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エイミーに案内されて執務室に入るとレナードともう一人の人物がいた。
「初めまして義姉上。レナードの弟のルイスです」
にっこり笑って手を差し出す青年にソフィーはドギマギした。義姉上と呼ばれたがどう見ても相手の方が年上だ。
「ソフィーです。あ、あの、義姉上などと恐れ多いというか……どうぞソフィーとお呼びくださいルイス様」
ぺこりと頭を下げた後でルイスが手を差し出していたことに気が付いた。
あ、どうしよう……握手?握手よね。今更手を取るのは遅いかしら?
頭を下げたまま固まるソフィーにルイスは優しく語り掛けた。
「頭を上げて、えーとじゃあお言葉に甘えてソフィーさんと呼ばせてもらうね」
「は、はい。よろしくお願いします」
ルイスは金に近い栗色の髪の青年だ。瞳はレナードと同じ青。背の高さはレナードと同じくらいだが痩せすぎなほど細いレナードと違って鍛えられたがっちりした体型をしている。顔立ちも似通っているが大きく違うのはその表情だ。レナードよりこころもち下がった目じりが柔和に細められるだけで一気に親しみやすい表情になる。
(同じブルーの瞳でもレナード様は氷を連想するのにルイス様は青空を連想するのね)とボーっとルイスを見ていたソフィーの耳に「ソフィー聞いているのか?」とレナードの固い声が届いた。
「はははい」と急いで返事をしてレナードを見る。昨日から何度も見た眉間に皺をよせ少し苛立ったような表情でレナードは言った。
「お前とジュードに教師をつける」
「え?」
ソフィーは耳を疑った。教師をつけてくれることはとてもありがたい。何の教師かは詳しく聞いてみないとわからないが十二で教育を打ち切られたソフィーは貴族としての礼儀作法や身についていないものが多すぎる。領地経営に関する知識だけは身についているがそれも書面上の知識だけだ。領地に出向いたりすることは、いや屋敷の外に出ること自体禁止されていたので領地の役人たちと書面でやり取りしただけだ。小さな子爵家の領地だから、そして領地の役人たちが誠実だからこそ出来た事だろう。
ソフィーにも増してジュードは教育が足りていない。まだ七歳だが言葉も遅くマナーなど何も身についていない。カトラリーさえ満足に扱えない。簡単な単語が読めるだけ。ソフィーも自分なりにジュードに教えてはきたが日々の労働で忙しく十分な時間は取れなかった。
「いいの……でしょうか?」
「お前は侯爵夫人として教育が足りていると思っているのか」
「いえ!滅相もございません!でもジュードまで……」
「ジュードは侯爵夫人の弟だ。今のお前たちはとても人前には出せん」
ということはいずれは人前に出してくれるのだろうか?社交はさせないと言っていたから子爵家に居たときのように屋敷に閉じ込められて仕事ばかりさせられると思っていた。
あ、そうそう仕事について聞かなくては。
「もう下がれ」
手で追い払う仕草をしたレナードに向かってソフィーは思いきって言った。
「仕事はっ!」
「……何だ?」
「あ、あの旦那様は私が頑張ればジュードと私の生活を保障して下さるとおっしゃいました。その、私はどんなお仕事をすればいいのでしょう」
レナードは眉間の皺をさらに深くした。
「……ルイスの仕事を手伝え」
「え?俺?」
ルイスが戸惑った声を上げる。
「ルイスの補佐をしろ。私には構うな。わかったら出ていけ。ルイスお前もだ」
レナードの眉間の皺がもっと深くなる。まるで苦悶の表情を浮かべているように。ソフィーは何も言えなくなった。
そうして壁際に控えていたメイド長のエイミーに追い立てられるように執務室を後にした。
ルイスとソフィーの鼻先で執務室の扉が閉められる。ソフィーはルイスと顔を見合わせた。
「兄上が済まない」
ルイスに謝られてソフィーは急いで首を振った。
「いえ、謝られることなんか何も無いです。それどころか旦那様にはとても良くしていただいています」
そうなのだ。子爵家で結婚の話を聞いたときソフィーは今度は新しい家で虐げられるのかと覚悟した。ジュードと一緒に居られることだけが救いでそれでもジュードが大人になるまで何とか頑張らなければと思っていたのだ。それなのにここに来てからは素敵なお部屋、親切で気が利く使用人、美味しい食事と甘やかされるばかりだ。……レナードの突き放すような言動とは裏腹に。
「あの、ルイス様はどんなお仕事を?」
「俺は兄上の補佐?かな」
補佐?じゃあ私は補佐の補佐?とソフィーはこてんと首を傾けた。
