芸術神菊池
「みなさーん、自由に、自分の感じたままに絵を描いてくださいねー」
親水公園ではヒヨコみたいなスモック姿の幼稚園児たちが大勢、楽しげにはしゃぎ回り、女の先生がそれを引率していた。
今日は屋外で写生を楽しむ日だ。それぞれが自由にクレヨンを動かして、公園の風景とお友達の姿を画用紙の中に収めている。
突然、そこに不審な笑い声が響いた。
「ハーッハッハ!」
「誰ですっ!?」
笑い声をあげて林の中から登場した中年男を、引率の先生がキッと睨みつける。明らかに、どう見ても、そいつは変態おじさんにしか見えなかったからだ。
全身を金色の鎧に包み、ピッチピチの青いタイツを穿いて、真っ赤なマントを翻した中年男は、名乗るかと思いきや、偉そうに引率の先生を叱責した。
「愚か者が! この我を知らんのか!」
引率の先生がスマホで110番しようとすると、慌てて男は名乗った。
「いやいや、待て待て、名乗るから」
そして再び胸を激しくそらすと、偉そうに言った。
「我は芸術王チャーリーだ! 貴様ら園児よ! 笑わせるな! なんだその絵は! それが芸術だとでもいうのか? あん?」
変態を見て泣き出す子が多い中、気丈に口ごたえする園児も少数、いた。
「なんだ、このへんたいおやじ!」
「げーじゅつってなにー?」
「ぼくらお絵かきしてるんだよっ! じゃまするな!」
「ふふふ……。どれどれ見てやろう」
真っ赤なマントを揺らし、芸術王チャーリーは園児たちの絵を見て回った。そしてまた高らかに笑いだした。
「ハハハハ! なんて無個性な絵だ! どれもみんな似たりよったりだ! 同じといってもよいではないか! なぜこんなにおしなべて凡庸なのだ!? あん!?」
引率の先生が殺意のこもった目で、言った。
「お絵かきは物真似から始めるものです。……それに、子供の感性には大人がびっくりさせられるものが往々にしてありますよっ!」
「ほう……ほう……? ハハハハ! では見せてもらおうか。その、大人がびっくりさせられるような、子供ならではの感性を発揮した芸術作品とやらを? 見せてみろよ。あん?」
「年長さんの松風ゆうたくんが描いた絵です。これでも食らえ」
そう言って先生が差し出した画用紙の中には、もじゃもじゃの緑色の地球のような丸の中に、どう見ても宇宙人にしか見えないお友達が、手を繋ぎあい、円になって、無限の合せ鏡のようになっている不思議な世界が描き出されていた。
芸術王チャーリーはそれをしげしげと見ると、突然に笑いだした。
「イーヒッ……! イヒ! イヒ! ウァーッハッハ! こんなものが芸術だというのか!? まるで子供の描いたヘタクソな絵ではないか!」
「……子供が描きました」
騒ぎを聞きつけて大人たちが集まってきた。
金色の鎧の変態男を指さし、口々に言った。
「ああっ!」
「あれは……!」
「芸術王チャーリーだ!」
「彼こそ芸術の王!」
「やあやあ、諸君。静粛に」
チャーリーは嬉しそうに民衆をなだめると、威嚇する猫のようにこちらを睨んでいる先生と園児たちに向き直り、自慢した。
「ご覧の通り、私は有名人だ。この私を知らない時点で君たちはけしからんと思わんのかな? あん?」
「ばっかじゃないの? 幼稚園児相手に……」
そう言いながらも先生は悔しそうに、猿のように歯を剥き出しにすると、チャーリーに指を突きつけた。
「じゃあ、あんたの絵を見せてみなさいよ! さぞかし立派な……」
シャララン、と美しい効果音とともに、チャーリーがマントの中から画用紙とクレヨンセットを取り出した。
王の風格を漂わせる物腰で、シャラリンと効果音つきで、ものの3分で一枚の絵を描きあげた。
「見よ、これが王の絵だ」
まるで写真のように、公園の風景と園児の姿がそこに収まっていた。
「わー、すごーい!」
園児たちが興奮し、その絵に群がる。
「しゃしんみたーい!」
「じょうずー!」
「おじさん、へんたいなのに、絵、うまーい!」
「フフフ……触るな」
チャーリーは子供たちから身をかわすと、描いた絵を民衆に向けて掲げ、大声で聞いた。
「この絵を誰か、買わないか? 最も高い金額を出せる者に売ってやろう!」
民衆が次々と手を挙げ、数字を口にする。
「千円!」
「五千円!」
「一万!」
「五万!」
「百万!」
「二億!」
「よーし二億で決定だ」
二億の値をつけた、どう見てもサクラといった感じの若いお兄さんに絵を渡すと、先生と園児のほうを振り返り、ドヤ顔でチャーリーが言う。
「どうだ? さっきの松風ゆうたくんとやらの絵はいくらで売れるんだ? あん?」
涙目の先生が、ゆうたくんを守るように、その胸に抱きしめる。
愉悦で血管がブチ切れそうな笑い声を高らかに空に響かせると、チャーリーは勝ち誇る。
「金にならぬ絵などに価値はない! 私の絵は二億で売れたぞ! 私の勝ちだ! もちろんだ! 私に勝てるとしたら、神しかいない! 神しかいないのだからな! ハハハハハハハハハ!!」
そこへ神が舞い降りたのだった。
どーん!!!
