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 次の日に仕事から帰るとポリーが駆け寄ってこなかった。

 不思議なこともあるものだとソフィーは思ったが大して気にもせずルイスと別れて部屋に戻った。


 騒動は着替えて支度を整えルイスと夕食をとっている時に起こった。


 その時ソフィーは王都に帰る日程の話をルイスとしていた。

 来月のソフィーの誕生日に王都の侯爵家のお屋敷で盛大なパーティーを開く。

 社交は一切しないと言っていたレナードだがこれには訳がある。サフィロースを使った新しい布フェアリーブルーのお披露目をするのだ。現在王都でソフィーが着るフェアリーブルーをふんだんに使ったドレスが仕立てられている。当日は屋敷の者全てがどこかしらにフェアリーブルーの布を身に着けるのだ。


「あと一週間でこっちの仕事は目処がつくから王都に帰ろう」


 ルイスがそう言った時だった。


 バターン!とドアを開けてポリーが入ってくる。

 もうこれだけでもメイドとして失格だ。そのポリーはズカズカとソフィーの前に歩いてくると腰に手を当てて言った。


「あんたが告げ口したのね!」


 何のことかわからずソフィーが面食らっていると慌ててメイド長が入ってきた。領地のお屋敷のメイド長は初老に近い落ち着いた女性だ。そのメイド長が珍しく取り乱してポリーの腕を引っ張った。


「奥様になんてことを言うのです!!」


「だって!だってこの人が汚い真似をしたのよ!」


「黙りなさい!!奥様、ルイス様、失礼しました。よく言って聞かせますので」


 メイド長はグイグイとポリーを引っ張っていく。

 ポリーは凄い目でソフィーを睨んでいた。


「……何だったのかしら」


 ソフィーがルイスを振り返るとルイスが難しい顔をしていた。


「幼馴染だと思って甘やかしすぎたな」


 ぽそっとルイスが呟くのが聞こえた。



 部屋に戻るとアビーが機嫌よく言った。


「やっとうっとおしいのがいなくなったわ!」


「アビー、言葉使いが悪いわ」


 ヘレナに窘められてペロッと舌を出す。

 ソフィーが首をかしげるとヘレナが言った。


「ポリーさんの言動があまりに奥様に対して失礼でしたのでメイド長に報告したのです」


「ああ、それで」


 ポリーの言動にソフィーはやっと納得がいった。ソフィーが告げ口したからメイド長に怒られたと思っているのだろう。


「奥様、納得して終わりですか?」


 ヘレナの目がすっと細められた。


「え?」


「奥様はレナード・マンスフェルド侯爵様の妻でいらっしゃいます」


(名目上だけの妻だけど。ヘレナもアビーも知っているわよね)


「家の中を取り仕切るのは奥様の役目です。もちろん実際の細かい事は家令やメイド長に任せればいいのですけど、奥様はその上にいるのです。ポリーはこの屋敷のメイドとして許されないことをしました。失礼な態度ももちろんですけど彼女は奥様がメイド長に告げ口したと言ったのです」


 ソフィーはやっとヘレナが怒っている意味がわかった。


「私は嘗められたままではいけないということね」


 今までの言動からソフィーは嘗められていると感じていた。そしてポリーはソフィーがメイド長に告げ口したと言った。それはソフィーをメイド長より下の存在に見ているからだ。ソフィーはこのお屋敷を取り仕切る女主人だ。ポリーの人事権もメイド長の人事権もソフィーにある。


 ソフィーが今までポリーの失礼な態度を容認していたのはお客様のような気分だったからだ。幼いころからこの屋敷で過ごしたルイスはこのお屋敷のご領主一家でもソフィーはそこに招かれた新参者ぐらいの気分だった。叔父一家のせいで虐げられたり馬鹿にされたりするのに慣れ過ぎていたせいもある。


「ヘレナ、ありがとう。私の甘えと弱さが彼女を付け上がらせたのね。ポリーには節度を守ってもらわなくちゃ」


 トントンとノックの音が聞こえた。


 アビーがドアを開けるとルイスが立っていた。


「ソフィー、少し出かけられるか?見せたいものがあるんだ」



 


「少し距離があるから馬で行くよ」


 ルイスの乗る馬に引っ張り上げられて連れてこられたのはこの領地に来たばかりの時に訪れた花農家だった。


 ルイスに抱えられて馬から降ろされて初めてソフィーはそのことに気が付いた。

 馬に乗っている時はそれどころではなかったのだ。初めて馬に乗ってその高さや速さにも驚いたのだけど……(近い!近いわ!これじゃまるでルイス様に抱きかかえられているみたい)

 ソフィーを自身の前に乗せソフィーの身体を抱きかかえるように手綱を握るルイス。ソフィーが落ちないようにとその腰にルイスの逞しい手が回されている。馬が走るとその背が揺られソフィーは否が応でもルイスの厚い胸板に身を寄せることになってしまう。正直どこを走っているのかどのくらいの時間走っているのかソフィーは考えるゆとりも無かった。


