リオネルも一緒に飲む?
首都を出発し、国境へ向かう。
砂漠に出て、その暑さを感じると首都の中のほうが意外と涼しかったという事実に気付く。
やはり砂漠だと直射日光と地面の照り返しが凄い。
日差しが強く、気温の最も高い昼前後の数時間は砂漠の所々にある岩場の陰で休み、それ以外の時間で道のない砂漠を進む。
夜は気温が下がり、方角を見失う可能性もあるため、野営をして体を休める。
パチパチと小さく爆ぜる焚き火を眺めつつ、夕食を摂る。
干し肉と芋が入った辛味のあるスープと堅焼きのビスケット、干した果物がデザートだ。
こう暑いと生の食べ物は大抵が傷んでしまうため、砂漠で食べられる食事はどうしても限られてくるだろう。
食事は塩気が強くて、昼間、汗で流れた塩気を補う目的もあるのかもしれない。
デザートの干し果物をちびちびとかじる。
わたしを膝の間に抱いたリオネルも同じだ。
『英雄殿、ウンム・クルスーム、隣いいか?』
第二王子殿下が来て、言いながら横に座った。
『なあ、フォルジェット王国は冬になると雪が降るって本当か? 空から氷が落ちてくるんだろ? どんな感じだ?』
『氷と言っても硬い粒ではありません。触るとすぐに水になってしまうような、小さな欠片のようなものが降り積もって、見える範囲全体を白く染めます。ラシード王国の者からしたら冬場は寒すぎるかもしれません』
『そんなに寒いのか』
『ええ、冬場は暖炉がないと過ごせませんし、外に水を溜めておくと翌朝には凍ってしまいます』
第二王子殿下とリオネルが話をしている。
そうするとワディーウ様もやって来た。
『殿下、他国の冬を舐めてはいけません。我が国と違い、冬場にうっかり外で眠ると寒さで死ぬこともあります』
第二王子殿下とは反対の隣にワディーウ様が座った。
何故、リオネルとわたしを挟んで座るのか。
しかも、二人からはほのかにお酒の匂いがする。
『しかし、雪景色はとても美しいですよ。あと、積もった雪に寝転がったり、歩き回ったりするのも楽しいです。他国では雨と雪以外にも雹や霰という、硬い氷の粒も降ることがあります。空から落ちてくる氷は雪と違って大粒で硬くて、当たると痛いのです』
『へえ。そう聞くと他国の冬は寒そうだな』
『ええ、とても。冬場に暖炉の火に当たりながら、温めたワインを飲む時間は不思議と幸せな気持ちになりますよ』
ワディーウ様は他国の冬を満喫した経験があるらしい。
でも、雪の中に寝転がったり、歩いたり、ホットワインを飲んだり、満喫の仕方がどこか子供っぽい。
第二王子殿下が目を丸くする。
『温めたワイン? 美味いのか?』
『ホットワインのことですね。ハチミツやハーブ、香辛料、他にもレモンやオレンジの輪切りなども入れて火を通したものです。酒気は低いですが、体の内側から温まります』
『甘味付けにハチミツ以外にジャムを入れても美味しいです』
不思議そうな第二王子殿下にリオネルが説明し、わたしも思わず口を挟んでしまった。
確かに、冬場に暖炉の前で飲むホットワインは美味しい。
雪の降る静かな夜に、今のように火に当たりながら、読書をしつつ飲むホットワインは小さな幸せをもたらしてくれる。
ホットワインは赤でも白でも作れるし、冬場の眠る前に飲むと体が内側からポカポカしてよく眠れるのだ。
『ジャム入りも美味しそうですね』
ホットワインの味に思いを馳せているのか、ワディーウ様が嬉しそうな笑みを浮かべる。
『私は普通のハチミツで味付けをするものが好きです』
「まあ、ハチミツが一番合うのは確かだよね」
ジャムも美味しいけれど、好みもあるし、甘味付けで一番合って美味しいのはハチミツだろう。
わたしもジャムを入れるのはたまにで、普段はハチミツ多めでホットワインを作ってもらう。
『ラシード王国も冬場の夜は少し冷えるでしょう。冬場の夜のホットワイン、是非試してみてください』
『レシピは覚えているので今度作りますよ、殿下』
リオネルの言葉にワディーウ様が笑って言い、第二王子殿下が『絶対に作れよ』と話している。
……ホットワインが飲みたくなってくるなあ。
今が少し肌寒いので余計にあの甘くて温かくて、ちょっと渋さのある、あの味が恋しくなる。
『殿下がフォルジェット王国へいらしたら、きっととても驚くと思います。一年中、変化があって、美しい国です』
『いいな、行ってみたいぜ』
