あっという間の一週間だったね。
それから数日、リオネルは外交官として活動し、わたしは部屋で小説のネタを考えたり、ワディーウ様のお見舞いへ行ったりしながら過ごした。
色々とあった一週間だった。
ただ、ワディーウ様の件もあり、首都観光は出来なかった。
もし何かあれば、今度こそフォルジェット王国とラシード王国の間で問題に発展しかねない。
使節団もわたしも厳重な警備の下で過ごすことになった。
部屋を出る時は少し過剰だと思うくらい護衛が付くので、わたしは素直に部屋に引きこもっていた。
リオネルに想いを告げてから、距離は近くなったけれど、あれ以降はキスもしていない。
「わたしと口付けるのは嫌?」
と訊いてみたら逆の答えが返ってきた。
「歯止めが利かなくなるから控えている」
ここは他国で、しかも使節団の一員として来ているため、歯止めが利かなくなると仕事を放り出してしまいそうなのだとか。だから我慢しているらしい。
我慢しているというわりにはべったりだが。
そうして最終日の夜、宴が催されることとなった。
リオネルは相変わらず筆頭宮廷魔法士の装いだ。
わたしは袖のない黒いドレスに身を包んでいる。
胸元まではしっかりと生地があり、胸元から首までは黒のレースで作られており、キラキラと輝く小さな宝石がドレスには散りばめられている。
そこに黒い牡丹のような大きな花を模したヘッドドレスをつけ、同じく黒い生地で出来た手袋をはめる。
ヘッドドレス、手袋、靴にも小さな宝石があり、黒一色のドレスであっても軽やかな印象を与える。
「準備は出来たか?」
「うん、大丈夫」
立ち上がり、差し出されたリオネルの手を取る。
リオネルがわたしの全身を確認した。
「今日も美しい」
リオネルはわたしが黒いドレスを着ていると機嫌が良い。
……まあ、黒はリオネルの色って感じするよね。
「リオネルもいつも通りかっこいいよ」
そんな話をしているうちに案内の迎えが来た。
扉から顔を覗かせたのはワディーウ様だった。
数日休んだだけでワディーウ様は「もう元気になりまシタ」と快気報告に来たので凄く驚いたけれど、ラシード王国の男性はわりとそのような感じらしい。
ワディーウ様も学者寄りと言っても戦士としてそれなりに体を鍛えているそうで、治癒魔法で怪我も完治していたから貧血さえ治れば問題ないのだとか。
「バタルも夫人も今日は一段と輝いていますネ」
「ありがとうございます。ワディーウ様もお元気になられて何よりです」
「むしろベッドの上で動けなくて体が鈍るかと思いまシタ」
リオネルのエスコートで部屋の外へ出ると、バートランド様達使節団の人々も丁度集まったところだった。
ワディーウ様の案内で今夜のパーティー会場へ向かう。
バートランド様だけでなく使節団の人々も、ワディーウ様の元気な様子に安堵したようだ。
会場となる広間の扉前に到着する。
前回同様にワディーウ様が兵士に声をかけ、扉が開き、同時に使節団の到着が告げられる。
広間に入ってすぐ、空気が変わったのを肌で感じた。
首都に来たばかりに開かれたパーティーでは、どちらかと言えば興味津々といった視線が多かったけれど、今日は前回ほど不躾なものではないような気がした。
視線が柔らかいというか、好意的というか。
使節団とリオネルと共に広間の中心へ行けば、陛下だけでなく王太子殿下や第二王子殿下もいて、そこにはジャウハラ様とライラ様もいた。
ジャウハラ様とライラ様はわたしに気付くと微笑んだ。
わたしも挨拶代わりに笑顔を返す。
『もう一週間が過ぎてしまうとは、早いものだな』
バートランド様に陛下が話しかける。
『本当に。この一週間はとても有意義な時間でした。ラシード王国を訪れることが出来て、とても楽しかったです。条約についても我が王に良いご報告を行えることも嬉しいです』
『うむ、両国の良き関係を今後も期待しておる』
リオネルから教えてもらったが、フォルジェット王国とラシード王国との間で友好条約を結ぶことが決まったそうだ。
簡単に言えば、これからも良き友好国でいましょう、というものらしい。
今までよりも両国王家のやり取りを増やし、輸出入を増やし、互いの国に大使を置くことでより親密な関係となる。
これはヴィエルディナだけでなく、フォルジェット王国やラシード王国へ良からぬ考えを持っている国への牽制になるだろう。
どちらかの国に手を出せば、もう片方も出てくる。
二つの国を相手に戦争を行うのは難しい。
