友達なのに恋愛感情があるの?
披露宴が終わり、日が沈んだ後。
招待客が全員帰ったことで本日の大イベントも終了した。
後片付けは使用人達に任せ、部屋に戻ろうとしたら、自室ではなく別邸のほうへ案内された。
……あ、もう今日からこっちなんだ?
別邸の夫婦の部屋に通されるとわたしの部屋かと思うほど、見慣れたもので揃えられていた。
「旦那様と奥様より、部屋を整えるよう仰せつかっておりました」
だそうで、ここはわたしの部屋で合っているらしい。
隣室は浴室があり、反対側に寝室へと続くのだという扉があった。寝室への扉には一応、こちらから鍵をかけられるようになっているが、こちらの部屋にベッドはない。
つまり眠るには寝室へ行く必要がある。
……まあ、カウチソファーがあるから、そこで寝ても十分休めそうだけど。
少し休憩をしてから、侍女に手伝ってもらってドレスを脱ぎ、浴室へ向かう。
侍女達は式を終えた後だというのに、相変わらずわたしの体をピカピカに磨き、香油を塗り込みながらマッサージをされる。
立ちっぱなしで浮腫んだ足は特に念入りに揉みほぐされた。
ちょっと痛いけれど、それが心地好い。
全身をマッサージしてもらい、湯船に浸かると、今度は髪を洗ってもらう。
……ああ、疲れた……。
うとうととしている間に髪は洗い終えたようだった。
「お嬢様、浴室で眠るのは危ないですよ」
と言われて目を覚ます。
「ごめん……」
目をこすりつつ浴槽から出れば、タオルを持った侍女達が優しく体や髪を拭いてくれる。
「この後もっと大事なことがあるのですから、しっかり目を覚ましてくださいませ」
「大事なこと?」
「ええ、素敵な初夜を迎えられるのです」
一瞬で眠気が吹き飛んだ。
「……しょ、初夜……っ?」
「はい、夫婦の初めての夜ですね」
確かに貴族にとって結婚し、子を生すのは大切なことだ。
しかし、わたしとリオネルは契約婚である。
……子供については応相談ってことにしてるけど……。
どうしよう、と焦る気持ちとは裏腹に侍女達の手によって下着と夜着が着せられる。
それがいつもよりフリルは多いものの、透け感がないことに安堵しつつ、更にガウンを羽織ってから髪を丁寧に梳かされた。
部屋に戻ると、寝室へと続く扉が当たり前のように開けられる。
……ここで行かなかったら変に思われるよね?
使用人達はこの結婚が契約であることを知らない。
促されるまま寝室へ入れば、後ろで扉が閉められる。
寝室のベッドサイドにはランタンが置かれており、部屋の中を温かな光で優しく照らしている。
ベッドの縁にリオネルが腰掛けていた。
リオネルはバスローブを着ており、腰の辺りで緩く縛っているけれど、中は何も着ていないのか胸元や足元は肌が覗いている。
わたしに気付いたリオネルに手招かれる。
「疲れただろう。こっちに来て座れ」
リオネルが自分の横を叩いて示すので、わたしは近付き、そこへ腰掛けた。
目の前にグラスが差し出される。
それを受け取り、一口飲むと、ほとんどアルコールのないシードルだった。
「えっと、今日はお疲れ様……?」
「お互いにな」
リオネルも同じものを飲んでいるようなので、酔ってはいないのだろうが、リラックスした様子である。
よほど疲れたのか珍しくチョコレートを食べている。
なんとなくそれを眺めていると、わたしの視線に気付いたリオネルがチョコレートを一つ取り、差し出してきたのでかじりついた。
……ああ、糖分が疲れた体にしみ渡る……。
チョコレートを味わって食べるわたしの横でリオネルがベッドへ寝転がる。
「……結婚したな」
どこか確認するように言われて頷いた。
「結婚したね。まあ、契約婚だけど──……」
「エステル」
名前を呼ばれて振り向けば、手が伸ばされる。
なんだろうと思いつつその手に触れれば、引っ張られてわたしもベッドへ転がった。
「目標を達成したほうの願いを叶えるというあの約束、まだ有効か?」
「……結婚してほしいって願いは叶えたよね?」
「それは数に入らないとお前自身が言っただろう」
「そうだっけ?」
そう言われてみれば、そんなようなことを言った気がする。
だとしても、何故、今その約束が出てくるのだろうか。
「まあ、うん、まだ有効だよ」
伸びてきた手がわたしの頬に触れる。
「それなら、一つ、お前に叶えてほしい願いがある」
「わたしが叶えられるもの?」
「ああ、お前にしか叶えられない」
リオネルが深呼吸をする。
何を言うつもりなのか、緊張しているようだ。
黄金色の瞳が意を決した様子で一つ、瞬いた。
「俺を愛する努力を、してくれないか?」
……愛する努力……?