『もし殿下がこちらへお越しになる機会がありましたら、是非、お声がけください』
きっと、第二王子殿下は何を見ても驚いて、そして喜んでくれるだろう。ラシード王国とは何もかもが違うから。
その時は侯爵邸の中を案内して、緑豊かな庭園でお茶をして、夜は本邸に泊まってもらい、ホットワインを飲みながら暖炉のある部屋で談笑する。
そういうふうに過ごしても楽しいはずだ。
わたしの言葉にリオネルも頷いている。
『ははは、そうだな、その時は遊びに行かせてもらうか』
第二王子殿下が笑う。笑い方がラシード王国の国王陛下とそっくりで、ああ、親子なのだなと微笑ましくなる。
殿下が王都へ来たらという話で色々と盛り上がった。
屋敷を見たい。緑豊かな庭園を見たい。城を見たい。
フォルジェット王国の料理も食べたいし服も作りたい。
殿下自身も異国に触れてみたいのだろう。
わたしがそうであったように、良い経験になる。
『フォルジェット王国、行きてえなあ』
第二王子殿下のその呟きには強い憧れが滲んでいた。
* * * * *
そして国境沿いの街・シャマルに戻ってきた。
こうして見ると王都とシャマルの街でも雰囲気が少し違う。
夕方の少し前に到着し、預けていた馬と馬車を受け取り、代わりにラクダとソリを返却する。
最初に来た時に泊まった宿へまた宿泊することになった。
気を利かせてくれたのか部屋も同じだった。
まだ露店が開いており、開けた窓からカフワの独特の匂いが漂ってくる。
「時間があるなら、またあのカフワの露店に行かない?」
と、リオネルに声をかけるとあっさり頷かれた。
「ああ、構わない」
そういうわけで、わたし達は少し日が落ちかけた夕方に通りへ出掛けることにした。
やはり昼間は暑くて活動を控えているのか、夕方になると、昼間よりも人通りが多い。
リオネルと手を繋ぎ、離れないよう身を寄せ合って歩く。
……このカフワの匂いにも慣れたなあ。
人混みの間を縫ってリオネルは迷いなく進む。
露店の位置を覚えているらしい。
頭の良い人はやはり記憶力も良いのだろう。
見覚えのある露店の軒先に入る。
店先に立っていた男性がわたしとリオネルを見て、あっ、と表情を明るくした。
『やあ、この間の可愛らしいお客さん達! 首都へ行くと言っていたけれど、どうでした? 旅行は楽しめました?』
前回は言葉が聞き取れない部分も多かったが、今回は大体聞き取ることが出来た。
『はい、とても楽しめました。首都も美しかったです』
『そうでしょう? 特に宮殿は一生に一度は見るべきですよ。まあ、なかなか入る機会はありませんが。私もいつか宮殿を間近で眺めたいものです』
『あはは、そうですね……』
なんとなく『見て来ました』とは言い出しにくかった。
リオネルが二人分のカフワとお菓子を注文する。
男性が嬉しそうに頷き、カップを用意して、カフワを注ぐと手渡された。
初めての時は不思議で刺激的だと感じていた、この独特な匂いも、今では良い匂いに感じられる。
……首都でも匂いがちょっとしていたんだよね。
それだけ、この国では一般的な歓迎の飲み物なのだ。
粉が沈むまで待ちながら立ち話をする。
『ここでカフワを飲ませていただいたおかげで、首都へ行っても、出してもらったカフワを美味しく飲むことが出来ました。ありがとうございます』
ずっとこれを伝えたかった。
お菓子と飲むと美味しいことも、教えてもらわなければ知らないままだっただろうし、もし宮殿で初めて出されて飲んでいたら飲みきれなかったかもしれない。
男性が嬉しそうに笑う。
『それは良かった。慣れるとクセになる味でしょう?』
『はい、これが飲めなくなると思うと残念です』
『この先をまっすぐ行って、三つ目の門のところにある赤い布の露店で、お土産用にカフワの粉が売っていますよ。この店のカフワもそこで作ってもらっているから、話をすれば同じ味のものを売ってもらえます』
まさかカフワを購入出来るとは。
自分で作るのは難しいが、訊くと、浅煎りのカッファ豆とカルダンというハーブを細かく砕いた粉を売っているらしい。
あとは小鍋にお湯を沸かし、粉を入れて十分ほど煮出せばカフワの出来上がりだそうだ。
『本当ですか? 是非買います!』
『その隣にこのお菓子も売っているんですよ。このお菓子は日持ちがするので、道中に食べても、持ち帰ってお土産にしても喜ばれます』
