そうですね、一番のファンはリオネルです。
「お帰りなさい、リオネル様、先生。お二人に一月も会えなくて寂しかったですわ」
帰還した翌日、手紙を送るとすぐに返事があった。
そしてリオネルも休みということもあり、午後にキャシー様が屋敷を訪れた。
わたしの編集担当のリーネさんとアエラさんも連れて来てくれて、二人は初めて見るリオネルにちょっと頬を染めていた。
……うんうん、分かるよ。リオネルって美形だもんね。
「ラシード王国はいかがでした? 私もまだ行ったことがないのですが、砂の国はとても暑いそうですわね」
「はい、とても暑かったです。でも、フォルジェット王国と違った雰囲気の街や景色が楽しめますし、砂漠の夕焼けや星空も美しくて、良い機会を得られたと思います」
「そうなのね、羨ましいですわ〜」
三人はフォルジェット王国から出たことがないらしい。
王都で生活していると、貴族でもない限り、そう簡単には旅行も出来ない。お金もかかるし道中も危険だ。
そこで、侍女に手を振ってお土産をテーブルに置いてもらう。
「こちら、皆さんへのお土産です。この箱はラシード王国のお菓子で、こちらの袋がカッファ豆で、豆のほうはラシード王国の王太子殿下の夫人からいただきました」
「あら、カッファ豆なんて久しぶりだわ〜。私、これが好きなの。嬉しいですわ。……ですが、王太子殿下の夫人からいただいたというのは……?」
「あちらにいる間、一度お茶会に招待していただいたのです。その時に親しくなり、色々ありまして、お礼にカッファ豆を定期的に送ってくださることになりました」
キャシー様が「まあ!」と声を上げた。
「ということは、このカッファ豆はとても良い豆なのでしょう。飲むのが楽しみですわね」
「あ、飲み方は分かりますか?」
「ええ、二人には私から教えるので大丈夫ですわ」
ご機嫌な様子のキャシー様に、お土産自体が嬉しかったのかリーネさんとアエラさんもニコニコしている。
リオネルは我関せずといった様子で紅茶を飲んでいた。
それからキャシー様からこの一月の様子について説明を受ける。
まず、先に出した『幸福の青い薔薇』の上下巻が大人気だそうで、前回の重版分が売り切れたので、また重版したいということ。
その重版に合わせて、続編も売り出したいこと。
続編は大体確認も終えて、修正も済ませているので、あとは出版するだけであること。
「先生の承諾が得られればいつでも売り出せますわ」
という話だった。
「わたしのほうはそれで問題ありません」
「では次の重版に合わせて続刊も発売ということにしましょう」
「はい」
キャシー様の後ろでリーネ様がメモを取っている。
重版も出版も嬉しい限りである。
そこで、わたしも侍女からノート代わりに使っている本を受け取り、ページを開いた。
リーネさん、アエラさんと今後の予定について話していたキャシー様がわたしの動きに気付いてこちらへ顔を戻す。
「実はですね、新しい小説が思い浮かんだので、皆様にお話ししようと思いまして」
ノートを広げ、テーブルへ置く。
キャシー様が本を手に取り、ページを読む。
「フォルジェット王国とラシード王国は今後も交流を深めていきます。ですので、新しい小説はラシード王国に似た国を舞台に書いてみたいのですが、よろしいでしょうか?」
もちろん、すぐには書けないので、これが書き終わるまでは今手元にある、完結済みの小説を次回作として売り出せばいい。
……勢いが良ければ結構早く書けるかもしれないけど。
どの程度の期間で執筆出来るかはわたしにも分からない。
「隣国の姫が、王太子の下へ嫁ぐために国へ来ます。その道中、盗賊に襲われ、姫が危険にさらされた時、戦士が現れて姫を救います。姫は戦士に想いを寄せてしまうのですが、両国の関係のために嫁ぐ予定の姫が、兵の一人である戦士の青年と結ばれることは出来ない。一方、戦士も初めて見る異国の姫の美しさ、性根の良さに段々と心惹かれていって──……この二人が結ばれるまでの物語ですね」
まだ題名もついていないが、物語は波瀾万丈なものとなるだろう。
王太子の妻となる姫と、勇猛果敢な青年戦士。
姫と王太子の関係は元より白い結婚であるが、王太子と結婚後、姫の護衛に青年戦士が選ばれる。
そして二人は共に過ごし、互いを知り、より惹かれていく。
ネタを読んだキャシー様が顔を上げた。
「これも素敵だわ〜。この設定だけでも、もう読みたくなってくるもの。是非、こちらも書いていただけますかしら?」
「はい、喜んで!」
「先生はご自分が書きたいものを書いてください。それが売れるかどうか判断して、出版するのは私達の責任ですわ。先生はとにかく、好きなように書いてくださいな」
「分かりました」
それまで一言も口を挟まなかったリオネルが言う。
「最初に読む権利を持つのは俺だからな」
念を押すように言われて笑ってしまう。
「うん、元々好きで書いてるものだけど、リオネルが読んでくれるから楽しくて続けられてるんだよね。書き終わったら最初にリオネルに見せるよ」
「それならいい」
と、リオネルは紅茶のおかわりを飲む。
それにキャシー様が、うふふ、と微笑んだ。
「あ、でも、すぐに書けるわけではないので、とりあえず、もし次に新しく出版するのであれば、今わたしの手元にある完結済みの別の小説を先に出すという形になると思います」
「ええ、それは構いませんけれど……先生、失礼ながら書き終えた小説はどの程度ありますの?」
キャシー様に問われて首を傾げる。
……どれくらいあったっけ?
