えっと、その、変じゃない?
舞踏の間に戻った後は誰からも話しかけられることはなく、わたし達は壁の華となって他愛もないお喋りして過ごしたのだった。
帰り際に公爵夫妻にご挨拶をしてから馬車に乗り込む。
馬車が公爵家の敷地を出て、ホッと肩の力が抜ける。
行儀が悪いが、馬車の背もたれに体を預けると、揺れに合わせてズルズルと体が下に落ちていく。
「ドレスにしわがつくぞ」
と、リオネルに言われて慌てて座席に座り直す。
「久しぶりの夜会だったから疲れちゃった」
しかも最後まで残ったのもかなり久々である。
書き物もせずに過ごしたので時間も長く感じた。
「俺も少し疲れた」
リオネルも言葉通り、疲れた様子で息を吐く。
「他の人達はもっと挨拶周りとか社交とかしてるんだよね。わたしは夜会に出るだけで体力なくなっちゃうのに凄いなあ」
「社交が好きというのはそれだけで才能だな」
「そうだね〜」
貴族は社交が大事なので、人と上手く付き合えたり、人と接するのが好きだったりするのはそれだけで強みになる。
リオネルもわたしも正直、社交下手だ。
……貴族としては良くないよね。
でも今更社交界に出てもなあという気持ちもある。
リオネルと婚約したことで、パジェス公爵令嬢のようにリオネルに想いを寄せているご令嬢達から敵視される可能性が高い。
別に無視されても敵視されてもいいけれど、わたしが攻撃されているのをリオネルが黙って見ているとは思えないので、結果、より状況は悪化しそうだ。
そうなるくらいなら最初から社交をせず、あまり人と関らずにいたほうが良い気がする。
まあ、それはそれとして、今日話しかけてきたご令嬢達の言葉はちょっとわたしの心に刺さった。
一応、格好などは気を遣っているけど、やっぱり太っていること自体がよろしくないのだろうし、貴族の令嬢令息から見れば醜いのだろう。
……リオネルは懐が広いなあ。
こんなわたしでも婚約を結んでくれるのだ。
「今度お母様と美容サロンにでも行こうかな」
体型はすぐにどうにか出来るものではないが、肌や髪の調子を整えたり、流行を取り入れたオシャレな装いをしたり、もっと身嗜みに気を遣ったほうがいいかもしれない。
「瀉血はするなよ」
「しないよ。痛いのは苦手だし」
瀉血とは、腕などを切って余計な血を出すことで貴族達が好む青白い肌を手に入れる方法だ。
だが、実際は余計な血なんてないし、青白いのは血が抜けて顔色が悪くなるだけなのではないかと思うし、痛いのは嫌だ。健康を損なうだけである。
リオネルが満足そうに頷いた。
「それでいい。健康な人間が血を抜けば害になるだけだ」
リオネルも瀉血には懐疑的なようだ。
そうこうしているうちに馬車が我が家に到着し、外から扉が開けられたので、馬車から降りようと腰を上げる。
けれどもリオネルに軽く腕を掴まれた。
「エステル」
名前を呼ばれて首を傾げれば、リオネルが言った。
「俺はお前の容姿を好ましいと思っている。ルオー侯爵も夫人も、お前の兄もきっとそうだ。だから、誰に何を言われても気にすることはない」
「それはちょっと難しくない? だってみんながわたしを『醜い』って言えば、それが一般論になるんだよ」
「お前は俺や家族よりも他人の言葉を信じるのか?」
ムッとした表情のリオネルに苦笑してしまう。
「そういうわけじゃないけど……」
大多数がわたしを『太って醜い』と言えば、それが世間一般の感覚なのだ。信じる、信じないという話ではない。
それに身内贔屓というものもあるだろう。
「美しい容姿の俺が『醜くない』と言うのだから、お前は醜くない」
「うわあ、すっごい自信……」
貴族や王族は美しい者が多いけれど、恐らく、リオネルほど美しい容姿の者は少ないだろう。
リオネルはきちんと自分の容姿を理解している。
美しくて、優秀で、それでいて優しいなんて完璧である。
「とにかく、お前はもっと自信を持て。他人の評価など所詮はその人間の主観でしかない」
「大勢の意見が同じなら客観的にならない?」
「それは主観の寄せ集めでしかない。第一、同じ価値観で教育された者が同じものを見れば、ほとんどが同じ意見になるだろう」
「なるほど」
リオネルと話をしていると難しくて分からないこともあるけれど、今、わたしを励まそうとしてくれていることは伝わってくる。
見目が良くて、優秀で、それでいて実は性格もいいなんて完璧である。
わたしの腕を掴んでいる手にもう片手を重ねる。
