楽しみにお待ちしております。
夜の歓迎パーティーの準備をしながら密かに溜め息を吐く。
……なんで人前であんなことしちゃったんだろ。
祝福が欲しいと言ったリオネルの頬に口付けた。
リオネルがわたしにしてくれたから、お返しのつもりでしたけれど、思いの外恥ずかしかった。
もう一度してほしいと言われたが、さすがに断った。
されるのも恥ずかしいが、するのはもっと恥ずかしい。
自分で書く小説の中の登場人物達がしている分には『もっとやれ!』くらいの気持ちなのだが、いざ自分がその立場になってみると非常にハードルが高い。
目の前のドレッサーの鏡には背後が映っている。
ソファーに座っていればいいのに、髪を整え、化粧を施してもらっている間、リオネルは柱に寄りかかって鏡越しにわたしの身支度を眺めていた。
「そんなにジッと見つめても何も変わらないよ?」
「そうでもない。元は可愛いお前が美しくなっていく様子を眺めるのは、十分面白い」
ラシード王国に来てから誰もわたしの太った容姿を悪く言わないし、嘲笑の眼差しも向けられない。
それはそれでなんだか変な気分である。
リオネルはその点ではいつも通りのようだ。
……可愛いとか美しいとか言ってくれるのはリオネルだけだ。
茶化すように言われるなら受け流せるのだけれど、リオネルはいつも真面目な顔で言うので、それが彼の本心なのだと伝わってきて少し気恥ずかしい。
何度言われても慣れないかもしれない。
身支度を終えればリオネルが柱から体を離す。
「今日のお前は俺の色を纏って、いっそう美しい」
わたしの髪を一房取り、リオネルが口付ける。
それに頬が熱くなった。
今日のドレスはこの国の装いに合わせて黒色だ。
だが、黒だけだと重くなってしまうし、喪服に見えてしまうので、黄色のリボンやフリルを使っている。
ドレスを着てから気付いたが、これはリオネルの色だ。
黒と黄色。黒髪に黄金色の瞳。
準備の際にお母様が随分熱心に「黒いドレスならこれを持って行きなさい」と薦めたので持って来たが、まさかリオネルの色を纏うことになるとは思わなかった。
リオネルは筆頭宮廷魔法士の制服のままだ。
フォルジェット王国では婚約者や配偶者の髪や瞳の色などを小物に取り入れることはあるが、こうもあからさまに夫の色のドレスを着るのは珍しい。
……いや、でも、この国の貴族女性は黒いドレスっていうから黒を着てるだけだし……!
でも他人から見ればリオネルの色だとすぐに分かるだろう。
部屋の扉が叩かれ、侍女が来訪者を確認する。
迎えに来てくれたのはワディーウ様だった。
「バタル、夫人、そろそろお時間ですヨ」
リオネルにエスコートされて出てきたわたしを見て、ワディーウ様がニコリと微笑んだ。
何も言われないのが余計に恥ずかしい気がするが、とりあえず微笑み返し、バートランド様達の部屋も回ってフォルジェット王国の使節団全員が集まった。
ワディーウ様に案内されて大きな扉の前に到着する。
「ここが宴の会場デス。ごゆっくりお楽しみくだサイ」
ワディーウ様が兵士に話しかけると、扉の両脇にいた兵士達が両開きのそれを左右へ開けた。同時にフォルジェット王国の使節団の入場を告げる声が響く。
大きな広間にはいくつもテーブルが並べられ、美味しそうな食べ物やお菓子が並び、お酒の匂いもする。
フォルジェット王国と違い、ラシード王国は舞踏会というものがない。
代わりに広間の一角に演奏家と踊り子達がいて、パーティーの間、彼ら彼女らが音楽を奏で、舞うことで、華やかにしてくれるのだそうだ。
貴族の男性達はほとんどが白と黒の衣装で、女性は黒に金縁のドレスを身に纏っている。
色鮮やかな赤や青の衣装は踊り子や演奏家、そして王族のみのようだ。
王族は貴族との格差をあえて出すために華やかな装いが許されているらしい。
しかし、王族の女性や配偶者の姿はないので、基本的に政治的な場に女性は出てこないのかもしれない。
貴族達も夫婦でいる者もいれば、一人の者もいて、フォルジェット王国とは異なる文化なのだと感じた。
……だから余計に視線を感じるのかな?
