外すっていう選択肢はないんだ……。
重なった手がグイと引かれて大きくターンをする。
その勢いに俯きかけていた顔を上げれば、リオネルはまっすぐにわたしを見つめていた。
「言っただろう。お前はお前らしくいればいい。他人の目など気にする必要はない。今は俺だけに集中しろ」
先ほどの少し強引なリードとは裏腹に、その後は優しい動きでダンスが続く。
「俺に任せておけば失敗はない」
「いつも思うけど、その自信はどこからくるの?」
「経験からだ。俺は失敗したことがない」
……ああ、すっごく説得力ある。
リオネルが何かをやって失敗するなんて想像出来ない。
優しいけれど、有無を言わさないような、人からすれば少々強引に感じるかもしれないリードだが、ダンスに自信のないわたしにとってはむしろ安心する。
確かにリオネルに任せれば万事上手くいくのだろう。
見下ろしてくる黄金色の瞳を見つめ返す。
「分かった」
わたしが肩の力を抜くと、リオネルがふっと微笑んだ。
そうしてリオネルにリードされるまま、一曲目を終え、二曲目を続けて踊る。
初めてリオネルと踊ったけれど、ぎこちなかったのは最初だけで、一曲目を踊り終える頃にはまるで何年も共に踊った相手のように滑らかに動けた。
……リオネルは凄い。
たった一曲踊っただけでわたしとの動きを覚えたのだ。
歩幅やターンのタイミングなど、リオネルがわたしに合わせてくれているのが分かる。
わたしに合わせて踊るのは身長差を考えても大変だろうに、嫌な顔ひとつせず、それどころか楽しげに口角を引き上げてわたしを見る。
自信に満ちた、黄金色の瞳の美しい輝きに引き込まれてしまいそうだ。
気付けば二曲目も終わり、楽しい時間はあっという間に過ぎた。
互いに礼を執り、ダンスを終えて輪から離れる。
「疲れていないか?」
リオネルに問われて苦く笑う。
「ごめん、ちょっと疲れた」
「仕方がない。普段座っていることが多いからな」
二曲続けて踊ったのは初めてということもあり、たまに夜会に出席してお兄様と一曲だけ踊るのとは違う。
リオネルはわたしを椅子に座らせると近くの給仕に声をかけた。
「何か、酒気のないものを二つ頼む」
給仕はすぐに飲み物を用意してくれた。
リオネルは給仕からグラスを二つ受け取り、片方をわたしへ差し出した。色合いからして恐らくリンゴジュースだろう。
それを受け取り、一口飲む。やはりリンゴジュースだ。
「ありがとう」
リオネルが頷き、何か言おうとしたところで声をかけられた。
「リオネル、ルオー侯爵令嬢」
声をかけてきたのはイベール男爵だった。
そのそばには男爵夫人もいる。
立ちあがろうとすると「そのままで」と男爵に手で制された。
「今日のこの良き日を迎えられて私も妻も大変喜ばしい限りです。ルオー侯爵令嬢、愚息のことを今後ともよろしくお願いいたします」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします。それからわたしのことはどうぞエステルとお呼びください」
「おお、ありがとうございます、エステル嬢……!」
やや大袈裟に喜ぶ男爵と微笑む男爵夫人から、リオネルは視線を逸らしてむっつりと黙っている。
男爵夫妻は他にも挨拶回りがあるのでと離れていったが、やはり、リオネルに声をかけることはなかった。
せっかく機嫌の良さそうだったリオネルは両親の襲来を受けて、ご機嫌斜めになってしまったようだ。
「リオネル、一度休憩室に行く?」
「……いや、問題ない」
小さく息を吐いたリオネルは眉間のしわを消した。
そして持っていたグラスの中身を飲み干し、近くにいた給仕にグラスを返す。
「……それにしても、思ったより誰も話しかけてこないね?」
こちらを気にする気配や視線は感じるものの、他の招待客がわたし達に話しかけてくる様子はない。
「お前も俺も他に交友関係がないからな」
「ハッキリ言うなあ。まあ、事実だけどね」
でも、そのほうが気楽に過ごせる。
下手に話しかけられても面倒だし、わたし達のことが気になる人達は両親やイベール男爵夫妻に挨拶がてら話しかけるだろう。
わたしもリオネルも主役と言いつつ行うことはない。
リオネルは男爵家の次男で、そこへ嫁ぐわたしも侯爵家の次子だから、交友関係を繋いでもあまりうまみはない。