他国からの侵略を防ぐという意味でも、この友好条約の締結は大きな意味を持つ。
元より友好関係だったから話も問題なく進んだようだ。
『皆よ、今宵より我が国は正式にフォルジェット王国を友好国とし、今後はいっそう交流を深め、互いに支え合うこととなるだろう。昔から良き関係ではあったが、これからも良き隣人、良き友人としてフォルジェット王国と共に栄えて行こう!』
陛下の高らかな宣言に貴族達が拍手を行う。
フォルジェット王国の使節団も、リオネルも、わたしも、同じく拍手を行い、反対の声は出なかった。
『今宵は両国の友好を祝し、盛大に飲み、食べ、心ゆくまで楽しむが良い!!』
貴族達が嬉しそうにワッと歓声を上げる。
音楽が流れ、踊り子達が舞い、パーティーが始まった。
陛下はバートランド様達と話し、他の使節団もすぐに貴族達に話しかけられて談笑し始める。
リオネルとわたしも王太子殿下達に声をかけられた。
『英雄殿と夫人が帰ってしまうと寂しくなるな』
『王太子殿下のおそばには私達以上にあなたを慕う者達がいるではありませんか』
『あー、最後に英雄ともう一回手合わせしておけば良かったぜ』
王太子殿下とリオネル、第二王子殿下が話す。
ジャウハラ様とライラ様がわたしのそばへ来た。
『エステル様ももう帰ってしまうのね。もっとフォルジェット王国のことも聞きたかったし、あなたと過ごしたかったわ』
『わたしもジャウハラ様とライラ様と、もっと過ごしたかったです。フォルジェットへ帰っても、お二人に手紙をお出ししてもよろしいでしょうか?』
『まあ、お手紙、楽しみにしていますね……!』
ジャウハラ様とライラ様と手を取り合って、握手を交わす。
ライラ様が身を屈め、わたしの手の甲に額を押し当てた。
『エステル様は真の使徒様です。幸運の女神スアード様の穢れなき使い。どうか、いつまでも健やかにお過ごしください』
どのような意味があるのか分からないが、わたしの健康や幸せを願ってくれていることは伝わってきた。
ライラ様はご自分が身に付けていた装飾品の一つであるネックレスを外すと、わたしの首へとかけた。
どうやら贈り物としてくれるらしい。
『ありがとうございます。ライラ様も、ジャウハラ様も、どうぞいつまでも元気でお過ごしください』
ジャウハラ様とライラ様が笑顔を浮かべた。
最終日のパーティーのそんなふうに、終始和やかな雰囲気で過ぎていき、何事もなく終わった。
ちなみにこの後、ラシード王国の貴族達に話しかけられて『夫人の祝福をいただきたい』と請われて大変だった。
リオネルが『私の分の幸運が減るので』と断ってくれて助かったが、急にそのように話しかけられて戸惑った。
パーティーを終えて、部屋に戻る時に何故貴族達が急にわたしへ話しかけてきたのか、ワディーウ様が教えてくれた。
「王太子殿下の第二夫人ライラ様は、首都の神殿長様の孫娘であり、神殿の姫巫女なのデス。そのライラ様が夫人をスアード神の使徒と認めたので、皆、夫人から祝福を授かることでスアード神との繋がりを深めたかったのでショウ」
と、いうことだった。
女神スアードは常に夫を支え、時には諭し、助言を与え、死にかけた夫の部下の命を救ったのだそうだ。
わたしの心臓マッサージでワディーウ様が息を吹き返したことが、まさに女神スアードに関する話の一節とそっくりらしい。
巫女姫のライラ様が認めるということは、神殿がわたしを認めるのと同意義だという。
「バタルも夫人も、我が国では大人気ですネ」
とワディーウ様は笑っていたけれど、笑い事ではない。
ライラ様がくれたネックレスは神殿が認めた者にしか与えられない特別な装飾品なのだとか。
ラシード王国内にいる間は身に付けているようにとワディーウ様に言われた。
翌朝、ラシード王国のメイド達や兵士達の態度が一変し、より丁寧に、敬うように対応されてちょっと落ち着かない気持ちだった。
* * * * *
そしてフォルジェット王国へ帰還する日。
朝から侍女達が帰り支度のために忙しく動き回っている。
もう帰るだけなので本日の予定はなく、リオネルもわたしも、部屋で出立時間になるまでゆっくりと過ごした。
ジャウハラ様からも『帰り道に気を付けて』というメッセージカードと共に色鮮やかな薄手のストールみたいなものをもらった。
ローブは風通しが悪いので、暑い時はこのストールのような布を頭や肩にかけて過ごすと良いらしい。
良い絹糸を使っているのか肌に触れると微かにヒンヤリする上に、触り心地もとてもいい。
大量のカッファ豆ももらった。
