望むところです。
リオネルに契約結婚の話をした翌日、お父様に呼ばれた。
書斎へ行くとお父様だけでなく、お母様とお兄様もいて、家族全員が集まっていた。
「失礼します。何かご用でしょうか?」
「うむ、そちらに座りなさい」
お母様とお兄様の座っているソファーの、向かいにあるもう一つのソファーを示されたので腰掛けた。
「エステル、今朝、イベール男爵家より婚約の打診があった。相手はお前と親しくしているリオネル君だ」
わたしも今日、お父様達に話すつもりだった。
どう切り出すか少し考えていたので丁度いい。
「実はわたしからリオネルに『結婚しないか』と声をかけました」
三人が目を丸くした。驚いたようだ。
「あら、エステル、あなたリオネル君のことが好きなの?」
母の問いに今度はわたしが目を丸くする番だった。
それが恋愛的な意味での問いだと分かり、だからこそ、わたしは苦笑してしまった。
「いえ、恋愛的な意味での好きというわけではないと思います。でも友人以上に信用しています。……今回、リオネルには『契約結婚』について話をしました」
それから、わたしは契約結婚について説明した。
互いに条件を出し、それを守りながら結婚生活を送る。
幸い、わたしもリオネルも家を継ぐ必要がないので無理に子供を産み育てる必要もない。
貴族は結婚して一人前と言われる。
だからこそ、互いに契約としての結婚をすることで一人前に扱ってもらえるし、したくない相手と政略結婚をしなくて済む。
……リオネルにも好きな人はいなさそうだったし。
「『契約結婚』ねえ……」
三人が微妙な顔をした。
「あ、もし、リオネルに好きな人が出来たら、その時は離婚してもいいと思っていますけど……?」
更に三人の顔が何とも言えない表情へと変わった。
どうしてそんな顔をするのか分からなくて首を傾げれば、お兄様が言う。
「いいか、エステル。結婚も離婚もそう簡単に出来ることじゃない。結婚するなら、これからもずっと付き合っていけると思える相手でないといけないんだ」
「リオネルとは十年付き合ってきました。きっと、これからもお互いに上手くやっていけると思います」
「それは、そうかもしれないが……」
こほん、とお父様が小さく咳払いをした。
「契約結婚については分かった。だが、改めてリオネル君とも話がしたい。今度、我が家に招きなさい」
「はい、分かりました。その、婚約の打診については……」
「リオネル君と話をしてから決めることとしよう」
そういうわけで、リオネルを招くことになった。
* * * * *
お父様達が話をしたがっていると手紙でリオネルに伝えると、すぐに返事があった。
そうして、契約結婚を持ちかけてから五日後、我が家へリオネルが来た。
いつもはわたしだけで出迎えるのだけれど、今日は婚約の打診の件もあり、家族総出だった。
イベール男爵家の馬車が屋敷の前に停まる。
降りてきたリオネルに驚いた様子はない。
「本日はお招きくださり、ありがとうございます」
十年も付き合いがあるし、リオネルはお兄様だけでなく、お父様とお母様とも何度も会っているのでそう緊張はしていないようだ。
「こちらこそ、予定を合わせてもらってすまないね」
「いえ、エステル嬢との婚約についてはきちんとお話ししたいと思っておりましたので、むしろお声をかけていただけて助かりました」
リオネルも宮廷魔法士として働いているため、今回は仕事で休みを取って来てくれた。
……そういうところがリオネルの良いところだよね。
行動力があって、一度決めたことはやり通す。
普段はあんなに不遜な態度なのに、どんな小さな約束事でも破らないし、嘘は吐かないし、こう見えて根は真面目なのだろう。
「話も長くなることですから、中へどうぞ」
お母様の言葉にリオネルが頷く。
お父様とお母様、お兄様が屋敷の中へと入っていく。
それを追いつつ、歩調を緩めて後ろについてきたリオネルと並んだ。
「婚約の打診、早かったね」
こっそり声をかければリオネルは前を向いたまま答えた。
「イベール男爵家としては、侯爵家と繋がりが出来るのは願ってもないことだからな」
「リオネルのご両親は婚約に前向きってこと?」
「ああ」
それなら、お父様達さえ説得出来れば良いわけだ。
……リオネルのご両親にはほぼ会ったことがないんだよね。
イベール男爵と男爵夫人、リオネルのお兄さんには一度だけ夜会でご挨拶をしたことはあるものの、リオネルはあまり家族が好きではないようで、それ以降は会っていない。
本人に訊いたけれど、リオネルも普段は王城の宮廷魔法士専用の寮のほうに寝泊まりすることが多く、必要以上は家に帰らないらしい。
……まあ、でも、それも仕方ないのかなあ。