 馬の背から降ろされてルイスと花畑を歩く。

 そよそよと吹く初夏の風は火照った頬に心地よかった。(辺りが暗くて良かったわ)とソフィーは胸を撫でおろした。真っ赤になった顔をルイスに気づかれずに済んだから。


「ここら辺の花は刈ってしまったけどね、あっちの畑の花は今が見ごろなんだ」


 歩いて行きながらぼんやり見えていた。だけどその花畑を目の前にしてソフィーは息を呑んだ。

 目の前に広がるのは一面のサフィロースの花。その花は暗闇の中でほのかに発光している。これこそがフェアリーブルーという布の最大の特徴なのだ。ほんのりと青い光に包まれたその場所はまるでおとぎ話のフェアリー(妖精)の園のようだった。


「ほうっ……」


 ため息を漏らして見とれるソフィーをしばし眺めていたルイスがためらいがちに口を開いた。


「その……悪かった」


「え?」


「俺の態度がポリーを助長させた」


「いえ、そんな事……」


 そこでソフィーは気が付いた。ルイスはソフィーが傷ついていると思ってこの場所に連れてきてくれたのだ。


「大丈夫です。私がいけなかったのです」


「君は悪いところなんか一つも無いじゃないか!!」


 ルイスが誤解していると思ってソフィーはさっきヘレナに言われたことを説明した。


「私、堂々としていますわ。ポリーが失礼な態度をとったらちゃんと叱ります。使用人を導くのも私の役目ですもの」


 ルイスはクシャっと笑った。


「君は強いな……強くて優しい」


「ルイス様の方が優しいですわ。私の気分を引き立てようとここに連れてきてくださったんでしょう?」


「んーそれもあるけれど……見せたかったんだ」


「え?」


「この景色を君と見たかった。……君と二人で」


 その言葉には何と答えていいかソフィーはわからなかった。こみ上げてくる期待を必死に押し殺した。ルイス様は兄嫁だから優しくしてくれるんだと必死に自分に言い聞かせた。


 ただ黙ってそよ風に身を任せていた。

 幻想的なフェアリー(妖精)の園で二人きり、優しい時に身をゆだねていた。






「俺はこの土地で育った」


 ぽつぽつとルイスが話し始めた。




 ルイスは物心ついたときには領地のお屋敷にいた。

 その頃は前々侯爵のルイスの祖父が健在で祖父は王都の屋敷にいたので数えるほどしか会っていない。幼心に見た祖父は厳格で怖い人という印象だった。そして五つ年上の兄レナードは王都で祖父と暮らしていた。ルイスの父は侯爵に向いていない人物というか、気分屋で芸術家肌の人物だった。絵をかくことが生きがいのような人だった。祖父は早々に自身の息子に見切りをつけ息子の嫡男であるレナードを王都に呼び寄せ当主教育を施していた。

 次男のルイスは領地で伸び伸びと育った。両親は無表情で本ばかり読んでいるたまにしか会わないレナードより愛嬌があり子供らしく遊びまわるルイスを可愛がった。


「兄上とはほとんど一緒に暮らしたことが無いんだ。今が一番長いくらいだ」


 ルイスは苦笑した。レナード十四歳、ルイスが九歳の時に祖父が他界してルイスの父が侯爵になった。ルイスの父は王都に居を移したが母親がこの地を離れるのを嫌がった為ルイスも共に残った。そうして四年、今度は父親が他界した。父親が病気になって母親とルイスも王都のお屋敷に向かった。病床でルイスの父はルイスに後を継がせたいというようなことを口走った。『愛想のないあいつより可愛いルイスに後を継がせたいんだ』ルイスは急いで言った『父上、僕は騎士になりたいんだ!だから騎士学校に入ります!』十三歳のルイスは全寮制の騎士学校に入学した。父親の葬儀の後はたまにしか帰らなかった。何度目かの帰省の時に母が領地に帰ったことを知った。母と兄レナードは上手くいかなかったらしい。母はことあるごとにルイスを引き合いに出して『お前なんかより可愛いルイスの方が―――』と言っていたらしいから。でもルイスは兄が好きだった。何でも知っている兄を尊敬していた。そして無表情なようで感情豊かな事も、両親に愛されたいと願っていたことも、ルイスを愛してくれていることもわかっていた。


「さすがにちょっと冷えてきたな」


 ルイスの長い話が終わった。夜も大分更けている。


 ちょっと身震いしたソフィーにルイスは自身の上着を掛けた。ソフィーの肩に上着をかけたルイスの手はソフィーの肩から離れない。

 抱きしめるでも抱き寄せるでもないただ肩に置かれた手。


「帰ろうか」


 ポツリと言ってルイスは踵を返した。


「俺は兄上が好きなんだ」





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