ちなみに国境までワディーウ様や兵士達が護衛兼見送りとして同行してくれるとのことで、砂漠の道中も安心して帰れそうだ。
「あっという間の一週間だったね」
「そうだな、色々あって少し疲れた」
わたしを抱き締めたまま、リオネルが小さく息を吐く。
でも帰るとなれば少し寂しい。
美しい白亜の宮殿で過ごす時間は楽しかった。
……みんな優しくて親切だったし。
出立時間の少し前に部屋の扉が叩かれた。
誰だろうと思えば、第二王子殿下だった。
『オレも国境まで同行するぜ』
そういうことで、第二王子殿下との付き合いも、もう数日続きそうだ。
出立の時間まで第二王子殿下とお茶を飲んで過ごし、時間になったので、準備を整えて部屋を出る。
宮殿の正面入り口にフォルジェット王国の使節団が集まる。
見送りのために多くの貴族やラシード王国の使節団の人々、そして王族の方々も出てきてくれた。
バートランド様と国王陛下が握手を交わす。
『それでは、道中気を付けて帰られよ』
『ありがとうございます。また、こちらへ訪れる機会もあるでしょう。その時まで陛下もどうかご自愛ください』
『ははは、そうだな、健康のためにも酒は少し控えるとしよう』
陛下の言葉にリオネルが若干、口をへの字にした。
リオネルが酔っ払って陛下の前で少し寝てしまったことは他の誰にも話していないため、バートランド様は不思議そうな顔をしたものの、特にそれに対して言及はしなかった。
ラシード王国の使節団の人々も、皆、思い思いの言葉をかけてくれる。
『英雄殿もウンム・クルスームも、また我が国へいらしてください』
『道中、暑さと盗賊にはお気を付けて』
『英雄殿、次は是非お手合わせを願いたいです』
『お二人に平安と神のご慈悲があらんことを』
あまりに口々に言うものだから聞き取れないところもあったが、大体、そんなようなことを言っていたと思う。
『ありがとうございます。皆様の上にも平安と神のご慈悲があることを、祈っております』
『またお会い出来る日を願っています』
わたしもリオネルも、使節団の人々にはとても良くしてもらった。
バートランド様と話を終えた陛下がわたし達にも声をかけてくださる。
『英雄殿、夫人、いつでも遊びに来られよ。我が国はフォルジェット王国の者を、そなた達を歓迎しよう。そして、次に会う時は英雄殿と儂も手合わせがしたいものだ』
『光栄です、陛下。次にお会いした際は是非、お相手を務めさせていただければと存じます』
『楽しみにしておるぞ。二人とも息災でな』
『陛下も、いつまでもご健勝であらせられますよう』
差し出された手に、リオネルとわたしも握手を交わす。
熱いくらいに高い体温の、ゴツゴツとした大きな手の感触は硬くて、でも握る力はとても優しく、こちらを気遣ってくれる。
……ラシード王国に来ることが出来て良かった。
用意されていたラクダへと乗る。
来る時よりも多い荷物に心が温かくなる。
フォルジェット王国の使節団、第二王子殿下とワディーウ様が率いる兵士達がラクダへ乗ると陛下が歌い出した。
驚いていると、それに合わせて見送りに来ていた人達もシェラルク語で声を合わせて歌い出す。
『親しき者よ、素晴らしき戦友よ。灼熱の砂漠を越え、凍てつく夜を越え、千の槍が降ろうとも、友ために戦う者よ。そなたを讃えよう。その尊く勇敢な心は我らの胸に。この友情は死してもなお、魂となり、星となって燃え盛り続けるだろう』
朗々とした歌声が響く。
バートランド様がラクダの上で、右手を左肩に当てるラシード王国式の礼を執った。
使節団もわたし達もそれに倣って同様に礼を執る。
『我らが友情は不滅なり』
歌が終わり、門が開けられる。
宮殿を囲む壁を越え、首都へ出る。
ふと門を見上げれば、こちらへ手を振る二つの影があった。
やや背の高い鮮やかな緑の衣装と背の低い白い衣装。
それが誰か分かった瞬間、わたしは手を振り返した。
……ジャウハラ様とライラ様だ……!
宮殿内でも女性は自由に出歩くことは出来ないと聞いていたけれど、壁の上に上って見送りに来てくれたようだ。
「……また来たいな」
わたしの呟きにリオネルが頷く。
「ああ、次こそは共に首都を観光しよう」
「そうだね、まだラシード王国の知らない魅力がいっぱいあるはずだから、次は見て回りたいね」
その時はフォルジェット王国のお土産も沢山持って来よう。
……多分、簡単にはお許しはもらえないだろうけど。
それでも、ラシード王国には必ずまた訪れたいと思った。




