……ちょっと待ってよ……。
リオネルと婚約して一月半。
特にこれと言ったこともなく、日々が過ぎていた。
わたしは毎日ほとんど小説を書いて過ごしているし、リオネルも頻繁に我が家を訪れている。
一緒にいる時間の半分近くは、リオネルは読書をしており、わたしも執筆に集中しているので、会話はないが気まずさもない。恐らくリオネルもそうだろう。
その日もティータイムの少し前にリオネルは来た。
そして、わたしに箱を差し出した。
「何これ?」
リオネルが「開けてみろ」と言う。
綺麗に結ばれたリボンを解き、蓋を開けてみれば、長方形の箱の中には透明なペンとインク瓶、ペン立てらしきものが入っていた。
そっと透明なペンに触れてみるとヒンヤリした。
繊細な作りのそれはまるで芸術品のようだった。
「ガラスペンだ。南にあるラシード王国では、王族や貴族はこれを好んで使うらしい。羽ペンより長持ちして、見た目も良いだろう」
持った感じもさほど重くはない。
何より、ガラスがキラキラと輝いてとてもオシャレだ。
「……綺麗……」
「気に入ったか?」
定位置の椅子に腰掛けたリオネルに問われる。
それに何度も頷いた。
「うん。……うん、凄く嬉しい! ありがとう!」
リオネルも嬉しそうに口角を引き上げた。
「でも、どうして急にラシード王国の品を持って来たの?」
自国の南に位置するラシード王国は『砂の国』とも呼ばれ、広大な面積を有するものの、大半が砂漠で、街は砂漠の中に点在するオアシスの周りにあるといった感じの国だ。
気温もこの国よりずっと暑いのだとか。
砂漠だと昼間は暑く、夜は冷え込むそうで、そういった厳しい環境故か、ラシード王国は魔力持ちが多いと何かの本に書いてあった。
リオネルがわたしを見て、視線をテーブルの上にある自身の手に向け、そしてもう一度わたしへ戻す。
「まだ公にはなっていないが、近々ラシード王国とヴィエルディナ王国との間で戦争が始まる」
声量を抑えたリオネルの言葉に目を瞬かせた。
「そうなの?」
「ああ、ヴィエルディナ王国が一方的に宣戦布告したそうだ。そしてラシード王国はそれに応戦するしかない」
「ラシード王国からしたらいい迷惑だね」
リオネルが口を開き、閉じ、また開いた。
「我が国は現在、ラシード王国から兵士の派遣要請を受けている。あの国の広さでは開戦までに兵士を集め切れない上に、国境の警備を手薄にすることも出来ない」
「じゃあ兵士を派遣することになる?」
「友好国として協力しないわけにはいかないだろう。何より、もしラシード王国がヴィエルディナ王国に吸収されれば、我が国とヴィエルディナ王国が接することになる。あの強欲な国が周辺国に友好的に接するとは思えない」
「あー……」
ヴィエルディナ王国は「我が国こそ、この大陸で最初に生まれた尊き国」という意識が強く、わりと国民も選民意識があるそうで、あまり周辺国との仲は良くないと聞く。
自国のためにも、友好関係の維持のためにも、兵士の派遣はしなければならないのだろう。
リオネルが唇を引き結び、親指を握り込む。
それは珍しい仕草だった。
十年の付き合いでも数回見たことがあるかどうかという、その仕草は、リオネルが緊張している時のものである。
ややあってリオネルが言った。
「俺は、出征に志願した」
一瞬、何を言われたのか理解出来なかった。
……しゅっせいにしがんした?
