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 次の日、仕事に出ようとした時に王都から早馬が到着した。


 〝ジュードが誘拐された〟


 その知らせを聞いてソフィーは目の前が真っ暗になった。

 思わずふらついたソフィーをルイスが支える。


「王都に帰る。急ぎ支度を」


 ソフィーを腕に抱えたままルイスがてきぱきと指示を飛ばす。

 衝撃が少し落ち着いてソフィーはしっかりと立った。


「私は急ぎ帰りますがルイス様はまだお仕事が―――」


「君を一人で帰すわけがないだろう」


 怒ったようにルイスが言った時叫び声が聞こえた。


「どうしてよ!!その人一人で帰ればいいじゃない!!」


「ポリー」


「その人の弟の事なんでしょ!ルイには関係ないわ!もうルイを振り回さないでよ!」


「ポリー、謝る―――」


 言いかけたルイスを制してソフィーが前に出た。


「ポリー、謝りなさい」


「はあ?あんたに指図されるいわれは無いわ!」


「では私はあなたを解雇しなくてはならないわね」


 ソフィーが静かに告げるとポリーは目を剥いた。


「私はマンスフェルド侯爵の妻です。貴方の雇用主です。その私の指示に従えないというならこのお屋敷には置いておけません」


「ルイ!ちょっとなんとか言ってよ!私はここで育ってきたのよ!こんなぽっと出の女に」


「ポリー、俺もソフィーと同じ意見だ。それからもうルイと呼ばないでくれ。幼馴染だと思って許してしまった俺が間違っていた」


「は?え?何言ってるの?ルイ?」


「奥様!馬車の用意が出来ました!」


 ヘレナの声が割って入る。


「ソフィー行こう」


 ソフィーとルイスが踵を返すとメイド長が走り寄った。


「奥様!奥様、申し訳ありません!全て私の指導不足です!」


 ソフィーはじっとメイド長を見つめた。


「ポリーの事はあなたに任せます。だけど二度はありません」


「ソフィー急いで!」


 ルイスの声に促されソフィーは急いで馬車に乗った。


 




 休憩もとらず替え馬をして二日で王都のマンスフェルド侯爵邸に着いたソフィーとルイスはもどかしそうに屋敷に入った。


「ご主人様が執務室でお待ちです」


 マシューに促されて執務室に入ると、レナードは執務室の傍らに置かれた応接セットのソファーに深く座って目を瞑っていた。


 ほんの数か月会わなかっただけなのにレナードは益々痩せて顔色も悪いようにソフィーには見えた。


「……来たか。すまん、ジュードをあいつらの手に渡してしまった」


 レナードが謝るところなどソフィーは初めて見た。


「あの、あいつらとは?」


「奥様の叔父様です。ジュード様はグレンフィル子爵家に居られます」


 ひとまず居場所がわかってソフィーはホッと息をついた。


「すみません、誘拐されたのは本当ですが居場所はわかっていたので心配しないようにと次の早馬を送ったのですが入れ違いになってしまったようで」


「あ、いえ、いいんです。ジュードが危険な目にあっていないのであれば」


「申し訳ありません!!」


 部屋の隅に居たリオンが突然膝をついた。


「俺が、俺が油断したからジュード様を攫われてしまったんです!」



 ジュードは毎日勉強を頑張った。ソフィーのいない寂しさに耐えよく頑張っていた。食事のマナーなどもかなり身についた。だから息抜きも兼ねて街に買い物に行きましょうかとリオンが提案したのだ。

 ジュードは物凄く喜んだ。グレンフィル子爵家のあのみすぼらしい部屋からほとんど出たことの無かったジュードはまだ見たことも無い街に強いあこがれを抱いていた。

 リオンが護衛騎士一人を伴ってジュードを街に連れて行くとジュードは目をキラキラさせてあれは何?これは何?とリオンを質問攻めにした。あまりに楽しそうなジュードを見てつい街に長居した。夕暮れ時、ちょっとした騒ぎが起こった。リオンにぶつかった老婆が派手に転んだのだ。なかなか起きられないようでリオンが手を貸した。怪我をしているかもしれないから医者に連れて行こうかと護衛に相談した。ジュードから目を離したのはほんの一瞬だったのだ。

 ジュードの姿は忽然と消えていた。


 護衛と二人で必死に探し回りジュードらしい服装の子供が馬車に無理やり乗せられたという目撃証言を得た。そこから馬車の足取りをたどりジュードがグレンフィル子爵家に連れ込まれたことがわかったのだ。


「居場所が分かっているなら早く連れ戻しに行こう」


 ルイスが意気込んだがレナードが待ったをかけた。


「ソフィーの叔父、グレンフィル子爵代理はジュードの後見だ」


 苦虫を噛み潰したような顔でレナードが言う。


「ソフィー様がご主人様とご結婚なされてソフィー様の後見はご主人様になりました。ですがジュード様はグレンフィル子爵家のお子様ですから後見はグレンフィル子爵代理様のままなのです」


