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目が覚めると知らない天蓋が見えた。天蓋?そこから昨日の記憶が蘇ってソフィーは跳び起きた。
隣で寝ていたジュードが「んん」と声を上げたので背中をポンポンと叩くとむにゃむにゃとまた夢の世界に戻っていったようだった。
彼女が寝ていたのは豪奢な天蓋付きのベッド、起きてもまだ夢の世界にいるようだ。昨日の疲れのせいもあるがあまりの寝心地の良さに寝過ごしてしまったらしい。子爵家では夜明けとともに起きて掃除や洗濯をしていたのである。
「……激動の一日だったわ」
呟いた後ソフィーはベッドからそっと下りる。この部屋はマンスフェルド侯爵家に連れてこられて与えられた部屋だ。侯爵夫人の部屋ではないが十分豪華な、両親がいた頃のソフィーの部屋より更に豪華な、かといって悪趣味でなく淡いオレンジの小花柄の壁紙や華奢な飾りのついた猫足の家具で統一された若い女性が好みそうな部屋だった。マシューにこの部屋に案内されたときは嬉しいより唖然としてしまった。この部屋に運び入れたみすぼらしいトランクの場違い感が凄かった。マシューは子爵家に来た時レナードの後ろに控えていた中年の男性で執事らしい。ちなみにレナードは屋敷に帰ってくるとさっさとどこかに行ってしまった。
ジュードの部屋は隣で青系の色彩で統一されており部屋に案内されたジュードは目をパチクリさせた。
「ジュード様のお部屋ですよ」
マシューに優しく言われてジュードは首を振った。どうしてここに来ることになったのか訳が分からないままに連れてこられたジュードは怯えていた。ソフィーの手をぎゅっと握りしめてジュードはソフィーを見た。
「ジュードのお部屋も侯爵様が用意してくださったそうよ」
ソフィーがそう言ってもジュードは首を振った。ソフィーの手を更にぎゅっと握る。
「あの、私と一緒の部屋ではいけませんか?」
そう言ってすぐソフィーは失敗したと思った。ソフィーは名目上とは言えレナードの妻になったのだ。結婚式も社交もしないとは言え妻としての務めは果たさなければならないだろう。高位貴族の妻として一番重要なのは跡継ぎを産むことだ。十二歳で教育を打ち切られ、外と一切接触の無かったソフィーはその辺の知識が乏しい。それでも夫婦の寝室は一緒だと知っている。夜を共に過ごすことで子供を授かると漠然と思っていた。ソフィーの両親はいつも一緒の寝室で眠っていたから。
「そうですね、ジュード様がこの家に慣れるまでは御一緒でも構いませんよ」
ソフィーの予想に反してマシューは微笑んだ。それからソフィーの専属メイド二人とジュードの従者を紹介してくれた。
「あの、どうしてこんなに良くしてくださるのですか?」
ソフィーは思いきって聞いたがマシューは不思議そうな顔をする。
「ソフィー様は侯爵夫人になられたのです。このくらいは当たり前でしょう。奥様の働きに期待しております」
そう言ってマシューは去って行く。
そうね、よく働く妻を侯爵様は求めていたんだわとソフィーはレナードの冷たい瞳を思い出した。この待遇も私の働き次第ってことね。
そうしてメイド二人に磨かれて入浴を済ませジュードを寝かしつけた後にレナードの寝室に案内してもらったのだった。ソフィーが「侯爵様のお部屋に参ります」と言うとメイド二人は顔を見合わせたあと「そうですわ!初夜ですものね」と顔を赤らめ気合を入れて夜着の支度をし直してくれた。ソフィーも気合を入れる。ソフィーには初夜に何をするかという知識はほとんどない。それでも初夜に旦那様になる男の人から可愛がられることが重要だと昔何かの折にメイドが言っていたのを朧げに覚えていた。ソフィーとジュードのこれからの生活の為に初夜にレナードに可愛がられることがソフィーに与えられた最初の仕事だと思ったのだ。私そんなに可愛くないけれど大丈夫かしら?と心配しつつもレナードの寝室で可愛い仕草などを考えながらソフィーはレナードを待ったのだった。
トランクから普段着を取り出して素早く着替えながらソフィーは昨日の出来事を反芻していた。
初夜のお仕事は失敗してしまった。というかレナードはそんなことは望んでいないと言った。掃除や洗濯でもするべきだろうか?掃除や洗濯ならメイドとして雇えばいいのでこんな豪華な部屋を与える意味がわからないけど。まあ、何もしないよりはマシかと思い身支度を済ませるとソフィーは部屋を出た。