不躾と言うほどではないが確かに視線を感じる。
しかし、悪意はないように思う。
使節団と共に入場すると、すぐに国王陛下がこちらへ近づき、バートランド様へ声をかけた。
『バートランド殿、改めて我が国へようこそ。ささやかながら宴を催させてもらったので、是非今宵は心ゆくまで楽しんでもらいたい』
『ありがとうございます、アルサラーン陛下。ご厚意に甘えさせていただきます』
ラシード王国の国王陛下とバートランド様が握手を交わす。
それから国王陛下がやや大きな声で、広間にいる人々へ告げた。
『我が国とフォルジェット王国の友好が永遠に続くことを願って、皆も恩人達への敬意を忘れぬように! さあ、宴を始めようではないか!』
国王陛下が手を叩くと音楽が流れ、踊り子達が舞い始める。
そうして、パーティーが始まった。
バートランド様は国王陛下と共に、ラシード王国の貴族達と顔合わせや挨拶を行うようだ。
他の使節団の者達も貴族達に話しかけられ、ラシード王国の使節団やワディーウ様達と共に各々、それに応じて談笑していた。
わたしとリオネルは逆に話しかけられない。
意外に思ったが、チラチラと視線は感じるので、気にはされているらしい。
「踊りでも見てくるか?」
リオネルも察したのかそう提案してくれた。
「そうだね、小説に役立つかもしれないし」
「お前は本当に小説のことばかりだな」
「だってそれが一番の楽しみだからね。旅も楽しいけど、書いてる余裕がなくて、実はちょっと落ち着かないの」
毎日小説を書いていたのに、もう一週間以上、執筆をしていないので妙にソワソワする。
書きたいことが頭の中に沢山あるのだ。
……やっぱり次回作はラシード王国っぽい国を舞台にしたお話にしようかなあ。
リオネルのエスコートを受けつつ、広間を歩き、踊り子達のところへ向かった。
演奏家達は琵琶のような、ギターのような、不思議な形の楽器を奏でている。他にも縦に細長い太鼓みたいなものや、タンバリンみたいにシャラシャラと音の鳴る楽器もあって、初めて聴く音はどれも興味深い。
そして演奏家の一人が朗々とした声で歌い、色鮮やかな衣装を纏った踊り子達が舞う。
踊り子は腕や腹部などが出ており、薄手の色鮮やかな生地に金の装飾がついて踊るとそれがキラキラと揺れて美しい。
よく引き締まった体だが、出るところは出ていて、見目の良い若い女性達が薄布をひらりひらりと揺らしながら全身を使って踊る姿は妖艶だ。
……うわあ、ちょっと刺激が強いかも。
まるで見ている者を誘っているような動きである。
チラリとリオネルを見たが、無表情だった。
……めちゃくちゃ興味なさそうな顔じゃん。
それにホッとしつつ、踊りへ視線を戻して眺める。
「うう、資料として書き記しておきたい……」
「まさかとは思うが本を持ってきてはいないだろうな?」
「さすがに歓迎パーティーの場で書き物ばかりしてたら失礼だから持ってきていないよ。部屋の荷物にはあるけど」
話しながらも踊りを眺めていると、声をかけられた。
「バタル、ウンム・クルスーム」
振り返ると昼間に会ったラシード王国の第二王子殿下がいた。
その横には第二王子殿下と同じ、白銀に髪に国王陛下とよく似たみどりの瞳をした、褐色の肌の男性がいる。第二王子殿下よりいくつか歳上のようだ。白と赤、金の衣装に瞳の色と似た翡翠の装飾品を身に纏っている。
『平安、そして神のご慈悲があなた方の上にありますように』
第二王子殿下と男性の挨拶にわたしとリオネルも礼を返す。
『あなた方の上にも平安、そして神のご慈悲がありますように』
『まあ、堅苦しいのはこれくらいにしておいて、紹介しよう。このラシード王国の第一王子、そして王太子であるオレの兄上だ』
『ファーリス・アルサラーン・アリー・イヴン・アル=バンダークだ。よろしく、英雄殿、夫人。先の戦では英雄殿には本当に世話になった』
……やっぱり王族だったか。
明らかに似た容姿だし、華やかな装いだし、王族だろうなとは思っていたが、王太子殿下とは。
『リオネル・イベールです。こちらは妻のエステル。出征の件についてはお気になさらずに。私も目的があって参加したので』
『そうか、英雄殿は我が国に来るつもりはないか? もし来てくれるのであれば高待遇と高い地位を約束するが』
『申し訳ありません。私も妻も生まれ故郷を愛しています。何より、自国を捨てるような者など信用出来ないでしょう』
『確かに。愛国心のない者を信頼することは難しい』
リオネルに断られたのに、王太子殿下は満足そうに笑みを浮かべた。
『やはり惜しいな。魔法と剣術に優れているだけでなく、愛国心と忠義にも厚い。それでいて欲がない。フォルジェット王国がそなたに筆頭の座を与えて、留めようとするのもよく分かる』
『買い被りすぎです』
『ははは、しかも謙虚とは。英雄殿は良い男だな』
王太子殿下がリオネルの肩を軽く叩く。
どうやら王太子殿下はリオネルを気に入ったらしい。
……まあ、実際は謙虚ではないんだけどね。
どちらかと言えば普段は尊大というか、不遜というか、常に自信に満ちあふれているが、他国でそのように振る舞うことは控えているのだろう。
ふと王太子殿下と目が合った。
とりあえず微笑み返すと王太子殿下も微笑んだ。
『夫人よ、愛想が良いのは素晴らしいことだが、我が国ではあまり親しくない異性に微笑みかけるのはやめたほうが良い。この国の女は夫や近親者以外に笑いかけることはあまりない。あまり愛想が良すぎると勘違いをする輩も出てくるかもしれない』
それに驚いた。
フォルジェット王国ではむしろ、いつでもたおやかに微笑み愛想の良い淑女が好まれるからだ。
『ご指摘ありがとうございます。今後は気を付けます』
あまり微笑みすぎるのも良くないと言われ、ちょっと唇を引き結んでキリリとした表情を意識すると王太子殿下と第二王子殿下が小さく笑った。
横でリオネルも小さく噴き出した。
……え、なんで笑うの?
