英雄……。
それから約一ヶ月後、ラシード王国から使節団が訪れた。
リオネルが外交官の一人として使節団を出迎えたところ、使節団の中に見知った顔があったそうだ。
なんでもヴィエルディナ王国との戦争時に参戦した貴族であり、通訳や物資の手配をしてくれて、何かと世話になった人だったらしい。
「若い頃に諸国を見て回っていたそうで、意思疎通が問題なく出来るくらいにはどの国の言葉も話せると言っていた」
多言語対応とは凄い人である。
人の好き嫌いがハッキリしているリオネルが珍しく「恩を返さなければ」と言うので気になった。
「そんなに色々してもらったの?」
「言葉もそうだが、ラシード王国の文化や習慣についても教えてもらった。俺だけではなく皆、何かしら恩がある」
「そっか、また会えて良かったね」
「ああ」
リオネル曰く「ラシード王国の男にしては気性が穏やか」な人で、戦いよりも芸術を愛でるほうが好きなのだとか。
明日、使節団を歓迎して王家主催のパーティーがある。
……会うのが楽しみだ。
せっかく言葉も学んでいるのだから、明日は頑張ろう。
* * * * *
翌日、リオネルは朝早くから王城へ出掛けて行った。
使節団の歓迎パーティーはティータイムが始まるくらいの時間からで、リオネルは出迎えのために忙しいようだ。
王城へ向かう時はお父様達と共に行って、入場し、使節団のところにいるリオネルと合流する形となる。
早めに軽い昼食を摂ってパーティー用のドレスに着替える。
今日のドレスは淡い水色に白のレースやフリルを使ったもので、涼しげなそれに淡いピンクの薔薇のコサージュが使われていて可愛らしい。
袖がほぼないので二の腕まである白いレースの手袋をつけた。指先が出ているので手袋というよりアームカバーに近い。
髪は下ろしたまま、側頭部で小さな三つ編みをつくり、それを後頭部へ持ってきてピンクの薔薇に淡い水色のリボンで出来た髪飾りで纏める。
全体的に淡くて軽やかな色合いである。
お化粧は薄めで清楚にしてもらい、真珠のネックレスとピアスをして鏡の前で最終確認をする。
「うん、おかしなところはないかな」
……淡色は太って見えるんだけどね。
でも「俺が黒と青だから、お前は軽やかな色のほうがいい」とリオネルが言うので、濃い青のドレスと悩んだが、これを着ることにした。
支度を終えれば、そろそろ出発の時間だった。
別邸を出て、本邸の玄関ホールに向かい、少し待っているとお兄様が来た。
「一緒にパーティーへ参加するのは久しぶりな感じがするな」
婚約前やリオネルが出征中は夜会などに出席する時、いつもお兄様にエスコートしてもらっていたが、リオネルと結婚してからはもうそれもなくなった。
どこか懐かしそうな顔をするお兄様に笑ってしまう。
「最後にお兄様にエスコートしてもらってから、まだ半年くらいしか経っていませんよ?」
「私からしたらもう半年だよ」
お兄様が微笑み、わたしの頭をそっと撫でる。
「いいか、エステル。結婚しても私はお前の兄だ。何か困ったことがあった時は、いつでも相談するように」
「はい。ありがとうございます、お兄様」
そうしているとお父様とお母様も来て、馬車に乗り、王城へ向かった。
今日のパーティーは大体の貴族が参加するだろう。
車窓を眺めているとお父様に声をかけられた。
「リオネル君との暮らしはどうだ?」
「毎日充実していて楽しいです」
作家活動も順調だし、リオネルは毎日わたしとの時間を作ろうとしてくれて、想像していたよりもずっと穏やかで楽しく過ごしている。
わたしも毎日リオネルと過ごす時間を設けている。
結婚前の生活とそう変わらないため苦労もない。
そう説明するとお父様が満足そうに頷いた。
「そうか。お前が幸せなら、それでいい」
お父様の横で、お母様がニコニコしている。
時々、本邸で昼食を摂ることもあるけれど、こういった話はあまりしなかったが、心配してくれていたようだ。
「そうね、最近のエステルはより可愛くなったもの」
「確かに。何か心境の変化でもあったのか?」
お母様とお兄様の言葉に少し気恥ずかしくなる。
リオネルから告白を受けて以降、なんとなく以前よりも更に美容に気を遣うようになった。
好きだと言われて嬉しかった。
同時に、リオネルから自分はどう見えているのだろうか、と気になるようになった。
