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新連載ですよろしくお願いします。
毎日一話~数話投稿。十六話完結です。
ベッドサイドの灯りだけが室内をほんのり照らす部屋でソフィーはこの部屋の主を待っていた。
今日ソフィーはこの部屋の主と婚姻を結んだ。婚姻証明書にサインをするだけ、結婚式も何もない婚姻だけど夫婦になったのは事実だ。ガチャッと部屋の扉が開く気配がした。
入ってきた人物、この部屋の主はソフィーを見て一瞬小さく息を呑んだようだった。
「あの―――」
いつまでも黙って立っているこの部屋の主、レナード・マンスフェルド侯爵にソフィーがおずおずと話しかける。
それを手で制すとレナードは固い声で言った。
「私は男として、お前を断じて愛するつもりは無い。部屋に帰りなさい」
眉間に寄せた皺も冷たく見下ろすアイスブルーの瞳もソフィーを拒絶しているようでソフィーは身を縮こまらせた。
「え、でも……」
「お前にそんなことは望んでいない」
レナードは踵を返し部屋を出ていく。ややあって部屋に入ってきたのはこのお屋敷のメイド長のエイミー・ブランドンだった。
「奥様、お部屋にご案内します」
事務的にそう告げられのろのろと立ち上がる。
与えられた部屋に入りホウと息を吐く。嬉しいのか悲しいのか悔しいのかよくわからないけれどホッとしているのは事実だ。でも妻としての役目を果たせなかった。それでも何らかの働きを見せなければソフィーともう一人はこのお屋敷で生きていくことが出来ないのだ。ソフィーは固く拳を握りしめた。
ソフィーはグレンフィル子爵家の第一子として生まれた。十歳下に弟のジュードがいる。ジュードは両親が諦めた頃にようやくできた弟でありソフィーは長らく一人娘だった。グレンフィル子爵家はなんてことは無い中堅どころの子爵家だが両親はソフィーに深い愛情を注いでくれた。ジュードが生まれてからもそれは変わらず愛と笑みにあふれる幸せな幼少期だった。その生活が一変したのは五年前ソフィーが十二の時だった。領地に視察に行っていた子爵夫妻が事故に遭い命を落としたのだ。
両親の葬儀の日に初めて会った叔父夫婦は子爵家に居座った。王宮の官吏をしていたらしい叔父はソフィーとジュードの後見と子爵代理いう立場をもぎ取ったらしくソフィーと同い歳の娘マイラを連れて子爵家に移り住んだのだ。数日も経たないうちに官吏を辞め当主のように振舞い始めた叔父はソフィーとジュードを冷遇し始めた。
「私この部屋がいいわ!」叔父の娘のマイラの一言で今までソフィーが使っていた部屋はマイラのものになった。ドレスやアクセサリーも。そして大切な両親の部屋や思い出の品は叔父夫婦のものになった。
一度はソフィーも抵抗したのだ。両親の葬儀で初めて会った叔父一家はソフィーにとっては赤の他人だった。その赤の他人が自分の家で好き勝手をしている。それは容認できない事だった。その途端、叔父の平手が飛んできた。
バシン!頬を殴られて倒れ込む。
「ねーたま!」まだ二歳のジュードがとたとた駆け寄る。
ジュードめがけて足を振り上げる叔父が目に入った。咄嗟にジュードを抱え込む。
ガツッ!背中に衝撃を感じてソフィーは呻いた。
「ヒューイット様!お止め下さい!お願いでございます!」
古参のメイドが庇ったが叔父は冷たく言い放った。
「お前は首だ」
「え……」
「これは教育だ。お前は私の教育方針に逆らった。それから私がこの屋敷の主だ、私の事は旦那様と呼ぶべきだろう。そんな当たり前のこともわからないお前は首だ」
数日のうちにソフィーとジュードは粗末な部屋に追いやられた。ドレスやアクセサリーなど全て取り上げられ食事は使用人以下、ソフィーは跡取り娘として教育を受けていたがそれも打ち切られた。それどころか叔父はソフィーに執務の手伝いをするよう申し付けた。
「お嬢様すみません、私共の力及ばず」
深々と頭を下げる執事のラッカルにソフィーは微笑んだ。