「……ちょっと待ってよ……」
ラシード王国とヴィエルディナ王国の戦争は分かる。
ラシード王国と友好関係にある、我がフォルジェット王国に兵士の派遣要請がくるのも分かる。
そして兵を派遣するのも理解出来るが──……。
「その戦争に何でリオネルが参加する話になるの!?」
思わずテーブルを叩いたわたしへリオネルが目を向ける。
「俺が宮廷魔法士となってから八年が経った。細々とした成果はあるが、筆頭宮廷魔法士となるには功績が足りない」
「まさか、筆頭宮廷魔法士になるために戦争に参加するの? ……戦争だよ? 怪我どころか、最悪、死ぬ可能性だってあるかもしれないのにっ?」
リオネルが「分かっている」と言う。
まっすぐに見つめてくる黄金色の瞳見て『ああ、止めても無駄なんだ』と分かってしまった。
元より冗談を言わないリオネルが「戦争に行く」と言うのであれば、それはもう、彼の中では決定事項なのだろう。
行かないで、と言いかけた言葉を呑み込む。
リオネルはずっと筆頭宮廷魔法士を目指していた。
そのために魔法の研究を行ったり、宮廷魔法士として国に仕えたり、いつだってその目標を追いかけている。
今回の出征はまたとないチャンスなのだ。
親友として、婚約者として、危険な戦場には出てほしくないが、リオネルのことを応援したい気持ちもある。
「それでも俺は行く」
断言したリオネルにわたしは折れるしかなかった。
昔からこうと決めたら曲げないところは変わらない。
「………………分かった」
でも、と言葉を続ける。
「絶対に帰ってきて。……婚約したばかりで婚約者を喪うなんて、わたし、嫌だよ」
リオネルの手が伸びて、わたしの手を握る。
「そう心配せずとも帰ってくる」
その言葉に勇気付けられる。
リオネルは有言実行の人だから、言葉にした以上は何があっても必ず帰ってきてくれるはずだ。
「お前と契約婚をすると約束したからな」
「……そうだね、リオネルは約束を破らない」
「ああ。出来る限り早く終わらせて戻る」
それについ笑ってしまった。
「早く終わらせるって、そんな無茶な……」
いくら優秀と言われたリオネルでもそれは難しいだろう。
けれどもリオネルが真面目な顔で言った。
「俺ならば早期に戦争を終わらせられる」
「相変わらず凄い自信だなあ。……でも、その言葉を信じてる。わたしがリオネルの顔を忘れないうちに帰ってきてね」
この世界では戦争となれば年単位で時間がかかる。
……十年見続けた顔を忘れることなんてないけど。
一日でも早く、無事に帰ってきてほしい。
リオネルが呆れた顔をする。
「この顔を忘れられるのか?」
自意識過剰に聞こえるが、リオネルが言うと正論に感じてしまうのだから不思議なものだ。
「じゃあ、リオネルがわたしの顔を忘れないうちに帰ってきてね」
「俺は記憶力がいいから、お前の顔を忘れたりなど──……」
「リオネル?」
言いかけてやめたリオネルに訊き返すと、言い直された。
「いや、何があったとしてもお前の顔だけは忘れない」
こういうことをサラッと言えてしまうのがリオネルの凄いところである。
あまりに真面目な顔で言うものだから、わたしのほうが気恥ずかしくなった。
「そっか……」
上手く言葉に出来ない気持ちで胸がいっぱいになる。
それを誤魔化すようにわたしは笑った。
「わたしもリオネルのこと、忘れたりなんてしないよ。……出征するのはいつ頃になりそうなの?」
「水面下で準備が行われているが、遅くとも一月以内に出ることになるだろう」
王都とラシード王国との距離を考えると、移動に一週間は最低でもかかるだろう。
往復でも二週間以上。戦争が長引けば一、二年はラシード王国とヴィエルディナ王国との国境でリオネルは過ごすことになる。
ヴィエルディナは軍事国家なので長引きそうだ。
……もし、リオネルに何かあったら……。
大切な親友が怪我をするかもしれない。最悪、死ぬかもしれないと思うと怖くてたまらないが、リオネルのためにわたしが出来ることは何もない。
わたしに出来るのは無事を祈ることだけ。
顔を上げればリオネルと目が合う。
……ううん、気落ちしてる場合じゃない!
リオネルが『帰ってくる』と言うのだから、わたしはそれを信じて、リオネルが帰ってきた後のことを考えよう。
「ねえ、リオネル、出版社を紹介して」
黄金色の瞳が瞬いた。
「前に、わたしの小説を出版社に持ち込んでみたらどうか、って言ってたよね?」
「確かに言った」
「自分の可能性に賭けてみたいの」
ふむ、とリオネルが小首を傾げる。
「それは構わないが、以前は『恥ずかしいから無理』と言っていなかったか?」
リオネルに小説を出版社へ持ち込み、読んでもらい、上手くいけば出版出来るかもしれないという話を聞いた時、わたしは首を振った。
あの時は自分の趣味小説を出版社の人に見せるなんてとんでもないと思ったが、今は羞恥心なんて気にしている場合ではない。
「ちょっと恥ずかしいけど、自分で稼ぐ当てがほしいの」
「何故?」
「もしリオネルが怪我をして、不自由になっても、わたしが稼げたらいいかなって。もちろん無事に帰ってきてくれるのが一番だけどね!」