リオネルは男爵家にも男爵位にも興味はないみたいだが、優秀だの天才だのと言われる次男に家督を奪われるのではとお兄さんに思われているそうで、兄弟仲も良くないのだとか。
元々、お兄さんに対して興味がないこともあり、リオネルは不仲でも気にしていないと言っていたけれど、本心がどうなのかは分からない。
ご両親について訊いた時は嫌そうに眉を顰めたので、それ以来、家族の話題に触れるのは控えている。
応接室に案内され、お父様が一人掛けのソファーに座り、お母様とお兄様が三人掛けのソファーに座る。お母様とお兄様の向かいの、同じく三人掛けのソファーにリオネルが座ったので、その横にわたしも腰掛けた。
瞬間、全員の視線がわたしに向けられた。
「えっ?」
と、何故かお兄様が驚いたのでわたしも驚いた。
「え、あれ、わたし何か変なところでもありますか?」
慌てて自分のドレスを見下ろした。
……うーん、相変わらずぽっちゃりだ。
でもそれはわたしにとっては普通のことで、それ以外で、ドレスにおかしなところなどは見当たらない。
首を傾げれば、横にいるリオネルが小さく噴き出した。
口元と手で隠し、顔を背けたが、絶対に笑っている。
お兄様が何とも言えない顔をしていた。
お母様は微笑んでいて、お父様が小さく咳払いをする。
「改めて確認するが、イベール男爵家から我が家に婚約の打診が来ている。リオネル君とエステルの婚約だ。これについて、二人とも、間違いはないか?」
お父様の問いにわたし達は「ありません」と頷いた。
ふむ、とお父様が思案し始め、お母様が席を立つ。
「エステルは隣の部屋で、お母様とお話をしましょうか」
「ですが、わたしもここにいたほうが……」
「同性同士でなければ話しにくいこともあるのよ。お父様達がお話ししている間、私達も話すべきことがあるわ」
さあさあ、とお母様に促されて立ち上がる。
大丈夫かとリオネルを見れば頷き返されたので、お母様と隣室に移動した。
……心配はないと思うけど。
リオネルなら上手くやってくれるはずだ。
だが、お父様もお兄様もちょっと家族愛が強いというか、わたしに対して過保護な部分があるので反対されるかもしれない。
とりあえず、ソファーにお母様と並んで座る。
手を握られ、わたしはお母様の手を握り返した。
「お母様は反対ですか?」
「いいえ、あなたが本当にそうしたいと思うのであれば私は反対しないわ。でもね、結婚はその場をやり過ごすためにするものではないのよ」
その言葉に頷き返す。
「はい、分かっています」
「もしあなたに好きな人が出来た時、リオネル君に自ら持ちかけた結婚を取りやめると言うのは少しどうなのかしら。それはあなたも彼も幸せにはなれないでしょう?」
「お母様、わたしは好きな人はいませんし、多分この先もわたしを恋愛対象として見てくれる人もいないと思います」
このふくよかな体型だけでも笑われているのだ。
たとえ侯爵家と縁続きになれると言っても、今まで一度も縁談が来ていないのだから、今後もそういった機会が得られるとは考えられない。
それなら長く一緒に過ごして気心も知れている、一番信用出来る相手と契約婚でもしてお互い好きに暮らしたほうがいい。
でも、何故かお母様が困ったような顔をする。
「リオネル君と結婚して、リオネル君が『子供がほしい』と言った時、あなたはきちんと妻としての役目を果たせるの? 彼は有望な魔法士ですもの、結婚したのなら、国も優秀な者の子を期待するでしょう。そこであなたの我が儘は通らないわ」
そっと手を握り返される。
「彼と結婚するのであれば、子を産むことも、その先も、きちんと考えなければいけないわ」
「……お母様、それは違います。わたしと結婚しても、他の女性とリオネルが子を残すことも出来ますし、第一、リオネルはわたしのことをそういう目で見ていません」
「そう……」
やっぱりお母様は困った顔をしていた。
それから、少し思案していたようだけれど、お母様はいつもの穏やかな微笑みを浮かべた。
「でも、そうね、あなたを任せられるのは彼しかいないかもしれないわね」
* * * * *
侯爵夫人とエステルが隣室へ行き、扉が閉まると、侯爵とエステルの兄がこちらを向いた。
先に口を開いたのはルオー侯爵だった。
「まさか、エステルのほうから契約婚などという話を持ちかけるとは……」
それにリオネルは言った。
「私も驚きましたが、しかし、丁度良い機会でもあります。以前お話しした通り、私は宮廷魔法士となりました」
エステルのことを異性として、恋愛感情を持つようになってすぐの頃にリオネルはルオー侯爵と話す機会があった。
そこで『エステルと結婚したい』と伝えた際に侯爵は『ただの男爵家の次男に娘を嫁がせられない』と答えた。爵位も持たない相手に嫁がせれば苦労することは目に見えている。
