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 応接室に腰を落ち着けてすぐに叔父が切り出した。


「ソフィー、早速だが金を融通してくれ」


「は?」


 ソフィーは面食らった。叔父が何を言っているのか意味がわからない。ソフィーはレナードに嫁いでグレンフィル子爵家とは縁が切れた。悔しいけれどあの家は叔父に乗っ取られてしまったのだ。


「ラッカルめほんの少しの金しか私に渡さないのだ」


「あの、領地の経営は?」


「知らん、ラッカルが適当にやっている。あいつが横領しているのかもしれん。そうだラッカルに手紙を書け、私にもっと金を渡すように。税を上げても構わん」


 領地経営はラッカルが適当にやっている?執事のラッカルが?ソフィーは眩暈がしそうだった。もちろん今までソフィーの手伝いをしていてくれたから一緒に学んできたけれどラッカルには権限がない。書類一つとってもラッカルがサインする訳にはいかないのだ。叔父がサインだけはしているのだろうか?内容を検めもせず?ソフィーは叔父が元王宮の官吏だったというのは聞き間違いなのだろうかとでっぷり肥えた叔父を見た。グレンフィル子爵家は子爵家主導で展開している事業も無いから税ぐらいしか収入がない。そんなに大きなお金が入るわけではないのだ。それでも子爵家としての普通の生活なら送れるはずだ。


「いいか、すぐに手紙を書いてラッカルに金を渡すように言え!そうでなければお前が金を用意しろ」


「私は嫁いだ身です。ラッカルに指示を出すことなど出来ません」


 そこでどうしてソフィーに命令するのか?わざわざ侯爵邸に押しかけて。


「私が嫁いだ時の支度金は?」


「……あんなはした金……既に無いわ」


 相場の倍はあった筈だけど?ソフィーの呆れた表情にばつが悪くなったのか叔父はまくしたてた。


「クレアやマイラのドレスや宝飾品にどれだけかかると思っている!やれお茶会だ夜会だと交際費もかかるんだ!」


(私にはドレスの一枚も作らずお母様や私の宝飾品は全て取り上げて社交も一切させなかったわよね)とソフィーは怒りを通り越して無表情になった。社交をさせないどころか叔父一家の散財で使用人を減らすしかなくソフィーが使用人の仕事までやっていたのだ。叔母やマイラの嫌がらせでもあるが。


「この壺、これを売るといい値段がつくんじゃない?」


 お菓子を食べて「もっと出しなさいよ」とマイラと一緒にヘレナに文句を言っていた叔母が不意に叔父に話しかけた。


「お母様、このティーカップも素敵だわ。これもいい値がつくんじゃない?」


「叔母様、マイラ、このお屋敷にあるものは侯爵である旦那様の持ち物です。勝手に売るなどと―――」


「ふん!わかっているわよ、ちょっとした冗談じゃない。相変わらず冗談も理解できない馬鹿な子ね」


 ソフィーは呆れて二の句が継げなかった。叔母はここまで浅はかな人間だったのだ。もっと幼い頃に受けた体罰の数々、食事を抜かれるなどの虐待、ジュードを守ることに必死で叔父や叔母をもっともっと恐ろしい人間だと思っていた。


「あんたのドレスを寄越しなさい」


 マイラがニヤニヤしながら言う。


「あんたのドレスや宝石はあんたの物でしょう。それを出しなさいよ。今まで育ててやった恩があるでしょう」


 ソフィーは叔父一家に育てられた恩なんて微塵も感じていなかった。子爵家の財産や父母の思い出の品を搾取したのは叔父一家の方だ。


 バシャ―――

 

 黙って座っているソフィーにマイラが紅茶を掛けたのだ。


「奥様!!」


 応接室に控えていたエイミーとヘレナが駆け寄ろうとした。それを制してソフィーは毅然と叔父一家を見た。


「大丈夫よ、それよりお客様がお帰りよ。叔父様、お話しすることはありません。お渡しするお金もありません。お引き取り下さい」


「この性悪女め!!」


 叔父が手を振りかぶる。叩かれる!ソフィーは咄嗟に目を瞑った。痛いだろうけど恐怖は無い。それより叔父はわかっているのだろうか?お飾りとは言えソフィーが侯爵夫人だということを。




 いつまでたっても痛みが来ないのでそうっとソフィーは目を開けた。


「何の騒ぎだ?」


 少し息を弾ませて叔父の手を掴んでいるルイスがソフィーに心配そうな目を向けていた。


「何だお前は!放せ!」


 叔父は顔を真っ赤にして叫んだがルイスが「俺はマンスフェルド侯爵の弟だ」と言うと途端に愛想笑いを浮かべた。


「あっ、いや、これは……躾、そう躾なのです。これは私の姪で私が育てたも同然ですから。この姪がこちらのお屋敷で迷惑をかけていないかと心配になりまして。なにしろ教育も行き届いていない出来損ないですから」