「ありがとう、リオネル」
黄金色の瞳を見返す。
「ちょっと自信ついた」
「『ちょっと』なのか?」
「すぐには自信満々にはなれないよ」
リオネルがふっと微笑んだ。
「それなら、自信がつくまで『美しい』と言い続けよう」
「『醜くない』じゃなくて?」
重ねた手が握り返される。
「お前は美しい」
誰かに『美しい』と言われたのは初めてだった。
* * * * *
「お母様、わたしも美容サロンに行ってもいいですか?」
翌日、お母様に相談すると何故か嬉しそうな顔をされた。
「もちろんよ。美容に興味を持ってくれて嬉しいわ。あなたと一緒に美容サロンに行きたいとずっと思っていたの」
そうしてお母様は即座に美容サロンの予約を取ってくれて、三日後、一緒に行くことになった。
リオネルにはその日は出かけるので侯爵邸にいない旨の手紙を送ってあるから問題ないだろう。
……初めて行くから緊張する。
お母様と乗った馬車が美容サロンへ向けて走り出す。
「ふふ、娘と行けるなんて嬉しいわ」
「言ってくだされば一緒に行きましたよ?」
「誘えば付き合ってくれたでしょうけれど、あなたが自分の意思で『行きたい』と思わなければ意味がないの」
ちょん、とお母様に鼻先を軽く指でつつかれる。
「磨けば綺麗になるわ。でもね、男性でも女性でも、心から『綺麗になりたい』と思えばもっと美しくなれるのよ」
「……お母様はどうして綺麗になりたいんですか?」
わたしの問いにお母様が微笑む。
「自分自身のためもあるけれど、私は『愛する人に愛されたい』『愛する人に一番綺麗な姿を見てほしい』と思うからかしら」
「お母様とお父様は政略結婚だと聞きました」
「ええ、そうよ。前侯爵であるあなたのお祖父様が早くに亡くなられて、お父様が当主となり、地盤を固めるために私と結婚したわ。結婚後に愛を深めたの」
お母様とお父様はごく普通の貴族らしい政略結婚だったけれど、それでも、こうして愛し合う夫婦になれた。
お父様もきっと、こういうお母様だからこそ愛したいと思えたのだろう。
「お母様とお父様、どちらが先に好きになったんですか?」
お母様は笑って口元に指を当てた。
「それは私とあの人だけの秘密よ」
そう言ったお母様はとても楽しそうで、美しくて、そして何となくお父様のほうが先にお母様を好きになったのだろうなと予想がついた。
……お父様、ああ見えてお母様にべた惚れだしなあ。
若い頃のお父様とお母様の話を聞いていると馬車が停まった。
外から御者が目的地に到着したとを告げ、扉が開かれる。
御者の手を借りて馬車を降りれば、清潔感のある白い建物が目の前にあった。
馬車を降りたお母様も建物を見上げる。
「ここが私行きつけの美容サロン『花の妖精』よ」
歩き出したお母様について行く。
お母様が扉を開けると即座に明るい声をかけられた。
「ようこそ、花の妖精へ」
美しい女性に出迎えられて驚いた。
お母様よりいくらか若い、茶髪に青い瞳のその女性は華やかなドレスを身に纏い、大きな椿みたいな花の髪飾りをつけている。
「いらっしゃいませ、ルオー侯爵夫人、侯爵令嬢。本日はお越しいただき、ありがとうございます」
「いいえ、こちらこそ今日は娘共々お願いね」
それから建物の奥へ案内され、お母様とわたしとで別々のドレッサーの前に座るよう促された。
椅子に腰掛けると茶髪の女性が手を叩く。
数名の、やはり見目の良い女性達が現れて、お母様に三人、わたしに茶髪の女性と二人ついた。
「本日、お嬢様の美容のお手伝いをさせていただきます、キャサリン・ミラーと申します」
「エステル・ルオーと申します。……その、こういった場所は初めてなのでご迷惑をおかけしてしまうかもしれませんが、よろしくお願いいたします」
「そう緊張なさらず、どうぞお寛ぎくださいませ」
茶髪の女性、ミラー様は穏やかに微笑んだ。
まずは髪を邪魔にならないように纏めてもらい、顔に温かな蒸しタオルを当てられる。ほのかに花の良い匂いがして肩の力が抜ける。
丁寧に蒸しタオルで肌を温められた後にたっぷりの化粧水を肌に与えられ、良い香りのオイルをつけたミラー様の手がわたしの顔をマッサージしていく。
……気持ちいい……。
「体はご自宅のメイド達がマッサージしてくださいますが、顔は意外と忘れられがちなのです。しかし人目に最も触れる顔もきちんとマッサージすれば更に小顔になりますわ」