『それも買わないといけませんね』
つい、真面目な顔で頷けば、男性がおかしそうに笑った。
それに釣られてわたしもリオネルも笑い出す。
カフワは好みが分かれそうだが、もらったカッファ豆とお菓子をお父様達やキャシー様達のお土産にするのはいいかもしれない。
カフワはわたしが楽しむ用にしよう。
カップの中で粉が沈み、お菓子を食べて、上澄みを飲む。
リオネルも同じようにしてカフワを楽しんでいる。
『我が国もなかなかに面白いでしょう?』
『そうですね、異なる文化に触れられて楽しかったです。街並みも、食事も、服装も、全部違って、どれも素敵でした』
『首都の神殿はご覧になりましたか?』
『いえ、色々用事もあって見ることが出来ませんでした』
そう答えると男性が少し残念そうな顔をした。
『良ければ、また我が国に遊びに来てください。首都の神殿はとても美しく、荘厳で、運が良ければ神官様方から祝福をいただけます』
『はい、またいつか必ず来ます。その時にはもっとゆっくり首都を見て回って、神殿にも寄りたいと思います』
『是非そうしてください』
二杯、カフワをもらい、お菓子を三つ食べてお金を払う。
カフワの粉とお菓子を買うために通りを進む。
男性に教えてもらったお店はすぐに分かった。
華やかな赤い布を使った露店からはカフワの匂いがした。
『通りの向こうにある、明るい黄緑色のカフワの店の店主に紹介されて買いに来た。あの店と同じものが欲しい』
『はいはい、買いに来てくれてありがとうね!』
リオネルが声をかけると中年女性が嬉しげに、明るい声で返事をした。
『あの店に卸してるのはこれだね。小瓶は二人で二杯、三回分入ってるよ。中瓶は五回分。大瓶は十回分』
『これはどの程度の期間保つ?』
『開けなければ数ヶ月は保存出来るよ。でも、開けたら早めに飲んでおくれ。開けたまま放っておくと湿気でダメになるから』
女性の言葉に頷いているとリオネルに問われる。
「どのくらい飲む?」
「うーん、頻繁じゃないけどたまには飲みたいかな。リオネルも一緒に飲む?」
「ああ、そうだな。俺も飲む」
リオネルが小瓶を指差しながら女性へ話しかける。
女性が頷き、小瓶を少し目の粗い麻袋に五つ入れた。
小瓶のほうが少し割高だが、大瓶だと飲み切らないうちにダメになってしまいそうなので、小瓶のほうが確かに良いだろう。
それから、女性がわたし達へ訊き返す。
『あの店の紹介ってことは、隣で菓子も買ってくかい?』
『ああ』
『だってさ、うちのカフワ粉買ってってくれたお客さんだから、少し安くしておくれよ!』
女性が隣の露店へ声をかける。
すると、隣のお菓子の露店にいた別の女性が頷いた。
『ええ、いいわよ。いくつ欲しいの?』
『とりあえず、あの店にあった菓子が欲しい』
「あ、お父様達やキャシー様達にもあげたいな」
リオネルが頷き、お菓子の露店の女性へ続けた。
『十人分、包んでくれ』
『まあ、そんなに買ってくれるのね。ありがとう、ちょっと待っていてもらえるかしら? 誰かに贈るもの?』
『ああ、贈答用も用意出来るか?』
「ええ、ちょっと値段が張るけど綺麗な箱に入れるわね」
お菓子の露店の女性が言いながら、忙しなく動き出す。
カフワの粉の露店の女性が『沢山買ってくれてありがとね!』と笑う。気持ちのいい笑顔だ。
そうして、平たい柄入りの綺麗な箱に入れたお菓子を十箱、大判の布でまとめて用意してくれた。
『沢山買ってくれたから、それぞれの箱にうちのオススメを一種類ずつオマケしておいたわ。値段も細かいところは要らないわ』
『ありがとう』
リオネルがお金を払い、箱を受け取る。
結構重たそうだ。
代わりに瓶の入った麻袋はわたしが持つことにした。
「大丈夫?」
「これくらいなら問題ない」
リオネルが空いているほうの手でわたしの手を握る。
『また来なよ!』
『カフワとお菓子、ゆっくり楽しんでね』
二人の店主に見送られ、来た道を戻る。
先ほどのカフワのお店の前を通ると、こちらに気付いた男性が笑顔で手を振ってくれた。
両手が塞がっていたので瓶の入った麻袋を少し持ち上げて見せると、いっそう明るい笑顔で手を振ってくれる。
二人で宿へ戻り、侍女達に荷物を任せた。
これでフォルジェット王国へ帰っても、カフワが楽しめる。
異国の欠片を持ち帰るみたいでなんだか楽しかった。
 




