あれ? 意外と美味しいかも……?
それから何事もなく旅程は過ぎていった。
王都から離れると街が村になり、景色もより自然豊かになっていったが、同時にラシード王国へ近づくほどに気温も上がってくる。
朝に宿泊場所から出立し、昼間は三時間おきくらいに休憩を挟みつつ昼食を摂り、たまにワディーウ様がわたし達の馬車に乗ってラシード王国の常識や文化について教えてくれた。
そのおかげもあって案外、退屈はしなかった。
一週間、そうして過ごし、やっと国境に到着した。
「エステル、ここからは外に出る時はローブを着たほうがいい。日焼けもそうだが、日に当たるとより暑くなる」
とリオネルが侍女達に頼んでローブを出してもらった。
二人でローブを羽織り、フードを被る。
国境にはパルキア砦があり、国境沿いには壁が建っている。
この壁はラシード王国からの砂の流入を防ぐ目的があるそうで、既に周辺は緑が少なく、砂漠とまではいかないまでも砂地が多い。
両国の使節団と共に国境越えの手続きをする。
ラシード王国への入国が意外と簡単であった。
馬車はラシード王国に入ってすぐにあるシャマルという街までで、そこからは馬車と馬を預け、ラクダとソリでの移動となるそうだ。
フォルジェット王国の王都より、確かに今のほうが日差しも強いし気温もかなり高い。
ローブ越しでも日差しの暑さが感じられる。
直射日光に当たるのは良くなさそうだ。
「ようこそ、我がラシード王国へ。皆様を歓迎しマス」
国境を越えるとワディーウ様が笑顔で言う。
「この暑さを感じるとラシード王国に来たと実感します」
「ははは、そうですネ。この国で生まれ育った私達ですら、昼間の日差しはつらいデス。皆様は外出する時は必ずローブを着てくだサイ」
リオネルの言葉にワディーウ様は笑っていたが、ジリジリと照りつける日差しの下で、フォルジェット王国の使節団もわたし達も、誰もが黙って深く頷いた。
日焼けなどという可愛らしいものではなく、本当に、日差しで火傷をしてしまいそうだった。
まだ湿気が少ないのが救いである。
これが湿気もあったら、蒸し暑くてたまらないだろう。
じんわりと滲む汗をハンカチで拭いつつ、馬車に乗り込んだ。
馬車の中は熱気がこもって暑かったが仕方がない。
続いて乗ったリオネルが眉根を寄せた。
窓を開け、魔法の詠唱を行うと、気持ちのいい風が流れ込んできて馬車の中の熱気と共に外へ流れていく。
「わ、涼しい……!」
外の空気も暑いのだけれど、馬車の中の熱された空気に比べれば十分涼しい風が吹き抜けていった。
「氷を置いて風を流せばもっと涼しいんだが、馬車の中でさすがにそれは出来ないからな」
「ああ、座席とか濡れちゃうもんね」
「出征中はよく、そうして暑さを凌いでいた」
……なるほど、解決法を見つけていたんだ。
前世のようにクーラーや扇風機があればいいのだけれど、そういったものがないので、扇子で仰いだり魔法で風を起こしたりするしかない。
氷に風を当てて涼むのはかなり良い方法だろう。
一時間ほど馬車が少し荒れた道を進むと街が見えた。
砂防壁で囲まれており、門を潜って中へと入る。
建物はラシード王国と異なり、四角くて、白やベージュの色合いが多い。雨があまり降らないから屋根に傾斜をつける必要がないのかもしれない。
フォルジェット王国とは全く違う景色は異国を感じさせた。
人々はラシード王国の民族衣装なのか、丈の長い衣装を着ており、歩く度に裾が風を含んで少しだけひらりと揺れる。
ドレスとは違って厚手ではない生地で、恐らく、スカートも何枚も重ねてはいないのだろう。
長袖でくるぶしまで丈のあるワンピースのようなものを着ている女性、長袖のシャツに少し膨らみのあるズボンとベストを着た男性、男性も女性も頭に布を巻いている。
肌を出さないのは日差しが強いからだ。
地面は石畳だが、どことなく砂っぽい。
何台も馬車が入ってきたからか、街の人々の視線が集まった。
ガタゴトと石畳の上をゆっくりと馬車が進み、本日泊まる予定の宿に到着した。
宿は二階建てだったが、やはり四角く、窓硝子はない代わりに雨戸がついていた。
馬車から降りて宿を眺めているとリオネルが横に立つ。
「窓硝子がないのは風通しを良くするためだ。うっかり昼間に窓を閉めたままにすると熱がこもって、人が死ぬこともあるらしい。夜はあまり風がないから雨戸を閉めれば十分なのだとか」
「へえ〜」
前世でも毎年夏には熱中症で倒れる人が多いのだから、クーラーのないこの世界ではより熱中症になる人が多そうだ。
「魔法で空気の温度を下げるものとか、魔道具で冷たい風を吹かせるものとかがあればいいのにね」
リオネルが不思議そうな顔をする。
「冷たい風を出す魔道具?」
「そう、さっきリオネルが言ったように、氷を入れておいて、魔力を通したら冷たい風が吹いてくれる魔道具」
「ふむ、なるほど、魔道具か」
数秒リオネルは思案顔でいたが、ジリジリと焼けつく暑さに眉根を寄せて、わたしの背中に触れた。
「とりあえず中へ入ろう」
「そうだね」
建物の中へ入るだけで、随分と涼しく感じる。
直射日光もそうだが、地面や周囲の建物で反射した日差しも地味に暑かったようだ。
二階の部屋に案内された。
開け放たれた窓から風が入ってくる。
「……全然、景色が違うなあ」
宿の前の通りは人気が多く、賑やかだ。
フォルジェット王国の王都にも露店が軒を連ねる道があったけれど、この街の露店は食べ物以外も売っているようだ。
風と共にふわりと不思議な匂いが鼻を掠める。
……なんだろう、この匂い?