慣れた様子で頬や顎をミラー様の指が撫でていく。
強すぎず、弱すぎず、撫でるように、揉むように顔の肉をほぐされる。
「うふふ、お嬢様のお顔は触り心地が良いですね」
「……全体的に肉がついているので」
「そういう意味ではございません。お嬢様は元より肌質が良いのでしょう。肌理細かく、もっちりした、けれど柔らかくて触れている私のほうが癒されるような心地好さですわ」
マッサージが終わると他の女性達がわたしの頬をツンとつついて「あら」「まあ」と楽しそうに声を上げてはまたつつく。感触を楽しむ手つきだった。
「お嬢様は普段からお化粧をなさいますか?」
「いえ、まったく」
「ではあまりお化粧と分からないお化粧方法をお教えいたしましょう」
まずは不要な眉毛を抜いたり剃ったりして形を整える。
それから眉毛を描く眉墨が用意される。
沢山の色味の中からわたしの眉色にあったものが選ばれ、眉毛が描かれる。
「お嬢様は穏やかで優しそうなお顔立ちですから、ハッキリ描くのは似合わないかもしれません。眉根は少し離す印象で、少し弧を描くように、肌との境はぼかして……」
あっという間に眉毛が出来上がる。
それほど大きく印象が変わるわけではないものの、放置したままの太めの眉に比べるとスッキリとして見える。
「次に睫毛を伸ばしましょう」
次に睫毛にマスカラみたいなものを塗られた。
「こちらは軟膏に灰などを混ぜたものです。入浴時によくお顔や目元を洗っていただけば綺麗に取れますよ。ただ、泣いても流れ落ちてしまうので気をつけてくださいね」
「はい」
最後に頬紅を控えめにはたかれる。
「頬紅で赤みを出すことで色白さを強調します」
眉と睫毛と頬紅を変えたことで明るい印象になった。
いつもより目も大きく、ぱっちりとして見えるし、頬紅のおかげで童顔にも少しメリハリは出たような気がする。
少なくとも最初より見目が良い。
でも化粧をしたという感じはあまりなく、自然な仕上がりだ。
「あら、エステル、更に可愛くなったわね」
横にいたお母様に言われて少し照れてしまう。
「お嬢様は元々目も大きくていらっしゃいますので、濃いお化粧をせずとも十分お可愛らしいですわ」
お母様も綺麗にお化粧を施してもらい、それから髪を整え、お化粧品を購入する。
不思議なもので、ちょっとお化粧をしただけなのに、いつもと違う自分に生まれ変わったような気持ちになれる。
「またのお越しをお待ちしております」
馬車に乗って侯爵邸へと帰る。
「美容サロンって凄いですね」
「ええ、そうね、だからつい通ってしまうのよ」
ほほほ、とお母様が困ったように笑った。
とりあえず眉毛の描き方は覚えたし、お化粧品も買ったので、今後は毎日お化粧をしてみよう。
少なくともお化粧をしないでいるよりも、したほうが自信がつく。
……今度リオネルが来たら気付いてくれるかな?
そして、屋敷に着いて驚いた。
何故か屋敷の応接室にリオネルがいたからだ。
「え、何でいるの? わたし、今日は出かけるって手紙で伝えておいたと思ったけど……」
「侯爵夫人から招待を受けた」
……お母様がリオネルを呼んだ?
そのお母様は、お父様に綺麗にお化粧してもらった姿を見せに行くのだと先ほど意気揚々と書斎へ向かっていった。
リオネルが立ち上がり、近付いてくる。
目の前に立ち、まじまじと見つめられる。
「……眉毛と睫毛か?」
訊かれて頷いた。
「正解。あと頬紅も薄くつけてもらった」
「そうか」
熱心に見つめられて、落ち着かない気持ちになる。
「えっと、その、変じゃない?」
リオネルの黄金色の瞳がぱちりと瞬き、ふっと笑った。
「よく似合っている。より美しくなったな」
その言葉に嬉しいけれど、なんだか少し気恥ずかしくて、照れくさくて、でもやっぱり嬉しい。
ああいう場所は初めてだったが行って良かった。
「お化粧のやり方を教えてもらったし、これからは出来る限り、ちょっとでもいいからお化粧してみようと思う」
「それで自信がつくなら良いことだ」
その後、自室に移動していつも通りリオネルは読書を、わたしは小説を書いて過ごしたのだった。
リオネルは三時間ほど過ごした後に帰った。
お化粧はお父様やお兄様にも好評であった。
夕食中、ずっとお父様がお母様をチラチラ見ていて、お母様はそれに気付いていないふりをしていて、自分の両親だが可愛らしい人達である。
その日から、入浴後のマッサージは顔も行うようになった。