リオネルを見上げれば何故か頭を撫でられる。
『なるほど、英雄殿が妻を気にかけるのも頷ける』
『この国では目が離せません』
『ウンム・クルスームは人気だから仕方がない』
何やら訳知り顔で三人が頷くので、わたしは首を傾げてしまった。
「ねえ、リオネル、わたし変なこと言った?」
「いや、お前が可愛いという話をしていただけだ」
「かわ……っ!? ……なんでそんな話になるの!?」
「お前が可愛いのは事実だから仕方がない」
リオネルまで訳の分からないことを言う。
ラシード王国ではわたしみたいな容姿が好まれるというのは知っているが、だからと言って、必ずしもわたしが美人であるとは限らない。
わたしからすればラシード王国の女性のほうが美しい。
引き締まった体に、健康的な褐色の肌、彫りの深いハッキリとした顔立ち。フォルジェット王国では異国情緒のあるその容姿が好まれるだろう。
……そういうところはどちらも同じなのかも。
『本当に聞いていた通り、夫婦仲が良いのだな』
『羨ましいよなあ』
それにふと疑問が湧く。
『失礼ながら、お二方はご結婚されていらっしゃるのでしょうか?』
『私は既に第二夫人まで迎えている』
『オレはまだだけどな』
……あ、そっか、ラシード王国は一夫多妻制なんだっけ。
王族や貴族だけでなく、平民もそうなのだとか。
財力があり、養えるなら、何人でも娶っていい。
王太子殿下に二人の奥方がいることも不思議はない。
『ああ、夫人よ、良ければ私の妻達に会ってみないか? 英雄殿の妻と話す機会が得られるとなれば、妻達も喜ぶだろう』
チラリとリオネルを見上げれば頷かれた。
わたしの好きにして良いということだ。
『はい、是非お会いしたいです』
『それは良かった。改めて妻達のほうから招待状を送ろう』
『楽しみにお待ちしております』
明日と明後日とリオネルはバートランド様達使節団と共に、ワディーウ様達を交えたラシード王国の上層部の人々が話し合いをするために会合を行うことになっている。
その間、わたしは部屋で一人なので、王太子殿下はもしかしたら気を遣ってくれたのかもしれない。
『オレもウンム・クルスームと茶を飲みたいぜ』
第二王子殿下が言い、王太子殿下が少し呆れたように笑った。
『お前は女達の園に土足で入り込むつもりか? そんなことをすれば痛い目に遭うぞ。女の怒りほど恐ろしいものはないからな』
まるで経験したことがあるかのように言う王太子殿下に、思わずクスッと笑いが漏れた。
リオネルも口角を引き上げ、第二王子殿下も笑い、和やかな雰囲気で宴を過ごすこととなった。
その後、王太子殿下と第二王子殿下が離れると多くの貴族達に話しかけられたが、ほとんどはリオネルとだけ話をしていた。
夫婦でいる人々も、話すのはほぼ夫だけで、妻は半歩後ろに控えているといった様子である。
先ほどのようにわたしを交えて話してくれるほうが、この国では珍しいことなのだろう。
王太子殿下と第二王子殿下の心遣いが嬉しかった。
逆に、わたしが空気扱いされてリオネルの機嫌は若干悪くなっていたが。