考えているとリオネルがわたしの代わりに答えた。
「今は二十一本あるはずだ。それとは別に冒頭のみが三冊」
キャシー様が両手を合わせ、嬉しそうな顔をする。
「まあ! そんなに!? 次を出すとしたら、どのようなお話の小説にするおつもりかしら!?」
「え、あ、そうですね、えっと、何がいいかな……」
考えているとリオネルが言う。
「『イヴァンジェリン』はどうだ? 先に出した『幸福の青い薔薇』とは完全に違う話だろう?」
「あー、あれね」
キャシー様達に『イヴァンジェリン』について説明する。
主人公は二人。天界に住む天使の女の子と、下界に住む、とある国の第二王子。ただし、第二王子は妾の子で虐げられていた。
天使の女の子は毎日、天界の泉から下界を眺めていた。
その時、第一王子に虐められて池に落とされた第二王子が天界に来てしまう。池と泉が繋がってしまったのだ。
まだ幼い二人が出会い、純真無垢な天使の女の子が第二王子をこっそりと助け、第二王子は天使の女の子の助力を得つつ、才能を開花させていく。
助けられ、共に過ごすうちに第二王子は天使の女の子に想いを寄せるようになるのだが、天使の女の子には恋愛というものが分からなくて。
第二王子の視点では、彼が王となるまでの物語を。
天使の女の子の視点では、第二王子との恋物語を。
二つの物語が同時進行で進んでいく。
ちなみに『イヴァンジェリン』とは天使の女の子の名前だ。
「それも面白そうですわね〜」
「いわゆる『成り上がり』と『恋愛』が楽しめる物語です」
「そういう話は男性も女性も楽しめるわ。よろしければ、一度読ませていただけますかしら?」
「はい、大丈夫です。持って来るので、少しお待ちください」
と席を立ち、応接室を出る。
色々なことが順調で、本当に毎日が楽しい。
……イヴァンジェリン、実は四部作なんだよね。
それだけあれば、新作を書く時間も十分に得られるだろう。
* * * * *
応接室からエステルが出ていく。
すると、キャスウェルが気持ち悪いほどいい笑顔を浮かべた。
「リオネル様、奥様との仲が深まったようですわね〜」
羨ましいわ、と続けられ、リオネルはキャスウェルを軽く睨んだ。キャスウェルは何かと目敏い男である。
「お二人が政略結婚なのか、恋愛結婚なのかは分かりませんけれど、距離が縮まって、エステル様もリオネル様も雰囲気がより柔らかくなりましたもの。……はあ、恋って良いですわね〜」
そしてこのキャスウェルという男は他人の恋愛話が好きだ。
根掘り葉掘り訊かれそうな雰囲気に、リオネルは眉根を寄せた。
「出資金を減らすぞ」
「怒らないでくださいませ。私としましても、悩みなどで先生が執筆を出来なくなったらと思うと心配なのですわ」
「妻の不安を除くのは夫である俺の仕事だ」
「あら、素敵」
楽しそうに、ふふふ、と笑うキャスウェルに、リオネルは眉間のしわを深めながらも紅茶を飲む。
「エステル様は愛されていらっしゃるのね〜」
これ以上何かを言っても、余計にキャスウェルを喜ばせるだけになりそうな予感がして、リオネルは固く口を閉ざした。
それでも、キャスウェルは楽しげである。
部屋の扉が叩かれ、エステルが戻ってきた。
少し走ったのか、髪が僅かに乱れている。
隣に座ったエステルの髪をリオネルは直してやった。
「髪が乱れている」
「あ、ありがとう。急いで取りに行ったから、つい」
「こんな奴はいくらでも待たせればいい」
髪を整え、最後に一撫でするとエステルが照れたように笑った。
……口付けたい。
だが、さすがにキャスウェル達の前でしたら、エステルも怒るだろう。
エステルは持ってきた本をテーブルへ置いた。