リオネルが不思議そうに目を瞬かせた。
「……俺を養う気か?」
わたしは大きく頷いた。
「うん、そういう目標ならやる気も出るでしょ?」
わたしは自分に甘いから、自分のためだと『このくらいでいいや』と適当なところでやめてしまうかもしれないけれど、リオネルのためだと思えばきっと頑張れる。
女家庭教師も考えたが、社交界で笑いものにされているわたしを子供の教育係にしたがる家は少ないだろうし、わたし自身も人に何かを教えるのはあまり得意ではない。
王城で働くにしてもこの外見では面接で受からないだろう。
あとはもう、長所を生かす。
つまりは『娯楽小説を書く』ことしかない。
「あ、持ち込みは今まで書いた小説だけにするよ。わたしの小説を最初に読む権利はリオネルにあげる約束だし」
「まだ結婚していないがいいのか?」
「いいよ。だってリオネルがわたしの小説の一番最初の読者で、ファンで、応援してくれる人だから。リオネルに見せていないものは他の人にも見せないし、出征中に書いた小説もリオネルが帰ってきて読むまで誰にも渡さない」
リオネルが嬉しそうにふっと笑った。
「それは責任重大だな」
「そうだよ。リオネルが帰ってこなかったら、わたしの小説は誰の目にも触れなくなっちゃうんだから、絶対帰ってきてね」
出版社に持ち込んでみないことにはどうなるか分からないが、そう言えば、きっとリオネルは無理をしてでも帰ってきてくれる。
「お前が作家を目指すというなら応援する」
……そう言ってくれると思ったよ。
本当はまっすぐでとても優しい人だと知ってるから。
「ありがとう。応援してくれるお礼は出世払いということで。それで、いつかわたしがリオネルを養ってみせるからね!」
「それは俺の台詞だと思うがな。筆頭宮廷魔法士になれば、お前を余裕で養える程度の給金はもらえるだろう」
「じゃあ二馬力で頑張ろう」
「にばりき?」
リオネルが首を傾げたので説明する。
「二頭立ての馬車みたいな感じで、わたしとリオネルでお互いに生活を支えていくの」
「お前がそうしたいなら好きにすればいい」
「そのうちわたしがリオネルより稼いだりして?」
「筆頭宮廷魔法士より高給取りとは大きな目標だな」
二人で顔を見合わせて笑い合う。
先ほどまでの重苦しい空気はなくなっていた。
リオネルは魔法だけじゃなくて剣の腕も立つらしいから、戦争で魔法が使えない状況になったとしても、何とかなるだろう。
……こういうことを見越していたのかな?
昔、リオネルが剣も習っていると聞いた時、わたしはそれが不思議で訊いたのだ。
「魔法が得意なのに何で剣の訓練もするの?」
それにリオネルはこう答えた。
「魔法士は魔法に秀でている一方、接近戦に弱い。詠唱中に距離を詰められて攻撃されたら簡単に負ける。日頃から剣を扱いながら魔法が使用出来るように訓練していれば、いざという時に戦えるだろう」
その時のわたしは、凄いなあ、くらいにしか感じていなかったけれど、もしかしたらリオネルは最初から筆頭宮廷魔法士になるためにどこかで武勲を立てるつもりだったのかもしれない。
リオネルが魔法だけでなく剣の腕も優秀だという話は噂で伝え聞いているものの、実は、彼が剣を持つ姿は見たことがなかった。
魔法についてはたまに話すことがあり、何度か魔法も見せてもらったこともあったが、どういう魔法が得意とか普段はどんな仕事をしているのかとか、そういうものは知らなくて、考えてみると色々謎の多い人である。
……あんまり自分のことを話したがらない感じだしなあ。
訊けば答えてくれるだろう。
でも、本人があえて言わないことを根掘り葉掘り訊くのもどうかと思う。
友達だから全部知らなければいけないということもない。
「わたしも『筆頭宮廷魔法士になりたい』ってリオネルの目標、応援してるよ。どっちが先に目標達成するか賭ける?」
わたしが持ちかけた話にリオネルがおかしそうに笑う。
「賭けてもいいが、何を賭けるんだ?」
「うーん、お金はちょっとなあ。……あ、それなら『勝ったほうのお願いを一つ叶える』ってどう?」
これならリオネルもわたしも、お互いに無理難題は出さないだろうし、お金を賭けるよりいいだろう。
リオネルがわたしの顔をまじまじと見た。
「本当にそれでいいのか?」
「ん? うん、いいけど……?」
「そうか、ではそうしよう。どちらが先に目標達成出来るか。先に達成したほうが勝ちで『敗者は勝者の願いを一つ叶える』で問題ないな?」
「問題ないよ」
リオネルが口角を引き上げ、不敵に笑う。
「お前は本当に面白い」
リオネルはわたしよりも先に目標を達成するだろう。
しかし、それでいい。そうであればいい。
功績を挙げて戦争から帰ってこなければリオネルは目標を達成出来ないのだから、その時点で『無事に帰ってきて』というわたしの願いは叶えられる。
この賭けはそもそもわたしが負ける前提だった。
……これをリオネルに言ったら怒るかなあ。
でも、それを話すなら戦争より無事に戻ってきてからにしよう。