わたしも愛してるよ、リオネル。
ラシード王国から帰還して一ヶ月半。
執筆や書籍の作業をしながらも、穏やかな日々を過ごしていた。
リオネルは筆頭としての仕事をして、わたしは作家活動をして、夫婦としての仲も少しずつではあるが深くなっている。
リオネルは相変わらず仕事を終えたらまっすぐ帰宅してくれるので、毎日夕食は一緒に摂っているし、一緒に過ごして、夜も同じベッドで眠る。
……触れ合うことは増えたけど。
無理に関係を押し進めようとしないリオネルの真面目さと、わたしが恥ずかしがっているせいもあって、そういうことはまだしていない。
その辺りはわたしに合わせてくれているようだ。
それ以外の夫婦の関係は良好だと思う。
わたしも作家活動が順調で、前回キャシー様達に渡した『イヴァンジェリン』も出版の運びとなり、今は誤字や脱字を確認しながら原稿を直している最中である。
それと並行して新作も執筆中だ。
ラシード王国をイメージした国の物語は、キャシー様達も応援してくれている。
今後、フォルジェット王国とラシード王国はより友好を深めるために交流を増やすだろう。
それを考えれば、ラシード王国をイメージした小説は注目されて話題になる可能性も高く、設定としても切ない恋の物語なので人気も出そうだとなった。
そのために鋭意執筆中である。
意外なことに、筆頭宮廷魔法士の妻は仕事がない。
他の筆頭の夫人がどうか知らないが、リオネルは基本的に「エステルが社交をしたければすればいいし、したくないなら放っておけ」というスタンスなので、わたしも社交はしていない。
リオネルが筆頭となり、結婚してからは侯爵令嬢だった時よりもお茶会や夜会の招待状が送られてくるようになったものの、リオネルと顔を繋ぎたいのだろうということが窺える。
それは別に悪いことではないが、わたしを馬鹿にしていた人々のために、わたしが好きでもない社交をする必要があるのだろうか。
リオネルも社交には興味がないらしい。
むしろ、わたしが家にいることを望んでいるようだった。
「俺以外の他の男と親しくなってほしくはない」
ちなみにキャシー様は男にカウントされていない。
リオネル曰く、キャシー様の恋愛対象は男性だそうで、キャシー様は女性を同性と見ているそうだ。
……なるほど、だから気にしてないんだ。
わたしがどれほど小説のことでキャシー様と盛り上がっても何も言わないのは、キャシー様の恋愛嗜好を知っていたかららしい。
そう思うとキャシー様がリオネルを好きになるのでは、と心配したが、それもないのだとか。
「性格的に俺とあれは合わない」
ちなみにキャシー様にも訊いてみたら同じ返答だった。
「リオネル様は良き支援者ではありますけれど、恋愛対象として見ることはありませんわね。私の趣味ではございませんもの」
「キャシー様はどのような方がお好きなのですか?」
「うふふ、それは秘密ですわ〜」
リオネルとキャシー様はあくまで支援する側と支援される側というだけで、それ以上の付き合いはないようだった。
それから、ラシード王国に手紙も送った。
ジャウハラ様とライラ様、そしてワディーウ様だ。
ジャウハラ様からいただいたカッファ豆は最高級のもので、週に二、三回、リオネルが休日の時に一緒に飲んでいる。
アイスコーヒーにハマったリオネルだったが、遅い時間に飲んでしまい、眠れなくなるということがあったので、それ以降はカッファはわたしが見ているところで飲んでもらうことにした。
もらったカッファは美味しいので、沢山飲みたい気持ちは分かる。
だが、飲み慣れていない、それもかなり濃いめのカッファにちょっとミルクとハチミツを入れたものを何杯も飲めば、眠れなくなるのも当然だろう。
いつもは先に寝落ちするリオネルが珍しく全然寝ないと思ったら、カッファの飲みすぎで眠れなくなるなんて……。
さすがにリオネルもこれは良くないと思ったのか、カッファを飲む時間には気を付けるようになった。
そんなふうに穏やかに日々を過ごしていたのだが、その日の午後、王城にいるリオネルから手紙が届いた。
それを読んで驚いた。
ラシード王国とフォルジェット王国は互いに大使を置くことになり、本日、ラシード王国から我が国に駐在する大使が到着したらしい。
そこまでは何も問題はない。
ただ、その大使がなんとラシード王国の第二王子殿下だったそうで、殿下がリオネルとわたしに会いたがっているとのことだった。
慌てて身支度を整えて馬車に乗り込み、登城した。
王城に到着するとすぐにリオネルが会いに来てくれた。
「いきなり呼び出してすまない」
「ううん、大丈夫。第二王子殿下がフォルジェット王国に来たら、歓迎するって言ってたしね」
リオネルと共に応接室へ行けば、本当に第二王子殿下がいて、わたし達を見ると嬉しそうにニッと笑った。
『よお、来たぜ』
まるで悪戯が成功した子供みたいな笑顔だった。
『来る前に手紙を送るとおっしゃっていたではありませんか』
