治癒魔法かけ続けて!!
ジャウハラ様とライラ様とお茶会をした翌日。
リオネルは今日も話し合いに参加するため、出掛けて行った。
やることもないし小説の設定でも本にまとめようかなと思い、テーブルに腰掛け、ペンを手に取る。
ラシード王国に近い国が舞台で、劇的な物語がいい。
……戦士とお姫様の純愛物語とか?
隣国へ来ていたお姫様が盗賊に襲われていたところを、隣国の戦士達に助けられる。その時に一番最初に駆けつけて守ってくれた一人の青年戦士に想いを寄せる。
しかし、お姫様は隣国の王子との結婚が決まっていた。
戦士はそれを知っていた。
だからお姫様の気持ちには応えられない。
けれどもお姫様は恋を知ってしまった。
そして、運命の悪戯か戦士はお姫様の護衛戦士として選ばれ、二人は共に過ごす時間が増え──……。
『何々? 姫の、戦士への気持ちは募っていった?』
「うわあああぁっ!?」
すぐ真横から突然人の顔が覗き込んで、手元の文字が読み上げられたので思わず叫んでしまった。
慌てて本を閉じて振り向けば、いつの間にか、ラシード王国の第二王子殿下が立っていた。
その後ろで侍女やメイド達がオロオロと戸惑っている。
『で、殿下、勝手に入るのは良くないと思います……』
『ノックしたし、声もかけたけど、ウンム・クルスームが集中しすぎて聞こえてなかったんだろ? オレは三回、入っていいか訊いたぜ』
『あ、それは失礼しました……』
だからこそ侍女達も困っていたのだろう。
向かいの椅子に腰掛けた第二王子殿下に少し違和感を覚えた。
第二王子殿下がわたしと手元の本を見る。
『それで? その本、なんなんだ?』
『え? えっと、わたしの趣味の本ですが……』
『ふうん?』
ジッと見つめられて冷や汗が出そうになる。
……やめて、あんまり追及しないで……!!
第二王子殿下が『まあいいや』と頭の後ろで腕を組み、行儀悪く、背もたれに体重をかけてギッコギッコと前後に揺らす。
微妙な空気が漂っていて居心地が悪い。
どうしよう、と思っていると部屋の扉が叩かれた。
侍女が出て、扉の向こうから来訪者が顔を覗かせた。
『ダウワース様、国賓の部屋に押しかけるとは何事ですか! 夫人にご迷惑をおかけしていないでしょうね?』
『げっ、ワディーウ、もう嗅ぎつけて来たのかよ』
どうぞ、と声をかけるとワディーウ様が入ってくる。
そして行儀悪く座っている第二王子殿下にワディーウ様が珍しく眦をつり上げて厳しい顔をする。
『殿下、もう子供ではないのですから、あなたが周囲にどれほど影響を及ぼすか理解してください』
『はいはい、分かってるっての。英雄殿がいなくて夫人が寂しがると思ったから、暇潰しがてら見に来ただけだって』
『それが問題だと申し上げているのです。……夫人、突然押しかけてしまい申し訳ございません。すぐに連れて行きますので』
と言いつつも、ワディーウ様の力だけではなかなか第二王子殿下を動かすことが出来ないようだ。
『いえ、大丈夫です。わたしのほうこそ、殿下の来訪に気付かず、失礼をいたしました』
『ほら、ウンム・クルスームもこう言ってるし。あ、ウンム・クルスーム、暇なら散歩行かねえ?』
『ダウワース様! 本来ならばこの時間は授業を受けていただく予定ではありませんか。昨日と言い、今日と言い、授業を受けてくださらなければ困ります。そもそも王族として──……』
マイペースな第二王子殿下にワディーウ様は振り回されているようだった。大変そうである。
ワディーウ様が叱っていてもどこ吹く風といった様子だ。
『散歩に行く代わりに、その後の授業は受けてくれますか?』
わたしの問いかけに第二王子殿下がこちらを向いた。
『え、ヤダ』
『ではわたしも行きません。教師の方を雇うにもお金がかかります。王族の皆様が使用するお金は民が納めた税です。授業を受けないということは、お金を無駄にしているということです。その手伝いをすることは出来ません』
授業を行う期間が長引けば、その分、お金がかかる。
あと、英雄の夫人の相手をしていたから授業を受けなかったと言われたくない。逃げる理由に使われるのは嫌だ。
第二王子殿下だけでなく、ワディーウ様も驚いた顔でわたしを見た。
『ウンム・クルスーム、意外とハッキリ言うんだな?』
『逃げる理由に使われたくありません』
『そもそも兄上が王位を継ぐのに、オレが歴史や政について習ったって意味ないだろ? オレは戦う専門なんだ』
ちょっと不満そうにする第二王子殿下は、わたしと同じ年齢くらいのはずなのに、もっと幼く感じた。
『殿下はリオネルと戦いましたが、夫に勝ちたいと思いますか?』
『そりゃあ、まあ、勝ちたい。英雄に勝つのは大きな意味があるし、強い奴に勝てれば気分もいいからな』
『そのリオネルはいつでも勤勉です。剣術や魔法だけでなく、様々な本を読み、知識を得て、家庭教師の授業も真面目に受けて学んでいました。力だけある者は英雄に勝てても英雄になれるでしょうか? 礼節を持ち、知識を持ち、厳しい道でも進む努力をする。力しかない者はどれほど強くても、尊敬はしてもらえません』
それに歴史や政も無関係ではない。
戦をどう進めるか、相手とどう戦うか、戦う相手の情報を持っていることはとても重要だと思う。
ただ力任せに目の前の敵を倒し続けていても英雄にはなれないだろう。
その場だけでなく、先も見通せなければ、どんなに強くても人々からは尊敬してもらえないし、粗暴と称されてしまうかもしれない。
『英雄とは、人々が尊敬から呼ぶものでしょうから』
第二王子殿下が押し黙った。
……あ、他国の王子に対して不敬だったかな!?
