……そうしてくれると大変助かります……。
部屋に戻り、二人で定位置の椅子に座る。
……ああ、さすがにちょっと疲れた。
全部ドレスを着替える試着に比べたらマシだったけれど、それでも、いくつも襟を付けたり外したりして、その間はずっと立っていたので足が少し疲れた。
テーブルにへばりつくわたしに手を伸ばし、リオネルがわたしの髪を指先でくるくると弄ぶ。
それをテーブルに頬をつけたまま眺める。
……リオネル、それ好きだよね。
出征から帰ってきて以降、たまにわたしの髪をそうやって弄る時がある。手持ち無沙汰なのだろうか。触られるのは別に構わないが。
最近は侍女やメイド達が結婚式に向けて美容に気を遣ってくれているので、より肌や髪の艶が良くなった。
リオネルもそれに気付いたのだろう。
確かにわたしの髪もサラつやで触り心地もいいだろう。
しばし髪を弄っていたリオネルだったが、髪を解放すると、今度はわたしの頬をつつき出す。
「それで、条件はどうする?」
そう問われてテーブルから起き上がる。
「わたしのほうは条件は変わらないよ」
「俺のほうはいくつか増やしたい」
「ちょっと待って〜」
立ち上がり、机の引き出しから紙を取り出して戻る。
前回、リオネルが書いた条件の紙だ。
一つ、婚約中の不貞行為の禁止。
一つ、家族以外の異性と二人きりにならない。
一つ、互いに出来る限り会う時間をつくる。
一つ、困ったことがある場合は相談する。
一つ、イベール男爵家からの婚約解消はなし。
一つ、婚姻はリオネルが筆頭宮廷魔法士となり、エステルの同意を得てから行うこととする。
これがリオネルが提示した条件だった。
二人で紙を覗き込む。
「まず、上四つは継続、五つ目の『婚約解消はなし』というのは『離婚はしない』に変更したい。六つ目は削除だな」
「『離婚しない』って、それだとリオネル困らない? 好きな人が出来た時、わたしと別れられなくなるよ?」
「俺はお前以外と結婚するつもりはない」
リオネルは更に二つ条件を書き足した。
一つ、寝室は同じにすること。
一つ、子供については応相談。
それにギョッとした。
「え、寝室同じにするの?」
契約婚だから別々になると思っていた。
「夫婦なのだから同じ部屋で問題ないだろう。子供だが、恐らく陛下は望むはずだ」
「あー……うん、まあ、そうだよね」
優秀な魔法士の子となれば、同じく優秀な者となるかもしれない。当然、子は望まれるだろう。
……リオネルとわたしの子供……?
うっかり想像してしまい顔が熱くなる。
「それについてはお前の気持ち次第にしておこう。結婚したから妻としての役目を無理に果たせとは言わない」
いつも通りのリオネルの様子に少しホッとした。
「……そうしてくれると大変助かります……」
お母様にも以前言われたが、まさかリオネルからも言われるとは思わなかった。
リオネルに好きな人が出来たら別れるつもりだったし、子供を授かったらきっと別れられなくなる。
一瞬、それもいいかな、なんて考えが浮かんだ。
慌ててそれを追い払い、リオネルを見る。
「でも、離婚はなしっていうのは本当に大丈夫?」
リオネルが少し呆れた顔をした。
「そもそも陛下に直接お許しをいただいた結婚を、こちらの都合で勝手に別れられると思うか?」
「……無理だね」
「そうだろう?」
この話は終わりだというふうにリオネルが軽く手を振る。
「とりあえず、子供については今はまだ気にする必要はない」
「……分かった」
「お前のほうから条件は増やさなくていいのか?」
「うん。大体、必要なことはリオネルが条件に出してくれているし、もし何か条件に付け加える必要が出てきたら、その時はまた話し合えばいいよ」
条件を書いた紙を二枚用意し、それぞれにサインをして、互いに一枚ずつ持つ。
それをわたしは今まで通り机の引き出しに仕舞った。
その引き出しに入れていた別の手紙を見て、ふと思い出す。
「あ、そうだ、キャシー様がリオネルに会いたがってたよ」
椅子へ戻るとリオネルが「そうか」と呟く。
リオネルには、出征中の五ヶ月間にどんな作家活動をしていたか内容について全部話してあった。
