10
「どうしてソフィーの叔父は今になってジュードを攫ったんだ?」
ルイスが唐突に聞いた。
ルイスは痛む心を抑えつけていた。兄レナードとソフィーが白い結婚なのは知っていた。レナードはソフィーに関心が無いのだろうと思っていた。でも今の話を聞いてレナードはソフィーに愛情を抱いているのではないかと思ったのだ。それなら何故ソフィーに素っ気ない態度をとるのか、それはわからなかったけれど。
痛む心を抑えつけて他の事を考えようとした。そうしたらその疑問がスルっと口から出たのだ。
ルイスがソフィーと呼び捨てにしたときレナードは少し片眉を上げた。そしてそのことに気づかなかったふりをして答えた。
「ソフィーを脅す材料にする為だろうな」
「脅す……」
マシューがまた補足をしてくれる。
「グレンフィル子爵代理が子爵家の当主の座を得るには二つの方法がございます。一つ目は未成年の次期当主が亡くなった場合。この時は後見と当主代理で話し合いがもたれどちらかが爵位を引き継ぎます。以前はソフィー様の後見と当主代理の両方をソフィー様の叔父様が務めていらっしゃったのでソフィー様が亡くなれば叔父様が爵位を継ぐことになったでしょう。現在ソフィー様の後見はレナード様になっておりますが、血縁者である叔父様が爵位を引き継ぐ可能性が高いですね」
にっこり笑ってマシューが続ける。(私が死ぬ話をにっこり笑ってされても)とソフィーは複雑な心境だ。
「もう一つは次期当主の成人を待って爵位の譲渡をしてもらう方法です。つまりソフィー様が成人後に叔父様に爵位を譲り渡す書類を届け出ればよいのです」
「あ、ソフィーに爵位譲渡の書類にサインをさせるためにジュードを人質にしたのか」
ルイスの呟きにレナードは呟きで答えた。
「ソフィーを領地に行かせたからな。連中はソフィーに手を出せないので第二の手を取ることにしたんだろう」
小さくて低い声だったけどソフィーにもルイスにもその声は届いた。
驚きでソフィーとルイスは顔を見合わせる。レナードはソフィーが襲われることを想定して領地に匿ってくれたらしい。まただ。突き放すような声音とは裏腹にいつもレナードはソフィーの為の行動をとってくれる。ソフィーさえ知らなかった危険から守ってくれる。少しでも血がつながっているから考えたくはないけれど叔父はソフィーの命を狙っていたのだろう。良からぬ者たちと付き合いがあるとマシューが言っていたし。考えてみればジュード誘拐の時も叔父にしては手際が良すぎるような気がする。
「叔母様とマイラは?」
「クレア夫人とマイラさんは何も知らないでしょう。あの方たちは五年前から子爵夫人と子爵令嬢だと思い込んでいらっしゃいますから。グレンフィル子爵代理も長年そう思っていたのでしょうね。あの方は代理に過ぎないとわかってらっしゃるはずなのに子爵として振舞ううちに既に子爵になったつもりでいた。仕事をソフィー様に全てやらせていたにもかかわらず。愚かな事です。ソフィー様の成人が近づいて自分は代理に過ぎないと思い出したのでしょう」
マシューは辛らつだった。
「……もしや旦那様様は私の事を以前から知って―――」
「マシュー」
ソフィーの疑問はレナードの低い声に遮られた。
レナードの眉間にはまたまた物凄く深い皺が刻まれている。
「あ、私としたことが失念しておりました。ルイス様と奥様は領地から戻られたばかりでお疲れでしょう。今日の話し合いはこれくらいにして明日また続きをいたしましょう。ゆっくりお休みください」
唐突に話を切るようにマシューが言った。そしてソフィーとルイスは部屋から追い出された。
疲れていないと言ったら嘘になるが話し合いを続けられないほどではない。それでもソフトな態度ながら強制的に部屋を追い出されたルイスとソフィーの前で扉が閉められる。部屋の隅に立っていたリオンや数名の侍従、メイドも追い出されて室内にはレナードとマシューだけが残った。
次の日の朝食後、昨日の続きを話し合うことになった。
執務室に入ると既にレナードはソファーに深く身を沈めていた。
部屋の片隅でメイド長のエイミーがお茶の支度をしている。
ソフィーとルイスがレナードの対面のソファーに腰を落ち着けると早速マシューが一通の書状を差し出してきた。
「グレンフィル子爵代理様から奥様にお手紙が届きました」
「早いな」
「誰かにこの屋敷を見張らせていたのだろう」
ルイスの言葉にレナードが応える。今日のレナードはこころもち眉間の皺が浅いように見える。
ソフィーは手紙を広げた。
「……ジュードが寂しがっているのでグレンフィル子爵家に顔を出して欲しいと書いてあります」
「白々しい!」
ルイスが吐き捨てた。