ちょっと慌てたものの、顔を上げた第二王子殿下が言う。
『分かった、授業を受ける』
ワディーウ様が驚いた顔で第二王子殿下を見た。
殿下は立ち上がると、ひらりと手を振り、部屋を出て行く。
『英雄と結婚していなかったら、オレの妻に欲しかったぜ』
と、とんでもない発言を残して去った。
ギョッとするわたしのそばで、ワディーウ様が小さく息を吐き、それから困ったように微笑んだ。
「ご安心くだサイ。ダウワース様はバタルから夫人を奪うつもりはありまセン。……殿下を説得していただき、ありがとうございマス」
「いいえ、お気になさらずに。むしろ殿下に対して、言いすぎました。不敬な振る舞いでした」
「そのようなことはありまセン。勉強嫌いのダウワース様が『授業を受ける』とおっしゃってくださったのは初めてデス。おかげで教師も辞めさせられずに済むでショウ」
いつも授業を逃げられていたら、教師のほうにも問題があると思われてしまうだろう。
それでクビになるのはさすがに可哀想だ。
なんとなく微妙な空気になってしまったので、話題を変えることにした。
「少し歩きたいので、よろしければ宮殿の中を案内していただけませんか? ワディーウ様のお時間があればの話ですが……」
「ええ、構いませんヨ。バタルがお戻りになるまで夫人も寂しいでショウ。宮殿の周りでしたら案内することができマス」
「では、よろしくお願いいたします」
椅子から立ち上がり、ワディーウ様と共に部屋を出る。
侍女とメイドがついて来た。
ワディーウ様は宮殿に詳しくて、歩きながら、この辺りはいつ頃増築したとか、あの装飾は有名な誰某が彫ったものだとか、とても興味深かった。
ちなみに装飾だと思っていたのはやはり文字で、この国で崇められている戦の神を讃える歌が壁に彫られて、金の塗料で文字が書かれているそうだ。
そうしてしばらく宮殿を歩き回り、庭だろう部分に面する渡り廊下に置かれた椅子に腰掛けて休憩する。
噴水が日差しを浴びてキラキラ反射して綺麗だ。
侍女が飲み物をもらいに離れており、ラシード王国のメイドが一人、そばに控えている。
少し離れた場所には護衛もいるが、恐らく、わたしとワディーウ様の会話はギリギリ聞こえるかどうかという距離だ。
宮殿内にはラシード王国の兵も立っていて、警備はなかなかに厳重である。
「お散歩に付き合ってくださり、ありがとうございます。国の歴史を交えながら宮殿について話していただけたので、とても楽しいです」
「そう言っていただけて何よりデス。実は祖父が歴史学者でして、幼い頃から何度もこの宮殿と国にまつわる話を聞いて育ったので、こうして夫人にお教えできて私も嬉しいデス」
ワディーウ様の家は代々、戦士だけでなく学者も多く輩出しているのだそうで、ワディーウ様も若い頃は国の歴史に興味を持ち、他国にも足を伸ばしていたそうだ。
父親は戦士で、祖父は学者で、ワディーウ様もどちらかと言えば学者寄りなのだとか。
「とは言え、私はどの分野もあまり深く学ぶことはなかったのですガ……。他国を見て回ることが楽しすぎて、一つのことに集中できませんデシタ」
「ワディーウ様は他国の言葉や文化にお詳しいではありませんか。だからこそ、こうして使節団の一員としてお会いすることが出来ました。ワディーウ様とお会い出来て良かったです」
「私も夫人とバタルとお会い出来て幸運デス」
二人でのほほんと話しているとメイドに名前を呼ばれた。
なんだろうと振り向けば、俯いたメイドがふらふらとよろめいたので慌てて立ち上がって近づいた。
『大丈夫ですか!?』
メイドの肩に手をやると、息が荒い。
ワディーウ様も近づいて来る。
『具合が悪いなら、誰か人を呼んで──……』
メイドがわたしの手を振り払ってパッと駆け出すと、真っ直ぐにワディーウ様へ向かって行った。
そして、メイドがワディーウ様に突進する。
ずぷ、と聞いたことのないような音がした。
そして、同じような音を立てながらメイドが離れる。
その手には短剣が握られていた。
剣の部分は赤く染まり、液体が滴り落ちて……。