「ううん、心配してくれてありがとう、私は大丈夫よ。それよりこの家は叔父様のものになってしまったの?」
「いえ、ヒューイット様が持っていたのは後見と子爵代理の書類だと思います。よくは見えませんでしたが。子爵家はソフィー様がお継ぎになる筈でございます。ただ……」
「私が成人前だから叔父に全権があるということね」
ソフィーは考え込んだ。無理をしても使用人のみんなが首になるだけだ。
「しばらくは叔父様の言うとおりにするしかないわ」
この国の成人は十八歳。婚姻だけは保護者の同意があれば十六歳から可能だがそれ以外は成人前は何の権限も無い。今回のケースのように子の成人前に当主が亡くなった場合は親族が後見となり成人まで代理を置くことが一般的だった。
グレンフィル子爵家の次期当主はソフィーである。それは亡きグレンフィル子爵が後継としてソフィーの名を届けていたためであり弟のジュードはまだ二歳なので後継者の変更は届けられていなかった。子供が五歳になるまでは後継者の変更は認められない。
ソフィーが成人すれば当主の座を明け渡さなければならないとわかっている筈なのに叔父一家はこの屋敷で我が物顔に振舞った。使用人たちには旦那様、奥様、お嬢様と呼ばせ外ではグレンフィル子爵、子爵夫人、令嬢と名乗っているようだった。
ようだった、というのはソフィーは外出を禁じられていたためすべて伝聞だからである。
ソフィーは屋敷で来る日も来る日も叔父の執務の手伝いをさせられた。いや、その量は年々多くなり五年の間に子爵家の仕事は全てソフィーが行うようになっていた。
当初は若干十二歳。わからないことの方が多く時間もかかった。執事のラッカルや領地に居る官吏に助けてもらいながらなんとか執務をこなした。将来自分が継ぐべき仕事だと思えば苦では無かった。むしろいい加減で贅沢にしか興味がない叔父に任せる方が不安だった。
執務自体は大変だけど苦では無かった。それよりも鬱陶しかったのは叔父の妻とその娘だった。
彼女たちは王宮の一官吏の妻と娘という立場から子爵夫人、令嬢になったと有頂天になり何かとソフィーに対してマウントを取った。まるでソフィーを虐げれば虐げるほど自分たちが正当な貴族になれるとでも思っているように。
朝早くから屋敷の掃除をしろと怒鳴りつけられたりこれ見よがしにソフィーや母の大事にしていたドレスや肖像画を切り裂いたり。食事を抜かれることなどしょっちゅうだった。ソフィーはその嫌がらせや虐待を甘んじて受けた。なぜなら矛先をジュードに向けられたくないからだった。
ジュードはまだ二歳。これから親の愛情を知らずに育っていくのである。ソフィーは十二歳まで両親の愛情を受けて育っただけにジュードが哀れだった。せめて自分だけはジュードに惜しみない愛情を与えジュードを守って生きていこうと思っていた。
嫌がらせや虐待、大量の仕事を押し付けられるなどソフィーの環境は過酷だったが使用人たちはソフィーの味方だった。執務や掃除などをこっそり手伝ってくれたり食事を抜かれても誰かがこっそり差し入れをしてくれた。忙しいソフィーに代わってジュードを育ててくれたのも使用人たちだ。叔父一家の虐待はジュードには向かなかった。流石に幼児を虐げる気にはならなかったのかもしれない。ジュードは叔父一家には放置されていた。それはそれで虐待だと思うが使用人たちがジュードの世話をしても咎められることが無かったのは有り難かった。
しかし年月が経つにつれて古参の使用人は減っていき、ラッカルたちがソフィーを庇うのも難しくなっていた。ソフィーは決して無理はしないように、叔父の言うことを一番に聞くように、と彼らには伝えている。彼らが表立って反抗すれば解雇されてしまうからだ。流石に執事を解雇してはこの屋敷が回らなくなるのでラッカルは大丈夫だと思いたいが。
そうして五年の月日が経ちソフィーは十七歳になっていた。あと半年、あと半年後にソフィーが十八歳の誕生日を迎えればこの家はソフィーの元に返ってくる。そんなある日ソフィーは叔父に呼ばれた。