理解が追いつかず、訊き返してしまった。
「愛する努力? わたしはリオネルのこと好きだし、大事な親友であり、これからはパートナーだって思っているよ……?」
ある意味では愛しているとも言えるはずだが……。
けれども、わたしの言葉にリオネルは緩く首を振った。
「そういう意味ではない。男と女として、お前の愛が欲しいんだ」
「ちょ、ちょっと待って、それだとまるでリオネルがわたしに恋愛的な意味で好きになってほしいってことになるんだけど……」
「俺は先ほどからそう言っている」
わたしの頬にかかった髪をリオネルの手がそっと、わたしの耳にかけ、なぞるように耳の縁を指先が撫でた。
「俺はお前が好きだ」
息が詰まった。
「恋愛的な意味で、男が女を求めるという意味で、俺はお前を愛しているし、ずっと欲しいと願ってきた」
思わずガバリと起き上がる。
「嘘! だって今まで友達だったじゃない!」
「ルオー侯爵との約束もあって、今までは想いを伝えられなかったが、俺はもうずっと前からお前に惹かれていた」
起き上がったリオネルの真剣な表情に驚いた。
……冗談じゃなくて……?
いつからとか、なんでわたしなんかをとか、色々と思うことはあるけれど、頭が混乱してしまって上手く言葉が出てこない。
リオネルはそんなわたしの様子を見て話してくれた。
「俺がお前への気持ちに気付いたのは、お前と出会ってから二年ほど経ってからだった。もしかしたら本当はもっと最初のうちからそうだったのかもしれないが、俺が自覚したのはそれくらいの頃だ」
リオネルはすぐにお父様に、わたしと婚約をしたいと申し出たものの、お父様から断られた。
侯爵令嬢と男爵家の次男とでは身分差もあるし、婚約しても侯爵家に利点はなく、わたしが苦労するだけだから。
その当時、リオネルは宮廷魔法士になったばかりだった。
それでリオネルはお父様に『筆頭宮廷魔法士なら結婚させてもらえるのか』と問い、お父様は『筆頭の座なら』と頷いた。
リオネルがわたしと結婚するには『筆頭宮廷魔法士になること』と『わたしが同意すること』が必要で、でも婚約するにしても結婚するにしても、筆頭にならなければお父様の許しが得られない。
だから、せめて友人としてそばにいたかった。
「もちろん、お前のことは良き友人とも思っている」
「友達なのに恋愛感情があるの?」
「恋と友情を両立してはいけないという法はない」
筆頭の座に就くまでは友人として、その後、正式にわたしに求婚をするつもりだったのだとか。
でも、わたしのほうから契約婚を持ちかけられた。
「その時点で『エステルからの同意』は得たようなものだ。俺が筆頭に就けば、ルオー侯爵は反対出来ない」
リオネルからしたら予想外の好機であった。
話を聞いている途中で、ようやく、色々なことが頭の中で繋がった。
「じゃあ出征で武勲を立てて筆頭になりたがっていたのって……」
「お前と結婚するための地位を得るためだ」
とんでもないことをサラリと返されて絶句する。
いつの頃からかリオネルは「筆頭になる」と口に出すようになり、わたしも優秀なリオネルなら当然目指すものだろうと疑問に感じなかった。
その理由がまさか自分関連だなんて思うはずもない。
乱れていたのだろう、わたしの髪をリオネルが撫でる。
「それくらい、俺はお前を想っている」
熱い視線を向けられ、ドキリと心臓が大きく脈打つ。
「……努力でいいの?」
リオネルは『俺を愛せ』でも『俺を好きになれ』でもなく『愛する努力をしてほしい』と言った。
いつもの強気さはなく、まるで懇願するようだった。
それにリオネルが困ったように小さく笑った。
「お前の意思で俺を愛してほしい。だから命令はしない。……好きになったほうが負け、とはよく言ったものだ」
頭に触れていた手に力がこもり、抱き寄せられる。
高い体温は入浴後だからという理由だけではないのだろう。
「俺の負けだ」
耳元に囁かれる低い声にくらくらする。
自分の負けを認めたくせに、わたしを離さないとでもいうようにギュッと力強く抱きすくめられた。
ダンスをした時よりもずっと近く、触れ合っていることにドキドキと心臓が早鐘を打っている。
「……突き放さないんだな」
そう言われて、自分でも不思議だった。
驚いたし、まだ混乱しているが、こうしてリオネルと触れ合うことは嫌ではない。
「……恋愛の好きとかよく分からないけど、でも、リオネルの気持ちは嫌じゃないから」
「そうか」
リオネルからホッとした気配が感じられた。
「これからお前を落としてみせる」
そんな宣言をする真面目なところがリオネルらしい。
つい、笑ってしまった。
「それ、本人に言っちゃうんだ?」
「お前はこういうことに鈍いから、ハッキリ宣言しておかないと『気のせい』や『友情』で片付けようとするだろう」
「う……」
指摘され、これまでのリオネルの言動を思い出す。
……そっか、ずっとリオネルはわたしに好意を示してくれていたんだよね……。
わたしはそれを『友人としての好意』だと思い続けてきた。
しかし、これからはそうではない。
リオネルはわたしが好きで、両想いになりたがっている。
そのことを知ってもなんだか現実味がない。
ふわ、と浮遊感に襲われ、驚く間もなくリオネルを下敷きにしてベッドへ転がった。
慌てて起き上がろうとしたけれど、手をつこうとするとリオネルの胸元に触れてしまい、バスローブ越しに意外と筋肉質な感触があったので顔が熱くなる。
……こ、こういう時、どうやって起き上がったらいいの!?