頭が状況を理解するのとほぼ同時に、わたしについていた護衛の騎士達がメイドを取り押さえていた。
ワディーウ様の体がよろめき、床へ倒れる。
その白い衣装の左脇腹が赤く染まっていく。
異変に気付いたラシード王国の兵士も駆けつけた。
「あ、あ……」
兵士達がワディーウ様の衣装の前を広げ、傷口に布を押し当てて懸命に血を止めようと圧迫しているが、その布に血が滲んでいく。
兵士にメイドを引き渡した騎士達がわたしをワディーウ様から引き離そうとしたが、そこでようやく我に返った。
左手の指輪へ叫ぶ。
「リオネル、助けて!!」
瞬間、ふわりと空気が揺れ、すぐそばに見慣れた黒が現れた。
リオネルはわたし、床に倒れたワディーウ様、捕縛されたメイドを見た後にすぐにワディーウ様のそばへ行った。
膝をつき、ワディーウ様へ手を翳す。
魔法の詠唱が行われ、恐らく治癒魔法が発動したが、何故か血が止まらない。
「クソッ、毒か……!」
リオネルが小さくそう呟くと別の魔法を展開した。
その間もワディーウ様の腹部から血が流れ、小さくワディーウ様が咳き込んだかと思うとぐったりとしてしまった。
兵士がワディーウ様に呼びかけたが反応がない。
首に手を当てていた兵士が叫ぶ。
『鼓動が止まりました! 息もしていません!』
その言葉に誰もが悲痛な面持ちで目を逸らす。
リオネルが強く拳を握り締めた。
とっさにワディーウ様のそばへ行き、兵士を押しやって膝をつく。
左手の上に右手を重ね、右手を握り、ワディーウ様の胸の中心に左手を置く。
……思い出せ、思い出せ! 心臓マッサージは真上から押す!
グッと力を込めて、胸の中心を押す。
心臓マッサージをすると肋骨が折れることもある。
でも、今は骨折を恐れている場合じゃない。
「治癒魔法かけ続けて!!」
わたしが叫ぶとリオネルがすぐに魔法の詠唱を行う。
……一分間に百から百二十回のペースで、押したらしっかり腕を引き上げて胸を戻して、最低でも連続で三十回……!!
使われた短剣に毒が使用されていたなら、下手に人工呼吸はしないほうがいい。どんな毒か分からない以上、口元に血が付いている状態で唇を合わせることで、こちらも毒に触れてしまう可能性もある。解毒魔法がどこまで効くのかもわたしには分からないから。
ドッドッドッドッと心臓マッサージを続ける。
手の下で骨の折れる嫌な感触がしても止めるわけにはいかない。
三十回がニセット目に届くかどうかというタイミングで、ワディーウ様がゴフッと血を吐いた。
兵士が急いで顔を横向きにさせて、誤飲を防いでくれた。
か細いながらもワディーウ様の呼吸が戻ってくる。
『生き返った! 生き返ったぞ!!』
そばにいた兵士が叫び、他の兵士や騎士達の表情が明るくなる。
リオネルが治癒魔法をかけ続けるのを見ながら、わたしは地面に座り込んだまま、動けなかった。
震える手を握り締める。
骨の折れる感触も、人形とは違った本物の人間の体の感触。体重をかけた手は無意識に右手を強く握りすぎてしまったのか少し痛い。
いつの間にかわたし自身も呼吸を忘れていたらしい。
は、と息を吸った瞬間に涙があふれてきた。
今になって一気に恐怖が押し寄せてきた。
目の前でワディーウ様が刺されたこと。
人が死ぬかもしれない場面に遭遇したこと。
初めて心臓マッサージを行ったこと。
ワディーウ様に死んでほしくなくて無我夢中だったけど、もしマッサージが失敗していたら、ダメだったらと思うと怖くてたまらなかった。
あのまま諦めていたら本当にワディーウ様は死んでいた。
それがとても恐ろしかった。
ラシード王国の魔法士も駆けつけて、数人がかりで治療を行いながらワディーウ様が担架のようなもので運ばれていく。
わたしは立ち上がることも出来ずに泣いていた。
恐怖と安堵と色々な感情で腰が抜けてしまった。
ボロボロ大泣きするわたしをリオネルが抱き締めた。
「よくやった、エステル。お前がワディーウ殿を救ったんだ」
そう告げられて、涙が止まらなかった。