「俺は先月まで騎士団に居たんだ。でも兄上に侯爵家の仕事を手伝えと言われて退団して屋敷に戻って来たばかりなんだ。今は領地の事を学んでいるところ。ははっ、大した仕事もしていないんだけど一緒に学んでくれたら嬉しいな」
「はい、よろしくお願いします」
ソフィーは本日二回目ルイスに向かってぺこんと頭を下げた。またまた行き場を失ったルイスの手はぽんぽんとソフィーの肩を軽くたたいた。
穏やかな生活が続いていた。
ソフィーは午前中はマナーや貴族の令嬢として知っておくべき知識の授業、午後からはダンスや侯爵家の領地について学んだりルイスの仕事を手伝ったりして日々を過ごしていた。
侯爵家の領地の特産やそれについての事業についてはルイスも一緒に学んだりダンスの相手をしてくれたり、その流れで一緒に昼食や夕食をとることも多かった。
ジュードは勉強が楽しいようで瞬く間に知識を身に着けている。ソフィーから離れたがらなかったのは最初の三日だけで今では従者のリオンと過ごす時間の方が多い。それでも夜になるとソフィーに今日はこんなことをした、こんなことを覚えた、出来るようになったと楽しそうに語って聞かせ一緒のベッドで眠った。
「奥様、グレンフィル子爵家の方がお見えになっておりますが」
丁度マナーの先生が帰られたタイミングでソフィーはメイドに声を掛けられた。ヘレナがわずかに眉を顰めた。
「ソフィー様お約束しておりましたか?」
「いいえ」
この屋敷に来て以来会うことも無かった叔父一家だ。もちろん手紙などのやり取りも一切無い。生家のグレンフィル子爵家を乗っ取られたことは悔しいがソフィーは正直あの家を出られてホッとしていた。今更何の用だろう、子爵家を出て三か月。二度と会いたくなかった。
「私がお断りしてきましょうか?」
ヘレナがそう言ってくれたがエントランスの外から騒がしい声が聞こえてきた。どうやら門番の制止に従わず強引に押し入って入ってきたようだ。
「勝手に入られては困ります!」
「何を言う!私はソフィーの身内だ!名前ばかりの侯爵夫人でもお前らよりは偉いだろう。それともあれは門番風情にも馬鹿にされておるのか」
叔父のだみ声にかぶせてマイラの金切り声が聞こえる。
「ソフィー!ソフィー!出てきなさいよ!せっかくあんたに会いに来て上げたのよ!」
侯爵家の門番は屈強だ。彼らが手を出さないのは叔父一家がソフィーの身内だと言っているからだろう。ソフィーは一つため息をついた。
「会うわ。外で騒がれても迷惑だもの」
ソフィーはエントランスから外に出た。
「ダントンありがとう。私がお相手するから戻っていいわ」
門番ににっこり笑いかけた後ソフィーは気を引き締めて叔父の方を向く。
「叔父様、ご無沙汰しております。今日は何の御用でしょうか」
叔父一家は一瞬ソフィーがわからなかったようで目をパチクリさせた。
それはそうだ。三か月の間に栄養状態が良くなり鳥ガラだった身体にはふっくら肉がついて来ている。肌も髪も毎日アビーとヘレナに磨かれてつやつやのピカピカだ。そうして侯爵夫人に相応しい上品なドレスに身を包んだソフィーは輝くほどに美しくなっていた。
「おま、お前はソフィーか?なんとまあいい暮らしをしているようではないか!」
叔父の目が小狡く光ったように見えた。
「あんた、何ぐずぐずしているの!早く私たちをもてなしなさい!まったくどいつもこいつも気が利かないわね!」
叔母の金切り声が響く。叔母はわかっているのだろうか?ここが侯爵邸だということを。いくら元平民だとしても叔母の言葉は非常識過ぎた。
「奥様、応接室にご案内いたします」
メイド長のエイミーがソフィーに声を掛けた。実はソフィーはエイミーが少し苦手だ。それでもこんな時は一番頼りになる。
今日、レナードはルイスを伴って商談に出かけていた。領地の特産のサフィロースという花を使った染料で染めた布を王都最大の布問屋に紹介する為、布問屋を所有している伯爵家に出向いたのだ。普段こう言った商談に当主のレナードが直接出向くことは無いらしいがこの新事業はルイスが初めて手掛けるのでレナードが付き添ったらしい。
レナードはルイスをとても愛しく思っている……らしい。とソフィーは感じていた。レナードの物言いはとても素っ気なく冷たい。眉間にはいつも皺が寄っているし自分の身近に寄せるのは執事のマシュー・ブランドンとメイド長のエイミー・ブランドンだけだ。それでもソフィーはレナードがルイスの事をとても愛していると感じていた。二人きりの兄弟だから当たり前かもしれないけれど。前侯爵はレナードが成人して間もなく他界していて前侯爵夫人は領地の片隅で隠居生活をしているとソフィーは聞いていた。