 マシューが補足してくれる。


 実はジュードがグレンフィル子爵家に居ると判明してすぐジュードを連れ戻しに行ったそうだ。しかし応対した叔父に断られた。「ご厚意でマンスフェルド侯爵様のお世話になっておりましたがジュードは私の可愛い甥っ子、こちらで育てることにいたします。本人も生まれ育ったこの家がいいと言っておりますので」そう言って追い払われたそうだ。


「ジュードはあの家で辛い目にあっていないかしら」


 心配そうにソフィーが言うとマシューがそれは大丈夫だと請け合ってくれた。


「ラッカルとは連絡が取れていますから」


 マシューはラッカルと知り合いだったの?とソフィーが訝し気な目を向けるとマシューが教えてくれた。


 実はソフィーとジュードがマンスフェルド侯爵邸に来て直ぐ、グレンフィル子爵家にレナードの手の者を潜り込ませていたらしい。主にラッカルに領地経営の指導と補佐をする為だったが、その者を通じてラッカルとは定期的に連絡を取っていたようだ。

 だから叔父がラッカルに仕事を丸投げしても領地の人たちが困ったことにならなかったのだとソフィーは改めてレナードに感謝をした。


「ラッカルの話ではジュード様に体罰をしたり食事を抜かれるなどの虐待はないそうです。ただ、グレンフィル子爵代理は少々良からぬ方々と交流を持ったようでして邸内にその方たちが入り込んでいるようです。ジュード様にその良からぬ方の一人が張り付いているので目を盗んで逃がすというようなことは出来ないそうです」


「あの時はかなり強引にジュードを連れてきてしまったからな」


 レナードが苦笑する。苦笑とは言えレナードが笑うのもソフィーは初めて見た。


 あの時は何が何だかわからないうちに結婚させられた。目の前のレナードは酷薄そうで酷い扱いを受けると思った。ジュードと共にいられることだけが救いだったけど、ソフィーを働かせるためにジュードを人質に取ったのだと思った。

 けれどここに来てソフィーとジュードは沢山の幸せを与えてもらった。いつも素っ気ないけれど、眉間に皺を寄せた顔しか見たことがないけれどレナードはソフィーとジュードに様々な物を与えてくれた。豪華な部屋や食事ばかりではない。様々な教育を施しジュードに寄り添ってくれる従者。ソフィーに与えられたメイドも気分を朗らかにしてくれるアビーと優しく導いてくれるヘレナ。そしてやりがいのある仕事。 


「旦那様は……」


 何を聞けばいいか考えが纏まらず言い淀んだソフィーにレナードが聞いた。


「ソフィー、グレンフィル子爵家を取り戻したいか?」


「え?あの?」


 ソフィーはマンスフェルド侯爵家に嫁いだのだ。両親が慈しんだ領地だけれどもう叔父のものだ。


「出来る事なら……出来る事なら取り戻したいです!侯爵家に比べればちっぽけな子爵家ですけれど両親が愛した家です。領地です。でも……私は既に侯爵家の籍に入っていて……」


「グレンフィル子爵家の次期当主はソフィー様のままですよ」


 マシューが微笑んだ。


 爵位持ちの貴族は次期当主を定め王宮に届け出る、という法律がある。ただし届け出ることが出来るのは五歳以上の者に限る。これは幼い子供は致死率が高いためだ。そしてソフィーのケースのように当主が次期当主の成人前に死亡してしまったら。親のいない貴族の未成年には全て後見がつく。その後見と代理人が次期当主の成人までその貴族家の運営を任されることになる。そして滅多にないことだが次期当主が成人前にその貴族家の籍を抜けたらどうなるのか?

 実はどうにもならないのである。次期当主の成人を待って他の者に爵位を譲る手続きをするということになる。ソフィーのように既に婚姻していれば爵位を継ぐことは叶わないので成人後に速やかに第三者に爵位を譲る手続きをする。


「ソフィー様が成人した後に次期当主としてジュード様の名を届けてソフィー様が後見になればよろしいのです」


「私……旦那様と結婚したときにグレンフィル子爵家は叔父の手に渡ったのだと思っていました」


「あまり無いケースですからね、そう思う人の方が多いでしょう。現にグレンフィル子爵代理もそう思っていたようですし。だからソフィー様をあっさり手放したのでしょう。ソフィー様が当屋敷に来られて数日後に嬉々として王宮に手続きに向かったグレンフィル子爵代理の顔は見ものでしたよ」


(……ちょっと待って?マシューの言い方だと旦那様はそのことを知っていて態と結婚話を持ち掛けたってことになるわ)ソフィーは何が何だか分からなくなった。レナードの考えがわからないのだ。ソフィーはレナードによって救われた。あの劣悪な環境から救い出してもらった。だけどレナードには何の利も無いことだ。


「どうして、どうしてそこまで私たちの為にしてくださるのですか?」


 聞いたソフィーにレナードはあっさり答えた。


「気が向いただけだ」


「ご主人様は不愛想でいつも眉間に皺を寄せていらっしゃるでしょう?世間では冷血侯爵などと呼ばれているようで。それでこの歳になるまでお嫁様の来てがいらっしゃらなかったのですよ」


 マシューが微笑んで言うとレナードは嫌そうな顔をした。嫌そうな顔のまま「そうだ」と答えた。



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