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 レナードが倒れる寸前、傍に居たルイスが咄嗟にその身体を支えた。


「兄上!兄上!どうしたんだ!?」


 ソフィーも「旦那様!」と声を掛けるがレナードはピクリとも動かない。顔色は紙のように真っ白だった。


 マシューが駆けつけてくる。


「ご主人様を寝室へ!ルイス様、お願いできますか?」


 ルイスが頷きレナードの部屋に運んで行くと既に寝室の続きの居間に侯爵家の専属医師が待機していた。

 エイミーがベッドに寝かせたレナードの世話をせっせとしている。

 エイミーと医師を寝室に残し、マシューは寝室の扉を閉めた。


「マシュー!兄上はどうしたんだ?病か?今日は調子が悪かったのか?」


 ルイスが詰め寄るがマシューは答えない。

 黙ったまま時が過ぎる。ソフィーはこみ上げてくるものを必死にこらえた。私は妻なのに……妻なのに旦那様が倒れるまで体調が悪いことに気が付いてあげられなかった……

 私が頼りないから、自分の事ばかりだから、旦那様は気分が悪くなっても私を頼ることが出来なかった……身勝手なソフィー。旦那様には助けてもらってばかりなのに。


 唇をかみしめるソフィーに気が付いたマシューは穏やかに言った。


「奥様、ご自分をお責めにならないでください。ご主人様は奥様に悟られないように隠していたのですから」


「それはどういう―――」


 ルイスが言いかけた時、カチャっと寝室の扉が開いた。


「マシュー、薬を変えるよ。これからは痛みを減らすことを優先する」


「先生、それではご主人様は……」


「ああ、もうベッドから出ることは出来ないじゃろう」


 医者とマシューの会話を聞いてルイスとソフィーが愕然とする。

 今の会話は……今の会話ではもうレナードは……


「先生!兄上は……兄上は病気なのですか?治るのですよね?」


 震える声でルイスが医師に聞く。縋りつくような眼差しに医師は一つ首を振った。


「マシュー、もう隠すのは無駄じゃろう」


 マシューが項垂れたように頷くと医師はある病名を告げた。不治の病、発症して一年以内に命を落とす者が多いその病名を。


 ソフィーがふらっと倒れ掛かる。ルイスがそれを支えようとしたがソフィーは自力で体勢を立て直した。


「旦那……様……は……発症してどれくらい……なのですか?」


「かれこれ一年近くになる。レナード様はよく耐えられた。苦痛はかなりあった筈じゃ。動き回れることを優先したのじゃから」


「どうして兄上は!俺に隠したのはどうして―――」


 ルイスの血を吐くような叫びに寝室から「ご主人様」という小さな声が重なった。

 開け放たれたドアから聞こえたエイミーの小さな声。

 ルイスとソフィーはすぐさま寝室に入った。


「旦那様」


 ベッドの傍に跪いてソフィーが小さく声を掛けるとレナードの瞼が震えてうっすらと目が開かれた。


 そしてレナードはふうわりと微笑んだ。氷の青ではない、春風のような青い瞳でソフィーを見つめた。


「チェルシー……来てくれた……んだな……」


 そうしてまた瞳が閉じられる。


「兄上!」


 ルイスが焦ったように声を掛けるが医師がそれを制した。


「落ち着てくださいルイス様、レナード様は眠っただけじゃ」


 そんなやり取りも聞こえないほどソフィーは混乱していた。

 レナードはソフィーを見てチェルシーと呼んだ。ソフィーの母の名を。

 




 エイミーにレナードの世話を任せソフィーとルイスは寝室の隣の居間に戻った。


「今日明日でどうこうということは無いじゃろう。わしは一旦部屋に戻る。この屋敷には滞在するから何かあったら声を掛けてくれ」


 そう言って医師は去って行った。

 夜も大分更けていた。


「奥様もルイス様も部屋にお戻りください。その恰好では疲れるばかりでございましょう」


 ソフィーもルイスもパーティーの時のままの恰好だった。疲れもあるし空腹でもある。それでも、それより気になる事がソフィーにはあった。


「旦那様は母を知っていたのですか?」


 ソフィーの問いにマシューの目は彷徨った。マシューがそんな表情をするのは珍しかった。


「今日はお疲れですから―――」


 ソフィーが首を振る。正直疲れている。頭も混乱している。レナードの病気も未だに信じられない。それでもこの疑問を解消しなくては眠ることなど出来そうも無かった。


 ソフィーの決意がわかったようでマシューは一度目を閉じた。そうして何かを決心すると再び目を開いた。


「長い話になります。談話室に軽食を用意させましょう。ソフィー様もルイス様も一旦お部屋で楽な服装に着替えてきてください」





 部屋に戻りアビーとヘレナの手を借りて楽な服装に着替えた。楽な服装と言ってもルイスやマシューと話をするのだから夜着という訳にはいかない。日常来ているような簡素なドレスだ。パーティー用の派手なメイクも落としてもらうとかなり楽になった。


「今からお話し合いをなさるのですか?」


 ヘレナは心配そうだった。もう夜もだいぶ遅い。ソフィーはソフィーのベッドで丸まって眠るジュードの頭を撫で、彼の事を頼むと部屋を出た。







「何からお話いたしましょう」


 談話室に腰を落ち着けて軽食を取り、もう一度お茶を入れなおしてからマシューは口を開いた。


「私がレナード様と初めてお会いしたのはレナード様四歳、私が十歳の時でした」





 マシューは目の前の子供を見た。輝くような銀髪と青空の瞳、お人形のように整った容姿にマシューの目は釘付けになった。前々侯爵、レナードの祖父の執事をしていた父に「ご主人様のお孫様がお屋敷にいらっしゃる。お前がお世話をして差し上げるんだ」と言われて引き合わされたのだった。


