11
ソフィーはルイスの手を借りて馬車を降りる。
懐かしいグレンフィル子爵家のエントランスに立った。
今暮らしている侯爵家のお屋敷に比べるととても小さなグレンフィル子爵家。門からエントランスまでの前庭も微々たるものだ。それでもソフィーの母によって精一杯綺麗に整えられていた。母亡き後もソフィーが出来る限り整えてきたのだが少し見ないうちに荒れた印象が目立った。雑草が生え、花壇の花も萎れている。
ソフィーはため息を胸に押し込みエントランスから屋内に入った。
エントランスでは叔父自らがソフィー達を出迎えた。
叔父と一緒に目つきの悪い男が二人立っている。従者のお仕着せを着ているがどことなく崩れた印象を受ける。メイドの姿はエントランスには見えなかった。
ソフィーがこの家を出た時には数名のメイドが残っていたのだが彼女たちはどうしてしまったのだろうとソフィーは目を細めて叔父を見た。
その叔父は若干顔を引きつらせながらルイスに挨拶を述べている。
ルイスはソフィーをがっちりエスコートし、両脇を屈強な護衛騎士が守っている。これではソフィーに手出しは出来ないと内心がっかりしているだろう。
応接室に向かう途中で甲高い声がした。
「ルイス様!ルイス様ではありませんの!私に会いに来てくださったのですね!」
マイラがゴテゴテとした悪趣味なドレスを着て駆け寄ってくる。
ルイスがビクッとひるんだのがわかった。マイラはルイスの名を誰かに教えてもらったらしい。侯爵邸では〝素敵な御方〟と呼んで名前も教えてもらわなかったのだから。
「ルイス様ぁお庭に散歩に行きましょうよ。ご案内しますわぁ」
しなを作りながらマイラが言うと叔父が賛同した。
「それはいい!マイラ、当家の庭をルイス殿にご案内して差し上げなさい」
マイラはグイグイとルイスを引っ張る。色々な意味でソフィーは心配だった。前庭は寂れていた。奥庭の手入れはなされているのだろうか?みすぼらしい庭を案内するつもりだろうか?そしていきなり名前呼びをするなんて失礼過ぎる。
ルイスはマンスフェルド侯爵家の籍を抜けていない。
通常当主が代替わりし、新当主に子が出来た時点でその家が他の爵位を持っていなければ次男、三男は成人していれば家の籍を抜ける。マンスフェルド侯爵家は伯爵位と子爵位を持っているのでルイスはそのどちらかを継ぐと思われたのだが、レナードがルイスを次期当主として届けているのだ。ソフィーとレナードは白い結婚なので子が出来る心配はない。
貴族家の籍を抜けた次男三男は一代限りの準男爵か騎士爵を与えられる。ソフィーの叔父はこれに当たる。家を継げなかった次男や三男は何らかの功績を上げて叙爵されるかどこかの家に婿養子に入らなければ当人はともかく妻も子も貴族にはなれないのだ。
「マイラ嬢、手を離してくれないか」
ルイスがマイラの名前を呼んだのでマイラが顔を赤らめた。しかしルイスはこう呼ぶしかなかったのだ。グレンフィル子爵令嬢とは絶対に呼びたくなかったし、事実マイラは子爵令嬢ではない。本人は子爵令嬢だと思っているが。そして爵位の序列も大して覚えていないほど無知だ。だからこそルイスにも失礼な態度を平気でとれるのだろう。
「ルイス様、マイラと呼び捨てになさってもいいんですよ。ルイス様なら特別に許してあげます」
マイラはとんでもないことを言いながら一向に手を離さずルイスをグイグイと引っ張っていく。
叔父は冷や汗を拭いながらそれを見ていたがルイスが怒りださないのを見てニヤリと笑った。
「護衛の方々もルイス様と御一緒なさっては?」
叔父が恐る恐る切り出すが護衛騎士はにべもなく断った。
「結構です。我らは奥様の傍を離れるなと厳命されております」
「そ、そうですか。それではこちらへ」
チッと小さく舌打ちをして叔父はソフィー達を応接室に招き入れた。
さすがに応接室にはメイドがいて掃除も行き届いていた。メイドはソフィーの顔を見るとハッとして小さく頭を下げた。ソフィーも目礼をする。彼女の眼は潤んでいるようだった。
「ジュードはどこですか?」
叔父がお茶を入れる指示を出さないのでメイドがあたふたしているがソフィーは構わず叔父に切り出した。叔父はソフィーごときをもてなすつもりは無いのだろうが、ソフィーもこの屋敷で出されたものは一切手を付けないようにと言われている。
「ああジュードか、元気にしているよ」
「会わせてください」
「そうだな。元気だけどジュードはお前に会えないことを寂しがっていた。どうだ?暫くここに滞在しては?」
「旦那様にすぐ帰ってくるよう言われています。仕事が山積みですから。ジュードが寂しがっているなら一緒に連れて帰ります」
「ふん、そんなことはさせん!お前は侯爵家でも働かされているようだがこっちも困っているんだ。ラッカルは融通が利かん。お前が言って聞かせろ!」
