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叔父が呼んでいると執務室にラッカルが迎えに来た時にソフィーは嫌な予感がした。
ラッカルの顔が悔し気に歪んでいるのを見てしまったから。他の者にはわからないくらいほんの少し。でも両親亡き後一番に寄り添ってくれた彼の変化はソフィーにはわかってしまうのだった。
ラッカルに連れられ応接室に入る。もう何年も足を踏み入れたことの無い部屋だ。
叔父一家の正面に座る一人の男性、その後ろに中年の男性が立っていた。
「ソフィー喜べ、お前の縁談が決まった」
挨拶もそこそこに告げられた言葉にソフィーは唖然とした。
「縁談……?」
「こちらのレナード・マンスフェルド侯爵がお前を嫁に迎えてくださるそうだ」
ニヤニヤ笑う叔父の正面に座ったレナードはニコリともしなかった。冷たいアイスブルーの瞳でソフィーを値踏みするように見ただけだ。銀髪にアイスブルーの瞳のレナードは酷く酷薄そうにソフィーの目に映った。長身で瘦せすぎなほどに細い身体も神経質そうに見えた。顔立ち自体は整っているが鋭い目つきと眉間の皺が二十九歳という年齢よりは彼を老けさせていた。そのレナードはじろりとソフィーを見た後口を開いた。
「……良かろう。マシュー」
レナードが指示をすると後ろの男性が書類を出した。
「こちらにサインをお願いします」
既に相手のサインが入った書類に叔父がサインを書き入れる。ソフィーも座ってサインをするように言われた。
「あのっ私は……」
今結婚してしまったらこの家の継承はどうなるのだろう?その辺は法律に詳しくないソフィーにはわからなかった。でもこのままでは叔父一家に乗っ取られてしまうような気がする。それにこの家にジュードを一人残して嫁ぐことなど出来ない。
「サインをするんだソフィー。躾の行き届かないお前を貰ってくれるというありがたい縁談だ」
「でもっジュードが……」
「黙らないか!ジュードに躾をしないとわからないようなら―――」
「します!サインをするのでジュードには……」
どうしたらいいのだろう?迷いながらサインをするしかないと覚悟を決めた時「ジュード?」と呟く声が聞こえた。
「はい、弟なんです。私が嫁いでしまっては弟は一人ぼっちになってしまいます」
ソフィーは必死に目の前の男の人に伝えた。ソフィーの結婚相手という人物に。
「何を言う!ジュードは私が責任もって育てる。今までもそうしてきたのではないか!」
焦って取り繕うように言う叔父の言葉を叔母も後押しした。
「そうよ!慈悲深い旦那様は孤児のお前たちをここまで育ててやったというのに!ねえ旦那様、やっぱりこんな娘に侯爵夫人は勿体ないのではないかしら。マイラの方が相応しいわ」
「やめてお母様!私こんなおじさん―――」
マイラの言葉は叔父に素早く口を塞がれたために宙に消えた。
叔父一家の醜態をレナードは冷ややかに眺めていたがため息を一つ吐いた。
「私はどちらでも構わない。先ほど言ったように私が欲しいのは名目上の妻。そして侯爵家の為に身を粉にして働く人間だ。結婚式は上げない。社交の場にも連れて行くつもりは無い。ただ屋敷にいて仕事をすればよい。どちらが嫁ぐのだ?」
マイラは必死に首を振っている。ソフィーはやっと納得がいった。こんな条件なら叔父が可愛がっているマイラを嫁がせることは無いだろう。
「ソフィーを嫁がせます。いいなソフィー」
ソフィーは叔父に鋭い目で睨まれた。睨まれてもジュードを置いて嫁ぐことなど出来ない。でもサインをしなければ躾と称した折檻がジュードに降りかかる。迷うソフィーにレナードが淡々と言った。
「そのジュードとやらも一緒に引き取ろう。ジュードにまともな暮らしをさせたかったらお前が頑張って働くのだ」
ソフィーは弾かれたように顔を上げる。叔父が「それは困ります!」と抗議しようとしたがマイラが愉快そうに声を上げた。
「あら良かったわお父様。穀潰しが二人ともこの家から消えるのね」
結局ソフィーはいくつかの用紙にサインをさせられてレナード・マンスフェルド侯爵に嫁ぐことになった。この家が叔父一家に乗っ取られてしまうのは悔しいがジュードと離れ離れにならなくて済んだのは良かったとソフィーは自分を納得させた。この先どうなってしまうのかはわからないがソフィーが頑張って働けばジュードの生活は保障される。
書類が整うとレナードの後ろに立っていた中年の男性が部屋の外に歩いていき、外の従者たちに指示をした。そうして戻ってくるとソフィーに告げた。
「お支度をお願いします」
「え?」
「お前とジュードはこのまま連れて行く。部屋に戻って支度をしろ」
レナードは用事は済んだとばかりに席を立つ。叔父が焦って問いかけた。
「マンスフェルド侯爵様、お約束の支度金は……」
「明日にでも届けさせる。ふっ……このまま連れて行くのだ、支度など何もないがな。約束は約束だ相場の倍は払ってやる」
レナードが蔑んだ目で叔父を見る。この時ソフィーは叔父に売られたんだとわかった。
ソフィーは一生懸命領地経営をしてきたつもりだった。それでも叔父一家の散財で子爵家の財産は見る間に減っていった。叔父には領地の税を上げろと何度も言われたがそれはしたくなかった。殴られても食事を抜かれても跳ね除けた。だから叔父一家は金に困っていたのだ。ソフィーを追い出しこの家を乗っ取れると同時に多額の金が手に入るのだ。叔父にとっては願っても無い事だろう。
ソフィーはとぼとぼと支度をしに部屋に向かった。
「お支度を手伝います」
ラッカルがソフィーについてきた。支度をするふりをして彼と話した。ソフィーが嫁いだからといって子爵家の継承権がすぐに叔父に移ることは無いだろうと彼は言った。調べてみますと彼は言ったがソフィーは無理しないように伝えた。叔父に知られればラッカルとて解雇されてしまうかもしれない。
ソフィーとジュードはこの屋敷を離れるのだ。もうここに帰ることは出来ないのかもしれない。それでもソフィーにはジュードがいる。唯一の肉親、守るべき弟だ。何とか侯爵家で頑張ってジュードが身を立てられるようにしてやりたい。そんな決意を胸に抱いてジュードの手を引きソフィーは侯爵家の馬車に乗り込んだ。
「ねえ、マンスフェルド侯爵は別名冷血侯爵と言うんですって。酷薄で酷い仕打ちを表情一つ変えずにするから未だに結婚出来ないんですってよ。あんたはどんなふうに扱われるのかしらね。ジュードも可哀そう!きゃはは」
わざわざ外に出てきて馬車に乗り込む寸前のソフィーに耳打ちしたマイラの笑い声がいつまでも耳に残っていた。
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