どこかで嗅いだことがあるような、でも初めて嗅ぐような、なんだか刺激的な香りだ。
「少し露店を見に行ってみるか?」
リオネルに声をかけられて振り返る。
「いいの?」
「ああ。ラシード王国の露店は夜でも開いているところが多い。あまり遠くへは行けないが、前の通りを歩いて戻ってくる程度なら、そう時間もかからないだろう」
差し出されたリオネルの手に自分の手を重ねれば、しっかりと握り返される。
「人通りが多いから逸れるなよ」
侍女達に少し出掛けてくる旨を伝え、リオネルに手を引かれて宿の外へと出る。
日が大分傾いていると言ってもまだ暑く、揃ってフードを目深に被り、手を繋いで通りを歩く。
白やベージュ色の建物に比べて、露店は緑だったりオレンジだったり、とにかく色鮮やかだ。
でも歩いている人々の服は大抵が白か黒なので、服装も色も違うわたし達はローブを着ていても目立っている。
リオネルは基本的に視線を気にしない。
……まあ、これだけ整った顔だからね。
「何か気になる店はあるか?」
「うーん、店はどれも気になるんだけど、一番はこの匂いかな。不思議な匂いだね」
「これはカフワの匂いだ。……あそこの店だな」
リオネルの視線の先には明るい黄緑色の看板や布の露店があり、中年男性が店先に立っていた。
手を引かれてその露店へ向かう。
リオネルが露店の男性へ声をかけると、男性が早口で返したのでほとんど聞き取れなかったが、わたしを見て「ウンム・クルスーム」と言ったのは分かった。
使節団の人々もわたしをそう呼ぶので、それだけは確実に聞き取れるようになったのだ。
リオネルが指を二本立て、自分とわたしとを指差し、それから店先に並んでいる一口大のお菓子らしきものをいくつか示す。
男性が笑顔で頷き、下から小さなカップを取り出した。
ティーカップにしては小さいそれに片手鍋の中身を注ぎ入れ、リオネルへ手渡した。
リオネルは受け取ると、わたしへ差し出した。
とりあえず受け取り、覗き込むと、小さなカップにはやや濁った不透明な黄土色に近い液体が入っている。
「これがカフワだ。ワディーウ殿が以前説明していた通り、カッファ豆とハーブを砕いたものを煮出してある。中に砕いたものがそのまま入っているから、それが沈むまで少し待て。すぐに飲むと粉が口に当たる」
「分かった」
中の粉が沈むまで待つというのが面白い。
カップをジッと見つめていると男性に話しかけられた。
だが、早口なので聞き取れない。
『すみません、言葉、ゆっくり、お願いします』
『これくらいなら分かる?』
『はい、分かります』
男性がリオネルに何かを問いかけ、リオネルが少しだけ眉根を寄せて返事をする。
その後、男性にもう一度話しかけられた。
『ウンム・クルスーム、手に触れてもいいですか? 幸せの欠片をもらいたいです』
使節団とのやり取りを思い出す。
リオネルを見上げれば「好きにしろ」と言われたので、差し出された男性の指にそっと触れる。
『平安、そして神のご慈悲と祝福があなたの上にありますように』
『あなたの上に平安、そして神のご慈悲と祝福がありますように。……ありがとうございます、ウンム・クルスーム』
男性が嬉しそうにニッと笑った。
「そろそろ沈んだだろう。あまりカップを動かさずに、上澄みだけ飲むようにするといい」
手を離し、リオネルの言葉に従ってカップを傾けすぎないように気を付けつつ、中身を少し飲む。
刺激的な香りとは裏腹に、口の中に広がったのは漢方薬みたいな味だった。コーヒー豆を使っているわりに苦みは少ない。やはり、初めて飲むはずなのにどこかで口にしたことのあるような味にも感じられて──……。
「あ! これジンジャー!?」
唐突に頭の中に閃いた。
リオネルが目を瞬かせ、そして「ああ」と頷く。
「どこかで飲んだことのある味だと思ったがジンジャーか」
すぐにリオネルは男性に話しかけると、男性が笑って返事をし、リオネルがわたしを見た。
「ジンジャーと種類の同じハーブを使っているらしい」
「やっぱり。でも、ジンジャーそのものっていうより、ジンジャーの茎に近い部分みたいな青臭い感じがちょっとするよね」
伝えたい味の雰囲気は伝わったようで、リオネルが小さく噴き出した。
そう、たとえるなら生姜の茎に繋がる部分の、色が緑に変わる辺りをかじっているような、そんな青臭さも少し感じるが、スパイシーな生姜の香りもしっかりして、ほのかな苦味とえぐみのような、でもえぐみと言うには優しい不思議な味が漢方薬を思わせる。
カッファ豆を使っているからコーヒーのイメージで飲むと全く違う味で驚くだろう。
……これは、確かに他の国の人からは不評かも?