何より男爵家と縁を繋いでも侯爵家に利益はない。
だからリオネルはそこで条件を出した。
「私は宮廷魔法士になります。やがては筆頭宮廷魔法士の一人になるつもりです。筆頭の座を得た暁には、エステル嬢との結婚をお許しいただけないでしょうか」
ただの男爵家の次男では侯爵令嬢を娶るには分不相応だが、国に四人しかいない筆頭宮廷魔法士の五人目に名を連ねたならば、地位も名誉も約束される。
侯爵令嬢を妻に迎えたとしても不足はない。
リオネルは天才と呼ばれ、事実、その才能を持って宮廷魔法士となり、着実に功績を挙げていた。いずれ筆頭宮廷魔法士にまで辿り着くだろうと誰もが噂した。
その時、侯爵はこう言った。
「君が筆頭となり、エステルが同意するのであれば結婚を許可しよう。……筆頭宮廷魔法士の妻は誉れ高い」
その言葉を信じ、リオネルは筆頭の座を目指している。
元より何をしてもつまらなかった人生が、目標を得て、楽しみを持つようになってから変わった。
他人と同様に努力し、目標に向かい、そして毎週エステルの下へ通って共に過ごす時間に癒される。人との会話を楽しむことも、誰かを気遣うことも、くだらない話題で何時間でも過ごせる相手がいることの大切さを知った。
エステルと出会わなければ、リオネルは優秀な人間だが人の心を理解出来ない男のままだっただろう。
「隣国ラシードとヴィエルディナとの摩擦が強まっている件をルオー侯爵も既に聞き及んでいることでしょう。恐らくヴィエルディナは近々ラシードに宣戦布告し、友好国として協定を結んでいる我が国はラシードへ兵を派遣するはずです」
「確かにその可能性は囁かれているが……」
「私はそれに志願します」
リオネルの言葉に侯爵達が目を見開いた。
「そこで功績を挙げ、筆頭の座を掴んでみせます」
「……だが、もし今、婚約をして君が戦で亡くなれば、エステルは婚約者を失った令嬢となる」
それはリオネルも分かっている。
婚約者や夫を喪った者は縁起が悪いと厭われる。
……そのほうが俺としては願ったりだが。
もしもリオネルが死に、エステルが婚約者として残された時、そのまま誰とも結婚しないでほしいと思うのは酷い我が儘なのだろう。
情の厚いエステルならば、親友とも言えるリオネルが戦死したと聞いて平静でいられるはずがない。
落ち込み、悲しみ、もしかしたらリオネルのことを忘れないでいてくれるかもしれない。
歪んでいるという自覚がリオネルにはあった。
「絶対にそのようなことは起こさせません。たとえ手足を失ったとしても、這いずってでも生きて、戦果を挙げて帰ってきます」
そのためならば、どのようなことでもする。
ラシードとヴィエルディナの話を聞き、戦争の可能性に気付いた時に覚悟を決めた。
他の何を捨てても欲しいものがある。
ずっと、もう何年もそのためだけに努力してきた。
「……婚約は許そう」
「父上!?」
侯爵の決断にエステルの兄が驚いた声を上げた。
「ただし、結婚は約束通り筆頭宮廷魔法士となってからだ」
婚約はあくまで『結婚の約束をする』というだけだ。何か問題があれば解消出来るし、リオネルが死んだ場合も解消される。
「ですが父上……!」
「ラエル、やめなさい。エステルが彼との婚約を望み、彼もそれを望んでおり、そのために宮廷魔法士として実績もある。……あの子を真剣に想ってくれている。今まで、そのような者がいたか?」
「それは……」
エステルの兄は反論出来なかったのか口を噤んだ。
恐らく、エステルには何度か縁談の話が持ち上がっていたはずだ。いくつかある侯爵家の中でもルオー家は力がある。結婚して、繋がりを持ちたいと思う家は多いだろう。
それでもエステルの口から縁談の話が一度も出てこなかったのは、侯爵が縁談を断っていたか、自分のところで止めていたか。どちらにしてもほとんどの家は弾かれた。
そうしてリオネルはエステルと会うことを許されている。
少なくとも、エステルのそばにいても良い人間と判断してもらえているわけだ。
「エステルを大事に思ってくれている。それはとても重要なことだ。貴族ならば婚約・結婚後に愛が生まれることもある」
侯爵がリオネルを見た。
「イベール男爵家からの婚約打診、受け入れよう」
それにリオネルは頭を下げた。
儀礼的なものでも、挨拶でもなく、心から感謝を込めて、リオネルは侯爵へ深く頭を下げる。
「ありがとうございます」
……エステル。俺の輝く星。
「だが、条件を加える。エステルと婚約・結婚する以上は不貞は許さん。君からの婚約解消も受け入れない」
それにリオネルはふっと笑った。
そのようなことは条件に加えられても意味はない。
「望むところです」
何よりも欲しいものを手放すつもりなどないのだから。
* * * * *