『悪い悪い、手紙を送ろうと思ったんだが、決まってすぐに向こうを立ったから、手紙と同時に着くって思ってよ』
『よくアルサラーン陛下がお許しになりましたね』
第二王子殿下はラシード王国がフォルジェット王国との交友を深めたい、信頼しているという証で大使として来たそうだ。
実際は、ラシード王国内で次代の王を王太子にしたい派と、あまり政に興味のない第二王子を王にして政権を牛耳りたい派の貴族がおり、その両者が争わないために第二王子が国を出たらしい。
元より第二王子殿下は自国にいることに固執していない。
『フォルジェット王国にいれば、英雄殿と手合わせする機会も増えるだろ? オレとしてはそっちのほうが魅力的だった』
だそうで、第二王子殿下は悪びれない様子であった。
ワディーウ様も大使として来たがっていたが、フォルジェット王国の大使の通訳や応対もあるため、ラシード王国に残ることとなったようだ。
『それに、もし次にオレが狙われても、ワディーウよりかは戦えるしな』
リオネルが溜め息を吐いた。
『そのようなことが起こらないよう全力を尽くします』
第二王子殿下は王城内の空いている宮殿で過ごすことになるそうで、ラシード王国からそこそこの数の使用人や戦士、そして外交官も連れて来ていた。
『殿下は我が国の言葉は話せますか?』
「ああ、話せる。歴史とか政の勉強は苦手だけど、こう見えて他国の言葉は得意なんだ。戦う相手と話せないと不便だしな」
予想以上に滑らかな言葉遣いに驚いた。
……でも、理由が殿下らしい。
「それで、いつ屋敷に招待してくれるんだ?」
水色の瞳を輝かせて問うてくる殿下に、リオネルと顔を見合わせた。
「私の休日でもよろしいでしょうか? さすがに妻しかいない家に男性を招待するわけにはまいりませんので」
「分かった。あとで休日を教えてくれ。こっちの予定とすり合わせて決めようぜ」
「そうですね」
それからリオネルは仕事へ戻り、わたしは応接室に残り、第二王子殿下の相手を務めたのだった。
殿下はフォルジェット王国に来て初めて見るものばかりらしく、道中見かけたものについても訊かれたし、秋に入って少し涼しくなった気温にも驚いていた。
「ずっと夜みたいな気温なんだな」
「冬はもっと寒いですよ」
「……オレ、冬は出られないかもな」
殿下には申し訳ないが、ちょっと笑ってしまった。
「厚着をすれば大丈夫ですよ」
それに、冬には冬の楽しみや遊び方もある。
きっと殿下はフォルジェットの冬を謳歌出来るだろう。
* * * * *
「今日はビックリしたねー……」
その日の夜、ベッドへ上がりながら苦笑してしまった。
ラシード王国から使節団が来るのは分かっていたし、いつか第二王子殿下がフォルジェット王国を訪れるだろうなとも思っていたが、まさかダブルパンチでやって来るとは思わなかった。
これはリオネルも予想外だったらしい。
ベッドの縁に座っているリオネルが頷く。
「まさか王族が来るとはな」
「今年の冬は第二王子殿下を招いて、暖炉の前でホットワインを飲みながら一晩明かすことになるかもね」
「……容易に想像出来るな」
溜め息を吐くリオネルの背中に抱き着いた。
涼しくなってきたので、わたしより体温の高いリオネルに抱き着くと温かくて心地好い。
「賑やかな冬になりそうだね」
リオネルと結婚して初めて迎える冬だ。
わたしとリオネルでは静かな冬になるかもしれないが、あの第二王子殿下のことだから、頻繁に遊びに来たがるだろう。
外交官の人達も招き、なんだかんだ楽しく過ごせそうだ。
「あまり騒がしいのは好きではない。それに、ここに来るということは、お前と過ごす時間が減る」
「そうかもだけど、これからもずっと一緒に過ごすんだから、少しくらいはいいんじゃない? その分、こうして夜にゆっくり過ごそうよ」
リオネルが振り向いた。
腕を離すと、体ごと振り返ったリオネルがわたしの額にキスをして、ギュッと抱き締められる。
「我が儘を言うが、お前を独り占めしたい」
わたしを閉じ込めるように抱き締めるリオネルに、わたしもその背中に腕を回して抱き締め返す。
「わたしもリオネルを独り占めしたいよ」
「俺の心はいつでもお前のものだ」
「わたしもそうだよ」
それでも足りないと感じるのは我が儘なのだろうか。
リオネルの頬に触れると、手を重ねられる。
わたしの手にすり寄る仕草がちょっと可愛い。
近づいてくるリオネルの顔に目を閉じれば、唇に柔らかな感触がした。
二度、三度とキスされて、やはり少し恥ずかしい。
いつもなら、ここでわたしがギブアップしてしまって、リオネルもそれ以上は無理強いはしない。
しかし、今日はなんだかもっとリオネルに触れたかった。
わたしのほうからリオネルにキスをすると、リオネルが目を丸くした。
「……その、今日はもうちょっと、こういうことしたいかも」
そう伝えるとリオネルが硬直した。
……え、そこでなんで固まるの?