聖なる光とともに、公園に金色の煙が巻き上がり、その中心に何者かの影が立っていた。
「な……、なんだ?」
チャーリーがうろたえ、誰何する。
「おまえは誰だ!?」
煙の中から落ち着き払った低い声が、言った。
「芸術神……菊池」
その声とともに煙が舞台幕のように晴れ、神がその姿を衆目の前に現す。
質素な白い着物に身を包んだ、白ひげの老人のような、しかし生命力に満ち溢れた若者のような、その姿を。
「芸術神だと……?」
チャーリーの顔に殺気が浮かぶ。
「おまえのことなど聞いたこともないわ! おまえはいくらで売れる絵を描けるというのだ? あん?」
「芸術はカネではない」
菊池は静かにそう言った。
「貴様は芸術をカネで穢す愚か者だ。しかも幼稚園児を相手に大人気がない」
「たわけたことを……」
チャーリーはこめかみの血管からプチッと音を立てて少し血を噴き上げると、民衆に大声で聞いた。
「なあ、みんな! 私のことは知ってるよな? じゃあ、コイツは? 芸術神菊池とかいうコイツのことを誰か知っているか?」
誰もが首を横に振った。
それを確認すると、チャーリーは勝ち誇った。
「ほうれ見ろ! 誰もおまえのことなんて知らないぞ? 無名の仙人みたいなおまえに、この私を批判する資格などないのではないのか? あん?」
「芸術は名前でもない」
「あん!?」
芸術神菊池は先生に抱かれた松風ゆうたくんのところへゆっくりと歩み寄ると、彼が描いた絵を手に取り、静かに言った。
「芸術王チャーリーとやらが描いた絵よりも、私は君のこの絵をこそ称賛しよう」
そしてゆうたくんの頭を優しく撫でた。
「あん……? あん!? あんっ!?」
芸術王が詰め寄る。
「何を言っているんだ、おまえは? そのガキの絵のほうが私の芸術よりも上だと……」
「貴様の絵には心がない」
神は王を冷たい目で睨む。
「上手なだけの絵ならばコンピューターのほうがさらに上手く描ける。しかしゆうたくんの絵はコンピューターにはけっして描けるものではない。心があるからだ」
ピキピキピキッという音がした。芸術王チャーリーのこめかみの血管が破裂寸前まで張り詰めた音だった。目から赤いビームでも発射しそうな形相だ。
「ならば! おまえの絵を見せてみろよ! 私よりも上手いんだろう? でも上手い絵には心がないんだろう? 意味がわからんことを言うよりも、作品でこの私を納得させてみろ! あんっ!??」
芸術神菊池の体が、浮き上がった。
空高く舞い上がると、神はそこから地上へ白い花を無数に放った。
親水公園の池の上に、白い菊の花が、一瞬で絵を描きだした。
「作品名──『解脱』」
芸術神菊池の作品『解脱』が広い池に描き出したもの、それは──
ただひたすらに純粋に、絵を描くことを楽しむ子供たちの、その心の姿であった。
それを目にした民衆は皆、心を洗われ、泣いた。
芸術王チャーリーまでもが涙していた。
芸術神菊池は地上に再び降りると、松風ゆうたくんのところへゆっくりと歩いた。
「ほんとうは、芸術は、闘いですらないのだ」
神のまわりに園児たちが集まってきた。
子鹿もどこからかやってきた。
白いフェレットもやってきて、神の着物の袖にぶら下がって遊びはじめた。
「自由に、君たちの絵をお描き。誰にも何を言われる筋合いはない」
園児たちが笑顔でうなずく。
「うん!」
「うんうんっ!」
「でもさっきのおじさんの『解脱』、すごかった!」
「ぼくもあんな絵が描けるようになりたいな!」
「ならば、神をめざしなさい。君自身になるのだ。それだけで素晴らしい君の、君だけの絵が描けるのだから」
芸術神菊池はそう言うと、空を仰ぎ、別れを告げた。
「では……さらばだ。デュワッ!」
飛んでいった。
すぐに一点の星の光となって消えたその姿を見送ると、引率の先生が園児たちに言った。
「……じゃ、みなさーん、自由に、自分の感じたままに絵を描いてくださいねー」