宮廷魔法士と知り合いになりたいと思う者は多いが、リオネルの性格上、そういう人間は寄せ付けたがらないし、この美形に睨まれたら自然と腰が引けてしまう。
ダンスの後は三十分ほどそうしていたけれど、突き刺さる視線ばかりで話しかけてくる人もおらず、やることもない。
「お父様達に声をかけて退出しちゃおっか」
椅子から立ち上がるとリオネルが首を傾げた。
「いいのか?」
「いいんじゃない? 一応、主役としてダンスもしたし、誰も話しかけてこないし。リオネルは明日も仕事があるんでしょ?」
「ああ、あるが……」
珍しく言葉尻を濁すリオネルの手を取った。
「訊きに行ってみよう? ダメだったら終わる時間まで休憩室に引っ込んじゃえばいいんだよ」
歩き出しながらリオネルに問い返される。
「それは実質同じことだと思うが」
「そうだね」
招待客と話しているお父様とお母様のところへ向かう。
二人は話していても、わたし達が近付いてくるとすぐに気付いてわたし達の名前を呼んだ。
「エステル、リオネル君」
「あら、二人ともどうかしたの?」
わたしはリオネルの左手に自分の手を絡め、少し寄りかかる。
「お父様、お母様、久しぶりに夜会に出席したせいか、少し疲れてしまいました。退出するか、休憩室で休んでいてもよろしいでしょうか?」
二人は顔を見合わせた後に苦笑する。
「そうね、あなたは普段こういった場に出ないものね」
「ああ、確かに少し疲れているように見える。婚約発表も終わっているから、後は私達に任せて、先に退出するといい」
と、言ってくれた。
「ありがとうございます」
「リオネル君も少し休んでから家に帰りなさい」
リオネルも会釈をした。
「ありがとうございます。そうさせていただきます」
お父様達と話していた招待客にも礼を執り、わたしとリオネルは揃って舞踏の間を後にした。
舞踏の間から離れ、喧騒が遠ざかると、顔を見合わせた。
そして、どちらからともなく噴き出した。
「婚約発表の場で真っ先に退出する主役達なんているか?」
「あはは、ここにいるでしょ?」
「社交界で噂になるかもしれないな」
笑ったリオネルの顔は無邪気で、いつもより少し幼く見えるその笑顔に温かな気持ちになる。
「その時はその時ということで」
途中で会ったメイドにリオネルを客室へ通すように伝え、リオネルと一旦分かれて自室へ戻る。
侍女のウィニーに酷く驚いた顔をされた。
「お嬢様? お早いお戻りですが……もしや、何か不備がございましたかっ?」
慌てるウィニーに首を振って答える。
「違うよ。疲れたから退出してきちゃった」
「してきちゃったって……お嬢様達は今夜の主役ですよ!?」
「うん、でも誰も話しかけてこなかったし、お父様達からもお許しはもらっているからいいんじゃない?」
ウィニーは何とも言えない顔をしたものの、わたしが「リオネルが待ってるから普段着のドレスに着替えたいの」と言えばすぐに動いてくれた。
化粧を落とし、ドレスを脱ぎ、軽く洗顔して肌を整えたら普段着のドレスに着替えて、髪も解いてもらう。
……やっぱり夜会用のドレスって疲れる。
普段着のドレスもちょっと動きにくいのに、華やかな夜会用のドレスはそれより重くて動きにくいので苦手だった。
夜会用のドレスの片付けをウィニーにお願いして、身軽になったわたしはリオネルのいる客室へ向かった。
多分、リオネルも普段着に着替えているだろう。
客室の扉を叩く。中から「どうぞ」とリオネルの声がした。
扉を開けてちょっとだけ覗き込めば、既に服を着替え終えていて、頭を覗かせたわたしに訝しげな顔をした。
「何をしている?」
「いや、まだ着替え中だったらまずいかなあと思って」
「もし着替え途中なら入室の許可は出さない。そもそも『着替え中かもしれない』と思いながら覗いたのか?」
リオネルが呆れた顔をする。
部屋に入りながらわたしは首を振る。
「いや、別に覗くつもりはないし、終わってるって分かってたよ? でも、もしかしたらってこともあるかもしれないから。まあ、リオネルくらい見た目が良ければ裸の一つ二つ、見られても恥ずかしくないんだろうけど」
椅子に座っているリオネルの、テーブルを挟んだ向かい側の椅子に腰掛けた。