「こちらが『イヴァンジェリン』です。四部構成なので全部で四冊ありますが、まずは第一部の一冊目をご覧ください」
「持ち帰っても?」
「はい、どうぞ。ただ、こちらは原本なのであとで返していただけると嬉しいです」
「かしこまりました。破損しないよう気を付けますわ。ああ、楽しみがいつまでも続くって素敵ですわね〜」
キャスウェルが本を手に取り、喜んでいる。
エステルの担当だという後ろの二人の女性も明るい表情をしており、エステルの書く小説を楽しみにしているのだろうことが窺える。
それにエステルが嬉しそうに笑っており、その笑顔に、エステルの小説が喜ばれていることに、リオネルも喜びを感じた。
「その点ではリオネル様が羨ましいですわ。いつでも好きな時に先生の小説が読めて、誰よりも一番に楽しむことが出来て。先生の一番のファンはリオネル様かもしれませんわね」
キャスウェルの言葉にエステルが振り向く。
目が合うと、エステルが照れた様子で笑った。
「そうですね、一番のファンはリオネルです」
そっとエステルの手が、リオネルの手に重なる。
それを握り返し、リオネルも自然と口角が上がった。
以前まではエステルのほうから触れてくることなどなかったが、想いが通じ合ってからはエステルからの触れ合いもたまにある。
ただ、エステルから触れ合うことはいいらしいが、リオネルから触れると恥ずかしいようだ。
……恥ずかしがっているのも可愛らしいが。
リオネルとしては、こうしてエステルのほうから触れてくれることも嬉しい。
互いに微笑み合っていると、こほん、とキャスウェルが小さく咳払いをして存在を示す。別に忘れているわけではない。
「こちらの『イヴァンジェリン』ですが、一週間ほどでお返事をいたしますわ」
「はい、よろしくお願いいたします」
その後は『幸福の青い薔薇』の売り上げ状況についてキャスウェルが説明した。
「前回の重版分はいつでもお支払い出来ますけれど、どういたしますか?」
「急いではいないので、一週間後のお返事の際に一緒にお持ちいただければ大丈夫です」
「かしこまりました。日が近づきましたら、また改めてお手紙をお送りいたしますわ」
キャスウェル達は必要な話が済むとあっさり帰って行った。
エステルと共に三人の乗った馬車を見送る。
「カッファとお菓子、気に入ってくれるといいなあ」
と、呟くエステルの肩を抱き寄せた。
「苦味の強いカッファにも、あの菓子なら合うだろう」
「そうだよね。……話していたら、カッファを飲みたくなってきちゃった。カッファとお菓子で改めてお茶しない?」
「ああ、喜んで」
使用人に声をかけ、部屋にカッファと、ラシード王国で購入した菓子を持ってくるよう伝えておく。
そうしてエステルをエスコートしながら部屋へ向かう。
……エステルの部屋で過ごすのが当たり前になったな。
共に寝室で過ごすのは夕食後か寝る前で、大体はいつも、エステルの部屋でリオネルも過ごしている。
ちなみに、エステルがリオネルの部屋に入ったことはない。
リオネルは別に気にしていないのだが、エステルは「個人で過ごす場所もあったほうがいいよね」と気を遣っているのか入ろうとしない。
そのわりにはリオネルがエステルの部屋に入り、好き勝手にすることについては特に何とも思っていないようだ。
「またカッファに氷を入れるか?」
リオネルの問いかけにエステルがパッと笑った。
ずっと、いつまでも、その笑顔を守りたい。
触れた頬の柔らかさに笑みが浮かぶ。
……ウンム・クルスームか。
まさしくその通りだと思いながら、リオネルは口付けたのだった。
* * * * *
 




