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珍しく気弱だね。

 






 リオネルと結婚してから一ヶ月。


 特に問題もなく、穏やかに日々が過ぎている。


 結婚式の夜にリオネルから告白されて、それ以降リオネルはわたしへの好意を隠すことをやめたそうで、何かと甘い言葉を囁いてくるが、わたしの返事は強要しない。


 共に朝食を摂り、出仕するリオネルを見送ったら自室で手紙を確認して返事を書いたり、今後の予定を立てたり、時間があればちょっと読書をして過ごす。


 昼食はたまに本邸に戻ってお母様達と食べることもある。


 午後は小説を執筆しながらリオネルの帰りを待つ。


 リオネルが帰ってきたら夕食を共に摂り、入浴して、あとは就寝時間まで更に執筆したり、読書をしたりする。この時、リオネルはわたしの部屋に来て、読書をして過ごしている。


 就寝時間になったらリオネルと寝室へ行き、ベッドの中で明日の予定や今日あったことを話しているうちに眠る。


 大体はリオネルのほうが先に寝落ちする。


 わたしもその後に眠るのだけれど、それまでの少しの時間、リオネルの寝顔を眺めるのが最近の日課になりつつある。


 そんなふうに過ごしていたが、ある日、帰ってきたリオネルが珍しく少し疲れたような顔をしていた。




「疲れてるふうに見えるけど大丈夫?」




 と、訊けば、無言で抱き締められた。


 ややあってリオネルが体を離す。




「とりあえず着替えてくる。夕食の席で話す」




 そして先に食堂で待っていると、着替えを終えたリオネルが来て、定位置の椅子へ腰掛けた。


 食事が運ばれてきて、少し食べたところでリオネルが話し始めた。




「三日後、アベルが来る」


「アベル様って……」


「ああ、アベル・セルペット、結婚式に出席していた筆頭宮廷魔法士『ガーネット』のあの男だ」




 さすがにギョッとした。


 結婚式は上司だったから出席してくれたのだろうけれど、家に来るということは、わたしが思っているよりも実は仲が良いのだろうか。


 わたしの思考を読んだようにリオネルが言う。




「アベルとは上司と部下だったがそれほど親しくはない。……何かと絡まれることは多かったが」




 ……それは普通に仲が良いのでは?


 リオネルは基本的に「友人? そんなもの必要ない」みたいな感じなので、誰かとよく一緒にいてもその相手を友人と称することはない。


 少なくとも、リオネルがわたし以外の誰かに対して「友だ」と言ったことはなく、大体が知り合いという言葉で片付けられてしまう。




「でも、結婚式で見た感じ、セルペット様はリオネルのこと、結構気に入ってる様子だったけど……」




 単に上司と部下という言葉で括るには、セルペット様の目は優しい眼差しだった。……気がする。




「一応、俺は副官だったからな。他の宮廷魔法士よりかは近かったかもしれない。だが筆頭になり、同僚という立場になってからは更に絡まれて少し鬱陶しい」


「そうなんだ……」




 ……セルペット様、リオネルへの接し方を多分間違えてる。


 リオネルは押せ押せという感じがあまり好きではなく、ほど良い距離感で付き合うことを好むから、しつこく絡むと嫌がられてしまう。




「それで、何でセルペット様が我が家に来る話になったの?」




 リオネルが眉根を寄せてやや不満そうな顔をする。




「さあな。あの人は掴みどころの分からない性格だから、ただの興味本位かもしれないし、何か意図があってかもしれない。ただ、一つだけお前には気を付けてほしいことがある」


「わたしが気を付けること?」


「アベル・セルペットは稀代の魔法士だが、女性関係に奔放という欠点を持つ。……つまり女たらしなんだ」




 それにわたしはキョトンとしてしまった。


 そしてすぐにリオネルが上司であるセルペット様を、我が家に招きたくない理由に察しがついた。


 ……女たらしだからわたしにあまり関わらせたくないの?


 結婚式の時に会ったセルペット様を思い出す。


 燃えるような赤い髪に鮮やかな緑の瞳、穏やかそうな、どこか眠そうにも見える、でもリオネルに負けず劣らず整った顔立ち。リオネルよりか若干背は低かったが、十分長身で細身の男性だった。