「俺のほうから手紙を出しておく。次の休日は五日後になるが、その時にエステルも一緒に行くか?」
「そうだね、原稿も渡したいから行こうかな」
「では、その旨も伝えておこう」
きっとキャシー様はリオネルの無事な姿を見て、喜んでくれるだろう。
リオネルの休日に合わせて出版社へ赴くことになった。
* * * * *
五日後、わたし達は出版社へ向かった。
予定の時間通りに到着すると、受付のそばにキャシー様がいて、わたしとリオネルを見てすぐに近付いてきた。
「リオネル様、お嬢様、ようこそお越しくださいました」
どうぞ、と案内されて応接室へ通される。
そこには色々なお菓子がテーブルに並べられており、明らかに歓待していますといった様子であった。
そしてキャシー様がお茶の用意をしてくれた。
「リオネル様がご健勝で何よりですわ〜。筆頭宮廷魔法士就任、おめでとうございます」
ニコニコ顔のキャシー様にリオネルは短く「ああ」とだけ返事をした。
その淡々とした態度は慣れたものなのか、キャシー様は気にしたふうもなく、ソファーへ座るとわたしを見た。
「ル・ルー先生にはいつもお世話になっておりますわ。出版させていただいている本も売れ行きが好調で、重版した分ももうすぐなくなりそうなので、再重版も考えていますのよ」
「こちらこそいつもお世話になっております。また重版してもらえるのでしたらとても嬉しいです!」
「『幸福の青い薔薇』は今や貴族だけではなく、平民も欲しがる大人気作で私としても鼻が高いですわ〜」
ウフフ、と語尾にハートが飛んでいそうなほどキャシー様が嬉しそうにしていて、この並べられたお菓子は多分、わたしの作家としての立場が上がった証拠なのだろう。
「それにリオネル様が無事に帰還していただけて嬉しいですわ。今後もル・ルー先生の小説を安心して出せますもの」
「お前の場合、それと資金が目当てだろう」
「否定はしませんわ」
リオネルが持ってきていた箱をキャシー様に手渡した。
それをキャシー様が受け取り、箱を開け、すぐに閉じた。
「追加の資金だ」
「あら、ありがとうございます。でもよろしいのかしら。もうすぐご結婚なされるのですから、お金は大事にしませんと……」
「それは俺からではなく、エステルの両親からだ。『娘をよろしくお願いします』だそうだ」
そのことはわたしも初耳で驚いた。
「え、お父様とお母様から?」
「ああ、ルオー侯爵も夫人もお前のことを応援しているのだろう。……表向きは俺からの出資ということにしてくれ。出版社と関わりのないルオー侯爵家から急に出資したとなれば怪しまれる」
「かしこまりました」
キャシー様が懐から取り出した紙の二枚にサラサラと何かを書き込み、それを破ってリオネルへ渡した。
受け取ったリオネルは中身も見ずに片手で二つ折りにして、懐へ仕舞う。
……受領書かな?
キャシー様が箱をソファーに置く。
話が落ち着いたようなので、わたしも持ってきていた包みをキャシー様へ差し出した。
「キャシー様、こちらが『幸福の青い薔薇』の続編です」
何度も読み直して誤字脱字を出来る限り修正したものだ。
それにキャシー様が「まあ!」と嬉しそうに両手を合わせた。
「ありがとうございます、先生。私も続きが気になってしまって、ずっと楽しみにしていましたわ〜」
先生、と呼ばれるのはやはり少しくすぐったい。
でも、作家として認められたようで嬉しい。
「そうですわ、先生にお渡ししたいものがございますの。持ってまいりますので、少々お待ちください」
と、キャシー様が席を立ち、部屋を出ていく。
そっと隣に座りリオネルの服の裾を引っ張る。
「お父様達、作家活動についてリオネルに何か言ってた?」
「驚いていたが、同じくらい喜んでいたぞ。お前がずっと趣味を続けていたことは知っているから、それが実ったことに感動した様子でもあったな」
「二人とも、そんな様子全然なかったのに……」
キャシー様が挨拶に来てくれた時は「好きにしなさい」としかお父様は言わなかったし、お母様も「頑張りなさいね」と言っただけだった。
リオネルが少し考えるふうに視線を動かした。
「あまり干渉しすぎるのも良くないと思ったんじゃないか? 何かあった時に『侯爵家の力で有名になった』と思われないためにも、あえて見守ることにしたのかもしれない」
