リオネルはわたしに甘いよね。
リオネルへ契約婚を持ちかけてから二週間、わたしとリオネルの婚約届が両家より提出され、何事もなく受理された。
つまり、もうわたし達は婚約者となったのだ。
それで変わったことと言えば、以前は週に一度だったリオネルの訪問が二、三日に一度となったくらいで、互いの態度は今まで通りである。
……まあ、いきなり態度が急変しても怖いけど。
「婚約発表は一週間後だね」
貴族は婚約した場合、親族や他の貴族などを招待して婚約披露パーティーを行う。
わたしとしては別にしなくても良いのではと思うが。
「あ〜、絶対目立つよね。……嫌だなあ」
ただでさえ悪い意味で目立つのに、主役となれば常に視線を向けられるし、リオネルの婚約者がわたしだと知った人々は多分色々と言うだろう。
あれこれ言われるのは別に構わないけれど、人の視線だけはちょっと苦手だ。
「俺と結婚するつもりなら慣れろ」
「リオネルは人の視線、嫌じゃないの?」
「気にしたことはないな」
本に視線を向けたままリオネルが言う。
「どうでもいい人間のことなど放っておけ。周りが何と言おうと俺が婚約したのはエステル・ルオーで、お前は婚約者として俺の横で堂々と立っていろ」
「うーん……」
さすがに全く気にしないというのは難しいが、リオネルの言う通り、他の人の視線ばかり気にしていたら何も出来なくなってしまう。
「お前は自分と家族と、俺のことだけ気にしていればいい」
顔を上げたリオネルがまっすぐにわたしを見る。
その言葉に笑ってしまう。
「相変わらず傲慢だなあ」
でも、決して悪い意味での傲慢さではない。
「嫌か?」
「全然。リオネルのそういうところ、結構好き」
「そうか」
少し口角を引き上げ、リオネルはまた本へ視線を向ける。
どうせ『ふくよか令嬢』だの『物書き令嬢』だの言われているわたしは悪目立ちしてしまうのだから、今更だ。
リオネルが読書に集中し始めたので、わたしも小説を書くことに集中する。
今、書いているのはありきたりな物語だ。
とある王国の姫君と近衛騎士の恋物語である。
リオネルはこれを「夢物語だな」と言ったものの、そのわりには気に入ったようで「早く続きを書け」とせっつかれている。
ベタベタな王道ストーリーではあるが、だからこそ、万人受けする。言い換えれば誰でも受け入れやすい。
最近気付いたが、リオネルは王道系の話が好きだ。
変に捻ったものよりもシンデレラストーリーみたいなシンプルで分かりやすい話のほうが面白いようだ。
逆に努力系の話はさほど響かないらしい。
「そのほうが現実味があると思うけど」
そう訊くと呆れた顔をされた。
「娯楽小説に現実さを求めてどうする?」
「都合が良すぎる展開、嫌じゃない?」
「物語自体が既に作者の考えたものとして書かれているのに、その流れに都合がどうこうと言うのは今更だろう。現実的な話を求めるなら歴史書を読めばいい」
と、言うことだった。
思い出して、ふふ、と笑ってしまう。
天才魔法士の愛読書が娯楽小説、しかも王道の恋愛小説だなんて誰も想像しないだろう。
リオネルはわたしの書く小説の読者であり、一番のファンでもあって、昔からこの趣味を理解してくれている。
……それを笑ったことなんて一度もないんだよね。
いつだって小説を読んで感想をくれるし、時には設定や物語を一緒に考えることもあり、それが意外と楽しい。
そういう時間がこれからも続くと思うと、やっぱりリオネルに契約婚の話を持ちかけて良かった。
自分の好きなことを否定されるのはつらいから。
リオネルが手土産に持ってきてくれたクッキーに手を伸ばす。
自分の食事を管理し始め、食事量をへらしてもらったおかげでティータイムでも少し間食する余裕が出来るとリオネルはたまに食べ物の手土産を持ってくるようになった。
ペンやインクなどの執筆に必要な道具以外に、休憩中や執筆中に食べられそうなちょっとしたお菓子も渡される。見た目もオシャレで美味しくて、リオネルと一緒に食べられるのが嬉しくて、共に過ごす時間がより楽しい。
毎回ではないというのも特別感があっていい。
わたしがクッキーを食べていると、本を読みながらリオネルもそれを一枚取り、口の中へ押し込む。わたしよりも大きい一口だが、口いっぱいにクッキーを頬張ったままモゴモゴと咀嚼している姿はどことなく幼く見える。