「セルペット様がわたしを相手にするとは思えないわ」




 リオネルが真面目な顔でフォークとナイフを置いた。




「分かっている。あの人は非常識な部分はあるが、部下の妻を横取りするような男ではない。だが、甘い言葉を囁くのはもはやアベルの癖だ」




 どうやらセルペット様のことを疑っているというよりかは、わたしの気持ちがセルペット様に向いてしまうのではないかということのほうを心配しているようだ。


 いつも自信に満ちあふれているリオネルにしては珍しい。


 ……まあ、わたしも自分の気持ちが分かっているわけではないし。


 もし、リオネル以外の人にわたしが心奪われてしまったらとリオネルが不安に感じるのも無理はない。


 わたしはまだリオネルに何も答えていないのだから。


 立ち上がり、リオネルのそばに行って手を握った。




「大丈夫」




 使用人達の目もあるのでハッキリとは言えなかったが、わたしはリオネルの手をしっかりと握った。




「とりあえず食事をしよう? その話はまた後で」


「……分かった」




 リオネルが頷き、わたしも手を離して席へ戻る。


 その後は二人でいつも通り夕食を済ませ、寝室へ行き、入浴してから寝室へ向かった。


 普段はわたしの部屋で過ごすけれど話をする必要がある。


 寝室は必要以上、使用人達も入ってこないので二人で大切な話をするにはここが一番良いのだ。


 寝室の扉を開けるとベッドの縁に腰掛けたリオネルがいた。


 その隣へ座れば、当たり前のように腰を抱き寄せられる。


 まだ少し恥ずかしいけれど、これにも慣れてきた。




「さっきの話だけど、わたしはセルペット様のことを好きになったりはしないよ。もちろんセルペット様以外の人もね」




 リオネルがわたしに縋るような視線を向けた。




「……何故、断言出来る?」


「『好きになる努力をしてほしい』って言ったのはリオネルじゃない。まだ自分の気持ちは分からないけど、その約束は守りたい」




 そっとリオネルに腕を伸ばし、抱き締める。




「だから、わたしが見てるのはリオネルだけだよ」




 気恥ずかしくて、照れくさくて、混乱することも多くて。


 それでも、いつも自分の心に訊ねている。


 ……わたしはリオネルのことが好きなのか。


 単純な好き嫌いで言うなら『好き』と断言出来る。


 ただ、それが恋愛感情なのかと訊かれたらよく分からなくて、そういう点でわたしは未熟なのかもしれない。


 しかし『好きになる努力』は出来る。


 一つずつ、わたしは今、確かめている。




「返事をするのはまだ少しかかりそうだけど、リオネルを好きになる努力はしていくし、自分の気持ちも確かめたい」


「それで俺を好きになれなかったら?」


「珍しく気弱だね」




 ギュッと縋るように抱き返された。




「他人事みたいな言い方になっちゃうけど、わたしがリオネル以外に誰かを好きになることってあると思う?」




 同性の友達すらいないわたしがいきなり知らない相手に恋をするとは思えないし、そうなると、わたしが一番好きになる可能性が高いのはリオネルである。


 リオネルもそれに気付いたのか、逡巡しているのか、動きを止めた。




「……確かに。お前は他人にあまり興味がないしな」


「それはリオネルも同じでしょ」




 体を離し、リオネルと視線を合わせる。




「大丈夫だよ」




 覗き込んだリオネルの顔には、もう不安の色はなくなっていた。








* * * * *








 そうして三日後の午後。


 セルペット様が侯爵家の別邸を訪れた。


 お父様達は「エステルとリオネル君の客人ならば、我々がどうこうする必要はない」そうで、出迎えはわたしとリオネル、使用人達で行うことにした。


 本邸だったならお父様達が挨拶をするのが筋だけれど、別邸の主人はわたし達だし、ここでお父様達がわざわざ出てくると更に縁を繋ぎたいのかと思われてしまう。


 既にリオネルがいるのだし、同じ敷地でも、別邸はわたしとリオネルの領分でもあるから必要以上に干渉はしないつもりのようだ。


 セルペット様はシンプルな馬車に乗ってやって来た。




「やあ、今日は我が儘を言ってこめんねぇ」




 相変わらず緩い、どこか眠たげにも感じる口調で、馬車から降りてきて片手を上げた。


 リオネルが腕を組んでセルペット様をジロリと睨む。




「分かっているなら控えろ」


「ええ〜、こうでもしないとリオネル君は婚約者ちゃんと話す機会をくれないじゃなぁい」


「婚約者じゃなくてもう妻だ」


「そうだった、そうだった」




 ……前にも同じやり取りをしていたような?