「まあ!奥様もうお目覚めですか?」
メイドが二人駆け寄ってくる。(奥様?)と一瞬考えソフィーは自分の事かと思い至った。
「どちらへお出かけですか?お支度をいたします」
年上の方のメイドに聞かれて(お支度?)と首をかしげる。(あ、お仕着せを貸してくれるのかしら)と思い至りソフィーはお礼を言った。
「まあ!奥様はお掃除を手伝ってくださるつもりだったんですか」
コロコロと笑いながら若い方のメイドがソフィーの髪をとかしながら言う。彼女はアビー。赤い髪にそばかすがチャーミングな朗らかなメイドだ。
「奥様、今日はこちらのドレスはいかがでしょう」
もう一人はヘレナ。ヘーゼルの髪で泣き黒子のある落ち着いた雰囲気のメイドだ。二人ともソフィーとあまり歳が変わらないように見える。アビーは同じか少し下くらい、ヘレナは少し年上に見える。部屋に逆戻りしたソフィーは彼女たちに身支度を整えられていた。
開けてもみなかった部屋のクローゼットにはソフィーの為のドレスが何着もかかっており、アクセサリーも数点用意されていた。髪も綺麗に結いあげられた。
目が覚めたジュードは今は彼の従者のリオンに抱きかかえて連れて行かれ彼の部屋で身支度をしている。リオンもソフィーとそう変わらない年齢に見える気安げで明るい青年だった。
「奥様、朝食の準備が整いましたわ」
部屋の瀟洒なテーブルに朝食が並べられスープがホカホカと湯気を上げている。
ああ、こんな朝食は何年ぶりだろう。ソフィーは湯気の向こうに優しく微笑む父、手招きする母が見えるような気がして鼻の奥がツンとした。
支度を終えて戻って来たジュードは朝食を凝視している。彼はこんな豊かな朝食など食べたことが無いのだ。
リオンに抱きあげられてジュードの身長に合わせた椅子に座らせてもらってもジュードは固まったままだった。ジュードのお腹がクウとなった。
「ジュードいただきましょう」
ソフィーが食事を始めるとジュードもそれに習う。ソフィーと同じようにオムレツを切って口に運ぼうとしてぺちゃりと落とした。
泣きそうな顔でソフィーを見る。朝は固いパンと薄いスープ。昼や夜もそれプラス少しのおかずが付くかどうか。その食事も抜かれることが度々あって使用人たちがこっそり差し入れてくれる食べ物でなんとか飢えをしのいできた。ジュードとソフィーはそんな環境で育ってきたのだ。十二歳まで子爵令嬢として育ったソフィーはともかくジュードはマナーなど何も知らない。マナーが必要な食事などしたことが無かった。
リオンがジュードの横に屈んで目線を合わせた。
「ジュード様、気にしなくていいっすよ」
ジュードはパチクリとリオンを見る。
「今日は楽しく食べましょう。ほら、おいしそうでしょう?」
スプーンをジュードの手に握らせる。ジュードは唾を飲み込んだ。
「オムレツはスプーンの方が食べやすいでしょう。パンもカプってかじりついていいですよ。ほらこのベーコンなんかカリッカリでソーセージもプリップリだ。フォークに刺しても指でつまんでもいいですよ」
ジュードがソフィーを見るのでソフィーはパンを手に取った。ちぎらずそのままかぶりつく。パンはふわっとしてほんのり甘く噛むとバターの風味がジュワっと広がりとてもおいしかった。
「んんーー!」
思わずソフィーが声を上げるとジュードはスプーンに乗せたオムレツを大きな口を開けて頬張った。
「んんーー!」
ジュードも声を上げて頬を抑えた。
モリモリと朝食を食べるジュードを潤んだ瞳で眺めながらソフィーは感嘆の目をリオンに向けていた。ジュードはとても狭い世界で育ってきた。基本的にはソフィー達に与えられた狭い物置のような部屋の中だ。ソフィーが仕事をしている間は何人かの使用人が交代で面倒を見てくれていたが、その数人の使用人とソフィーがジュードの世界の全てだった。七歳にしては言葉も遅くマナーを知らないジュードをリオンは蔑んだりしない。ジュードに寄り添おうとしてくれる。ジュードの育ってきた環境を知っているように。言葉使いは従者としてはちょっとフランクだが、ガチガチに敬語を使われるより友達のようなお兄さんのようなリオンの態度の方がジュードは安心するだろう。
食事が終わるころメイド長のエイミーがソフィーの部屋を訪れた。ご主人様がお呼びだという。
(来た!)とソフィーは思った。お仕事の時間が来たのだ。何のお仕事かわからないけれどこのお部屋や食事に見合うように頑張らなけばとソフィーはこぶしを握った。