恐らく、本に食べかすを落としたくないのだろう。
きちんとクッキーに触れた指を拭いてからページを捲る。
これまでは「菓子は甘すぎる」と言って侯爵家の出した菓子も一口二口くらいしか手をつけなかったくせに、婚約して以降はわたしとのティータイムで同じものを食べてくれる。
そんな、不器用な優しさがリオネルらしかった。
「これからもよろしくね」
リオネルはやっぱり手元を見たまま「ああ」と短く返事をするだけであったが、とても機嫌が良さそうだった。
* * * * *
そうして穏やかに一週間が経ち、婚約発表の日が訪れた。
侯爵邸は朝から慌ただしいけれど、わたしはティータイムまではいつも通りのんびりと過ごさせてもらった。
ちなみに昼食後にリオネルが来た。
王城は昼間は出入りがしやすいけれど、夜間になると出るのは簡単に出来ても入る手続きは面倒なのだとか。
今夜はパーティーを終えた後、男爵家に帰り、翌朝には王城の寮へ戻るらしい。それも嫌そうだったが、さすがにここで「侯爵家に泊まる?」とは言えなかった。
婚約したその日のうちにリオネルが侯爵邸に泊まれば、良くない噂が流れるだろう。
宿に泊まるのは「それはそれで色々と面倒くさい」そうだ。
「宮廷魔法士のお友達の家に泊まらせてもらったら?」
「お前以外に友人はいない」
「え、あ、そうなんだ……?」
宮廷魔法士に所属してから何年も経つのに。
心配になる反面、それが嬉しくもあった。
……わたしもリオネル以外に友達いないし、似た者同士だなあ。
そんな風にまったりティータイムを過ごした後、身支度をする時間になり、リオネルは応接室へ着替えに行った。
わたしも侍女を呼んでドレスを着替える。
昼間着ているドレスは首元まで詰まったものが多いけれど、夜会やパーティーで着るものは首周りが開いたものが多い。
今日はリオネルが宮廷魔法士の制服を着る予定なので、それに合わせてわたしのドレスは白と青を使ったものだ。
白い生地に青い糸で華やかに植物の刺繍がされたローブやスカートで、正面に見える生地は青地に逆に白い糸で控えめに小さなバラの刺繍がされている。胸元に大きめなリボンとレースがつけてある。袖は肘までで、肘から先は白いレースになっていた。
ドレスを着替えて、薄く化粧を施してもらい、髪をハーフアップにして青い花の髪飾りをつける。
身支度を終えた頃、リオネルが戻ってきた。
「……宮廷魔法士の装いって何度見てもカッコイイよね」
上下白のスーツみたいな服はダブルボタンで、折り返された袖は青、襟から肩にかけては布地が変わって黒色で、服の縁取りは金糸だ。その上からフード付きの鮮やかな青色の上着を重ね、前を金の金具で留めている。上着の背中には国章が描かれていた。
下の装いは騎士と同じだけれど、上着が違うし、首元や腰などに連ねた宝石をつけている。そういうところが魔法使いっぽくて面白い。
ちなみに宝石は魔石と呼ばれる、魔力を溜め込む性質のある宝石で、宮廷魔法士に与えられている支給品の一つであり、装飾品ではなく仕事道具だ。
見目が良く長身で、モデルみたいなリオネルによく似合っている。
「そういえば、何で宮廷魔法士の制服にしたの?」
近付いてくるリオネルへ問う。
「持っている服の中でこれが一番華やかだからだ」
……あ、そっか、男爵家だもんね。
ついついリオネルの容姿に目がいってしまうが、リオネル自身は男爵家の次男なのでそれほど金銭的な余裕があるわけではない。
侯爵令嬢との婚約発表ならば、侯爵家に見合った華やかな装いをしなければならず、リオネルはこう見えてあまり派手な装いは好まない。
それなら宮廷魔法士の制服にしてしまえということだ。
「まあ、でも、リオネルならどんな格好でも似合うし、華やかな装いをしても服のほうが負けそうだよね。質素な装いで夜会に出ても許されそう」
「さすがに俺でも場に見合った装いくらいはする」
「うん、分かってるけど、それくらいリオネルはカッコイイよねって話だよ」
華やかなドレスに装飾品をつけたわたしでも、リオネルの横に立つと霞んでしまう。
姿見の前で二人で並んでみる。
……うーん、わたし横幅すごいな?