相変わらず太っているけれど、髪や肌、爪などの手入れはしっかりしているし、毎日薄くだがお化粧もしている。
……リオネルってそういう変化はすぐ気付くんだよね。
しかも褒めてくれるから頑張るのが楽しいのだ。
「その、リオネルに少しでも良く見てほしくて……」
「あら、良い心掛けね。何歳になっても綺麗でいたい、綺麗だと思ってもらいたいのは女性なら当然だわ」
頑張ってね、とお母様に応援してもらえて嬉しかった。
そんな話をしているうちに王城に到着する。
馬車を降り、使用人の案内で会場へ行く。
名前を呼ばれながら会場へ入れば、先に来ていた貴族達の視線が一気に突き刺さった。
それに気付かないふりをしながら会場を見回した。
使節団はすぐに分かった。装いが違う。
スカートのように丈の長い服にベストのようなものを着ている人、ストールみたいな長い布を巻きつけている人など、色々いるが、皆一様に頭に布を巻いていて異国情緒が漂っていた。それに褐色の肌だった。髪の色は焦茶や黒に近い、濃い色が多いように見える。
そのそばにリオネルがいた。
黒と青の筆頭宮廷魔法士の制服がよく目立つ。
目が合うとリオネルが手招く仕草をした。
「お父様、お母様、リオネルのところへ行ってきます」
お父様達が頷き、お兄様にエスコートしてもらいながらリオネルのところへ向かう。
近付くわたし達に使節団の人々の視線が集まった。
辿り着けば、リオネルが振り向いた。
「迎えに行けず、すまない」
「ううん、大丈夫」
お兄様がわたしの手をリオネルへ差し出した。
リオネルが受け取り、エスコートが変わる。
リオネルが使節団の人々へ顔を向けた。
『私の妻のエステルと義兄のラエル・ルオー侯爵令息です』
シェラルク語でリオネルが紹介してくれたので、一度リオネルの腕から手を離し、胸の前で両手を交差してお辞儀をするラシード王国流の礼を執る。
お兄様は右掌を左肩へ当てるようにしてお辞儀をした。
ラシード王国では女性は両手で、男性は右手で行うのが正しい礼の仕方なのだそうだ。
何故か使節団の人々がわたしをジッと見つめ、口々に「ウンム・クルスーム!」と言う。
初めて聞く単語だが、その親しみのある笑顔や明るい雰囲気から、悪口ではないことだけは分かった。
リオネルの横にいた焦茶色の髪の男性が使節団の人々に何かを言う。早口だったので聞き取れない。
多分「やめなさい」的なことを言ったようで、すぐに使節団の人々が口を閉じた。
でも、好意的な視線は向けられたままだ。
それにはリオネルも不思議そうな顔をしたが、その焦茶色の髪の男性を紹介してくれた。
「こちらはラシード王国使節団の団長、ワディーウ・シャーヒーン・ナジーブ・アル=アダウィー殿です。我が国の爵位で説明するならば侯爵家当主になります」
……待って、名前長すぎて覚えられない……!
使節団長様がラシード王国の礼を執りつつ、明るい笑顔で言った。
「ワディーウと呼んでクダサイ。言葉も、簡単なものなら話せます。バタルの夫人と義兄君にお会いできて光栄デス」
呼び方について言及してもらえてホッとした。
「こちらこそお会い出来て光栄です、ワディーウ様」と、お兄様と返事をしたものの、ふと疑問が湧く。
「ワディーウ様、その『バタル』とは……?」
「ああ、失礼シマシタ。バタルとは我が国の言葉で『英雄』という意味デス。戦争を終わらせてくださったリオネル殿のことを皆そう呼んでいマス」
「英雄……」
思わずリオネルを見れば、照れた様子で視線を逸らされた。
「しかし、バタルは夫人選びも素晴らしいデス。ウンム・クルスーム! 我が国が信仰する戦いの神ミクダームは、幸運の女神スアードを妻にしていマス。夫人はスアード神によく似ていマス」
リオネルも知らなかったらしく少し驚いた様子だった。
ワディーウ様の話によると、ラシード王国は戦神ミクダームとその妻の幸運の女神スアードの二柱の神を信仰しており、神に似た容姿や性格の者はより好まれるそうだ。
戦神ミクダームは燃える炎の赤い髪と瞳、色白で背が高い美丈夫だが、性格はかなり苛烈でとにかく戦うことが何より好きで血気盛ん。ただし嘘をつかない正直者。意外にも恩や友情を大事にする。
幸運の女神スアードは大地の茶髪に海の青い瞳、小柄で色白、ふくよかな外見で、おっとりとした穏やかな性格。暴れ者のミクダームを宥められる唯一の神で、良い行いをした人間に幸運を授ける。