 掴まれて赤くなった手首をさすりながら言い訳をする叔父をルイスは冷たく見据えた。そんな表情をするとルイスの瞳はレナードにそっくりだった。ソフィーは初めて見る表情だったが。


「躾?躾ってなんだ?ソフィーさんは兄上の妻で―――」


「素敵な御方!!」


 横からマイラがいきなりルイスに飛びついた。

 令嬢がそんなことをするなど夢にも思わずルイスの反応が遅れた。


「うわぁ!何だ君は!?」


「素敵な御方、名前をお聞かせくださいな。侯爵様の弟様ってことはあなたも将来爵位をお継ぎになるの?」


 普通は嫡男以外は爵位を継ぐことは無い。自分で手柄を立てて叙爵されなければ一代貴族になるだけだ。侯爵家が他の爵位を持っていれば継ぐだろうけど。いや、レナードとソフィーは白い結婚だから侯爵家はルイスが継ぐのかもしれない。白い結婚も初夜の意味もソフィーはこの三か月で学んでいた。


「いや、俺は―――」


「ねえお父様!私この人と結婚したい!ねえ、いいでしょう?」


 マイラがルイスに胸を押し付けながら叔父を振り返った。ソフィーは頭が痛くなってきた。マイラはこの五年間何を学んできたのだろう?いくら元平民だと言っても無知が過ぎる。これも一種の教育放棄なのだろうか?そう言えばソフィーは叔母とマイラが着飾って出かけるところはよく目にしたが教師などに何かを教わっているところは見たことが無かった。こんなに無知で礼儀知らずなのに今まで子爵令嬢として通用していたならある意味凄いことだった。


「君は……痴女か?」


 ルイスがぐいっとマイラを引きはがしながらボソッと言うのでソフィーはこんな時なのに吹き出しそうになった。ルイスが来てくれたことで張りつめていた糸が緩んだのかもしれない。


「我が屋敷での三文芝居はそのくらいにしてもらおうか」


 低い声に一同が一斉に振り向くとドアにもたれるようにレナードが立っていた。

 眉間の皺はいつにも増して深い。


「マンスフェルド侯爵様、あの、これはですね―――」


 叔父が慌てて取り繕うとしたがレナードはさえぎった。


「マシュー、お引き取り願え。いくばくかの金は恵んでやれ」


 物凄く馬鹿にした言葉だが叔父は喜んだようだった。


「この出来損ないは役に立っておりますでしょうか?役立たずなら私が言って聞かせますが」


 揉み手をせんばかりの叔父をレナードは蔑んだ目で一瞥した。


「マシュー」


「グレンフィル子爵家からいらした方々こちらへどうぞ」


 マシューが先導しお屋敷の護衛騎士が叔父一家を連れて行く。マイラはまたルイスにすり寄ろうとして腕を騎士に捕まれ口汚く罵りながら去って行った。


「旦那様、ルイス様、申し訳ありませんでした」


 ソフィーが深々と頭を下げた。


「ソフィーさんが謝る事じゃないよ。それより着替えて来た方がいいだろう」


 ルイスが気を使ってくれたがレナードは黙ったままだった。眉間の皺は深いままだ。その時ソフィーはあることに気が付いた。


「旦那様、顔色が……もしやお加減でも悪いのではないですか?」


「……大したことは無い。疲れただけだ」


 グラッとレナードの身体が傾いたように見えてソフィーは手を伸ばそうとした。


「触るな」


 明確な拒絶にソフィーは息を呑んだ。


「大したことは無い。エイミー!部屋で休む、ついて来てくれ」


「はい旦那様」


 レナードはエイミーを伴って去って行く。それでもソフィーは心配でレナードの部屋までついて行った。ソフィーの目の前でエイミーによって寝室の扉が閉められるまで。


「大丈夫だよ。きっと兄上は疲れた顔をソフィーさんに見せたくなかったんだ。エイミーは昔から兄上の世話をし慣れているからね」


 ルイスが慰めようとしてくれているのはわかっている。ソフィーは微笑んだ。


「そうね、エイミーに任せておけば安心だわ」


「ああ、それよりソフィーさんも着替えておいで」


 そう言われてソフィーは紅茶をかけられたままだということを思いだした。

 ドレスは大きなシミが広がり酷い有様だった。






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