
ベッドの上から身を起こして、ハルディーナは、倒れるユリウスを抱えるムキムキの騎士に向かって。
「ユリウス様をよろしくお願いします。辺境騎士団様」
ムキムキの騎士は、
「我が騎士団は美しい男は大歓迎だ。特にこの男は屑中の屑。しっかりと、正義の教育を施してやろう」
(注:ちなみに辺境騎士団というのは、美しい男を身を持って、その○半身を使い、教育をする素晴らしい変態騎士団である)
気を失い、抱えられ部屋を出ていくユリウス。
涙が零れる。
本当にこれでよかったの?でも、ユリウス様はいまだにリリアと切れていなかった。
後悔はない。
今度こそ、二度と戻れないところへ彼を追いやった。
わたくしは前を向いて、娘と共に生きるわ。
リリアを始末したと言ったのは嘘。
リリアの事は殺したい程、憎い。
でも、義母のアマリアの事を考えると、手出しすることが出来なかった。
その後、噂で聞いた話によるとリリアは、貴族に見初められ愛人になったそうだ。
ただ、その貴族が良い噂を聞く貴族ではなかったので、不幸な人生になったのであろう。
産まれた娘は可愛くて。
しばらく結婚なんていいわと思っていたけれども、女は公爵になれないので、親戚筋から養子を迎えなければならず、そうならないためにも再婚をと周りが進めるので、今、釣書を見ている最中だ。
今度こそ、誠意のある男性を……
娘を可愛がってくれる人だといいのだけれども。
窓の外を見上げれば、夏の入道雲が沸き立つ様子が見えて。
ふいに、ハルディーナは数枚の釣書を放り投げ、
「わたくしは男を見る目がないから、いらないかしらね」
親戚から養子をとって育てるのもいいかもしれない。
娘が新しい父親に遠慮するのも可哀そうだし。
愛しい娘が眠るベッドに近づくと、娘が目が覚めたようで、にこやかにあやしながら未来の事に思いをはせるハルディーナの心は晴れやかだった。