美味しいですね。
ワディーウ様は穏やかな方で、使節団の人々も親しげな雰囲気だったので、話をするのがとても楽しかった。
この国ではわたしは太っていて醜い令嬢と言われるが、本当にラシード王国ではわたしの容姿は好まれるようで、誰もこの容姿について言うこともなければ笑うこともない。
「──それでバタルは本当に強かったデス。開戦と同時に魔法を放ち、相手の兵を一瞬で薙ぎ倒していまシタ。あの時はバタルが味方で良かったと何度思ったことカ」
ワディーウ様がはははと笑う。
しかし、リオネルが「ワディーウ殿」と話を遮った。
「妻にそのような話はあまりしないでください。貴族の令嬢に戦場の話は、少し血生臭すぎます」
「おっと、そうでシタ。失礼しまシタ」
謝罪をするワディーウ様に首を振る。
「いえ、わたしは大丈夫です。むしろリオネルがどんなふうに戦い、過ごしていたのか興味があるので、お話をしていただけると嬉しいです」
「エステル」
「だって手紙では戦争のこと、全然書いてなかったでしょ? 書けない理由があったのは分かっているけど心配だったんだから」
リオネルを見上げれば、黄金色の瞳に見つめ返される。
そしてリオネルが小さく息を吐いた。
「ワディーウ殿、戦場の血生臭い話は避けてください」
こういう時、リオネルはわりと折れてくれる。
ワディーウ様がニコニコ顔で頷く。
「バタルの勇姿を夫人も知るべきデス」
ワディーウ様は、戦場でのリオネルの活躍について語ってくれた。
リオネルは戦場の中で最も危険な本隊の先頭にいたそうだ。
開戦と同時に両軍がぶつかり、接近戦で互いに剣を合わせて戦うのが普通であるのだが、リオネルの場合は開戦を告げるラッパの音が響き渡った瞬間に広範囲魔法を敵軍にいくつも叩き込んだらしい。
おかげで魔法により敵軍の本隊は混乱し、人数が減り、戦は予想以上に早く終結した。
ちなみに何度か両軍の衝突があったものの、その度に広範囲魔法を放つものだから、敵軍の兵士達は堪らず逃げ出したのだとか。
「バタルはたとえ敵軍の兵であろうとも、降伏したら治療を行い、無下な扱いはしませんデシタ。敵も味方も区別なく命を助けまシタ。戦争の神ミクダームは血気盛んな神ですが、降伏した者には慈悲をかけたといいマス」
戦争を早期終結させただけでなく、敵軍にも慈悲をかける。
そういったリオネルの行動も含めて、英雄と呼ばれるようになったそうだ。
「ちなみに、魔法って何を使ったの?」
「爆炎魔法だ。広範囲に炎の爆発が起こる」
「うわあ、何気にえぐい魔法使ったね……」
相手も恐らく戦争のために装備品として鎧などを身に着けていたはずだ。
そこに爆炎魔法で爆発を起こし、火で炙られた鎧はかなり熱かっただろうし、爆風で吹き飛ばされれば怪我をしたり、最悪死ぬ可能性もある。
開戦と同時にそんな魔法を叩き込まれた敵軍には少しばかり同情してしまった。
だが、ヴィエルディナ王国のほうから攻め込んできたので、恨むならばラシード王国へ侵攻しようとした上層部を恨んでほしい。
「一応、出来る限り死者が出ないように調整はした」
「あ、そうなんだ?」
しかし、リオネルの放った魔法で怪我をして降伏した相手をリオネルが治療するのか……。
「敵軍の兵達は、治療してくれたリオネル殿にとても感謝していまシタ。戦争では捕虜になっても、一般兵は治療してもらえないことも多いですカラ。捕虜達は引き渡されるまで、ずっとバタルに感謝の祈りを捧げていましたネ」
……なんというマッチポンプ。
リオネルも思うところがあるのか、視線を逸らしている。
「戦場で敵軍を殺すのは簡単ですが、生かし、慈悲を与えるのは難しいことデス」
「……別に、憐れと思って助けたわけではありません」
ワディーウ様にリオネルがそう返した。
「妻と結婚するために筆頭宮廷魔法士になりたかった。だが、血塗れの手で妻を抱き締めたくなかった。だから死者が出ないようにした。……それだけです」
ワディーウ様が目を丸くする。
そして、リオネルの髪と似た黒い瞳が微笑ましげに細められた。
「バタルは夫人を愛しているのですネ」
「当然だ」
ほぼ即答するリオネルに気恥ずかしくなる。