あわあわするわたしを他所にリオネルは寝転がっても離してくれず、むしろ自分の体の上にわたしを乗せてしまった。
「わたし重いから下ろして……!」
なんとか胸元を叩くけれど、リオネルは愉快そうに笑う。
「心地好い重みだ」
ギュッと抱き締められ、お互い夜着とバスローブというとても心許ない装いであることを思い出す。
コルセットも何枚も重ねたスカートもない。
わたしがリオネルの筋肉質で硬い体を感じているように、多分リオネルもわたしのぷよぷよな体を感じているはずだ。
「お前は柔らかいな」
「太ってるからね!」
「そう怒るな。悪い意味で言ったのではない。むしろ、女性らしくて俺にとっては非常に魅力的だ」
恥ずかしくてヤケクソ気味に返したわたしの背中を、宥めるようにリオネルの手がポンポンと撫でる。
コルセットのない背中に夜着越しにリオネルの手を感じ、体温が上がるのが自分でも分かった。
わたしが恥ずかしさに悶えているというのに、リオネルはこれまでの長い付き合いの中で一番機嫌が良さそうだった。
ドッドッドッドッと心臓が走り続けている。
……リオネルまで伝わってそう。
羞恥心からリオネルの顔を見られなくて、目の前にある胸元に額を押し付けて俯く。
そうして、ふと触れ合った場所から感じる鼓動に気付く。
……これってリオネルの心臓の音?
わたしと同じくらい間隔の短い鼓動が僅かに伝わってくる。
「心配するな。今はまだ何もしない」
「『今はまだ?』」
少し引っかかる言葉を繰り返せば、リオネルの体が微かに揺れる。
「いずれ、そういうことも出来る関係になりたい」
……そういうことって、そういうこと!?
ギクリと体を強張らせたわたしの頭をリオネルの手が撫でた。
「無理に関係を持つつもりはない。お前の気持ちが俺に向いて、きちんと同意を得た上での話だ」
思いの外リオネルの声は落ち着いていた。
「……その、リオネルはわたしとそういうことがしたいの……?」
「したい」
若干食い気味の即答だった。
……ま、まあ、リオネルだって男の人だし?
「でも、わたし太ってるよ? ぷよぷよだよ? 見たら多分、げんなりすると思う──……」
喋っている最中に両脇に手が差し込まれてグイと体が引っ張られ、視界にリオネルの顔が入る。
そして頬の、それも唇ギリギリのところに口付けられた。
「本音を言えば、今この場で押し倒したいくらいには俺の目にはお前は魅力的に映っている。不安になる必要はない。お前はいつでも美しい」
結婚式の誓いの口付けの時のように顔の至る所に口付けられ、恥ずかしくて目を開けていられなくなった。
頬、鼻先、顎、瞼、額。リオネルの唇の感触に体が震える。
……こ、ここまでしておいて唇にされないのも、それはそれで凄く恥ずかしいんですけど!?
でもそれで唇にもしてほしいかと言われると分からない。
「今日はこのまま眠ろう」
適当にシーツを手繰り寄せ、リオネルはわたしごと自分にそれをかけて目を閉じる。
リオネルの上から下りたいが、長い腕にしっかり固定されているせいで逃げることも出来ない。
結局、そのままリオネルの上で眠ることになった。
……こんな状態で寝られるはずないけどね!!