腰が細いほうが美人と言われる中で、この腰周りの太さでは社交界で笑われるのも仕方がない。
「ちょっと痩せようかなあ」
リオネルが小首を傾げた。
「お前はそのままでも十分いいと思うが」
「いや、ぷよぷよのぷよちゃんじゃん。見てよ、このお腹周り。こんな太い貴族のご令嬢、わたし以外に会ったことないよ」
コルセットをしても太い腰やお腹を触ってみせると、リオネルが鏡からこちらへ視線を向け、何故か一瞬固まった。
首を傾げると視線を逸らされる。
「立派な個性だな。あと、折れそうなほど細い腰はあまり好きではない。お前くらいどっしりしていたほうが安心する」
「どっしりって……」
「お前はお前らしくしていればいい」
リオネルの言葉に笑ってしまう。
「リオネルはわたしに甘いよね」
一度もデブとか痩せろとか言われたことがない。
いつだって今のわたしを肯定してくれる。
「そう言うお前も俺に甘いだろう」
「だって親友だし、これからは婚約者でもあるし?」
「俺も似たようなものだ」
二人で笑っていると侍女に「そろそろお時間です」とそっと声をかけられる。
リオネルが差し出してくれた左腕にわたしは自分の手を添えた。
こういう風にエスコートされるのは初めてだけれど、思いの外しっくりくる。身長差があるのでデコボココンビだが。
部屋の外に出て、舞踏の間近くの休憩室へ移動する。
先にお客様を出迎えていただろうお父様達も、それが終わったのか、わたし達を待っていたのか、休憩室にいた。
入ってきたわたしとリオネルにお母様が頷いた。
「あら、色を揃えたのね。素敵だわ」
別に婚約者同士で装いを揃える必要はないのだけれど、婚約発表の時くらいは色を揃えてもいいだろう。
「さあ、主役達が来たのなら今夜のパーティーを始めよう」
お父様が立ち上がり、お兄様がリオネルに近寄ってくる。
「妹を泣かせたら許さないぞ、リオネル」
「嬉し泣きは許容していただけると幸いです」
「大きく出たな」
と、お兄様とリオネルが会話を交わす。
この二人は仲が良いのか悪いのか分からないが、そのわりにはこうしてポンポンと軽口を言い合っている。
全員が席を立つ。婚約発表パーティーの始まりだ。
イベール男爵家は既に来ているそうだけれど、リオネルはわたしの婚約者としてエスコートするため、家族のほうには行かないらしい。
お父様とお母様、お兄様、そしてリオネルと共に舞踏の間へ向かった。
お父様達が入っても何ともなかったのに、リオネルにエスコートされてわたしが入ると招待客がざわめいた。
わたしとリオネルに交友関係があるのは社交界では有名らしいが、エスコートされてパーティーに出るのはわけが違う。
しかも今回はパーティーも名目が『侯爵令嬢の婚約祝い』なので、相手が誰なのかは一目瞭然だろう。
人々がざわめく中、イベール男爵家と合流し、お父様が挨拶を行う。
「本日はお集まりいただき、ありがとうございます。今宵は我が娘エステル・ルオーとリオネル・イベール男爵令息の婚約を祝し、ささやかながら宴を催したいと思っております。若き二人の良き日を皆様にも祝福していただけたら幸いです」
リオネルとわたしとで招待客へ礼を執る。
ざわめきながらもチラホラと拍手が上がり、釣られるようにその拍手が舞踏の間全体に広がった。
意外に思われるかもしれないが、これで婚約発表は終わりだ。
王族や公爵家となればまた華やかで大々的に行うのだけれど、我が家は侯爵家だし、わたしは家を継ぐわけでもないのでそれほど派手に行う必要もない。
「それでは、皆様、どうぞ今宵の宴をお楽しみください」
挨拶を終えるとすぐにお父様とお母様は招待客に囲まれ、話しかけられていた。
その話題はわたしとリオネルの婚約についてだろう。
チラリとリオネルを見上げれば目が合った。
「えっと、どうしよっか?」
たまに夜会に出席するものの、わたしはいつも壁の華だし、場合によっては隅で書き物をして時間を潰し、失礼にならない程度に過ごしたら帰るといった感じだった。
だからこそ『物書き令嬢』と呼ばれている。
さすがに今日は書き物は控えるつもりだが。
楽団の奏でる音楽が聴こえてきた。
「ダンスは出来るか?」
「それなりには。でも、あんまり上手くはないよ」
「十分だ」
リオネルがわたしから少し離れ、右手を差し出される。
「エステル嬢、私と踊っていただけますか?」
こういう時はきちんと紳士的に振る舞うようだ。
それが少しおかしくて笑ってしまった。
「はい、喜んで」
その手に自分の手を重ねると、強引になりすぎない程度に軽く引っ張られ、舞踏の間の中央へ出る。
ダンスを踊っている人々の輪の中に交じった。
……リオネルと手を繋ぐのは久しぶりかも。
成人する前はよくリオネルの手を引いたり、逆に引かれたりしたこともあったけれど、成人してからはさすがに不必要な接触は控えていた。
元々大きいと感じていた手は記憶の中よりも更に大きくなったような気がする。
小さなわたしと長身のリオネルだとダンスは難しい。
ちょっとぎこちなくなるとダンスを見ていた人々がヒソヒソと何かを話していて、リオネルが少しだけ眉根を寄せた。
「エステル」
「ごめん、下手だよね。練習しておけば良かった……」
リオネルが小さく息を吐いた。
「そうではない」