最初猫なで声で話していた叔父は直ぐに本性を現した。
「私はもうここの人間ではありません。お断りします!」
ソフィーの言葉に「生意気な!」と手を上げそうになり、後ろに立つ護衛騎士がピクリと反応するとゴホンと咳払いをして手を下ろした。
「そうか、この家の人間ではないか。それならこの書類にサインをするんだ」
やはり叔父が出してきたのは爵位譲渡の書類だった。
ソフィーはそれを見てハッと息を呑む芝居をする。
「ジュードは今は元気だ。ずっと元気でいて欲しいだろう?それならこの書類にサインをしろ」
ソフィーは悔し気に叔父を見て言った。
「ジュードの顔を見るのが先です」
ソフィーの悔しげな顔で満足が行ったのだろう。叔父の後ろに控えていた従者崩れが部屋を出ていった。
「姉様!」
「ジュード!」
ジュードが部屋に連れてこられたがソフィーに駆け寄ろうとして傍の男に制止される。
ジュードはこみ上げてくる涙を必死にこらえながらソフィーに笑顔を向けた。
「姉様、僕は元気です。叔父様にも良くしていただいています」
棒読みのようなセリフは横にいる男の指示だろう。叔父よりも悪党面した男だった。
「さあソフィー、サインをするんだ!」
叔父がペンを差し出した。
「ジュード、もう少し待っていて。必ず、必ず一緒に暮らせるようにするから!」
ソフィーは涙をこらえて書類にサインをした。悔しそうな演技をしろと言われていたが演技をするまでも無かった。あんな怖い人達に囲まれてジュードは怯えながら暮らしているのだろう。今すぐ助け出せないのが悔しかった。
丁度サインを書き終わったタイミングでマイラが部屋に入ってきた。
ちゃっかりとルイスの腕に腕を絡ませたマイラは上機嫌で言った。
「お父様!ルイス様が私たちをパーティーに招待してくれたわ!!」
「まあ!ホントなの?マイラ」
今までどこにいたのか叔母まで部屋に入ってくる。
「あら嫌だ、なんでこの子がここに居るの?さっさと連れてって閉じ込めておしまい!」
叔母がジュードを見て眉を顰める。これで大事に世話をしているなんてどの口が言うんだろう?ソフィーは叔母を睨んだ。
それに気が付かなかったようにルイスが大きな声を上げた。
「ジュードじゃないか!元気にしていたか?」
ジュードが曖昧に頷く。
「一か月後に君のお姉さんの成人祝いのパーティーを開くんだ。君も是非出席してくれ」
「ソフィーの成人祝いですって!!」
反応したのはマイラだ。
「何で!何でソフィーなんかがパーティーを開いてもらえるの!?この女は労働力としてもらわれていったんじゃないの!?」
「そうは言っても仕事の一環だからなあ」
ルイスののんびりした声が答える。
「仕事?」
「そうだよ。今度侯爵家で売り出す布があるんだ。パーティーというのはとてもいい宣伝になるんだよ」
「じゃあその宣伝のためにソフィーなんかの名前が使われるって訳?」
「ああ。彼女にはしっかり働いてもらわなくちゃならないからな」
「きゃはは、やっぱりルイス様のお家でも働かされているんだ。ねえねえご飯は使用人と一緒なの?物置みたいな部屋かしら」
「さあね、俺はよく知らないから」
ルイスはこめかみをピクピクさせながらマイラと話を続けている。
「そのパーティーにジュードも連れて行かなくちゃいけないの?こんな薄汚い子供と一緒の馬車に乗るのは嫌だわ」
マイラのその言葉にはさすがにソフィーも切れそうになった。
ルイスは上を向きふうっと息を吐き出してからマイラに言った。
「それじゃあマイラはパーティーに来ることは出来ないな」
「あら、どうして?」
マイラと呼び捨てにされたことに頬を赤らめながらマイラがますますルイスの腕にしがみつく。
「ジュードは兄上の奥方の弟だ。その名目でジュードとその保護者を招待するんだからジュード抜きではパーティーに出席できないんだ」
さも残念そうにルイスが言うとマイラは途端に方針転換をした。
「うーん、じゃあしょうがないわね!ジュードも連れて行ってあげるわ!」
「おい!マイラ!!勝手にそんなことを!」
叔父が焦って言うがマイラは聞く耳持たなかった。
「あなた!侯爵家のパーティーなんですよ!」
いきなり叔母が参戦した。
「私たちは今まで男爵や準男爵のパーティーにしか行ったことが無いのよ!こんな機会を、こんな機会を逃してなるもんですか!」
ソフィーとルイスは言い合いを始めた叔父一家を尻目にそーっと屋敷を後にした。
帰り際にルイスがよろけたふりをしてジュードに凭れ掛かった。そうしてそっとポケットに忍ばせた手紙をジュードは気が付いてくれるだろうか?
ラッカルは物陰から頭を下げていた。
ジュードを頼みますとソフィーも頭を下げた。ラッカルの方を見る訳にはいかなかったから前を向いたまま。
帰りの馬車でルイスはマイラに抱き着かれたところを執拗にハンカチで拭っていた。