ははは、とワディーウ様が笑った。
「バタルは愛妻家、良いことデス。バタルも、バタルの夫人にも神のご加護がありますヨウニ」
そうして、歓迎パーティーは恙無く終わったのだった。
ただ、ワディーウ様や使節団の人にとても気に入られたようで、その日の夜に帰ってきたリオネルから「エステルも使節団の話し相手となってほしいそうだ」と言われることになった。
* * * * *
「おお、ウンム・クルスーム! またお会いできて嬉しいデス。ワガママを言ってすみません」
歓迎パーティーから二日後。
ティータイムに合わせて行われる交流パーティーにわたしも参加し、リオネルと共にまたワディーウ様達と会うことになった。
他の使節団の人々もわたしを見ると「ウンム・クルスーム!」と嬉しそうな笑顔を浮かべて丁寧な挨拶をしてくれる。
「いえ、わたしも皆様ともっとお話ししたいと思っておりましたので、とても嬉しいです。ラシード王国については本の知識がほとんどなので」
「そうなのですネ。我が国に興味を持っていただけて嬉しいデス。どんなことでもお訊きくだサイ」
と、言われて考える。
疑問はいくつか浮かぶが、そもそも、何を訊いたら良いのか分からないくらいラシード王国の知識は少なかった。
年中暑く、戦の神を主に信仰し、国土は広いものの大半が砂漠という国だ。昼間は暑く、夜は涼しかったり寒かったりするというし、魔法を扱える者が多いのは過酷な環境故か。
……多少はリオネルから聞いているけど……。
そこまで考えてふと一つ訊いてみる。
「夫がラシード王国で『カフワ』という飲み物を飲んだそうですが、何を使った飲み物なのでしょうか? 味の表現が難しいと夫は言っていたのですが……」
ワディーウ様が何かを思い出した様子で笑った。
「ははは、カフワですカ。あれは確かに独特な味がしマス。カッファと呼ばれる植物の豆を乾燥させたものを軽く炒って砕き、同じく乾燥させたハーブを砕き、小鍋で煮出して飲むのデス。カッファはあれですネ」
あれ、とワディーウ様が示した給仕が飲み物を持って立っていた。
ワディーウ様が軽く手を振ると給仕が気付いて近寄ってくる。
銀盆の上にはティーカップがあり、カップの中には真っ黒な液体が入っていて、温かいのか湯気がほのかに立って、香ばしい匂いが鼻をくすぐった。
……これ、もしかしてコーヒー?
黒い液体にリオネルが眉根を寄せる。
「こちらは強く炒ったカッファ豆を使ったものデス。かなり苦味があり、香ばしい味なので、あまりこの国では好まれないようデス」
ワディーウ様が困ったように苦笑を浮かべる。
恐らく、交流を深めるために豆を持ってきてくれたのだろう。
ただ、普段は紅茶を飲んでいるこの国では、真っ黒な飲み物は味の想像がつかないこともあって受け入れにくいらしい。
ふわりと香る匂いに懐かしさを覚えた。
……いい匂いなのに。
会場の誰もがこの飲み物を避けているようだった。
給仕からカップとソーサーを受け取り、そっとカップを口元へ運べば、やはりコーヒーの匂いである。
一口飲むと香ばしい匂いと独特の苦味が口内に広がった。
しかし濃いわりに後味はあっさりしている。
「美味しいですね。苦味と香ばしさがクセになりそうです」
元々、前世では紅茶よりもコーヒーのほうが飲む機会が多かったので、懐かしくてとても美味しいと感じた。
横にいたリオネルもカッファを手に取り、一口飲んだ。
「……焦げ臭いし、苦いな……」
「そこのテーブルから砂糖とミルクをもらって入れるといいよ。味と香りが優しくなって多分飲めると思う」
リオネルがテーブルに寄り、カップに砂糖とミルクを入れた。
いつもは紅茶に砂糖やミルクを入れないリオネルだが、どうやらコーヒー……カッファの苦味や香ばしさはちょっと苦手だったようだ。
よく混ぜた後にリオネルはまたカップに口をつけた。
「どう? 飲めそう?」
「……不思議だ。砂糖とミルクを入れただけなのに、かなり飲みやすくなった」
言って、リオネルがカップの中身を飲む。
ワディーウ様が目を丸くしている。
「ウンム・クルスームはカッファをご存じでしたカ」
「飲むのは初めてですが、昔、こうすると飲みやすいと本で読んだことがあったのです」