……そっか、そういう見方もあるよね。
何より、貴族の令嬢が好きに行動して良いと言ってもらえるのは、それだけで特別なことなのだ。
お父様もお母様もわたしの好きにさせてくれているが、本来ならば家のために社交をして、より良い家柄の男性と結婚するために努力したり、交友関係を広めたりする必要がある。
引きこもって小説を書かせてくれていたのもそうだけど、作家になるという話も普通なら止められるだろう。
「……わたし、お父様とお母様の娘で良かった」
「侯爵と夫人に言ってやれ。……きっと喜ぶ」
リオネルの言葉に強く頷いた。
部屋の扉が叩かれ、リオネルが返事をし、箱を抱えたキャシー様が戻ってきた。
箱自体は四十センチくらいだけれど、テーブルに置かれて中身が見えると大半が手紙らしかった。
「読者からル・ルー先生宛てのお手紙ですわ。それから贈り物もいくつかございまして、食べ物以外の害のなさそうなものだけ入れてありますわ〜」
思わず、まじまじと箱を見つめてしまう。
「こんなにお手紙が……?」
「ええ、安全上、全てのお手紙は封を開けて確認しましたが、どれも先生宛てのお手紙で、内容も『幸福の青い薔薇』の感想や先生を応援するものでしたわ」
沢山入っている手紙の一つを手に取り、試しに読んだ。
リオネルが横から覗き込んできたので一緒になって内容へ目を通した。
キャシー様が言う通り、本の感想とわたしを応援する内容だった。『幸福の青い薔薇』が大好きだと書かれていた。
よほど読み込んでいる人なのか、この場面が好きだったとか、この登場人物達の会話が面白かったとか、細かく書いてくれていて嬉しくなる。
手紙だって頻繁に送れるものではないし、本だって結構な値段がするのに、こうして多くの人がわたしの本を読んで感想をくれる。
それに感動しているとリオネルが眉根を寄せた。
「この筆跡、男か?」
キャシー様が嬉しそうに笑う。
「ル・ルー先生の本は女性だけでなく、男性にも人気ですわ〜。リオネル様もお読みになられたでしょう?」
どこか不満そうな顔のリオネルだったが、わたしの視線に気付くとバツが悪そうな表情で視線を逸らした。
「……何を言われても、読者に会うなよ」
「会わないよ。多分、想像と違ってガッカリされるだろうし、恥ずかしいし、会ってほしいって言われても怖いし」
「それでいい」
わたしの手から手紙を取ると、リオネルはそれを箱の中へ戻した。
「残りは帰ってから読め」
ここで読むにはさすがに時間がかかる。
「ある程度溜まったら手紙で報せろ」
「そうですわね。下手に送って運送人が情報を漏らしてしまうこともありますから、侯爵家の使用人に取りに来ていただくほうが安心ですわ」
「とりあえず、今日は持ち帰る。今後はそうしてくれ」
箱をテーブルの脇へ置き、キャシー様が頷いた。
……お菓子、食べたいけど……。
どれも見た目も可愛くて美味しそうなので、食べすぎてしまいそうだ。ちょっと怖くて手が出せない。
紅茶を飲みつつお菓子を眺めていると、リオネルがマカロンの一つを取り、差し出してくる。
「一つくらい食べたらどうだ?」
悩むわたしにキャシー様が「あら」と頬に手を当てる。
「先生、もしかして甘いものはお嫌い?」
「いえ、むしろ好きなんですけど、これ以上太ってドレスが入らなくなったら困るので……」
「まあ、それは花嫁の悩みですわね〜」
何故か微笑ましげな顔をされた。
横ではリオネルがずっとマカロンを差し出している。
ほのかに漂ってくる甘い香りの誘惑に負けて、マカロンにかじりついた。
表面は少しパキッとして中身はサクサクと軽い。
「……この一口が身を肥やす……」
キャシー様が堪えきれなかった様子で小さく噴き出した。
「笑いごとではないんですけどね……」
「これも食べるか?」
「……これ以上わたしを太らせないで……!」
でも、差し出されたクッキーは食べた。
どこかの有名店で作ったのか、バターたっぷりのクッキーは甘くて、香ばしくて、とても美味しかった。
残ったお菓子はいくつか持ち帰らせてくれて、侍女やメイド達にあげたら凄く喜んでいた。