「よろしくお願いいたします、レナード様」


 マシューの挨拶にレナードは小さく頷いただけだった。


 前々侯爵はレナードに厳しい当主教育を施した。それは嫡男の教育に失敗したことの反動でもあった。

 レナードはどんどん無口に、無表情になっていった。元々細かった食がますます細くなった。痩せすぎなほど痩せていつも暗い顔をしているレナードを見ていてマシューは胸が痛かった。ようやく決心をして父親に訴えた。前々侯爵は当時王宮で財務大臣も勤めており多忙だったためレナードの事は教育係に丸投げだったのだ。教育係は口を揃えてレナードを褒めたたえていた。それほど優秀だったのだ。勉学については優秀でも心のケアをしてくれるものがいなかった。前々侯爵夫人は既に他界しており、マシューではレナードを癒せなかった。彼は親の愛を、家族の愛を求めていたのだ。


 マシューの父に諫言され前々侯爵もレナードを気に掛けるようになった。屋敷にいることが多くなり不器用ながらレナードとの対話を試みているようだった。それでも一度築いてしまった心の壁は破ることが難しかった。そんな時レナードはチェルシーと出会ったのだ。チェルシーは前々侯爵のお気に入りの部下、トランザト伯爵の娘で屋敷にいることが多くなった前々侯爵の元をよく訪問していた。そのトランザト伯爵があるとき娘を連れてきたのだった。


 チェルシーは明るくて元気いっぱいの少女だった。歳はマシューと同じ。レナードの六つ上だった。

 部屋に閉じこもりがちのレナードをチェルシーは引っ張り出した。庭を散策し二人で小さな虫を飽かず眺めたり身体を使ったちょっとした遊びをしたり。そしてチェルシーはレナードをよく抱きしめた。頭を撫でた。レナードが悪いと思った時は平気で拳骨を与えた。それこそがレナードが求めていたものだった。レナードは四歳、スキンシップに飢えていたのだ。


 チェルシーと触れ合うことによりレナードは明るさを取り戻していった。前々侯爵はトランザト伯爵にいつも娘を連れてくるように頼んだ。それどころかチェルシーだけでも定期的にレナードに会いに来て欲しいと頼んだ。


 数年が経った。レナードは少し無口で少し不愛想だけれど利発な少年になった。相変わらず彼の中でチェルシーだけが特別な存在だった。マシューも、レナードに仕え始めたエイミーも少し悔しくはあったが暖かい気持ちで見守っていた。彼らも明るくて使用人にも分け隔ての無いチェルシーが大好きだった。


「レナード、浮かない顔をしてどうしたの?」


「領地に帰らなきゃいけない」


「まあ、久しぶりにご両親と弟さんに会えるのでしょう?うーんと甘えてきたら?」


「そんな関係じゃない。僕は父上も母上もいらない。チェルシーがいればそれでいい」


「馬鹿ね」


 チェルシーはレナードの頭を優しく撫でる。俯いて顔にかかってしまったレナードのサラサラした銀髪を耳に掛けた。


「ご両親はあなたが遊びに来るのをきっと首を長くして待っていらっしゃるわ。甘えるのが苦手なら逆に弟さんを甘やかしてみたら?弟さんは可愛いのでしょう?」


 レナードはこっくりと頷いてチェルシーの手を握る。


「チェルシー、僕の帰りを待っていてね。夏が終わったら急いで帰ってくるから」




 レナードが十一歳、チェルシーが十七歳の時にある事件が起こった。

 年頃のチェルシーがレナードの元を訪れる頻度はめっきり減っていたけれどそれでも二人の交流は続いていた。レナードはなかなか遊びに来てくれないチェルシーに少し苛立っているようだった。


 乗馬を始めたレナードはチェルシーを乗せて走りたいのだと頑張っていた。まだ身長はチェルシーの方が高く、一緒に乗って走ることなど無理に決まっているが周囲はほほえましく見守っていた。


「チェルシー!僕、馬に乗れるようになったんだ!」


 久しぶりに訪問したチェルシーの手を引いてレナードは厩舎に向かった。


「もう少し頑張ったらチェルシーを乗せて走れるようになるよ!」


「ふふっ。じゃあたくさん食べて早く私より大きくなってね」


「言ったな。最近凄く身長が伸びているんだぞ!チェルシーを追い抜くのももうすぐだ」


「期待しないで待ってるわ」


 チェルシーはペロッと舌を出した。



「レナード様、今日は馬の具合が悪いようで」


 いつもレナードを乗せている栗毛の大人しい馬は具合が悪いと馬丁に断られた。


「じゃあこの馬でいいよ」


 レナードが指さしたのは少し気性が荒い馬だ。


「この馬はレナード様ではまだ―――」


 馬丁は口を濁した。


「ねえレナード、乗馬を見せてくれるのは次の機会でいいわ」


「チェルシーは次いつ来るかわからないじゃないか!!」


 レナードは手綱を強引に引いた。

 ヒヒ―ン!馬の前足が上がるのが見えた。


 ガツッ!!


 二人に付き添っていたマシューが急いで駆け寄るが間に合わなかった。


「チェルシー!!」


 悲鳴のような声が聞こえた。チェルシーに咄嗟に抱きかかえられたレナードが腕の中から叫んだのだった。

 ズルっと腕の力が抜けた。

 額から血を流したチェルシーが地面に横たわっていた。



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