だからラシード王国では、赤髪赤目で色白の男性と茶髪青目で色白のふくよかな女性がとても好まれ、美の基準とされるそうだ。
「我が国ではスアードのような女性を妻にすると幸運になれると言われていマス。妻にしなくても、そのような女性から祝福してもらうと幸運を得られマス。皆が騒いだのは、バタルの夫人から幸運の欠片をいただきたかったのデス」
国が変われば常識も変わるというが……。
ワディーウ様の後ろを見れば、使節団の人々がニコニコと親しみを感じさせる笑顔でこちらを見ている。
リオネルがシェラルク語でワディーウ様と使節団の人々に話しかけると、使節団の人がワッと近づいてきて、リオネルが若干気圧されていた。
早口なので何を言っているかあまり聞き取れないが、使節団の人々がリオネルにお願い事をしているようだ。
けれども、そのお願いにリオネルの眉間にしわが寄る。
目が合ったワディーウ様が困ったように笑った。
「夫人、良ければ皆に祝福を与えてはいただけませんカ? 皆の額にあなたが軽く触れれば、それが祝福になりマス」
リオネルを見れば、相変わらずちょっと眉根を寄せていたが、目が合うと小さく息を吐いて頷き返された。
「分かりました」
「おお、ありがとうございマス!」
ワディーウ様が腰を折るように頭の位置を低くする。
「右手で私の額に触り、私の言葉を真似して続けてくだサイ」
差し出された額にそっと指先を当てる。
触れた額は温かく、ハリがあった。
「アッサラーム・アライクム」
「アッサラーム・アライクム」
「ワ・ラフマトゥッラーヒ」
「ワ・ラフマトゥッラーヒ」
「ワ・バラカートゥフ」
「ワ・バラカートゥフ」
ワディーウ様が体を起こしたので、額から手を離す。
「ありがとうございマス。今の言葉は『平安、そして神のご慈悲と祝福があなたの上にありますように』という意味です。ワ・アライクムッ・サラーム・ワ・ラフマトゥッラー・ワ・バラカートゥフ」
ワディーウ様の後ろから使節団の人々が羨ましそうにワディーウ様を見て、その後ろに並び始めた。
ここにいるのは使節団の中でも外交に関わる人達なので、人数としては十人ちょっとくらいである。
ワディーウ様が後ろに並ぶ者達に気付くと場所を譲った。
でも、そばに立ち、次の人に祝福を与える際に、言葉を教えてくれたのでとても助かった。
さすがに一度で長い言葉を覚えるのは難しかった。
一人、二人と額に触れて、五人目くらいでやっと言葉を覚えられて、結局、全員に祝福を行なった。
全員、とても嬉しそうにしていて『ありがとうございます!』とシェラルク語で感謝までされてしまった。
最初は戸惑っていたものの、喜んでもらえるなら悪いことではないだろう。
リオネルがシェラルク語で何か呟き、それを聞いたワディーウ様と使節団の人々がおかしそうに明るく笑う。
「すみません、バタルのための幸運が減ってしまいますネ」
と、ワディーウ様が言うので、恐らく「俺の分の幸運が減る」的なことをぼやいたのだろう。
神様なんて信仰していなさそうなのに。
もしかしたらちょっと拗ねているのかもしれない。
……そうだとしたら可愛いなあ。
リオネルに寄り、手を伸ばしてリオネルの頬に触れた。
「アッサラーム・アライクム・ワ・ラフマトゥッラーヒ・ワ・バラカートゥフ」
リオネルがわたしの手に自分の手を重ねた。
「……ワ・アライクムッ・サラーム・ワ・ラフマトゥッラー・ワ・バラカートゥフ」
返答の言葉を律儀に言うリオネルに伝える。
「リオネルには特別にちょっと多めに幸福をあげたからね」
「それは光栄だな」
と、やり取りをするわたし達にワディーウ様だけでなく、使節団の人々も微笑ましげに笑みを浮かべた。
「エステル、私にはしてくれないのか?」
お兄様の言葉にわたしは笑った。
「お兄様は元々幸運な体質なのでもう必要ないと思います」
「確かに」
わたしの言葉にリオネルが頷き、また笑いが起こる。
お兄様は基本的に幸運体質である。
何かをすれば成功し、人に優しくすれば恩が倍になって返ってきて、今は婚約者は他国に留学しているものの、いずれは社交界でも才色兼備と名高かった侯爵家のご令嬢と結婚する予定だ。
わたしが幸運を分け与えなくても十分、運がいい。
その後、お兄様は「挨拶回りもありますので」とワディーウ様や使節団の人々に挨拶をして離れて行った。