「ジュードを盾にソフィーに書類にサインさせるつもりだろう。それともソフィーの命を狙うか」
ルイスは行く必要はないと言うようにソフィーを見た。
「でもジュードが……」
「ジュードは俺が助けるよ。グレンフィル子爵家に乗り込んででもジュードをとり返してくる!」
「やめてください!」
ついソフィーは大声を出してしまった。
「やめてください。私はルイス様を危険な目にあわせたり犯罪者にするつもりはありません。それならグレンフィル子爵家の当主の座など叔父にあげてしまった方がマシです」
「ソフィー、子爵家に行ってジュードの無事を確かめてくるがいい」
「兄上!」
レナードの言葉にルイスが抗議の声を上げるがソフィーは「はい」と頷いた。
「もちろんソフィーには護衛を付ける。ああそうだ、ルイスも一緒に行くがいい。お前がソフィーの身を守るんだ」
「いえ旦那様、そこまでしていただくわけには……」
「これは決定だ。侯爵の弟が一緒に行けば向こうはソフィーに手出しできない」
レナードにきっぱり言われてソフィーは黙った。
「でも兄上、行けばソフィーは爵位譲渡の書類にサインをさせられるのでは?」
「サインすればいいだろう」
レナードの素っ気ない言い方にルイスが気色ばんだ。
「兄上!それは……侯爵からすれば子爵など吹けば飛ぶような爵位かもしれないけれど、ソフィーのご両親が守ってこられた大事な家だ。それを!ソフィーとジュードを虐げてきたあんな奴らに渡すなんて!」
「サインしたからと言ってすぐに当主が交代するわけではない」
当然のことながらその書類を王宮に提出しなければ爵位は叔父に譲渡されない。そして提出するのはソフィーの成人後だ。
「マシュー」
レナードに呼ばれてマシューが進み出た。
「グレンフィル子爵代理は大切なものをご自身の寝室の奥に隠してある金庫に保管しているとラッカルから聞いております。ジュード様の後見の書類や子爵代理の書類もそこに保管していると聞きました」
「そこから盗み出すということか!」
ルイスが目を輝かせた。盗み出すのも犯罪だ。ラッカルがそれをするのだろうか?ソフィーは彼も犯罪者にしたくなかった。
「現在子爵家のお屋敷には数名の目つきの悪い者たちが常駐しています。その者たちはジュード様の見張りと子爵代理の私室の警護をしているようです。それから金庫の鍵は子爵代理様が常に内ポケットに入れて持ち歩いているようですね」
「その鍵をラッカルは見たことがあるのか?」
レナードの問いにマシューが答えた。
「はい、数回見たことがあるそうです」
「旦那様、私は旦那様やルイス様にも、ラッカルにも無理をして欲しくありません。私は……私とジュードが人並みに暮らしていければ―――」
「お前はグレンフィル子爵家を取り戻したいのだろう?」
「それは……でも旦那様やルイス様に迷惑をかけるくらいなら諦めます。お父様もお母様もきっと許して下さいます」
「バレなければ犯罪ではないさ。それにもともとあの家はお前のものだ。あの家にあるものをお前が持ち出したとて犯罪ですらない。あの家に居座って仕事もせず子爵、子爵夫人、子爵令嬢を名乗り、あまつさえお前とジュードを虐げていた奴らこそ犯罪者だろう」
ソフィーは黙った。子爵家を取り戻せるものなら取り戻したい。あの家にもグレンフィル子爵家の領地にも両親の思い出がたくさん詰まっている。使用人たちとも仲が良く笑いに溢れた家だった。領地のみんなも慕ってくれた。
長雨が続き領地の川が決壊の恐れがあると報告が入った時、ソフィーの両親は取る物もとりあえず領地に向かった。そうして領地にたどり着く前、山間で土砂崩れに巻き込まれて命を落とした。川はすんでのところで決壊をせずに済んだが、敬愛する領主を無くして領民は嘆き悲しんだ。おれたちがお嬢様とお坊ちゃまの成人までこの土地を守っていきますと言ってくれたのだ。
「ソフィー様、ご主人様の計画に賭けてみたらどうでしょう?」
優しく諭すような声音でマシューに言われてソフィーは頷いた。
「それでは早速グレンフィル子爵家に訪問の先触れを出しましょう。ソフィー様、心して演技してくださいね。ソフィー様が悔しそうに書類にサインすればグレンフィル子爵代理も油断するでしょう」
マシューが片目を瞑って言った。
「それからこれを」
一通の書状をルイスに渡す。
「後はお前が打ち合わせをしてくれ」
レナードがマシューに声を掛け手で追い払う仕草をした。
「かしこまりました。ソフィー様、ルイス様、談話室で詳細な打ち合わせをしましょう」
マシューに促されソフィーとルイスが立ち上がる。昨日と同じようにソフィーとルイスが退出するとすぐに執務室の扉が閉められる。唯一室内に残ったメイド長のエイミーがレナードに近づいて行くのが見えた。