 既視感に小首を傾げていれば、セルペット様と目が合った。




「本日はお越しいただき、ありがとうございます」




 礼を執ると小さく手を振られた。




「ああ、そんな堅苦しくしなくていいよぉ。僕はもうリオネル君の同僚だから、地位で言えば対等だし〜」


「それは建前だろう。筆頭の最古参と新人が同じわけがない」


「年寄り扱いはやめてよぉ」




 ……こう見えて五人の筆頭の中で一番歳上なんだっけ。


 アベル・セルペットという人物についてリオネルから教えてもらったけれど、魔法で若い状態を保っているだけで実年齢はかなり上らしい。


 五十代の国王陛下と昔からの知己で、相談役でもあるというのだから本当は陛下と同年代と言われても不思議はない。




「とりあえず中へ入れ」




 リオネルが雑に顎で屋敷を示す。


 慣れているのかセルペット様は「はぁい」と緩く返事をしただけで、気分を害した様子はなかった。


 応接室に案内し、ソファーに座ってもらう。


 リオネルから、セルペット様は甘いものが好きだと聞いていたので家政婦長に色々とお菓子を作ってもらい、テーブルに並べてある。


 それを見たセルペット様が嬉しそうに笑った。




「わあ、美味しそ〜」




 本当に甘いものが好きらしい。





「お好きなだけどうぞ。余った分は包みますので、お持ち帰りください」


「え、いいの〜? 嬉しいねぇ」




 両膝に肘をつき、両手の上に顔を乗せ、覗き込むようにテーブルの上のお菓子をセルペット様が眺める。


「どれから食べようかなぁ」と迷っている姿はまるで子供のようだ。


 リオネルから女たらしと聞かされていたが、そのような気配は微塵も感じられない。


 最初に食べるお菓子を決めたのか、メイドに声をかけて取り分けてもらっている間も、ご機嫌といった様子だった。


 取り分けられたケーキをさっそく食べている。


 ……実はリオネルのほうが歳上ですと言われても納得しちゃいそう。


 紅茶を飲んでいたリオネルがソーサーにカップを置く。




「それで、本当の目的は?」




 リオネルの問いにセルペット様が緩く笑う。




「あはは〜、やっぱり分かっちゃう?」


「俺以外にも結婚している部下がいるのに、今回だけわざわざ時間を設けて会いに来るというのは不自然過ぎる」


「僕が君の奥さんに惚れちゃった〜って可能性は考えなかったのぉ? それで無理を言って会いに来たとかさぁ」




 リオネルがカップをソーサーごとテーブルへ戻した。




「その可能性も考えたが、ここに来てからお前は一度もエステルに甘い言葉をかけていない。いつもなら王女だろうと下町の娘だろうと誘惑しているのに」




 ……それはそれでどうなんだろう……。




「その言い方だと僕が節操なしみたいじゃなぁい」


「似たようなものだろう」


「全然違うよぉ。僕はいつでも本気なんだから〜」




 ……そのほうがタチが悪いのでは?


 内心で若干引いていると、こほん、とセルペット様が小さく咳払いをする。




「まあ、僕のことはともかく、今回はウィルに頼まれたから来たんだ〜。あ、ウィルって国王陛下のことだよぉ」




 いきなり陛下の名前が出てきてギョッとする。


 ウィリアム・エル・フォルジェット国王陛下。


 いくら侯爵家の令嬢と言っても、社交をしないわたしにとっては雲の上のような人である。


 夜会で挨拶はしても、言葉をかけられたことすらない。




「ほら、リオネル君が筆頭になったでしょ? 優秀な魔法士はどこの国も欲しがるし、ラシード王国なんてリオネル君を『是非、我が国に高位貴族として迎えたい』って何度も手紙を送ってくるし、我が国としてはリオネル君を手放したくないわけ〜」


「え、そんなお話があったのですか?」


「そう、あるんだよ〜。向こうではリオネル君は有名だしねぇ。このままだと引き抜かれちゃうかもって心配もあって、それは困るから『この国にいてね』って意味も含めて筆頭の座を与えられたんだよぉ」




 セルペット様の口から出てくるのは知らないことばかりで、しかもわたしが聞いてしまって良いものなのかと慌てているとリオネルに手を握られた。


 そこで我に返ってリオネルへ問う。




「リオネルはそれを知ってたの?」


「ああ、筆頭の座に内定した際に『他国に属さない』と誓約をした。だが筆頭宮廷魔法士は皆そうするものだ。俺だけの話ではない」


「ラシード王国で暮らそうとは思わなかった? 高位貴族として迎え入れられるなら悪い話ではないと思うんだけど……」




 わたしの問いにセルペット様が笑った。




「リオネル君の奥さんは率直に訊くねぇ」




 筆頭の座も高い地位だけれど、貴族というわけではない。


 ラシード王国で高位貴族として迎え入れてもらえたほうが、一代限りの筆頭宮廷魔法士よりずっと好条件である。



 

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― 新着の感想 ―
[一言] アヴァンチュールのお誘いだったら、どうしようかと。 はあー、良かったです。 危うく別邸が、更地に…! (*_*) リオネル様は、相当、優秀なんですね。 まさかの、引き抜き防止対策でした!…
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