テーブルには紅茶が二つ用意されている。
まだ注がれてからさほど時間が経っていないのか、触れたティーカップは温かかった。
どうやらわたしが来る頃合いを見て、使用人に声をかけておいてくれたらしい。
「裸を見られるのは普通に恥ずかしい」
「そうなの?」
「お前は見目が良かったら誰にでも肌を晒すのか?」
「なるほど、それはただの変態だね」
リオネルほど美しい容姿なら、たとえ裸を見られても何とも思わないのかと考えていたけれど、そうではないらしい。
頬杖をつくリオネルをまじまじと見る。
美人は三日で飽きると言うが、リオネルの顔は何度見ても見飽きるということはない。
羞恥心はあると言うわりに、わたしがジッと眺めていていても気にした様子はないのだが、そこはまた別なのだろう。
「エステル」
急にリオネルに名前を呼ばれる。
「なぁに?」
頭の片隅で『エステル』と『リオネル』ってなんだか似ているな、なんてくだらないことを思った。
しかし、これをリオネルに言えば恐らく『四文字なのと最後にルがつく点しか似てない』と返されるのは分かっている。
「左手を出せ」
「? はい」
言われた通りに左手を差し出せば、リオネルがわたしの手に触れて、懐から取り出した何かをわたしの指に通す。
「……婚約したら必要だろう」
リオネルの手が離れると、わたしの左手の薬指に黒い指輪が光っていた。少し大きいそれが目の前でしゅるりとわたしの指に合わせて縮んだ。
「え、縮んだ!?」
「魔法で装着者の指に合わせるようにした。それから、俺に用がある時には指輪に話しかければ、多少離れていても会話が出来る」
「思ったより凄くない!? それってほぼほぼ魔道具じゃん! ええ、こんな高そうなの落としたらどうしよう……」
魔道具というのは名前の通り、魔法を付与した道具のことだ。色々あるけれど基本的にどれも高価で、物によっては金貨数百枚の値段になることもある。
「安心しろ、それは俺が外さない限りは取れない」
「え」
試しに指輪を引っ張ってみる。……取れない。
だが指輪によって指が圧迫されている感覚はなく、普通に通っているだけに見えるが、何故か外れない。
「これだと寝る時とかお風呂の時も外せないんだけど」
「錆止め加工は施してある。外す必要はない。俺も同じものをつけているから、それで会話が出来る」
「外すっていう選択肢はないんだ……」
黒い指輪はよく見ると金粉みたいなものが混ざっていて、キラキラと輝いている。
「それを外すのは婚約が解消された時だけだ」
婚約した時に男性側から婚約の証として指輪を贈るというのは貴族の間では慣例だが、それにしても、魔道具の指輪をもらうなんて。これ一つで一体いくらなのか。
「ん〜、リオネルといつでも話せるなら良いのかなあ。あ、でも昼間は仕事とかあるだろうし、話しかけないほうがいいよね?」
「気にせず、好きな時に声をかけろ。俺にはお前以上に優先するものはない」
「リオネルってば、すぐそういうこと言うんだから」
この美形は懐に入れた相手にはとことん甘いらしい。
「でも、ありがとう。たまにリオネルの声が聴きたいって思うことがあるから嬉しい。リオネルもわたしとお喋りしたい時は遠慮なく声かけてね」
リオネルに笑いかけると照れたように視線が逸らされる。
「……言われなくともそのつもりだ」
気恥ずかしいことをよく言うくせに、人に言われると照れるところはちょっと可愛い。
わたしが指輪を矯めつ眇めつしていると、リオネルが左手を差し出して自分の指輪も見せてくれた。
「ん? こっちは金のキラキラがないね?」
リオネルの指輪はわたしの指輪と違い、金粉が散っている感じはなく、黒いだけに見える。
「分かりにくいが青色の魔石を砕いて混ぜてある」
「そうなんだ? 何でわたしと違うの?」
「互いの瞳の色を使っている」
言われて、なるほど、と納得した。
リオネルの瞳は黄金色で、わたしは青色。
装飾のないシンプルな指輪だが、全体が基本的に黒色ということもあり、かなり存在感を持っているように思う。
「大事にするね」
黒く、金粉が混じってキラキラと輝く指輪はリオネルみたいでとても綺麗だった。
その後、少し話してリオネルは男爵家に帰って行った。
 