ついわたしもまじまじとリオネルを見ていたので、その顔が赤くなるのもしっかりと目撃してしまった。
リオネルが右手で顔を覆う。
「……それは卑怯だ」
とリオネルが呟く。
「俺を試すようなことをするな」
「別に試してないけど……」
「これでも、お前に触れるのをかなり我慢しているんだ」
はあ、とリオネルが小さく息を吐く。
瞬いた黄金色の瞳にこもった熱にドキリとした。
「……えっと、あんまり我慢しすぎなくてもいい、よ? 恥ずかしいけど、嫌なわけではないし、夫婦だからそういうことをするのも自然な話だし……」
自分で言っていながら段々と顔が熱くなる。
……これだと、わたしがそう望んでるみたい……。
でも、望んでいないと言えば嘘になる。
リオネルのことが好きで、ずっと、この先も一緒に過ごしたい。
「わたしは、リオネルとちゃんと夫婦になりたい」
「それがどういう意味か分かっているのか?」
「理解してるつもりだよ」
ギュッとリオネルが着ているバスローブの袖を握る。
……凄く恥ずかしいけれど、でも……。
「わたしもリオネルに触れたい」
そっとリオネルへキスをする。
リオネルの腕がわたしを抱き締めた。
唇が離れ、優しくベッドに押し倒される。
「……今度、契約を改めて見直すべきだな」
リオネルの言葉にわたしは首を傾げた。
「契約って、結婚した時のあの?」
「ああ、そうだ」
「もう条件なんて決めなくてもいいんじゃない?」
あれは契約結婚のために決めた条件だった。
あの時は恋愛なんて考えていなかったが、今は、条件を付けなくてもいいと思うのだが……。
しかしリオネルが小さく首を横へ振った。
「お前の嫌なことや俺に気を付けてほしいことなどを明記しておけば、互いにすれ違うこともないだろう。……時には気持ちが先走ってお前の望まないことをしてしまうかもしれない」
リオネルの手がわたしの頬を緩く撫でる。
「俺はお前を大事にしたい」
わたしのことを考えて、想って、大切にしてくれる。
家族以外で、これほどわたしに愛情を与えて、心を傾けてくれる人が他にいるだろうか。
わたしはリオネルへ頷き返す。
「うん、分かった。また改めて条件を決めよう」
「ああ、子供についても話し合わないとな。小説を最初に読む権利は誰にも譲らないが」
「その権利はずっとリオネルのものだよ」
わたしの笑いはリオネルのキスに呑み込まれる。
きっとわたしのことを想ってくれていたから、契約婚を持ちかけた時に受けてくれたのだろう。
……ちょっと分かりにくいんだよね。
でも、リオネルはわたしを愛してくれている。
わたしもリオネルを愛している。
それがとても嬉しくて、幸せで、心が温かくなる。
「愛している、エステル」
囁かれた言葉に、わたしも返す。
「わたしも愛してるよ、リオネル」
こんなに幸せになれるとは思わなかったけど。
契約婚は、わたしとリオネルの愛の証である。
──物書き令嬢と筆頭宮廷魔法士の契約婚は溺愛の証(完)──