たった数口分しか入っていないが、二、三杯飲むのは難しいかもしれない。
もう一度カップを見つめているとリオネルが横から何かを差し出してくる。
口元へ差し出されたのは店先に並ぶお菓子の一つだった。
それを食べてみる。ザクザクしたパイ生地である。
ハチミツのような、シロップのような甘味がしっかりとあり、中に砕いたナッツらしきものが入っていて食感が楽しい。
「それと一緒にカフワを飲んでみろ」
言われるがまま、カップの中身を一口含む。
先ほどまでは漢方薬に近い味で、匂いも強かったのに、この甘いお菓子を食べながら飲むと、味も匂いも和らいだ。
「あれ? 意外と美味しいかも……?」
「カフワだけだと飲みにくく、菓子だけだと甘すぎるが、同時に口にすると何故か合うんだ」
「ね、不思議と美味しい! 面白〜い!」
リオネルがまた一つお菓子を差し出してきたので食べる。
そしてカフワを飲む。
『もう一杯どうぞ』
片手鍋を差し出されたので、カップを寄せれば、またカフワが注がれる。
粉が沈むのを待つのも面白いし、コーヒーと言うより漢方薬みたいな生姜湯っぽい味なのに、甘いパイ菓子と合うのが不思議だ。
リオネルももう一杯もらい、菓子を食べ、飲んでいる。
「これから先、カフワが出されても飲めそうだな」
「うん、多分大丈夫だと思う」
「……ラシード国内でも、地域によっては数種類のハーブを入れたり、甘味をつけたりする場所もあるらしい」
男性に話しかけられたリオネルが教えてくれた。
今飲んでいるカフワは、浅く炒ったカッファ豆とカルダンというジンジャーに近い種類のハーブを乾燥させたものを砕いて煮詰めて作ったそうだ。
カフワと言っても、作る家や地域で味が違うので、ラシード王国の人々はそれを楽しんでいるのだとか。
男性がここでカフワを売っているのは、フォルジェット王国から訪れた商人や旅行者が宿に泊まるため、初めて飲むカフワに少しでも慣れてもらいたくて安く売っているらしい。
確かに、カルダン一種類だけでも不思議な味なので、数種類のハーブを使ったカフワはより複雑な味なのだろう。
カップの中身を飲み、お菓子を食べ、カップを返す。
『カフワとお菓子、ありがとうございます。初めて飲みました。美味しい、楽しいでした』
『こちらこそ、ありがとうございます』
リオネルもカップを返した。
カフワという飲み物は匂いも味も予想外で面白かった。
リオネルが男性にお金を渡し、二人で露店を離れる。
「美味しいけど、沢山は飲めない味だね」
こっそり言えば、リオネルが頷いた。
「そうだな」
二人でまた手を繋ぎ、引き続き露店を見て回ることにした。
他の露店は小さな装飾品や頭に巻く布など、食べ物以外も色々と売っていて面白かった。
露店の人に訊いてみたが、黒や白の服を着ている人が多いのは白は染色しなくて済むからで、黒は染めるのに技術がさほど必要ではないかららしい。
水の少ないラシード王国では、染色液に浸けて水にさらしてを繰り返す方法で染めた布は高価で、しかも日焼けですぐに色が薄くなってしまうので鮮やかな色合いの布で衣類を作ることはあまりないそうだ。
代わりに家の中の家具や絨毯などは色鮮やかな布や刺繍を使う。
あと踊り子などは華やかさを出すために色鮮やかな衣装を着るらしい。見せてもらった踊り子の衣装はかなり肌が出るもので、普段着とは全く異なり、とても華やかだった。
前世のアラビアンな踊り子の衣装とそっくりであった。
『一枚いかが?』
と訊かれたので一枚購入したらリオネルが驚いていた。
胸と足は何とか隠れるものの、腕やお腹が丸見えで、わたしのようなぽっちゃりさんが着るのは難しい衣装だ。
それに多分踊り子の踊るダンスはわたし達の知るダンスとは違うだろうし、別に着て誰かに見せることもないし、恐らく衣装部屋の肥やしになる。
ただ、小説の参考資料として買っただけだ。
リオネルにそう伝えると微妙な顔をされた。
「参考資料か……」
ちなみに踊り子の衣装を見た侍女は赤い顔で、そそくさと衣装を布に包み直して荷物の奥底へと押し込んでいた。
フォルジェット王国の人間には刺激が強すぎる服らしい。