「なるほど。確かに他国ではカッファと言うと、そのまま飲むか、ミルクや砂糖を入れて飲むことが多いデス。博識ですネ」
周りで遠巻きにこちらの様子を窺っていた人々も、リオネルの真似をするように給仕からカッファを受け取り、一口飲んだ後にミルクや砂糖へ手を伸ばした。
それを横目に見つつ、カップに口をつける。
……うん、やっぱり美味しい。
「カフワはもっと苦味が弱く、ハーブの香りが強いデス。色も全く違いマス。あとは他国の人からは不評ですネ。我が国では客人を歓迎する際に出しますが、初めてバタルに出した時はあまりに沢山飲まれたので驚きまシタ」
「……あの時はそちらの文化を知らなかったのです」
リオネルが眉根を寄せたまま視線を逸らした。
怒っているのではなく、これは失敗を語られたことが気恥ずかしかったのだろう。
「カフワは二、三杯飲んで、それ以上は断るものデス。一杯では『不味い』という意味に、飲みすぎると水の貴重さを考えない非常識に思われることもありマス。……あの時のバタルは五杯以上飲んでいましたネ」
ははは、と思い出し笑いをしてワディーウ様がリオネルの肩を二度、励ますように軽く叩く。
他の使節団の人々もシェラルク語で『それは飲みすぎだ』と笑っていたが、馬鹿にするようなものではなく、むしろ微笑ましい失敗談として扱われていた。
「もしワディーウ殿に止められなければ、もっと飲んでいたかもしれません。それには感謝しています」
「いえいえ、初めて訪れる国の作法を知らないのは仕方のないことデス。私も若い頃は沢山失敗しまシタ」
ワディーウ様の言葉にリオネルが微笑む。
使節団の人々がワディーウ様に何かを言うと、ワディーウ様がシェラルク語で彼らに謝った。
それからこちらへ顔を向ける。
「すみません、皆もバタルと夫人と話をしたいそうデス」
「構いません」
「わたしも皆様からラシード王国の話をお聞きしたいです」
リオネルとわたしが頷くと使節団の人々が集まった。
シェラルク語で一気に話しかけられて驚いていると、リオネルがそれらを手で制する。
『私達はシェラルク語を学んでいますが、まだ聞き取りも話すのも苦手なので、一人ずつ、ゆっくりお願いします』
と、リオネルが言えば使節団の人々も、それはそうかという顔で乗り出していた身を引いた。
その後はみんなゆっくり話してくれたのでなんとか聞き取れたし、分からない言葉はリオネルに訊いたりワディーウ様が教えてくれたりして、ラシード王国の話が沢山聞けた。
でも、リオネルの話も意外と多かった。
色白で長身、顔立ちも良く優秀な魔法士。
戦争で最も武勲を立てた英雄。
ラシード王国では老若男女関係なく、リオネルは人気者だそうで、使節団の人々はリオネルの活躍を誉め讃えていた。
『英雄様が我が国に来てくれたらもっと良かったんですが』
『お断りされてしまいましたが、英雄様と夫人でしたらいつでも歓迎いたします。いつかお二人の間に生まれた子が、我が国を選んでくださるかもしれませんし』
と言われたのにはちょっと困ってしまった。
リオネルは気にした様子もなく返していた。
『今しばらくは妻と二人で過ごしたいと考えています。子は授かりものですから、神が良い時に授けてくださるでしょう』
……まあ、今のままだと授かるはずもないんだけど。
同じベッドで毎晩、ただ一緒に眠っているだけだ。
『それもそうですね』
『ですが、それほど仲の良い夫婦なのですから、主はすぐに愛の結晶を授けてくださると思います』
わたしの腰をずっと抱いているリオネルの様子に、使節団の人々が微笑ましげに笑みを浮かべる。
リオネルもわたしも、微笑み返すだけに留めた。
……だけど子供が生まれたとしても、フォルジェット王国がリオネルの子を手放すとは思えないけどなあ。
このリオネルの子だ。優秀な子になる可能性は高い。
まだ生まれるどころかそんなことすらしていないが、周囲はリオネルの子にかなり期待を抱いている。
でも、周囲の重圧に負けてリオネルの気持ちを受け入れたとしても、リオネルはそれを喜ばないだろう。
……難しいなあ……。
そうして交流会は何事もなく終わった。




